第69話 大前提
「おはよー」
気だるそうに自分たちの部屋に入ると、パイプイスに座っていつものような笑顔を向けてくる3人がいた。
清住と右京の右人差し指には純銀製のリングが光っている。
「随分と遅い出勤だなぁオイ。いくら今日はまだ依頼がないからって遅刻は許さないよー」
ごつん、と頭を叩かれて、リングが当たる。正直痛い。もしかしたらこういう使い方もあるのもしれない。
「でも今日は依頼が入ってくる感じないですよ。きっと一日中訓練です」
「一日中射的やってたいなー」
清住は大きく両手を開いて天を仰ぐと、眠たそうに机に突っ伏した。
「――暇ね。沖田を拉致して食堂にでも朝御飯食べに行くわ」
ガタリと席を立ち、久遠は部屋を出ていく。
少し離れた所でエレベーターの音が聞こえ、完全に久遠の気配が消えてから清住は優しくそっと微笑んだ。
「お前ら合格だよ。よく我慢できたな」
その言葉に安心しきったのか、右京の顔が歪み、目に涙がたまっていた。
そんな右京の肩を叩く清住。
「泣くなよ。別れとは悲しいものだけど、それを乗り越えて人間は強くなっていくもんだ。うん、俺今良いこと言った」
自画自賛している清住に、春平が不振そうな視線を送る。
「何だよ春平。お前も慰めて欲しいのか?」
「久遠の仕事って、覆せないのかな」
あくまで真剣な表情をする春平を見て、明らかに清住の表情が一変した。
真剣で、それでいてどこか怒っているような表情に見えた。
「――冗談半分の言葉なら聞かなかったことにしてやる」
「本気だ」
「だとしたらやっぱりお前は子供だと認識せざるを得ないな。久遠の依頼を覆したいと思うのは、お前がまだ子供で、全てを自分の都合のいいように動かしたいと思っている証拠だ」
「清住は、久遠と何年一緒にいるんだ?」
「一緒に働いた期間は7年間。実際久遠が12才の時に俺が入社してるから、一緒にいた、ということだけを考えると、11年はいるな」
「長いな。……それじゃあ、久遠の表情の裏にどんな感情が隠れているかなんて分かるだろ」
投げやりな春平の言葉に、清住は眉を潜める。
「あいつが必死に苦しいのを我慢してるのは俺も右京も知っている。本当は紛争なんかに巻き込まれて死ぬのが怖いことも、父親が久遠を物ぐらいにしか考えていないのが久遠を傷つけていることも!」
珍しく清住が声を張り上げてむきになる。
人との間に常に一線を引いて決して本心を見せない清住が怒鳴る。それほど清住は真剣に悩んでいるのだろう。
「だからって俺たちがどうにかできる問題じゃあないんだ。お前が入社した時に言ったはずだ、俺たちは社長のために働き、社長のために命を捨てる。その覚悟がないなら、この仕事に手を出す前にアロエに帰ればよかったんだよ」
清住が参ったように頭を掻き乱している。
「春平さん」
そんな二人のやりとりを黙って見ていた右京だが、ふいにうつ向いて声を漏らす。
「服従の心理、って知ってますか?人間は、権威のある人の命令にはたとえそれが不合理なものであっても服従してしまう、というものが、ちゃんとした実験が行われて科学的な統計があるんです」
「――それは、従うしかない、ってことを言ってるのか?」
「そうです」
目を合わせてはっきりと断言した右京を見て、春平は苛立ちを感じていた。
そして勢いよく立ち上がり、ドアノブを捻って振り返りもせずに呟いた。
「食堂に行ってくる」
食堂、と言ってから「そういえば食堂には久遠がいるんだった」と今更ながら思い出した春平だったが、それでも真っ直ぐ食堂へ向かった。
しかしそこに久遠の姿はなく、沖田が1人で食事をしていた。
久遠は沖田と一緒に食事しているのではなかったか?と思った春平だったが、すぐにあれが強がりだったと悟った。
「よっ、沖田」
「あぁ春平くん」
沖田の目の前に腰を下ろす。
「朝食?」
「え、あぁ、違う。なんとなく来ただけなんだ」
苦し紛れに笑う春平を見て、沖田は春平の心情を見透かしたように表情を暗くする。
「嫌だね。もしかしてもう久遠さんの話を聞いたの?」
「まぁね」
ふぅ、と溜め息をついて沖田の朝食を見つめる。どうやら今日は鮭定食納豆付きらしい。
沖田が気を使って箸をおいたのを見て、春平は相談するべきか悩んでいた。
「――話したいことがあるなら、言った方が気は楽になるよ」
「……だといいんだけどなぁ。――沖田はさ、社長に会ったことがあるか?」
「へ?うん、あるよ。一応、不法な年齢から仕事をしてたから、社長直々に挨拶に着たんだよね」
「そっか。じゃあその社長にさ――物申せると思うか?」
春平の言葉に、今まで楽な感じで会話をしていた沖田の表情が一気に真剣なものに変わった。
まるでこれから春平が言おうとしていることが分かっているかのように。
それを見て、さらに春平は言葉を続ける。
「久遠が戦地に行くのは社長の不合理な感情のせいだろ?いや、久遠だけじゃない。この3階の人間は全員そんな社長のわがままな感情のせいで殺されるんだ」
「春平くん止めて。社長がわがままなのか、それとも会社のためを、社員のためを思ってしているのかは僕には分からないけど、朝から殺すとか殺されるとかは……」
明らかに表情が暗くなり声が小さくなった沖田を見て、春平は罪悪感を抱き「ごめん」と小さく呟いた。
「そうかもしれないけど、俺は意見を曲げるつもりはない」
「社長に物申して、春平くんは一体どうしたいの?」
「もちろん、この不合理な制度を廃止させる。久遠をあんなどうでもいい理由で戦地に連れて行くのなんか許さない」
憤慨している春平を宥めようと沖田は顔を上げるが、しかしそれもすぐに俯いてしまう。
そしてゆっくりと不愉快そうに呟いた。
「それはそれで春平くんのわがままな感情だよね」
「はぁ?」
「だってそうでしょう?君達は――いや、僕達もだけど、皆社長に忠誠を尽くして命をかけて、お金を貰ってるんだよ。久遠さんも同じ。なのに君は今更それが嫌だって言ってるだけだよ。それはとってもわがままなことなんだ。そんな感情を持つぐらいなら、初めから全てを覚悟できなかったなら、こんな仕事をしなきゃよかったんだ。あのままアロエで楽しく過ごしていればよかったんだ」
沖田は、ついさっき清住が言ったのと同じことを繰り返す。
「僕達は社会人だ。それ相応の常識と認識が必要なんだよ」
「――なんだよそれ……社長の判断が常識的で、俺がそれを認識しなきゃなんないってお前は言うのかよ」
沖田は何も言わなかった。ただ沈黙を保ち、やがて小さく口を開く。
「僕も嫌だよ。だけど、社会にはどうしようもないことだってたくさんある。それに適応していくのが、社会人というもんなんだよ」
その一言が春平の火に油を注ぎ、怒りに任せてテーブルを両手で叩き付けると、春平は食堂を後にした。
社長室は本社の最上階の全フロアを使っている。
普段足を踏み入れないところだし、社長にも会ったこともないのに、春平は躊躇することもせずにずんずんと足を運ぶ。
するとひとつの部屋の前に2人の男が立っているのに気付いた。真っ黒なスーツに身を包んだ、おそらくは社員。それもSPだけを仕事とする3階の人間、といったところだろうか。一度も見たいことのない奴だ。
「名乗りたまえ」
偉そうに言われてムスッとする春平だが、ここは従順に答えることにした。
「特殊護衛科勤務、正田春平20歳」
「……何の用件があった来た」
ここで適当につくろえば入れてくれるだろうか――いや、そんな簡単な社員じゃないだろう。
だからといって今更誤魔化すなんて馬鹿らしい。ここで言えないようなら社長になんて言えるわけがない。
春平はぐっと一度言葉を呑み込んで、表情を引き締めた。
「社長に物申す」
断言する春平の言葉にSPたちは唖然としてしまい、春平をつまみ出そうとしようともしなかった。
「――入れるか?」
「あぁ、確か久遠と同じ班の社員のはずだ。それなら問題ない。――入れ、久遠も中にいる」
久遠が?
一瞬、嫌な予感がした。
親子の会話の中に、自分が割り込んでもいいものだろうか?
しかし春平は決意を固めて、重い社長室のドアを開けた。
もしかしたらという期待虚しく、清住と右京、沖田さえも春平の意見に反対。
そして皆一様に大人になりきれない春平の意見を非難する。
そうなったら春平の怒りが爆発してしまいます。
次回、社長と初対面。