第71話 恋心
「あさっしーん」
久遠と春平が3階に戻ると、なぜか清住が嬉しそうにひとつの書類をつきつけてきた。
春平が目をまるく見開いて書類に書かれている文を読む。
「暗殺者SP――何だそりゃ」
「暗殺者を暗殺者から守る!血肉心踊る仕事だな」
「血肉が踊ったら最後だな。そこで死ぬだろ」
「しかも今日から!急すぎるだろー?身を守る射的の訓練さえさせてくれねぇぞ。……出発だ!」
確かに急すぎる……。
渋々スーツのネクタイを閉めて本社を出た。
見た目、ゴリマッチョ。
「……俺たち必要?」
思わず本人を目の前にして春平は呟いてしまった。
それを久遠が横からぶん殴るが、肝心の依頼人――暗殺者は気にしていないのか、愉快そうに大口を開けて笑っていた。
「いやいや見かけ倒しなもんで、あんまり気にしなくていいですよ若方!うんうん、頼りにしてますよ、若!」
そう言って暗殺者は力強く春平の肩を叩いた。
「――今、何て言った?」
「若ですよ!」
口許をひくひくと痙攣させている春平はお構い無しで、暗殺者は楽しそうにニコニコと笑う。
「いやぁ実は私、袴田家に御用達されていまして、先日も親分に挨拶してきたんですよ。そしたらそちらの会社の正田春平さんが袴田のお嬢さんのフィアンセだとか!親分はノリノリでそのつもりらしいっスよ」
バン!と背中を叩かれて一瞬よろめいた。
他の3人もにやにやしながら春平を見ていた。
清住に至っては
「よかったな、婿入りでヤクザの親分だぞ」と言っている。
――大変なことになっている。
1人だらだらと冷や汗をかいていた春平だが、ふいに美羽の顔が浮かんで顔が赤くなる。
正直、美羽のことは嫌いじゃない。
あちらは好きだとも言ってくれている。優しいし、気のきくいい子だと思う、けど、やっぱり婿入りでヤクザの親分っていうのは――どうせなら美羽ちゃんが嫁入りして――それなら美羽ちゃんのお父さんにはもう1人頑張って息子をつくってもらわないと――と、想像力があらぬ方向に進んで拡大してしまっていた。
そんな春平の思考を遮るように、久遠が口を挟む。
「失礼、えぇと――竹田さん。今回はまた不思議な依頼ですよね。そこのところを詳しく教えていただかないと。我々にも意思がありますから、仕事内容が精神面にも何らかの効果があると思いますし。我々は人形ではないですからね」
「あぁ、そういえばそうでしたな。……実は、今回は名のある方の暗殺を頼まれていまして――といっても今回は殺人はなしなんです。ただしばらく再起不能にするというだけで命はとりません。だけどそんなこちらの思惑を知らない相手方は、どうやらSPだけではあきたらずに暗殺者の暗殺者を用意しているらしいのですよ」
「それで、僕たちにSPを?」
右京がそう言うと、竹田はゆっくりと頷いた。
「まさか私ごときがSPなんか雇えませんし。雇える財力があったところで、暗殺者のためのSPなんか誰もしないんですよ。そもそも暗殺という職業も明かせない」
――何となく、嫌な気分だった。
世の中には、こうして頼れる最終手段として便利屋を利用している人がたくさんいる、
それは、紛争地介入にしても同じことだろうと、心のどこかで思い知らされた気がして、春平は苦しそうに自分の胸をギュッと締め付けた。
「仕事は明日決行です。だからそれまでに、便利屋さんには軽い訓練や狙撃者についてを説明させていただきます」
竹田との話し合いが終わり、春平たちは本社に戻って4人で小さな会議を開いていた。
「対スナイパーか。かっこいいなぁ」
「もしかして清住さんもこんなの初めてですか?」
「こんな変な毛色の違う仕事がたくさんあってたまるか!初めてだからこそ、燃えるんだよ」
清住、今日はやけに熱い男だ。
「それにしても、相手がプロのスナイパーなだけに厄介よね。対してこっちはただの便利屋なんだから」
「それ言ったら敗けですよ久遠さん」
右京の言葉に久遠はムッと憎たらしそうな顔をした。
「とりあえず明日の昼3時、大規模な講演会があるから、そこに出る桐原を暗殺する――正確には殺さないわけだけど。そこで俺たちは竹田さんを狙う暗殺者から守る、と。ここまでは全員オッケーだよな?」
清住の言葉に全員が頷く。
そんな中で春平が挙手して発言する。
「相手についての情報がないけど?」
「まぁ、暗殺者なんだからなんとも言えないよな。とりあえず暗殺者が狙いやすいポイントを教えてもらっただけで、これ以上の情報は得られそうにないだろうな」
「……そうじゃなくて、相手の桐原について」
「――桐原について?」
清住の目が意外なことを聞かれて丸くなっている。
春平も真剣に聞いたのにそんな態度とられてはどうしようもないと口をへの字に曲げる。
「馬鹿ね」
久遠が情けない、と額に手を当てて深いため息をつく。
そして右京が優しく口を開いた。
「市議会委員さんですよ、ここの」
「――うそ」
そんなの全然知らなかった。
そもそも政治に興味がないから、自治に関しての知識も皆無だ。
「しかも最年少!だからお年寄りたちに孫みたいに可愛がられて講演会にも呼ばれるのよ」
「桐原、かぁ」
「あんた少しは新聞見なさいよ。仮にも社会人が情けない、大人にもなって正式な書類にギャル文字使ってる店員ぐらい情けないわ」
「すみません……」
そんな幼い市議会委員を目標にするとなると、少し気も引けてくる。
「――暗殺されるぐらい悪いことしてたのか、そいつ?」
「……市議会委員になる前に、結構公には言えないようなことをさんざんしてきたらしいからな、桐原は。それも個人的なものなら可愛いが、よりによって組織ぐるみでさ。だから今回の竹田さんへの暗殺依頼は市からのものらしい」
今まで小物をいじりながら話を聞いていた春平の手が制止する。
「――かなり、ヤバくない?」
「つまり簡単に言うと桐原はその筋の人間から多数の投票を獲得してのしあがったからな。組織は、桐原の市議会委員という立場を利用して何か一発かますつもりなんだろうな」
「ま、待ってよ。ってことは――桐原を守るSPは」
「当然、組織の人間ということだな」
「市の味方に僕たちみたいな人間がいると知ったら、相手は何を仕掛けてくるか分かりませんよ。何しろあっちは組織という大きなものを背負っているんですから」
最後の右京の言葉のあとに、しーんとした静寂が響いた。
今回の仕事はやけに大きい。お互いに市、組織の命運という大きなものを背負っている。
そしてどちらも警察沙汰御免なのが禍して、やりたい放題、殺りたい放題という状況が確立してしまっている。
スナイパーが便利屋を襲う確率は、残念ながらかなり高い。
「――唯一突破口があるとすれば――相手が俺たちの存在に気付いていないということだ。相手は市が桐原暗殺のために竹田さんを投入したという情報しかもっていない可能性は十分ある」
「でも、それは組織がどれだけの力を持っているかによるよな」
大した組織でなければ、竹田が便利屋を雇ったなんて情報は得られない。しかし、それが大規模なものになると、どこまでこちらの内情を把握しているか分からない。
「どちらにせよ、明日にならなきゃ分からない、か」
清住が遠くを見つめながら小さく呟いた。
「そもそも市も桐原について十分調査しとけってのよ!そうしたらこんなことにはならなかったのに!」
「圧力がかかったのかもな。あるいはワイロ。どちらにせよ、桐原の当選は確実、綺麗に飾り立てられたデキレースってことだったんだ。今さら文句言ったって始まらないぜ」
憤慨する久遠を清住がなだめるのを見てから、春平と右京は席を立った。
「もう寝ます。体調を万全にしたいし――精神統一もしたいから」
「俺も。考えるだけ不安が増すからな」
言葉少なくマンションへと戻っていく二人を無言で見つめて、久遠が小さく呟いた。
「私が行く前にこんなところであんたが逝ったらシャレになんないから止めてよ」
真剣な表情の久遠を見つめて、清住は耐えきれなくなり吹き出した。
「久遠さんこそ奴らの目の前で死ぬなんて真似は止めてくださいよ」
「――いい加減先生の口真似するの止めなさいよ。あんた昔っからそうよね」
「うん?だって、先生の真似したら久遠ちゃんが清住くんのこと好きになってくれるかなーって、昔から淡い恋心を抱いてるんだもん」
「――そんな爽やかな微笑み付きで言うから不覚にもときめいたじゃないのよ。襲うわよ」
「大いに結構。いつでも来い!」
「あんたのそういう性格嫌いじゃないけど、私の好みとしては、もう少し恥じらいを持って頬でも染めてほしいものだわ」
やはり真剣に言う久遠を見て、思わず頬が綻ぶ。
――久遠に恋心を抱いてるって、冗談でもないんだけどな。
でもそれは純粋な恋心なんかじゃなくて、尊敬とか、敬愛を恋心と取り違えているだけなのを清住本人は知っている。
久遠は、恋心なんかで弄んでいい女じゃない。
誰よりも信頼できる、誰よりも愛してる女だ。
「――最後の晩酌でもするか?」
清住が冷蔵庫から缶ビールを取り出して久遠の前に置くと、久遠は嬉しそうにそれを手に取った。
「今日ぐらいは体に悪いとか言わないわ。最後の晩酌だもんね」
二人の缶ビールがぶつかる音が響いた。
「乾杯」
更新が遅くなりました。
さて、微妙な雰囲気の中で、春平たちに新たな依頼が舞い込んできました。
内容は――暗殺者のSP……?
次回、桐原とまさかの急接近!