第77話 乙名大人オトナ
結局昼間から翌日の昼まで色々な店を転々として飲み明かし、ほどんど寝てない状態で夕方の5時。もう出発しなければならない。
仲介人として妙庵寺についてきてくれる沖田にこっぴどく叱られてから、春平は新幹線で妙庵寺に向かっていた。
「これから仕事なのにどうして飲んでるのさ!飲み会を想定して2日間の猶予をもらったのに、2日間飲み会してたら意味ないでしょ!」
「ごもっともです」
「妙庵寺の方も、非常識な人が来てもちょっとやそっとじゃもう驚かないだろうけどさ、気合い入れてよね。昨日も言ったけど、変人揃いの場所に左遷って言っても、皆仕事は真面目にやるレベルの高いプロの人なんだからさ」
そう文句ばかり言って缶コーヒーを流し込む沖田を見て、春平はにやにやと笑った。
「沖田は嬉しそうだな」
図星だったのか、沖田は困ったように口をへの字に曲げて頬を染めた。
「そりゃあ――正直言って、春平について行くなんて休憩みたいなものだから。ほっと一息つけて嬉しくない人なんていないよ」
「うん、素直でよろしい。――あぁもう着くな」
新幹線を降りてすぐのところにある小さな山を登ると、ぽつんと寺が見えてきた。
それほど高級感はないにしろ、さすがにどこか厳かで、しかし親しみがある不思議な寺だった。
寺の隣に建てられている民家の玄関の戸を沖田がノックして入る。
線香の薫りと畳の匂い、今日の夕食の匂いが混じった懐かしい匂いが春平を懐かしい感覚へと誘う。
――なんか、居心地いい雰囲気……。
そんなことを春平が考えているとはつゆ知らず、奥から住民が出てきた。
「やぁ沖田くん、数年ぶりだね。一度偵察に来て以来だ」
寺に似つかわしい坊主頭の優しそうな男性が、長年笑ってできてしまったと思われるシワを目尻に寄せてやって来た。
「ミミさんや乙名くんも僕が連れてきたかったぐらいですけと……」
「でも社長が許さないからね。今回は来れたね」
「僕の友達なので、行きたいって頼み込みました」
「え、そうなの?」
春平が目をぱちくりとしていると、沖田は少年のように無邪気に笑った。
「だって、春平くんもその方がいいでしょ?僕も休憩したかったし、妙庵寺に来れるなら嬉しいからね」
その笑顔を春平は呆然と見つめていた。
沖田の笑顔は、仕事で見せる表面だけの微笑みではなく、心の底から嬉しそうな、楽しそうなものだった。
「じゃあ、お二人とも中にどうぞ。沖田くんも夕食を食べていかないかい?」
「できればそうしたいけど、無理言って飛び出してきたので」
「残念だね。人数分より多く作っておいたんだが――春平くんはたくさん食べられそうだね」
「あ、それじゃあ包んでもらえますか?本社についたら食べたいので」
「構わないよ」
妙庵寺の坊さんはどこか嬉しそうだった。
早速夕食を包んでもらうと、沖田は春平の肩を叩いて行ってしまった。なぜか沖田はまた暇を作って妙庵寺に来てくれる――そんな気がした。
その後他のメンバーは仕事で帰ってきてないということで、今日は待たずに二人で夕食をとった。
井上一郎、35歳。
人当たりのいい性格の寺の住職兼妙庵寺の店長だ。
「春平くんは特殊護衛科の方だったね」
「春平でいいですよ。でもまだ数ヵ月しかいなくて――元はアロエという支店に居たんです」
「アロエ、あぁ、寺門くんの」
「知ってるんですか?」
「あの人は有名だからねぇ。だいぶ長いこと便利屋をやっているだろう。支店からバツ――特殊護衛科と同じような仕事ができるのは彼と、あとは数えるぐらいしかいないからね」
寺門がそうやって誉められているのを聞くと、春平も誇らしい気持ちになってくる。
夕食を食べ終えると部屋に案内された。
大きな平屋で、廊下を挟んで何個か個室がぽつぽつと点在していて、春平に割り当てられたのは玄関から一番遠い位置にある8畳間だった。畳の和室だ。
「襖であまり完全としたプライバシーのない部屋でもうしわけないね。鍵のかかる洋間はうちの女の子に使わせているから」
「あぁ、ミミさん、でしたっけ」
右京が苦手意識を持っている……。
「家具はほとんどないから、自分で買いそろえて好きにしていいよ」
確かにテレビさえない。和室だから布団はいいとして、電気機器が一切ないのは心もとない。
買いそろえる――春平は、ふいに桐原の一件の給料が振り込まれた預金通帳を思い出していた。
――ものすごい額になってたよな。減給されたはずなのに。
一応持ってきてはしまったが、何年かかったら使いきれるだろうか。
「それじゃあ、私は居間にいるから、暇ならおいで」
居間は玄関を入ってすぐだ。春平の部屋からは遠い。
井上に礼をして畳の上に大の字になると、途端にうとうととし始めた。
できれば井上と話でもしたかったのだが、何しろ昨日今日はほどんど寝てない。
そう考え出したころには、意識は完全に闇の中に落ちてしまっていた。
意識が戻ったころには外は完全に暗くなっていた。
電気をつけて時計を見ると、時刻は夜の10時だった。
居間の方からは楽しそうな女性特有の甲高い声が聞こえてきている。どうやら店員たちが帰ってきたらしい。
挨拶をしなければならない、と春平は重たい頭を抱えて部屋を出て、居間へ向かう長い廊下を歩いていた。
その足音に気付いたのか、井上がひょっこりと廊下に顔を出した。
「春平、起きたのか。お土産があるんだ、一緒に食べよう」
「春平ー、だれー?」
妙に間延びした声が聞こえてくる。
「新しく来た男の子だよ。ミミの1歳年上だよ」
ようやく居間に到達して中を見ると、目の前のケーキを美味しそうにパクパクと食べている女性がいた。女性、というよりはまだ少女といった風貌だ。
ふわふわの長い髪の毛は春平に負けず劣らずの明るい茶色で、大きな瞳は化粧も相まってさらに大きくなっている。
ぽてっとした唇にフォークを加えたまま、少女は春平を食い入るように見つめていた。
じぃっと見つめられて、先に我慢できなくなった春平が、少し躊躇いがちに口を開いた。
「ミミ、さん? たしか……田中」
「さすが、しっかりと資料に目を通しているね」
「正田春平」
田中ミミはそう呟くと、おもむろに立ち上がって、春平の腕をそっと抱き締めた。柔らかい髪の毛が揺れていい匂いがした。
「私、春平、好きー。春平も、ミミ、好きー?」
「え、え?」
困惑する春平を一切気にせず、ミミはさらに体を密着させる――春平の反応を見て楽しんでいるようだ。
たしかにこれは、右京が苦手意識を持つのも納得できる。
「す、好きになれるよう努力します」
――苦手なタイプかも……。
第一印象で既にミミを苦手と評して、春平は井上の横に腰を下ろした。
「仕事から帰ってきたのはミミさんだけですか?」
「ミミさんとか堅苦しいー!ミミちゃんって呼んでよぉ」
「う、うん」
――うーん。
「もう榊マンは帰ってきてるよ。私と一緒にきたんだもん。――でもすぐ部屋に戻っちゃったみたいだね。あの子、あんまり人と関わるの嫌がるから」
「――榊マンって誰」
「榊マンは榊マンなの!」
頬をぷくっと膨らませてミミは春平の鼻をつついた。
「パソコンでゲームでもしているんだろう。挨拶しに行ってみるといいよ」
「――明日の朝にするよ」
人と関わるのが嫌いな上に、ゲームまで中断されたらたまったものじゃないだろう。
「んー、でも榊マンは朝までゲームやるから、きっと起きて仕事するまでの数十分しか会えないと思うよー?帰ってきたらご飯食べて部屋に引きこもるしー。榊マンはぁ、こっちから積極的に接しないとお目にかけれない稀少動物なのー」
そうきたか。
「それなら」と春平は二人に短く挨拶をして居間を出た。
榊の部屋は比較的居間に近かった。ミミの部屋の目の前だ。
「……新人の正田春平です」
そう言ってゆっくりと襖を開けようとすると――ドアチェーンに阻まれた。
――引き戸に鍵を設置するなんて……思春期の子供みたいだな。
チェーンの音に気付いたのか、榊は襖に近づいてのろのろと外し、春平を招き入れた。
「榊万18才」
黒い髪の毛はボサボサに伸ばされ、顔の半分が前髪に覆い被されている。猫背だ。
あまり健康そうではない。
「あぁ、だから榊マン」
ミミの呼び方に1人納得する春平をちらりと見て、万はテレビの前にあぐらをくんだ。
「ゲーム好きなの?」
「好き」
ちらりと画面を覗きこむと、懐かしいものが広がっていた。
「俺、これやったことあるよ。アロエにいたころやってた。これの全国大会に出る依頼があってさ」
「え゛!?」
ずっと興味なさそうに話していた万だが、突然興味を示して目を丸くした。
「だから、これ好きならそんな依頼が来るかもよ?何ならアロエのお客さん紹介しようか?あの人も、俺がいないならアロエに用はないだろうし」
「……激動の人生送ってますよね、春平さんて」
それは、色々な店を転々としすぎ、ということだろうか。
その後しばらく話したが、万は嫌な顔ひとつせず――まぁ、いい顔もしていなかったので、面倒くさそうだったと言っておこう――春平と世間話を続けていた。
「――あ、車の音」
突然万が呟いたので、思わず耳をすます。
「きっと乙名さんが帰ってきたんです」
「乙名――雄輝?」
万はこくりと頷いて春平を見た。
「ご挨拶してきたらどうです?乙名さん、取っつきにくい人ですけど」
「……」
お前が言うな、と思わずつっこみたくなるセリフだ。いや、ミミもそうだ――ここにいる人間、皆取っつきにくい気がする、と春平は無言の微笑みを見せた。
万の部屋を出て再び居間へと舞い戻る。するとどうやらミミも井上もいないようだった。
時刻は夜の11時。まぁ、寝てもおかしくない時間帯だ。
そろそろと居間に行くと、ミミのお土産が小さなメモ付きでテーブルの上に置いてあった。
そういえば小腹が空いたな、と春平が椅子に腰かけてケーキを一口――というところで玄関から人影が現れ、お互い一時停止したように固まってしまった。
春平に負けじと染まっている明るすぎるぐらいの茶色い髪の毛。その隙間から左耳についた十字架のピアスが目に入る。
ジーンズに上は薄手のパーカー、その上に灰色のスーツのジャケット。胸には左耳と同様に大きなロザリオのネックレスが光る。
「あ――乙名雄輝さん、ですよね?」
春平が遠慮がちに確認すると、目の前の青年は少し不愉快そうに眉を潜めて春平を見つめた。
「ミミちゃんの彼氏か?」
「――はい?」
これが乙名雄輝と正田春平の出会いだった。
いよいよ新章突入!妙安寺編です!
一癖も二癖もありそうな店員たちにさっそくオロオロしてしまう春平ですが、無事にここで働くことができるのでしょうか?
久しぶりの更新になってしまいました;
楽しみにしてくれていた方がいたら、大変申し訳なく思っています><
高校三年になり、受験という切実な現実が作者に待ち受けているので、次回の更新は十月になりそうです。ご了承ください。
しかし、物語もクライマックスへと向かっていますので、今更途中でやめたりなんかしません!
最後までアロエにお付き合いいただけたら幸いです。