第78話 偶然の再会
翌日、春平が朝食を食べに行くと全員が食卓に集合して楽しそうに談笑していた。
ただ1人、乙名を除いて。
「乙名さんは?」
「どうせ服選びと髪のセットで忙しいんでしょ。女の子と遊ぶのが生き甲斐みたいな男だからー」
そう言うミミは足首まで隠すロングワンピースで清楚なイメージだった。
「女の子をとっかえひっかえな男って、最低だよねー」
「ミミちゃんの方が男をとっかえひっかえしてるでしょー」
少し文句あり気に起きてきた男は――見覚えが一切なかった。
明るすぎる茶髪をハードワックスで総立ちさせて、派手なタンクトップに作業着のような繋ぎを着ている。
左耳に十字架のピアスがあり、同じく胸にはロザリオが光っていたので、ようやく乙名だと判別できたぐらいだ。
思いっきりコンビニや怪しい店の前にたむろしてそうなヤンキーだ。
「おはよう雄輝」
「おはようございます、乙名さん」
「……」
絶句している春平と違って、井上と榊はどうということはないように振る舞う。
しかしミミだけは顔に両手を当てて目を大きく見開いて口をわなわなと震わせていた。
「やだーっ!いっつもミミに言い寄ってくるヤンキーみたいでやだー!!乙名はもっと英国のお坊っちゃまみたいな格好の方が似合うもんっ」
「えー、でも戻すつもりないしー。ミミちゃんは可愛いねー」
「乙名に言われても嬉しくありませーん。今日からミミは春平ちゃんに可愛いって言ってもらうのを生き甲斐にしますからー」
そう言ってミミは春平にぎゅうううと抱きついた。
それを乙名は不満げに見つめている。
「そいつ、同業者?妙安寺に男や女の子、友達を連れ込むのは禁止だろー?一応便利屋店舗なんだから」
「はぁー?」
いまいち話が噛み合っていない。そういえば昨日の夜も春平を見て不満げにぶつぶつ言っていた。
もしかして、乙名は新人のことについて知らないのかもしれない。
春平はその場に立ち上がると、背筋を伸ばして全員に挨拶をした。
「昨日からこの妙安寺にやってきました、正田春平です。アロエという店舗で4年働き、その後本社の特殊護衛科で勤務し、ここに至りました。よろしくお願いします」
春平が頭を下げると、ミミから歓喜の声が上がった。
「3階の人だったんだー!それじゃあ夜遊びも春平ちゃん連れていけば安心だね」
「まぁたそうやってとっかえひっかえして俺を捨てるんだからー」
「乙名なんて元から拾ってないしー」
つーんとミミが突っぱねると、乙名はむぅっと口を尖らせていた。
「乙名雄輝20歳。多分、君と同じ年齢」
そう言って差し出してきた手を軽く握り返し、春平は小さく頷いた。
「ちなみに美浜咲の従兄弟」
「はっ!?」
突然美浜の名前を出されて春平は目を丸くする。
美浜咲は、春平の家でもある便利屋支社アロエの女性従業員だ。
「美浜さんのって――金持ち?」
「反応するところ違うだろ」
さすがの乙名も苦笑して、隣にいたミミは目を輝かせていた。
「乙名、本当におぼっちゃまだったの!?やだー、早く言ってくれればデートぐらい言ってあげたのにー」
「いやらしさが滲み出てるよねー。でも可愛いから好きー」
「ミミ女たらし嫌いー」
どうやらミミはまったく乙名を相手にしていないようだ。今日の乙名の格好も少なからず影響しているのだろうか?
「だからたまに咲ちゃん妙安寺に来るよ」
「きっと乙名がうまくやってるか不安なんだろうね」
井上が苦笑すると、万もじいっと乙名を見つめる。
「乙名が親戚だったら卒倒しちゃうー。兄弟だったら不安すぎて困るー」
「……ミミちゃんは本当に乙名が嫌いなんだね」
「女たらしなところが嫌なのー」
そう言って食器を片付けると、ミミは鞄を振り回しながら玄関へと向かった。それを見て乙名も慌てて食器を片付けて後に続く。
「俺の車で送ってくよ」
「いらない。男の車は武器だもん。乙名のになんか乗ったらミミ、どうなるか分からないでしょ!それなら春平ちゃんのバイクに乗せてもらうからー。行こー春平ちゃん」
「は?」
突然手を引かれて外に出ると――乙名のものと思われる黄色い車の横に、ピカピカに光るバイクがあった。
「これ俺のだ」
持ってきた覚えはないのに。そもそも本社にさえ持っていってないのに。
「咲ちゃんが届けてくれたの。春平はこれ使うだろうからって。いやー、咲ちゃんは気が利くいいお姉さまだよなー」
「……親戚のくせに」
じと目で乙名を睨み付けながら、ミミはちゃっかりとバイクの後部に腰を下ろしてヘルメットを装着していた。
「さ、春平ちゃん早くして!遅れちゃうよー」
自分勝手に催促されて、春平は渋々バイクにまたがる。久しぶりの感覚に内心感動しながら、春平はミミを乗せて土地勘のない道を走り始めた。
「ミミちゃんはどこに行ってるの?」
「最近はー、観光ホテルフロントしてるよー。今度遊びにも来てね!」
「簡単に遊びに行けるところじゃないでしょ」
「いいのー。どうせ平日は暇なんだし。他の皆も遊びに来てくれれば楽しいのになぁ」
ミミの話によると、万は普段は会計士として会社に勤め、井上は本職である住職を、そして乙名は特にないらしい。
「驚くくらい暇人だから。春平ちゃんも暇だったらかまってあげて」
そう言うとミミはバイクを降りて、春平ににっこり微笑みかけてホテルの中に消えていった。
妙安寺に戻ると、ミミの言う通り乙名は退屈そうに居間でテレビを見ていた。
「あ、春平だ」
相変わらずのヤンキースタイルに春平は無言で返事をする。
「――二人は?」
「井上さんは念仏唱えに行ってる。万は仕事だよ」
そうして新聞をぱらりと捲る。
こうして見ると乙名は精悍な顔立ちの美青年だ。沖田がかっこいいと言うのにも一利ある。
ただ、小学生の頃からの知り合いである葵春貴や、本社で一緒に働いていた右京のような少し浮世離れした美少年が常に周りにいたためか、それほど飛び抜けてかっこいいとは思えなかった。
「なんだよじろじろ見て。春平もヤンキーみたいな奴は嫌いだって言うのかよ」
「そんなことは言わないけど……。沖田って知ってる?」
「ん、あぁもちろん。同僚だもん、忘れようないでしょ。もしかして知り合いなの?」
「友達なんだけど」
「沖田が友達かぁ。あいつ、全然遊べねぇだろ。忙しいもんなぁー俺と違って。妙安寺に左遷なんて、沖田にはあり得ないんだろうな」
「まぁ、沖田は変なことしないし」
「春平みたいに社長に歯向かわないからね」
「――何で知ってんの」
突然のことに春平は口をぽかんと開けて目を見開く。
すると乙名は心底嬉しそうににこにこと言った。
「だってー、ここには変な奴しかこないじゃん?だから何も知らずに傷口に触れないように、大方の事情は聞いてんだよ」
「……乙名はどうして左遷されたんだよ。あんまり働かないからか?」
「働くよ。きっと春平より頭いいし、俺」
今の発言は聞き捨てならなかった。
「要するに、社員やら依頼人やらに手を出しまくったってこってすよ。多分一番の原因は――久遠さんと右京に手を出したことかな」
「うっ!?」
一瞬、脳がフリーズした。
久遠ならまだ分からなくはない。しかし右京は――
「男だって分かってるよね?」
「そりゃもちろん。手を出すって――何もやましいことじゃないんだ。少し着せ替え人形にさせてもらってご飯食べに行ったり遊びに行ったり部屋で麻雀してたくらいで」
「着せ替え人形って……」
完全に女装だろう。
春平がじと目で乙名を見ると、乙名はむすっとした様子で首にかかっているロザリオを大切そうに手で包み込んだ。
「あのね、誤解のないようにひとつ言っておくけど――世の中の人は乙名と握手しただけで犯されたとか、キスをしただけで妊娠するだとか勝手なこと言ってるけどね。俺は敬虔なクリスチャンだから、結婚前にやましいことなんて絶対しないんですー。それ考えたらよっぽど皆の方がいやらしいよ」
ずいぶんと自分を棚に上げた発言に春平はため息をついたが、本人は心外だとでも言いたそうな表情だった。
「――まぁ、いいや。これで納得した人なんて見たことないし」
そう言うと乙名は不満そうに唇を尖らせて新聞をめぐる。
そして突然手を止めたかと思うと何やら思案して、思い付いたように立ち上がり、春平にとある書類を放った。
「明日から井上さん以外総出の依頼があるんだー。たぶん春平も数に入ってるから、よろしくー」
不審げに書類を目にして、春平はほっと安堵した。
依頼内容は扮装。
高校生に成り済まして学園組織の正体を暴く、だった。
「楽しそー……」
思わず呟いてしまった。
学校内ならまず命の危険は皆無だ。
高校生に扮装なんて、特殊護衛科の仕事に比べたら可愛らしいものだ。
ついでにここがアロエなんじゃないかと錯覚してしまう。
そして――高校生と聞いて佳乃と美羽のことを思い出した。
そろそろ卒業式の季節だ。
この分だと仕事はさほど忙しくなさそうなので、見に行くことはできるだろう。
美羽は――しばらく会っていないが、元気にしているだろうか。
またどこかで泣いてはいないだろうか。
思い出して、ふいに笑みが溢れてしまった。
「今、女のこと考えてた」
目を細めて何か勘繰るような視線で春平の心の内を見透かした乙名に、春平は言葉がでなかった。
さすがにこういう勘はよく働くようだ。
――乙名が期待してるような間柄じゃないよ。そう言おうとして、春平は口をつぐんだ。
わざわざ自分からこのテの話題を展開させる必要はない。
「……学園組織って何だよ」
露骨に話題を変えた春平に苦笑して、乙名は自信あり気に言った。
「知らない」
「……」予想の範疇ではある。
「あのね、とりあえず学園長の予期せぬところで誰かが生徒を洗脳して都合のいいように操ってるらしいんだ。だからその黒幕を探し出して組織を解体しろってことだよ」
大規模だなぁ、と春平が声を洩らすが、乙名は「日常茶飯事」と言ってのけた。
「学校に長期滞在なんてザラだよ。本社や他の店舗に比べて若者が集まってるから、学校には体よく使われてる。まぁ本社としても、俺たちは今時の高校生らしく馬鹿できるから身元を疑われないし、だからと言って根本から考えなしの馬鹿じゃないからヘマしないって安心するんだろうね。結果俺たちが本社にプラスの印象を与えるのはこういう学生扮装だけだからね、給料のためにポイントは稼がないと」
確かに妙安寺の従業員は井上を抜かせば平均年齢は19あたりだろう。十分高校生として問題はないし――妙安寺はもともと個人のスキルが高いことで一目置かれている存在だ。個人の変態力も、学校という場所への潜入を考えれば問題はない。
乙名の言葉を噛み締めてから、春平は顔を上げて頷いた。
「うん、分かった。俺も足引っ張んないよう努力する」
なんといっても彼らは元は能力の高いエリートで、その土台の上で馬鹿をやっている。
対する春平は馬鹿という土台の上で馬鹿をやっている。埋めようのない差は歴然である。
それならば春平は野球部に入部して、色々な生徒から情報を引っ張り出せばいい。
その春平の頭の中をまたもや見透かした様子の乙名は、遠慮するでもなく本人の目の前で豪快に腹を抱えて笑った。
ムッとする春平を気にせず乙名は春平の肩に腕を乗せて揶揄するように笑った。
「くれぐれも部活動には参加しないように」
見透かされていた。
その日の夕食時に、今回の依頼について話し合った。
わくわくしながら書類を見ているのはミミで、その隣に気だるそうな榊万、万の正面に乙名、その隣に春平が座り、井上は誰とも向かい合わず、ミミと春平の隣、テーブルの上座に座っていた。
「私も用務員として参加したいなぁ」
「うーん、いっちゃんが居てくれたら安心なんだけどなぁ」
ミミは井上の腕に自分の腕を絡めて甘えていた。
年輩であり上司である井上一朗にそんな言葉を使うあたり、妙安寺らしいと思った。
「高校かぁ。校則の厳しーいお嬢ちゃまお坊っちゃま学校じゃなきゃいいんだけどなぁー。今さら髪色変えるつもりなんて更々ないし」
「その色気に入ってんの?」
春平が何気なく尋ねると、乙名は少し考え込んだ。
「春平は簡単に髪色変えるの?」
「アロエにいたころは高校球児になることも多かったから、よく黒にしてたよ」
「ふーん」
「そんなこだわりなんてないから。今も規則で黒にしろって言われたらいくらでもするよ」
春平がそう言うと、ミミは信じられないとでも言うように顔を両手で押さえた。
おそらく規則に従うのは普通のことだと思うが。
「で、本題に戻るよ。皆高校3年生として行ってもらう。履歴は学園長が手配してくれるから、それに従うように。もちろん名前も」
それは分かっていた。
特に高校では名前は慎重に選ばなければ、大変なことになってしまう。高校生は強固に連結しているため、噂を流れて便利屋の情報が流れる可能性は高い。
「まぁ言わずと知れた追加設定だけどね、ミミと雄輝は恋人同士と言うことで。春平と万は全員と初対面、ということにするんだよ?」
なぜ言わずと知れた追加設定なのか?
春平が首を傾げると、ミミはテーブルを挟んだ向かい側から嬉しそうに春平の手を握った。
「えへへー。腑に落ちないけどねぇ、一応乙名が女の子にちょっかい出して連絡先交換しないように見張るのと、ミミが学校でいじめられないようにする抑止力なのー」
「ミミちゃんは可愛いからねー、野郎にモテモテで女の子たちに嫉妬されちゃうからー」
ミミの手を握ろうとすかさず現れた乙名の手。
しかしミミはそれを邪険に払い除けた。
お約束になっているのか、それで乙名が不快な表情をすることはない。
「あーもー、そんな顔も可愛いんだからー」
「春平ちゃん、ミミ可愛い?」
「あ、いや、可愛いんじゃないのかな」
「むー、駄目だよそこは即答しなきゃ!男じゃないよ!」
「そうだ、春平なんて男じゃない!だからミミちゃん、俺の方がよっぽどミミちゃんを幸せにできるよー」
「乙名きもーい」
そんな会話を続けているうちに時刻は10時を回っていた。
学生の朝は早い。
時間をずらしてそれぞれ登校するのだが、なぜか春平は遅刻して飛び込む生徒という設定になってしまった。
不満顔で乙名に問いただすと、乙名は楽しそうに笑っていた。
「一応オプションみたいなもので。これで春平が教師に顔を覚えてもらって親しくなったら大成功だしね。それに、この中で遅刻が似合うのは体育会系の春平だけだ!」
「もの凄い偏見だけどなっ」
「お待たせー」
楽しそうにパタパタと駆けてきたミミは――長い髪の毛をツインテールにして、太ももを大胆に露出した制服に何とも派手なニーハイソックスを履いている。
「ミミちゃん可愛いー!だけどそれ、すごい目立つー。女の子敵にまわしそうー」
「こういう時のための乙名でしょー?頼りにするんだからねー」
「やべー、本気で嬉しいー」
乙名が勢いでミミに抱きつこうとするが、ミミはその腕からするりと抜けて春平のもとへ駆け寄った。
「ミミ可愛い?」
「可愛い可愛い」
即答すると、少し不愉快そうに眉根を寄せてしまった。
妙安寺を出た瞬間、ミミは嬉しそうに頬を染めて乙名の腕をぎゅっと抱き締めた。もう演技は始まっているらしい。
そして二人が消え、続いて模範的に制服を着こなした万が出ていく。
全員の登校を見送って、春平はようやく妙安寺を出た。
怪しまれないように、学園までは全力疾走した。
身体中に汗をかき不快感が何とも言えないが、仕事にはかえられない。
学園に辿り着いて事務所を訪ねてから、早速教室へと急ぐ。
教室からは楽しそうな笑い声が聞こえていた。おそらく乙名たちが紹介されているのだろう。
喉をぐぅ、と鳴らして、春平は教室に飛び込んだ。
「すみません、遅れましたぁっ!!」
その声に誰もが驚き顔を上げて、春平の顔を見る。
乙名は嬉しそうに目を細めていた。乙名に腕を絡めたままのミミは目をぱちくりと開き乙名の影に隠れるように、万に至っては春平に顔さえも向けていない。
「こぉら、遅いぞ転校生」
ぽか、と女性の担任教師が春平の肩を殴ると、教室中に笑が溢れた。
そんな中で、ただ1人だけが笑いもせずに春平を驚愕の目で見つめていた。
「――春平?」
呟きは生徒には聞こえていなかった。
しかし妙安寺の全員に、その声は確かに届いていた。本名は隠すという約束があるのに、なぜ春平の名を知っているのか。
声のする方向に春平が顔を向けると――
「――佳乃……」
綺麗な三つ編みを揺らして、少女が目を見開いていた。
――なん、で……?
高校2年生の教室には、かつての依頼人であり春平の友達である中学3年生の佐々木佳乃が座っていた。
遅くなりました!
いよいよ新たな依頼がやってきましたよ! と同時に佳乃が登場しました。
今回はこの佳乃ちゃんこそがキーパーソンなので、大切に扱っていきたいです^^
学校に潜入なんて美羽ちゃんのストーカー事件以来です。春平、気楽だと思っていたらまだまだ甘いぞ。
次回はなるべく早く更新したいです^^