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アロエ  作者: 小日向雛
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第87話 黒幕

季節はすっかり冬だ。

季節外れの雪もなくなり、いつもの秋らしい風が吹いている。


万の傷は大したことはなかったのだが、一応脳の精密検査を行うということで本社の病院に入院している。先生のいる病院だ。


ミミはいつも通り楽しそうに笑顔を浮かべて井上にべたべたしていた。


そんな彼らを寺において、秋の昼下がり、春平と乙名は電車に乗っていた。


がたんごとんと定期的な音を立てながら進行する電車の中、乙名は窓の外を見ながらどうでもいい話ばかりをしていた。


だけど春平は、ほんの少し緊張していた。


これから言わば今回の事件の黒幕に出会うのだ、緊張もするだろう。

しかもそれが誰かも分からないのに、乙名は「一番春平が気になっている人」と言ってのけたのだ。


「さ、降りよう」


言われるまま電車を降りてしばらく歩き、


目の前に見慣れた景色があることにようやく気づいた。


「気づいた? どこに行こうとしているか」


「……うん」


そうしてひとつの家の前で立ち止まった。

見覚えのある家。

たくさんの記憶がよみがえる家。


大好き。


そう、自分に言ってくれた女の子が住んでいる家。


ピンポーンとチャイムを鳴らすと、家の中から細く弱い声が聞こえた。


扉が開いて出てきたのは、


「あら、便利屋さん。どうぞどうぞ」


いつ見ても不健康そうな佳乃の母親だった。




お茶を出されて一口飲んでから、春平は乙名の顔をうかがった。


今日は平日なので当然ながら佳乃は学校へ行っている。


彼女に一言も告げずに学校を辞めたことを申し訳なく思っていたので、確かにここは春平が一番行きたかった場所かもしれない。


――だけど、まさかここに黒幕がいるなんて言わないだろうな。


春平の胡乱げな視線を知っているのに、乙名は決して春平の方を向こうとしなかった。


ティーカップをテーブルの上に置くと、いつものように軽々と口を開く。


「さて、と。今日はお仕事でも何でもないんです。まぁ、言わばただ遊びに来ただけなんですけどねー」


あはは、と笑う乙名を見て、母親も嬉しそうにほほほと笑っていた。


「いつでも来てください、皆さんが来ると佳乃も喜びますから」


「それは嬉しいお言葉。でも今日はまだ佳乃ちゃんには出てきてほしくないんですよね。お母さんと話がしたいから」


「……はぁ」


乙名は普段のように装っているが、真剣な話をしようというオーラは隠しきれない。

母親もそれを読み取っているのだろう。


彼はそれさえも読みきっているようだ。

好都合と言わんばかりに話を切り出した。


「はっきり言いましょう。仕事の話でもなんでもないですからね。うん、お母さん、佳乃ちゃんの通う学校の学園長と音楽教師、ひいては数十年前『天使』と呼ばれ翻弄されていた少女のことを知っていますね?」


それはあまりにも直接的だった。


佳乃の母親は口を半開きにしたまま硬直してしまった。


それでも乙名は言葉を続ける。


「ついでに言うと、あなたは佳乃ちゃんの本当のお母さんではないですね」


「――――――っ!」


母親が立ち上がり、テーブルに足をぶつけてがちゃんっ、とティーカップが音を立てた。


その表情は恐怖と焦りに満ちていた。


「そんなこと……調べ上げたんですか?」


震える手を握り締めながら声を振り絞る母親を見上げて、乙名は困ったように微笑した。


「まさか。そんな失礼なことしないですよ。憶測です。今回俺たちが関係していた事件とのつながりを見て、そうなんじゃないかなーって思ったんです」


「……」


「天使。音楽教師の言う天使。それを聞いて、俺の中では色んなことが繋がったんですよね」


母親の顔は真っ青になっていた。


「乙名。これ以上は――」


これ以上話を続けるべきではないだろうと、春平が身を乗り出して制しようとしたとき、


「正田さん、いいのですよ」


と母親が苦笑しながら言った。


母親はゆっくりと腰を下ろして何度か深呼吸をすると、しっかりとした目で目の前の2人を見つめた。


「確かに私は佳乃の母親じゃあありません」


「っ」


「正しくは、佳乃の叔母……天使の妹ということになります」


「それじゃあ、佳乃ちゃんはやっぱり」


「えぇ、乙名さん。佳乃は天使の娘です」


衝撃の事実に春平は息を呑んだ。


――そうか、天使って……天使の声っていうことか?


それなら天使の娘が佳乃だというのも分かる。

あの声は母親譲りなのだろう。


では、


「佳乃は、学園長の娘?」


「それは違います、正田さん」


「え?」


「佳乃は、その音楽教師の娘です」


「……」


「学園長も音楽教師も、佳乃は学園長の娘だと思っているようですが、本当は違うんです。……おそらく音楽教師は、佳乃を自分のものにして学園長の悪事を世間にさらそうとしたんでしょうね」


凛とした表情で語ろうとする母親だが、その表情はやはり不安に満ち溢れていた。


「そのほかにも脅して金をとったり、時期学園長の座を狙ったりと、いろいろ復讐をしていたみたいですよ」


「白々しい言い方しますね」


とげのある乙名の言葉に、春平は背筋を凍らせた。


「お前……そんな言い方はないだろう!」


「大丈夫です、正田さん。……確かに私は、音楽教師の目論見を知った上で、佳乃をわざわざあの学園に行かせたんですから」


「なっ……」


「あの人ならきっと、学園長に復讐をしようとするだろうなと分かっていたから。私は手出しができない分、影からこっそりと音楽教師を利用していたんです。学園長への復讐のために……」


まさか、佳乃の母親がそんなことをするなんて予想もできなかった。


だから乙名はここへ来たのか。


しかし春平の考えとはまったく違うところで乙名は動いていたようだ。


それが次の母親の発言で理解できた。


「だからといって、まさか佳乃を洗脳して組織に入れようと目論んでたなんて想像もつきませんでしたが」


「!」


「彼は佳乃の心をぼろぼろにして自分のもとに引き入れようとしたのね。……本当のことを話すよりはいいと思ったのでしょうけど」


「……それじゃあ」


春平が言うと、佳乃の母親は困ったように微笑んだ。


「正田さんに依頼を頼んだときは、それが彼の仕業だとはわかりませんでした。それに気づいたのは、佳乃が学校に行き始めてからですよ」


そう。


あのいじめ事件は、ボスが仕組んだものだったのだ。


万のように、いじめていじめて心をぼろぼろにしてから優しく接し、自分のもとへ引き入れる作戦だったのだろう。

しかし佳乃は復活した。


二度も便利屋に計画を阻まれたということになる。


「そう、なんだ……」


その知らせは、春平にとっては思いがけないものだった。


佳乃には何の非もなかった。

同時に、佳乃の友達も佳乃が憎くてやったわけではないのだ。


その事実が、春平の心の中を暖めていく。


気づけば、春平はそっと微笑んでいた。


「佳乃ちゃんは知っているんですか?」


「もう少し大人になってから、すべて話そうと思います」


「いじめの件については――もう友達と仲良くやってるんだろうし、わざわざ掘り起こすことないよな」


言って春平は嬉しそうだった。


ようやく乙名の目論見がわかった。


乙名がここに来たのは、佳乃の母親のことを明かすためでもなく、佳乃が天使の娘で今天使と呼ばれているということでもなく、


ただ春平に、佳乃は本当にいじめにあっていたわけではないと伝えるためだったのだ。


だから春平が一番知りたがっているだろうと言ったのだ。


よかった。


これでようやくすべて解決したような気がして、春平の心は秋の空のように晴れ渡っていた。


春平の表情を見て、母親もそっと笑った。


自分の姪のことをここまで気にかけてくれる青年に対して、好意を抱いたのだ。


「正田さん。乙名さん」


名前を呼んで、母親はぺこりと頭を下げた。


「これからも佳乃のことをよろしくお願いします」


その言葉に、2人は力強く頷いた。


「ただいまー」


そして、天使の声が家の中に響いた。


瞬間、春平は立ち上がって玄関先へ向かい、


靴を脱いで驚いた顔を見せる佳乃を見つけて、優しく抱きしめた。


「しゅ、春平っ」


「お帰り」


言って佳乃の三つ編みに顔をうずめていると、佳乃は困ったように顔を真っ赤にしていた。


それから、春平の背中にそっと腕をまわした。


「ふふ、あははー」


楽しそうに、無邪気に、彼女は以前のように自分のことを抱きしめてくれた。


好きと言ってくれた、あのときのように。












井上は報告書を渡しに学校へ行ってしまった。


春平と乙名はどこかに出かけてしまったようだし、


ミミはすっかり寺に取り残されてしまっていた。


縁側に座って、自分のもとに擦り寄ってきた野良猫を撫でながら、遠い空を呆然と見上げていた。


そこにいつもの元気なミミの姿はない。


遠い本社で検査を受ける万を思い、自分に寄ってくる乙名の顔を思い浮かべ、


ミミは自然と口を開いていた。


「私は、乙名が嫌い。大嫌い。乙名なんて、乙名なんて」


自分なんて。


たった数週間前にやってきた春平に言われた言葉が頭の中をめぐっている。


――まるで俺が好きなのが正しくて、乙名が嫌いなのが当たり前みたいだ。まるで




  乙名を嫌いじゃなきゃ駄目みたいな雰囲気だ。




瞬間、ミミは自分の頭を両手で抱え込んだ。

驚いて猫が逃げていく。


そう。


知っていた。


自分が、自分のことをごまかしているのを知っていた。


それを人に見抜かれて、動揺しているのだ。


――いや、本当は知らなかったのかもしれない。


なのに、春平に無理やり気づかされた気がするのだ。


「違う、違う……。私は、乙名のことが嫌いなの……」


言いながら自分が涙を流していることに、ミミは気づくことができなかった――……。



少し心残りのある学園組織編となってしまいました。

もうちょっと佳乃の登場シーンをつくればよかった、と後悔しています。

更新の期間をあけすぎるといけませんねぇ。身にしみて思いました。

それにしても、ミミちゃんの様子が……

次回、新たな物語がスタートします!

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