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アロエ  作者: 小日向雛
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第84話 それぞれの困難

斜陽は温かく音楽室内に差し込んでいた。

机に座りっぱなしだから気持ちよくまどろんでもおかしくないほど心地いいはずなのに、さすがにこの状況でリラックスできる人間なんていないだろう。


平然と校内暴力を働いている同級生を見つめながら、春平は机に肘をつけて必死に視線を逸らしていた。


「有彦、私の有彦」


横では、組織のボスがいとおしげに自分の髪の毛をすいている。

遠巻きで桜春子が妖艶な眼差しでにやにやしているのが感じられる。


ボスは女性のように細い指で有彦の髪の毛をもてあそびながら、決して他の生徒の方を見ようともしない。


彼らがしているのが別段変わったことではない、「日常的なこと」だからだろう。


新たに組織に生徒を介入させようとしているのか、それともただ欲求に任せているだけなのか。


体格のいい男子生徒たちが寄ってたかって一人のひ弱な男子生徒を殴る蹴るの暴行に至っていた。


めがねが外れて顔は涙や鼻水、よだれでぐしゃぐしゃ。

制服は寄れてしまって見るも無残な姿なのに、組織の生徒たちは恍惚とした表情だ。


――狂ってるよ、心底。


ずっとここにいたら精神が冒されるのも当然なのかもしれないと思ってしまう。

こんな方法で生徒を統一して学園を裏から支配しようとしているボスの気が知れない。


なぜそこまで学園の頂点の座に執着するのだろうか。


何を考えているのか覚られないように、春平はうつろな目で虚空を見つめていた。


するとボスがおもむろにため息をついた。


「有彦。少しだけ、他愛もない相談をしてもいいかしら?」


「……どうぞ」


「あの子が、気になるのよね」


あの子。


ボスの口元がにやりと歪んだ。


「坂口亮」


――どくん、と心臓が跳ね上がった。


「有彦、あの子と仲良しよねぇ? あなたと一緒に転校してきた、あの」


坂口亮――万のことだ。


ボスは春平の髪の毛から手を離し、自分の黒く艶やかな長い髪の毛を溶かし始めた。

その表情は恍惚としている。


「あの子ったら、どうもクラスで浮いているらしいじゃない? そういう子、大好きなのよ」


確かに、それは春平も感じていた。


万は普段からおとなしく、だけど人懐こいという少し不思議な少年だ。


だからこそ、一部の人には受け入れられない傾向がある。

あくまで想像だが、本社を追い出されたのもそういう性格が影響しているのではないだろか。


そして妙安寺では受け入れられ可愛がられているその性格も、この学園では嫌悪されている、というところか。


――省かれている生徒を自分のところに引き込んで、さらに勢力を拡大しようってことか……。


嫌な予感が、徐々に春平の体を蝕んでいく。




翌日、春平はあえて危険を犯してミミの近くに行った。

そこにはもちろんへばりつくように彼氏役の乙名がいて、二人だけの雰囲気が作られていたのだが


「あー、有彦くんだぁ」


南ナミという偽名を使うミミが、乙名そっちのけで満面の笑みを向けてきた。

それはさすがに仕事としてはどうなのだろうか。


春平は苦笑しながら他人行儀な挨拶をした。


「今日の週番一緒だよね?」


「……、そういえばそうだったね!」


ぴょこんと可愛らしく立ち上がって、短いスカートの裾が翻る。

乙名がその中を必死に覗こうとしているのだが……いいのかそれで。




教室を出て職員室へ向かう――ふりをして、音楽室の方向へ向かった。

昼休みの音楽室には数人の生徒がたむろしているのだが、なにぶん教室の数が多いので、もちろんあいている部屋も多い。


第3音楽室に入り込んで鍵をしめ、カーテンも閉め切ってから、ミミは小さくため息をついた。

その表情にいつものような軽々しさはなく、少しだけ参っているようだった。


「どうしたのよ春平ちゃん。何だか調子悪いみたいだけどー」


年下の女の子にさえ見透かされている自分が情けなくなり、春平は自分に呆れた。


「ごめん……。ちょっと万のことについてなんだけど」


万の名前を出すと、ミミの眉が明らかに下がった。現状は理解しているようだ。


机の上に腰を下ろして、毛先を気にしながら唇をとがらせていた。


「榊マンね。あれは陰湿ないじめよね。まぁ、いじめられているわけじゃないんだけど……誰も相手にしてくれないっていう感じ?」


そして手を力なくぱたりと落として、ミミは唇をきゅっと噛み締めた。


「まぁ、仕事にはまったく関係ないから、これは榊マンの責任ね。本人はまったく気にしてないだろうけどー」


ミミは体の後ろに手をついて仰け反り、まるで春平の言葉など必要としていないように言葉を紡ぐ。


「問題なのはこれが組織に利用されないかってこと。自分の組織に入れやすいでしょうねー」


予想は的を射ている。


「ただ、それでも榊マンは自分の態度を改めない」


「そりゃあ改められるんならはなっからいじめになんかあわねぇよ」


「違うのー。榊マンはのんびり屋だし、それ以上に優しいのよー。優しすぎるのー」


「は?」


まったく話が通じてこないので思わず冷たくあしらうと、ミミは頬をぷくっと膨らませた。


「優しいのよ。自分をいじめることで他の人が楽しくて幸せならそれでいいって今は思ってるんじゃないかなーってこと。本当に、優しいの。自分のことはそっちのけで、いつも人のことばっかり考えてる。まるで、まるで――」


そこまで言って、ミミは突然我に返ったようにはっとした表情を春平に向けた。

しばらく自分が何を言っていたのか分からなかったようで、放心したまま虚空を見つめている。


「ごめん、忘れて……」


「あ、うん……」


「……」


そこから妙な沈黙が流れてしまった。

暑くもないのにじんわりと額に汗がにじむ。


ミミは参ったように頭をぽりぽりとかいてから、机から腰を上げてそのまま春平の胸に飛び込んだ。

突然の密着に春平の心臓が跳ね上がる。


ぴょこんと顔を上げて、ミミは上目遣いでにんまりと笑っていた。


「まぁ、どのみち事件は転ぶ方に転んでいくから」


「適当だなぁ」


「適当でいいのよー。それに、万が組織に加入したとしたら、春平ちゃんと二人で内部破壊も可能なわけだしー」


うりゃうりゃー、と遠慮なく春平に抱きつくミミ。


そんな小さな体が妙に愛しくて、春平は子供を見るような柔らかな眼差しを向けてミミの頭をそっと撫でた。


何の悩みもなく毎日が楽しそうなこんな女の子にも、やっぱり悩みや人に触れられたくない部分を隠し持っているんだ。


ようやく妙安寺の人が人間らしく思えてきて、春平は内心でほっとしていた。


そして――


音楽室の中、カーテンも閉め切って抱き合う二人の姿を、


動物を狩る猛禽類のような鋭い眼光で睨みつけている呉竹美保の姿があった。





「よぉう」


妙に間の抜けた声が空っぽの教室の中に響き渡り、その場の空気を振動させる。


時刻は午後の五時を過ぎ、組織の人間が大半を占めるこの教室はもぬけの殻となっていた。


焦げるような紅の中に派手な茶髪が目立ち、左耳と胸にさがる十字架がきらきらと光り輝いていた。


精悍な顔立ちで優男風な男――乙名雄輝がいつものようなにやにや笑顔をはりつけて立っていた。


その表情には、どこか余裕も垣間見える。


「久しぶり、か? 仕事柄顔合わせることなんてなかったしなぁ」


独り言と思える乙名の言動は、はっきりと開け放たれた教室の扉の外へと向けられていた。

人の気配がしない廊下。

しかし扉の向こう側に、ちらちらとスカートの裾が見え隠れしていた。


それを確認して、さらに乙名の顔が悪戯っぽく歪む。


「まさかお前があんな形で春平にちょっかい出すとは思わなかったな」


「――一度でいいから、しっかりと正田春平を見ておきたいと思ったからかしら」


ようやく言葉が返ってきて、乙名は意外そうに目を見開いた。


「興味あったか」


「そりゃあ、女好きな乙名が唯一気にしている男の子だもの?」


「……誤解を生むような言い方はやめろ」


さすがに頬を引きつらせて苦笑する乙名。


腰に手を当ててしばらく俯き、盛大なため息をついた。


「俺のことも春平のことも、今はどうだっていい。それよりも――万を組織のボスに言ったのは、お前だろ?」


くすくす、と馬鹿にするような嘲笑が聞こえてきた。


「お分かりね」


「お前の考えてることぐらい見透かせるっての。おおかた万を利用してこの事件の話をすすめるつもりなんだろ? それは――お前の『仕事』としては規則違反じゃないのか?」


すぐに返事は返ってこなかった。

しかし小さなため息まじりに言葉が漏れる。


「……確かにそうね。私の仕事は絶対不介入。今回したことは自分でも後悔してるわ。でもね、組織の一員としての『私』としてはまったく問題ないことだったわ」


「……春子」


戒めるように、乙名が彼女の名前を呼んだ。


ぴくりとスカートの裾が揺れたが、桜春子が乙名の前に姿を現すことはない。


「あなたたちが組織の敵である可能性が高いことは、ボスに言ってある」


「盗み聞きでもしたか?」


「この間あなたと万が学校に忘れ物をとりに来たときに、ね」


「……」


しまった、と乙名は内心舌打ちをしていた。

春子にとって、自分たち便利屋の仕事が成功しようが失敗しようがまったく関係ない。だから彼女は自分が組織の人間として正しいことをしたに過ぎない。


「そういう融通の利かない女は好きじゃないぜ」


「あらありがとう。あなたに嫌われるなんて本望だわ」


にっこりと大満足に微笑む春子の表情が目に浮かぶようだ。


ここまで開き直られると乙名としても成す術がない。


春子もこれ以上の会話は無駄だと踏んだのか、手の平だけをひらひらと見せて言った。


「私はこれから組織の会合に向かうから。あなたもせいぜい自分の仕事をまっとうすることね」


優雅な足音が徐々に遠ざかっていく。


完全に気配が消えたところで、乙名は苦しそうに顔を歪めて自分の胸を押さえた。


「桜、春子」


名前を呼んでも返事はない。


乙名は適当な椅子に座り込んで、数分間じっと目を閉じて荒れる呼吸を正そうとしていた。










春平が音楽室に向かうと、中から楽しそうな笑い声が聞こえていた。


続いて何かが割れるような破壊音が聞こえ、春平の肩が震える。


そっと音楽室に近づくと、中から乱暴にと扉が開かれ、目の前で立ち往生していた春平は無理やり音楽室内へと引き込まれてしまった。


そこで行われていたのは、最近組織で流行しつつある、いじめ。


いつもは殴る蹴るの暴行をしているのだが、今回はさらにエスカレートしている。


散らかっているのは、花瓶と真紅の液体。


――どくんと心臓が脈打つ。


自分の足元に倒れている少年を、知っている。


荒い呼吸を必死に整えようとして背中を丸くしている少年を。


額から血を流して口元に笑みを浮かべている少年を。


「万っ!」


思わず本名を呼んでしまったのだが、春平はそれに気づく余裕さえなかった。

普段ならすぐにでも訂正したり、そもそもそんな間違いを犯したりすることはないのだが、

ここ最近の精神状態が春平に余裕をなくさせたと思われる。


しかし大怪我を負っている万は至って冷静だった。


春平の声に気づいてゆっくりと顔を上げると、へへ、と小さく笑って見せた。


「有彦さん」


そこでようやく自分の間違いに気づき、はっとする。


後悔するよりも先に、近くにいた生徒が春平の頭をぽんぽんと撫でる。


「おぉい有彦。一緒に楽しもうぜ。ボスが許可してくれたからよ」


その言葉に頭の血が沸騰するような錯覚を覚えたが、万の顔を見てぐっとこらえた。


――ボスが許可すれば何をしてもいいって言うのかよ。


万の顔をもう一人の生徒がぐりぐりと上靴で踏み潰す。


「ほら、有彦もやってみろよ」


「……」


「おぉい聞こえてんのか?」


「まさか友達だからできないとか言うつもりじゃないだろうな」


「……」


「有彦っ!」


――うるせぇな。


一体こいつらはこの現状が分かっているのだろうか?


人間が頭から血を流してるんだぞ?


頭だけじゃない。


手足も切っているし、どうやら腹にも怪我を負っているようだ。


ふいに思い出したのは、袴田組の抗争で特殊護衛科の右京が腹を切られた映像だった。


――放っておいたら、死ぬかもしれない。


どくどくと心臓から血液の脈動が聞こえてくる。


しかし万は冷静なものだった。


じっと、春平を見上げていたのだ。


はたから見れば「そんなことするのか?」と疑う視線に見えたかもしれない。


しかしこれは、「早くしろ」という無言の命令だ。妙安寺の先輩としての万からの。


瞬間、春平の中で何かがはじけた。


「――っ、にらんでんじゃねぇよ!」


春平はなるべく万の負担にならないように足を蹴り飛ばした。

万の口から短い悲鳴が漏れる。


自分たちが成さなければならないこと。


組織の解体。


決して、万の救済でも何でもない。

そもそもこういう状況に陥ったことには、普段の万の態度にも原因がある。


今も鮮明に思い出せる右京の顔。


自分たちの仕事は、何なのか。


『行け。先輩の、命令だよ』


今ここで組織の人間に妖しいと思われる行動は慎むべきだ。


春平は何度も何度も万を蹴った。殴った。


終わったら必ず病院に連れて行くと心で約束して。


何度も、何度も。


息を乱して。


涙を垂れ流して。


蹴るたびに力を入れて漏れる声に、苦痛の色をそっと忍ばせて。




組織の活動が終わって、万は綺麗に制服を帰させられて強引に学園から追い出された。

誰もいない道路をとぼとぼと歩く万の姿は頼りなく、駅まで向かって力尽きた。


そんなことを知る術もない春平は、組織が終わったあとも一人学園に残って泣き続けていた。


「うっ、うっ……う……」


殴る、蹴る、暴行。


しっかりとふたをしたはずなのに。

先生に催眠をかけてもらったのに。

あのとき、右京と誓ったはずなのに。


過去のトラウマは簡単に春平を解放してはくれないみたいだ。


頭を何度もかきむしってかきむしって。



助けにきてくれるはずのない誰かを必死に待っていた。




「南ナミさん、よね?」


次第に空の紅が青に侵食されていく中で、いまだ学校内に残っていたミミは、いつわりの自分の名前を呼ばれて振り返る。


たまたま調理部に体験入部して、一人で最後まで別のものを作ってみたり片づけをしたりとしていたのだが、まさか誰かが残っているとは思いもしなかった。


しかし自分の目の前に現れた人物は、調理部の人間ではない。


ふわふわとした長い髪の毛をさらりと揺らして、少女は微笑む。

一見清楚そうに見える外見だが、ミミはすぐに彼女に「清楚」とは正反対の位置づけをした。


この女は、清楚なふりをした汚い女だ。すぐに分かった。


「同じクラスの呉竹美保。覚えてくれた?」


「覚えてるよー。美保ちゃんね」


「よかった」


にっこりと微笑む美保に、ミミも屈託ない笑顔を向ける。


しかしすぐに美保の表情はたくらみのあるものへと変貌を遂げる。


「あのねナミちゃん。実はちょっと付き合ってほしいのよ」


「――これから?」


「そう、これから」


「……」


嫌な予感がしないわけではない。


だからこそ、今回は引こうとミミは考えて苦笑した。


「ごめんね。早く帰らなくちゃならなくて」


「……そう、残念ね」


美保が言った瞬間、調理室の扉が乱暴に開け放たれてぞろぞろと複数の男子生徒がなだれ込んできた。


ぞくりと背中に悪寒が走る。


――あ、駄目だなー。


ミミはすぐに自分が置かれている立場を理解して、諦め気分で目を閉じた。




何だかぐっちゃぐちゃになってきましたよー。

だけど確実に、全員が組織に関係してきています。

次回、すべてが一つに収束する、予定。

ついでに次のストーリーに向けての伏線がぽんぽん落とされているので、今回の学園組織編で回収されなくてもご安心を^^

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