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アロエ  作者: 小日向雛
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第76話 寺修行

突然社長から呼び出されて、春平は少しだけ緊張した面持ちだった。


でも以前のように嫌な気はしない。


しばらく資料をパラパラとめくってから、社長は興味なさそうに春平を見た。


「正田。お前、この前私に歯向かったな」


「――反省はしました」


なるほど今日は一喝するために呼んだのだろう、と春平が背筋を伸ばして立つと、社長は嬉しそうに言った。


「ところで、仏なんかに興味はあるか?」


「……仏、ですか」


突然の質問に目を丸くする春平だが、あくまで平静を保って言う。


「そう、ですね。特別興味があるわけではないですが、親しみのある宗教ですからね、嫌いではないですよ」


「それはよかった」


たいそう嬉しそうに、社長はとある資料を春平に投げ渡した。


「しばらくは寺に修行に行くといい」


資料には便利屋店舗の名前が書いてある。


社長室を追い出されてから、ようやく気がついた。


これは、修行なんかじゃない。


立派な左遷だった。











「やだ」


そう短く言って春平の腕を放そうとしなかったのは右京だった。


こいつ可愛いなぁと思いながら右京の頭を撫でて、呆然とする久遠、平然とする清住に目を向けた。


「まさかの久遠依頼放棄の次は春平まさかの左遷かよ」


皮肉でも何でもなく、清住はまったくしょうがないといった様子で笑っていた。


その横で久遠は唇をわなわなと震わせて怒りを露にしていた。


「何で春平が左遷なのよ……絶対におかしいでしょ」


「仕方ないな、社長に歯向かったんだから。久遠の代わりに戦地に連れて行かれなかっただけ奇跡だよ」


「そうは言っても――」


「久遠」


いつまでも往生際の悪い久遠を清住が一喝する。久遠は申し訳なさそうにうつ向いてしまった。


明らかに不満を募らせる二人の肩を抱いて、清住は優しく目を細めた。


「これが懇情の別れになるわけでもないんだからな」


「でも僕たちはいつ死ぬか分からない身ですよ」


「それじゃあ、『春平に会う』っていうのを、死ねない理由に付け加えればいいだろ。会おうと思えばいつだって会えるんだよ、俺たちは」


「でも私たちそんなに暇ないよね」


「いいから聞けって。それに春平が行く寺、ここからそう遠くないんだよ」


清住の発言に誰もが呆然とする。


「ち、近いの?」


久遠が言うと、清住は嬉しそうに言った。


「近い。新幹線で30分」


「近っ!」


「まぁ、言うなりゃあそこは駆け込み寺みたいなものでな――どこの店舗も引き取ってくれないような社員をそこだけが引き取ってるんだ。だから、社長もせっかく引き取ってくれるんだから、場所まで文句言えないんだろ」


――嫌な予感がしてきた。


「だから、俺らが暇な時に連絡するからさ、たまに会うってことにすればいいじゃないか」


こいつらをなだめるって意味も込めて、と清住が付け足すと、久遠が清住の腹に膝をめり込ませた。


「……その寺ってさ、率直に言うと誰も引き取ってくれないような厄介者が集まってるってこと?」


「その通り。お前、社長に厄介者扱いされてるな。まぁ、あんだけ威勢よく食らいついていったら当然か」


にやにやする清住の笑顔が、さらに春平の不安を掻き立てていた。










その寺は妙安寺みょうあんじというらしい。

どうしても

「妙な人間が安心して暮らせる場所」って意味がありそうで嫌だ。


今日明日は挨拶や荷造りをするためにまだ本社にいられるらしいので、現在はこうしてお世話になった人間に挨拶をしている。


そして一通り挨拶してから、休憩もかねて沖田のもとを訪れた。


「俺が暇でも沖田が暇とは限らないよな」


苦笑しながら1階フロントへ赴くと、面白い生物に遭遇した。


「沖田、寝てる?」


「少し具合が悪そうだったから無理矢理休憩させてるの。彼、多忙でしょ?」


近くのフロントの女性にそう言われて

「あぁ」と春平は呟いた。


元からの童顔に加えて、規則正しい呼吸を繰り返す寝顔は無垢な子供そのままだった。

フロントの女性と一緒に寝顔を見つめて、自然と顔が綻ぶ。


「それじゃあ起こさない方がいいかな。起きたら正田が食堂で待ってるって言っといて」


「分かったわ。すぐに仕事に戻るよりも、春平くんとお話してた方が気は楽だろうしね」


そうして手を振って別れようとした時、ふと違和感に気付いて振り返った。


「――俺、名前まで教えた?」


すると女性は驚いたように目を丸くして、すぐに強気な、悪戯っぽい笑みを見せつけた。


「これでも本社のフロントなのよ?社員全員の顔と名前ぐらい知っているわ」


――あなどれない。




約1時間ほど経過して、丁度昼食で込み合ってきた食堂に、沖田は慌てて駆け込んできた。


「そんな慌てないでゆっくり来ればよかったのに」


コップ1杯の水を渡すと、沖田はそれを一気に飲み干した。


「駄目だよ!たとえ誰が相手だろうと、お客さんを待たせないのが僕の中の規則なんだから」


同僚というよりほとんど友達のような春平に対しても誠実な態度を取る、と真剣な眼差しで言い張る沖田を見て、春平は小さく笑った。決して沖田を揶揄する笑いではない。


――なんか、こいつが社長にも信頼されて、毎日多忙な理由が分かった気がする。


春平は姿勢を正して、沖田に深く一礼した。


「この度は人事異動となりました。今までお世話になりました」


「結果移動になっちゃったけど、春平くん、やったね!」


自分のことのように喜んで拳を握りしめる沖田を、春平は不思議そうに見ていた。


「散々偉そうなことは言ったけど、やっぱり誰かが紛争地に言って嬉しいとは思わないんだよね。だから今回久遠さんがいかなくなったのは、本当に嬉しいんだ。久遠さんにはいつもよくしてもらってるし」


「まぁ、異動するだけで紛争地に行けって言われたわけじゃないから、気は楽だよ」


「うん!皆、他の人からは性格に難有りとか人格破綻者とか散々なこと言われてるけど、根はいい人ばかりだから、安心して依頼をこなせると思うよ」


「――沖田、妙庵寺の人たち知ってるの?」


「元は本社にいた人たちだから。性格が……ってだけで、妙庵寺は明らかに他の店舗より頭ひとつ分飛び出た実力者揃いだからね」


「本社ってことはやっぱり皆その道のプロなんだよな」


「そこに3階の春平くんが行くんだから、かなりレベルが高くなるんじゃないかなぁ」


「3階の人はいないんだ?」


「3階の人の左遷はほぼ例外なく紛争地介入だから、ね」


少し寂しそうに沖田は言う。

しかしすぐに子供のように無邪気な笑顔になった。


「だけど春平くんは例外だからね。よっぽど社長に気にいられたんだろうね――さすがにアロエに帰してくれるなんて優しいことはしてくれなかったみたいだけど」


「まぁな。アロエは俺の家だからさ。――そう言えば妙庵寺にはどうやって行くんだ?荷造りしろって言われたぐらいだからあそこのマンションは追い出されるんだろうけど」


もしかしたらアロエから通うことができるのかもしれない、と期待に胸踊らされた春平だが、沖田は当然のように言った。


「皆妙庵寺に住み込んでるよ」


「――マジで?」


なぜか恐ろしい監獄のような場所しかイメージできない。


不安で顔を真っ青にしている春平を見て、沖田は安心させるように顔を綻ばせた。


「資料、今持ってる?」


「ん、あぁあるよ」


渡すと、沖田は興味深そうにそれを見つめて、時折何かを思い出したように笑っていた。


「そういえばさ、1人読みにくい名前の人がいるんだよね。誰が分かる?」


「乙名くんでしょ。確かにちょっと珍しい名前だよね。『オトナ ユウキ』同い年だよ」


「オトナ?」


「うん。一緒にフロントやってたから、よく知ってるよ。かっこいい人だよ」


かっこいい……いまいち想像しにくい形容詞だと春平は思った。


「性格は?」


「……んー、いい人だと思うよ」


「その間が気になる」


「少しクセのある人だからね」


――少しだけならいいんだけどなぁ。

正直、清住と久遠もクセのある人間だ。


まぁ多少性格が変わっているぐらいなら問題はないけど――妙庵寺しか受け入れてくれなかった人だ、どんな人間かは想像もつかない。


「僕の知っている限りでは、皆人を邪険にするような人たちじゃないから、楽しくやっていけると思うよ」


安心させようとする沖田を見て、春平も顔を綻ばせた。


そろそろ切り上げないと、沖田の仕事に影響する。本来なら昼食の時間さえもったいないはずなのだ。


短く礼を言って、連絡するよと約束を取り付けて、春平は食堂を後にした。




仕事がなければ訓練をするのだが、今日はほとんど遊び半分になっていた。


マンションに戻って慌てて荷造りを開始すると、寂しそうに目を潤ませる小動物のごとき男女二人組が部屋を訪ねてきた。


「右京とユキナちゃん……」


とりあえず家にあげると、ものすごい勢いで号泣されてしまった。


「やっぱり嫌だ!春平さん行かないで!」


「大丈夫だってば。近いんだから遊びに来ればいいだろ」


「だって妙庵寺のミミさん苦手なんだもん」


「おいおいおいおい不安になってきたぞ」


右京をなだめると、ユキナがおもむろに立ち上がってキッチンで何やらし始めた。


「出発はいつですか?」


「明日の夕方」


「それじゃあ、最後の夕食は皆で食べましょう!あぁ、久遠さんと清住も呼びます?」


「二人は来ないって」


少し不満そうに呟く右京を、ユキナは不思議そうに見つめた。


「どうしてです?」


「春平さんのことは好きだけど、特別扱いはしたくないって」


「一緒に夕食ぐらいでは特別扱いにならないとは思うんですけど」


「一緒にいればいるだけ、特別扱いしたくなっちゃうってことなんでしょう」


右京が拗ねたように言うのを見て、春平は小さく笑った。


――なるほど、あの二人らしい考えだ。


「まぁ、二人には明日しっかり挨拶をすればいい話だから」


春平が呆れた笑いを洩らしながらユキナの隣に立って夕食の準備を手伝い始めると、右京はしっかりと食卓に着席してテレビをつけた。


その背中が憂いを帯びていて、少し申し訳なく思った。









翌日、目を腫らした久遠を見て、春平は言葉を失った。


「何見てんのよ。投げ飛ばすわよ」


じろりと睨まれて、春平は何度も首を左右に振った。すると久遠は小さく嘆息してコーヒーを淹れ始めた。


「別にあんたがいなくなるのが寂しくて泣いてたわけじゃないからね」


「……久遠、今日はやけに可愛いね」


水をぶっかけられた。


「今日は仕事がないから、昼間っから飲みに行くって清住が張り切ってたわ」


「……特別扱いはしないんじゃないの?」


「それでも、命綱を託し合った仲なんだもの。一緒にお酒を飲むぐらいいいでしょ。私が清住を無理矢理諭したのよ」


「それで渋々清住は折れたってことか」


「清住を悪く言わないでよ。清住は彼なりに秩序を守りたくて冷たい行動をとる人なんだから」


久遠はむっとして春平を一瞥すると、すぐに嘆息した。


「喜びなさいよ、あんたは愛されてるんだから」


「――……」


声が出なかった。

面と向かってそんなことを言われてはどう反応していいか分からなかった。


それと同時に急に寺になんか行きたくなくなってしまった。


「……行きたくないな」


「何言ってんのよ、柄でもない。心配しなくてもあんたのこと忘れたりしないから」


久遠に頭を乱暴に撫でられて、涙腺が緩んでくる。必死にそれをこらえて手で目を隠す。


すると、背後から背中を軽く叩かれた。


「泣くんじゃねぇよ、だらしない」


「泣くのはお酒飲んでからにしましょうね」


「清住……右京……」


清住は満足そうに爽やかな笑みをこぼして、長い腕で全員の肩を抱いた。


「よし、全員揃ったことだし、早速飲みに行こうか!――言っておくけど、これは春平くんお別れパーティーじゃねぇぞ?春平くん出家おめでとうパーティーだ」


清住の言葉に、久遠が、右京が、春平が笑顔になった。


このメンバーに涙は似合わない。

きっと最後までこうしてふざけ合っているのが最高なんだ。


「命綱はまだまだ手放すなよ」


清住が、部屋を出るときに言った。




そして、春平は本社を完全に後にしたのだった。




左遷決定。

次回からはいよいよ新章、妙安寺編突入です!

徐々にラストへと近付いているアロエですが、これからもよろしくおねがいします^^

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