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アロエ  作者: 小日向雛
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第68話 指輪と笑顔

目が覚めたら、目の前にユキナの顔があった。


「……?」


春平は寝ぼけ眼を擦りながら、辺りを見まわす。

ここは正田春平の部屋で、自分は正田春平で、昨日はなぜか清住と沖田がうちに泊まって、


「で、この子はどうしたんだろう」


清住の悪酔いが覚めるまでここにいる、とは言っていたが。


どうやら一泊してしまったらしい。









結局春平と清住と右京はこれから用があるという理由で他の二人と一緒に部屋を出た。

その時にユキナが

「結局流された……」とぶつぶつ言っていたが、それにはあえて触れないことにする。


「何で揃ってやって来たのさ」


本社のグラウンドには鬼教師さながら金属バット片手にふんぞり返る久遠の姿。


「いや、気が付いたら全員俺の部屋に居座ってたというか――清住は不法侵入してたんだけど」


じろりと見るが、清住はへらへら笑ってごまかすだけだった。


「それより久遠、野球やりたかったの?」


「やるわけないでしょ。遅刻したくせにへらへら笑ってる男共のケツでも叩こうかと思ってね」


ごん、と地面を叩く音が響き、春平は背中をブルッと震わせた。他の二人も同様の仕草を見せたので、それで満足したのか、彼女はにんまりと笑ってバットをかつぐ。


「うん、反省したみたいだから、まぁいっか」




本来は訓練のための射的場だが、プレッシャーも何も感じずに撃っていると、なかなかに面白いものだった。


久遠がテニス好きということで、しばらく無休で打ち合い、たまたま本社にいた3階の社員もまじえて野球にサッカーと大いに休日を満喫していた。


「アメフトは……」


「無理だ。ただでさえ常人じゃない3階の人間たちがぶつかり合ったら、それこそ怪我どころじゃすまなくなるぞ」


清住に否定されて項垂れる右京に、「軽いラグビーならできるわ」

と久遠がラグビーボールを右京に投げつける。


全員が楽しくスポーツを楽しんでいるようにみえたが、清住だけは終始悲しそうな微笑みを浮かべていた。




「右京、今日は俺の家に泊まりに来いよ」


「……危なくないですか?」


「馬鹿。いくら何でもそこまで分別ないわけじゃねぇぞ」


「僕は知ってますからね、昨日の夜のこと」


じろりと睨んでくる右京に爽やかな笑顔を向ける清住。

しかし弁解することができずに、ただ無言でいるだけだった。


「大丈夫、あれは1日限りの誤りだから。明日からはお前のもんだよ」


「な、何の話をしてるんですか」


顔を真っ赤にしている右京を、清住は楽しそうに眺める。


春平もその様子を見て、

「もしかして右京もユキナちゃんのこと好きなのかも」と少し嬉しい気分になっていた。


しかし清住は突然声のトーンを落として、静かに、優しく言った。


「ただ、ほんの少しだけお前と話さなきゃならないことがあるんだ」


その話し方がいつもと違っているのを察し、右京は

「分かりました」と即答する。


「ちょいと。私もあんたに話があるから、今日は泊まっていきなさい」


「泊んの!?」


「都合悪い?」


「いや、そうじゃなくてー」


おろおろしている春平に、久遠は明らかに不愉快な視線を送る。


「何?あんた私を襲う気なの?あたしはあんたに襲われない自信あるけど。むしろ襲ってやる」


「何てこと言うんだよお前は」


がくっと呆れて肩を落とす。

久遠はにっこりと笑い、無理矢理春平の腕を引っ張って強制連行を開始した。











「もう少し乙女っぽい家を想像してたんだけどなぁ……」


これじゃあ武家だ。

畳の部屋に書院造りとも呼べるような内装。

高そうな巻物と壺が飾られていて、何故か正座しなければならないような雰囲気だった。


「なんで正座してんのよ。いっつもみたいに偉そうにあぐらかいていいのよー。別に武家じゃないんだから――そういえば咲ちゃんは本当の武家のお嬢様なのよねー。すごいなぁ」


咲ちゃん、とはアロエの従業員の美浜咲のことだ。

寺門の話を聞いている限りではやはりいい所のお嬢様らしい。


「そんな雑談するために呼んだのかよ。清住と右京も呼べばよかったじゃんか」


春平が呟くと、久遠は申し訳なさそうな表情で春平を見つめてきた。


その表情にぎょっとして、春平は慌てて首と手を左右に振る。


「久遠と二人きりが嫌なわけじゃないからなっ!?襲われるのも怖がってるわけじゃないから!」


「そこまで弁解しなくていいわよ」


顔を真っ赤にして、久遠は春平を睨み付けた。

今度は春平の方が恥ずかしくなってきて、顔を赤くしてうつ向く。すると久遠は恭しく立ち上がってお茶の準備を始めた。


カチャ、という音だけが室内に響き渡る。


「今日は大切な報告があるのよ。右京には清住から言ってもらうようにしてるんだけど」


差し出されたお茶をありがたく受け取って、静かに口をつける。

お茶は、初めて3階に来たときに飲んだものより苦く、下にザラザラとした感覚が残った。


正座してこちらを真剣に見つめる久遠の視線が痛い。

春平が困ったように眉間にシワを寄せると、久遠はフッと優しく笑った。


「まどろっこしく言うつもりはないわ。単刀直入に言う」


それだけ言うと、久遠は瞳を閉じてしばらく黙っていた。

ゆっくりと目を開ける久遠を、春平は喉をならして見つめていた。


「私、来週から海外に仕事しに行くから」


「――海外の支店?」


「海外に支店はないよ。法を無視しているような会社が海外に行けるわけないじゃないのよ。――そうじゃなくて」


ふぅ、とため息をついて久遠は自分の額を押さえた。

その表情は苦痛に歪んでいる。


「戦争に行くの」


どくん、と心臓がはね上がる。

それはつい昨日、沖田や右京と話していた中東の紛争に赴く、という発言だった。


信じられない。

春平はガクガクと震える両手をぎゅっと胸の前でまるで祈るように固く握る。


まさかそんなことがあるなんて考えていなかった。

しかし春平は、おそらくそういうことを想定しておかなければならなかったのだろう。いつかは、自分の仲間がそういう事態になるということを。


久遠は立ち上がって窓の外を見つめた。


困惑して視線も合わせようとしない春平に対し、久遠は呆れるような優しい言葉で皮肉を言う。


「父さんのために死んでくるのよ」


「父さん……?」


春平が今にも泣きそうな表情で久遠を見上げる。


それを無表情で見つめ返して、ふっと口元だけを綻ばせる。


「父さん――便利屋本社の、社長」









久遠はもともと孤児だった。


気付いたときには母は亡くなり、そして気付いたときには血の繋がらないたくさんの兄弟たちと暮らしていた。




気付いたときには、知らない男に引き取られていた。


何を思って彼が自分を選んだのか分からない。ただ、その男が大きな会社の社長をしているというのを聞いて気後れしている自分がいた。


別段優しい父さんではなかった。

ただ、久遠が嫌いというよりは、全く興味がない、という感じだった。


「そのせいかね、私はいつもカンシャクを起こしてばかりだったんだ。きっと無関心、という社長の行為が、知らず幼心を傷つけていたんだろうね」


どこか遠くを見つめながら、久遠はポケットから煙草を取り出し火をつけると、ゆっくりと肺に煙を満たしていった。


久遠は普段煙草なんか吸わない。それが体の機能を低下させて仕事に支障をきたすと知っているから。


でも煙草を吸っているのは、自身の過去を、自身の未来を明かすことに焦燥感を抱いているからだろう。


「だからね、完全な放任主義の中で育った私は、この3階の人間に育てられたのよ。その中でも、最も私を自分の子供のように愛してくれたのが、先生だった」


先生はいつも久遠と遊んでくれたらしい。

本社の専門学校へ行っても、さすがに久遠と同じ5才の子供なんていない。

本社に縛り付けられていた久遠にまともな友達ができるわけもなく、いつも一人ぼっちだった。


そんな久遠と遊んでくれたのが先生。


久遠のカンシャクを嫌な顔ひとつせずに受け止めて、時には叱ってくれる唯一の存在だった。


「私はすっかり先生に依存してた。正直、先生の優しさは麻薬的だったの。――それが、私たち3階の人間にとって良くないのは知ってるでしょう?」


そうだ。3階の人間が職場恋愛するのは、他の一般の会社員の場合とはわけが違う。

それがたとえ恋愛感情じゃなくても、きっと同じことなのだろう。


「もともと父さんは私を3階に行かせるつもりだったから、尚更先生の存在が邪魔になったのね。その当時いい成績をおさめていて、クビの必要性なんかない先生を処分したいがために中東へ送り込んだのよ」


「私情を挟んだ――てこと?」


「そうね」


ゆっくりと息を吐きながら久遠が疲れたように言う。


「でも先生は帰ってきた。もう先生をどこにも行かせるわけにはいかない。彼は全てを知った上で帰ってきてしまったし――もともとその理由も父さんの自分勝手な言い分なんだけど。……だから、今度は私を中東に送ろうとしてるのね」


納得してしまいそうな内容だったが、ふとその説明の矛盾点が浮かび上がる。


「何で?社長は、自分の愛娘のために先生を排除しようとしたんだろ?なのにどうして久遠を中東に送る必要があるんだよ」


春平の言葉に、久遠は悲しそうに目を細めて微笑んだ。


「分からない。実際、そこには独占欲と親子の愛が絡み合った関係があったと思ってたんだけど――どうやら何もないみたい」


久遠は苦し紛れの笑顔を徐々に歪めて、ついには頬にすぅ、と涙が伝う。


それを見せまいと両手で顔を覆う。


「父さんは私に、何の愛も感じていなかったんだ。結局、タダ同然で仕入れることができた一社員としか見てなかったんだ」


春平は思わず立ち上がって久遠を抱き締めた。


気が強くて偉そうで、明らかに自分より優れている先輩で――しかし抱き締めると、美羽と何ら変わりない女性なんだと実感させられた。


春平の腕の中にすっぽりと収まってしまった久遠は、春平の胸にすがり付いて声を圧し殺し泣いていた。


「頭の中がぐちゃぐちゃだよ……」


「何も考えなくていいからっ」


力ずくで久遠の頭を自分の胸に押し付けた。

苦しそうに春平首を振って、久遠は春平の肩にしがみついて、耳元で囁いた。


「春平……私、何も考えたくない――めちゃくちゃにして……」


突然心臓が鐘を打つ。

久遠はすがりつき、春平もまた久遠を強く抱き締めていた。


久遠が苦しさから逃れようと自分を求めている。無論、男という性別上春平は久遠を拒む理由などない。


そんなことを考えていると、今目の前にいる女性がひどく美しい気がしてきた。


「――――――っ」


春平は一度久遠を強く抱き締めると――すぐに久遠を自分から引き離した。


「……駄目だよ久遠。俺たちは恋人でも何でもない。もっと強い絆で結ばれた仲間なんだから。命を、命綱を託し合える、信頼できる仲間なんだから。そんな一時の迷いで俺はその信頼を失いたくないんだ。――俺は久遠を抱かない」


「あ……」と久遠の顔が真っ赤になる。

涙でグショグショになった顔を乱暴に拭いて、久遠は恥ずかしそうに言う。


「ごめん、私どうかしてた。社長のことなんて、本当に今さらなのに……。今のは忘れて。ちょっとあんたと別れるのが寂しかっただけね」


「寂しいからって清住と右京にすがりつくのは止めろよ?」


「見くびらないで。これでも私は超エリートの特殊護衛科の人間なのよ?一度おかした過ちを繰り返すなんてあり得ないわ」


いつもの強気な態度に戻った久遠を見て、春平はほっと安堵して微笑んだ。


「お話は久遠の来週の依頼についてだけか?」


「あと、これを渡そうと思って」


そう言って、久遠は小さな袋を手渡した。


「指輪……?」


「変な風に受け取らないでよね。これから清住と右京にも渡すんだから」


そうして指輪を取り上げて、無理やり春平の右人差し指にはめる。


「純銀製なの。これは私だから分かることなんだけど、手の指が無くなるって本当に不自由なのよ。私の指はヤクザに詰められたものなんだけど、もしかしたら依頼中に指がぶっ飛ぶ――なんて事態がないわけでもないからね。そんな時の為の保護。右の人差し指だけは絶対に後悔するから。この指は、私たちが一生かかって稼ぐお金よりも高価で価値あるものなんだから、大切にしなきゃだめよ?」


春平は自分の手を天井にかざしてまじましと見つめる。


5本。そこにはしっかりとした指がくっついている。


久遠は左の中指を失っていた。

そのたった一本だけの指がどれだけ大切なものなのかを、久遠は身をもって知っている。

だからこそ、自分の仲間にはそんな辛い目にあってほしくないのだろう。


「以上、話終わり!ご飯でも食べてく?私は作れないから必然的にあんたが作ることになるけど」


「――なんだそれ」


呆れながら春平が言うと、久遠は無邪気に笑って見せた。


――その笑顔の裏にある暗いものを感じ取って、春平は腹が煮えたぎるのを感じていた。


久遠は泣きたい気持ちを押さえて必死に笑っている。

そんなことをさせている社長のことを考えると、どうしても怒りがおさまらない。


彼女はこうして、いくつものことを我慢してきたのだろうか。

書類上の父に全てを奪われて、たくさんのものを犠牲にして、それでも彼女は笑ってきた。


そうでもしなきゃ、耐えられなかったのだろう。


無性に、社長を殴りたくなった。

見たこともない社長。

だけど、噂に聞くその社長に、こうも人間を簡単な道具のように扱っていいはずがない。


「……それじゃあどっかに食べに行こうよ。もちろん、久遠の奢りで」


「図々しいわね」


膨れっ面をする久遠を見て、春平は笑っていた。




そうでもしなきゃこの怒りを抑えれそうになかったから。




久遠が紛争へ赴く。

社長の義理の娘、だけど父から愛など受け取ったことのない久遠が必死に笑う姿が春平に火をつけた。

次回、春平暴走。

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