第73話 You…
桐原が舞台の上でマイクを片手に爽やかな笑みを振り舞いていた。
春平と久遠は桐原の近くを監視するとともに清住たちを確認できる位置で待機する。
誰か不審な行動をする人間がいたら目をつけ、行動に出たとたん即刻取り押さえる。
もし竹田が暗殺されずに事を済ませたら、すぐに歩行者のふりをしてずらかる。
この作戦に、自分の命を守るための算段は一切ない。
周りの警戒を怠らずに、なおかつ講習会の聴講者として桐原にも目を向けなければならない。
たくさんの市民を目の前にしてもなお、桐原は楽しそうに笑顔でいた。きっと組織が関係なかったら、文句なしでいい市議会委員になれただろう。
春平はそれを少し悲しく思い、再び気を引き締めて監視を続ける。
「さすがに講習会が始まったばかりとなると、向こうも行動には移さないようね」
「開始早々はきついよ」
久遠と短く言葉を交わして、清住と右京にも現在の状況情報を交換した。
そして別々に行動を開始して
春平がふぅ、と短くため息をついたとき――
背中にひんやりとした何かが当たった。
「竹田に雇われた便利屋だな」
誰かが背後から声をかける。男だ。
続いて冷静に背後のものを感触だけで確認する。
楕円形のものが背中に当たっている。銃口かナイフの柄か――おそらくは後者だろう。
「この至近距離から背中に傷をつけることは容易い。背中は、辛いぞ?切り所が悪いと下半身麻痺なんてこともある。――さぁ、竹田の居場所を教えろ」
背中。それがどれだけ大切なのか、知識が少ない春平さえも野球というスポーツを通して理解していた。
――銃の類いならどうしようかと思ったけど、ナイフならいけないこともない。しかも柄をつけてるってことは、そこから居合い切りの要領で切りつけるはずだ。突き立てられるよりは傷は浅い!
頭の中で理解はしても、体は冷や汗をかくばかりでちっとも冷静になれない。
「竹田の居場所を教えるなら、とりあえずは命を長らえるぞ?さぁ、どうする」
――あぁ、そんなこと。
直接「命を長らえる」と言われて、急に心が覚めていった。
――俺は、命を長らえるためにここにいるんじゃない。
すべては依頼人を守るため、SPとして命を捨てるのは惜しまない。
――覚悟を決める。久遠と約束したんだ。
春平は平静たろうと一度深呼吸をすると、低い声を轟かせた。
「便利屋をなめるなよ。SPとなった今、命を捨てる覚悟くらいできてるさ」
「!」
男がナイフを切りつけようとした瞬間――春平は男の手と自分の背中の間に左手を入れてナイフの柄ごと男の手を包み込んだ。
そして渾身の力で圧迫する。
「がっ――」
あまりの痛さに男はナイフを取りこぼし、からんという音を立てて地面に落とした。春平はそれを周りの人間に悟られないように踏みつけて隠した。
男が戦意喪失して自分の手を押さえている間に、踏みつけたナイフを回収する。
「これは貰っとくね。――このあとどうなるか、分かるね?」
春平が体ごと向き合って男に言う。このあと、春平がナイフを手にすることででる行動は、組織の情報を得るということだ。
しかし男は恐れるどころかむしろ苦笑しながら春平を揶揄し始めた。
「そのナイフを突き立てることはできても、切りつけるなんて勇気、お前にはないよ」
「――なんなら試すか?」
男が反応するより早く、春平は男の後ろに回り込むと先程男がとったような体制になるが――春平は男の両手を後ろて拘束し、その手首にすうっ、とナイフを滑らせる。
「――――え」
瞬間、男の背筋が凍りつき、必死に春平を放そうとするができない。
「どう、できたでしょ?お望みならどこか人目につかない所に連れ込んで頸動脈切ることだってできるぜ?」
男は息を呑むと観念したのか、周りに気付かれないように小さく呟いた。
「組織の名前だけでもいいか?」
「言え」
男は一呼吸おいて、言いづらそうに春平の耳元に口を近づける。
「コンプ研究社」
「――――――」
心臓が止まるかと思った。
同時に男の一言で、桐原がこのまま活動すればどんな状況に陥ってしまうのか理解してしまった。
コンプ研究社――右京の妹アクリルを研究所材料としようとした組織だ。
怪しい薬を作るために、大金をはたいて村などの子供を研究に利用する。
もし、桐原が市議会委員なんかになり続けるなら、その権力で何をしでかすか分からない。
この市ごと研究に利用する危険が高すぎる。
「――他に情報は!」
春平が男の手首を握りしめると、男は顔を苦痛に歪めて、再び春平の耳元に口を近づけた。
春平が耳を傾けた瞬間――
「@∀#&∵*§★£ー!」
突然、男が春平の耳元で叫んだ。
「っっっ!」
鼓膜が激しく振動して春平は思わず男から離れてしまった。
「しまっ――!」
その隙に男は春平を押して一目散に逃げてしまった。
追いかけようかとも考えたが――相手はあの男だけじゃない。面が割れた以上、春平もうかつな行動はとれない。
まずは全員に相手の組織を知らせ、
今が緊急事態だということを伝えなければならない。
「それじゃあ俺たちの面は割れてるってことだな?――参ったな」
清住は下唇を噛んで事態の深刻さに頭を抱えた。
「とりあえず、俺らが竹田さんにべったりっていうのは避けるべきか」
「でもそれじゃあいざという時に竹田さんの壁になれません」
「そうだよなぁ」
必死に考える2人の横には一切集中を乱さずに桐原に狙いを定める竹田の姿。どんな状況でも的を一点に絞れる――これはプロとしか言い様がない。
そんな中、無線機から久遠の声が響いた。
〈あー、あー、こちら久遠。えー、面が割れているというなら……清住は少し離れた所から警護、右京は現在地で【女装】待機が良かれと思いますが、どーぞ〉
「……マジで?」
ひきつった苦笑いを浮かべる清住に対して、右京は絶句。
「どう?悪くないとは思うけど」
報酬と引き換えにユキナに女物の服を持ってこさせ、いそいそと男子トイレで着替えてきた結果――
「なぁんかー、変な気起こしちゃいそう……マジで」
「清住さん……もしかして両方いける口ですか……?」
ヒクッと顔をひきつらせる右京は、女子も驚きの美少女姿で立っていた。
「うん、まだ男性の骨格が完全にできあがってないのが幸いしたんでしょうね」
もっともらしいことを言いながら、ユキナもじろじろと右京を観察していた。
「清住がやったら破壊的だけど」
ぼそりと呟いたユキナの声はしっかり清住にまで届いていたようだ。
「まぁ、これで右京は大丈夫だな。同業者と思われる可能性は高いが――そこは上手に、彼氏彼女でも演じてくれ」
「彼氏の暗殺に寄り添う彼女って……」
「嘘、得意だろ?便利屋なんだから」
清住の平然とした言葉に右京はムッとした。まぁあながち間違ってはいないし、それはそれで清住が右京を認めているともとれるので、やはり何も言えずに口を尖らせた。
「――お前、怒った顔も可愛いな」
「はやく僕の前から立ち去ってください」
「やっほ」
「げっ、久遠!?」
しばらく黙って桐原の講演を聞いていた春平だったが、突然登場した久遠を見て思わず声を上げる。
「どのみちコンプに面が割れてるみたいだから、単独行動してても無駄だわ。自分の命が危なくなるだけ。SPとは言っても、命が助かるならその方向で行動するのよ?」
そしてしばらく2人で周りを気にしつつ講演を聞いていたが、ふと春平が呟いた。
「先輩、どうしてコンプ研究社なんかに就職しちゃったんだろう。あんな所にいかないで、普通に働いて、問題なく市議会委員になってくれたらよかったんだけどな」
「……桐原が好きだったの?」
「そりゃあ好きだよ。部活では統率力あったし、頼りがいもあった。厳しい人だけど、しっかり俺たちのことを考えてくれてたんだよ。面倒みがよくて、誰にでも壁をつくらない面白い先輩だったんだ。――コンプなんかに手ぇ出さなかったら人望篤いいい市議会委員になれてたと思う」
少し気を落としている春平を見て、久遠は申し訳なさそうに表情を暗くしたが、すぐに気を引き締めて春平を見つめた。
「――だけどそれはIFの話であって現実とは関係ないわ。たとえ桐原があんたの先輩であっても、今は違うの。これは仕事」
「言われなくても分かってる。大丈夫、少し感傷的になっただけだから。これは仕事、覚悟はできてる」
久遠を真剣に見つめ返すと、春平は強気な笑みを見せた。
「――そうね。仲間を疑うなんて、馬鹿みたい」
そう言って、再び桐原に視線を向けた。
「――――――久遠」
「分かってる」
明らかに空気が違う。
殺気のようなものが混じった、ピンと張りつめる空気に、春平は冷や汗を流した。
そんな空気を感じていないのか、爽やかな笑顔を振り向きながら、桐原は講演を続ける。
「――ということです。えー、皆さんは映画などには興味はおありですか?アメリカで初の音声入りの映画が公開された時に流行したセリフをご存知ですか?」
一体何の話をしているんだろうか。春平が首を傾げている横で、久遠が震える口を開いた。
「You……」
桐原が言う。
張り付いた笑みではなく、
確固たる決意を秘めた、挑戦的な表情で――
「You ain't heard nothin' yet. お楽しみは――これからだ」
同時に、一発の銃声が轟いた。
更新がまたもや遅れました。
いよいよ事件勃発です。
さて、一体どうなってしまうんでしょうか!
次回、桐原が――!?