第67話 俺のもので…
「春平、野球しよう!」
「嫌だよ。だってお前野球嫌いだって言ったじゃん」
自分たちの部屋に戻ると、帰り支度をする久遠と、笑顔でバットとグローブを持つ清住が待っていた。
「たまには一緒に体動かそうよー。休みの日に家に黙って居るのって嫌いなんだよ。皆でスポーツしようぜ、スポーツ!今の仲間たちは大変骨のある奴らばかりだからな、スポーツ好きも多いし」
確かに右京も海外で色々な賞を受賞している、と以前聞いた事がある。
「右京も野球好き?」
「アメフト好きです」
「アメフト……」
なんか、体に似合わないことしてるなぁ……。
「でも俺今日は右京と沖田連れて買い物でもしようかなーって思ってたけど」
「じゃあ明日でいいじゃん」
当然、といったように言う清住に、当然、春平が唖然とする。
「明日?」
「3連休だ。沖田に感謝」
南無。胸の前で両手を合わせて合掌。
「ってことだ、明日はさんざん体を動かそう!久遠も来るよな?」
突然話を振られた久遠は一瞬話題に連れてこなかったが、すぐにじと目で清住を睨みつけた。
「私、野球もサッカーもアメフトも嫌いだから」
「うわー全否定きましたー」
「せっかくだからスポーツ大会しましょうよ。久遠さんは好きなスポーツありますか?」
思いつかないのか、久遠は顎に指を当ててしばらく考え込み、
「テニス?」
「いや聞くなよ」
「……あんた、私と一緒にいたくないでしょ」
春平に向かって投げ掛けられた言葉。全員、その意味は分かっている。
久遠は身勝手に春平を怒鳴り散らしたのだから。
「いいや、別に。久遠は悪くないからさ。ただ俺が触れられたくない話題に触れただけで」
春平がひきつったような微笑を見せると、久遠は呆然としていた。
「仲間だからって相手の懐漁っていいわけじゃないのは理解してる。親しき仲にも礼儀あり、ってことだよ。今までの仕事で、よく学んだよ」
「……子供が成長するのを傍で見守ってる親って、きっとこういう気持ちなんだろうなー」
やけに真剣に考え込み、納得する清住を呆れたような目で見つめると、子供を見つめるような優しい笑顔を向けられた。反則だ。
「それじゃあ明日の朝10時に本社のグラウンドに全員集合な」
「それはまた、身勝手な」
マンションに帰ると丁度昼頃だったので、ハウスキーパーのユキナも呼んで、右京の部屋で3人でもんじゃ焼きパーティーをしていた。
香ばしい匂いを広げながら、ユキナは眉間にシワを寄せていた。
「まぁ、清住さんなりに親睦を深めようとか考えてるんでしょうけど」
半ば投げやりに言いながらも顔を赤くしているのは、きっと清住が色々考えて行動しているのを理解してるからだろう。
それでも他人行儀な話し方をするのは、照れ隠しからか。
「グラウンドかぁ。結局まだ行ったことないんだよな」
「広いですよ。球技用のボールなんかもたくさん用意されてて」
「おおかた自分が訓練用の射的場に行きたいだけかも、ですね」
ユキナが苦笑まじりに言うと、右京も
「しょうがない人ですからね」と笑ながら言い、もんじゃ焼きに手を伸ばすのだった。
「――右京、笑うようになって良かった?」
春平がいたずらっぽくユキナの耳元でささやくと、彼女の顔は一気に真っ赤になって春平を憎たらしげに睨み始めた。
「睨むなよー。俺はユキナちゃんの幸せを願ってるんだから。清住が言ってた言葉、教えたろ?」
――ユキナには幸せになってほしい。
申し訳なくうつむくユキナに、春平は言う。
「折角のチャンスは逃しちゃ駄目だろ――なぁ右京、今日の買い物にユキナちゃんも連れていっていい?」
「いいですよ。でもそんなに楽しいわけではないと思いますけど」
「楽しいかそうでないかはユキナちゃんが決めることだよ!」
春平がぽん、と背中を押すとユキナは微妙な笑顔をつくる。
「新しい掃除機が欲しいので!」
「――で、ユキナちゃんも来たんだねぇ」
本社ビルの前に集合すると、沖田が苦笑まじりに言うのだった。
ユキナは沖田にだけ聞こえるように憎たらしげに口を曲げる。
「まったく、ほとんど無理矢理ですよ!?信じられません。私、行きたいとも言ってないのに」
「でも行きたかったのは事実でしょ?」
いたずらっぽい沖田の言葉に、ユキナは火がついたように顔を赤くする。
その様子を横目で見て、春平が不思議そうに尋ねる。
「沖田とユキナちゃんって知り合いなの?」
「今は家買ったけど、昔は僕も君達と同じマンションに住んでたからさ」
「……ユキナちゃん、もしかしてそういう人間のこと全員覚えてんの?」
しかしとうのユキナは当然というように目を丸くしている。
「そりゃあ、一応、歴代の入居者さんの顔は覚えていますよ。だって、またいつ出会うか分からないじゃないですか――今日みたいに」
「ははぁ」
それはごもっとも。
「それでも偉いですよ。覚えると言っても、そんな簡単に覚えられないでしょう。きっとたくさん努力したんですね」
素直に誉められることは少ないのか、ユキナは嬉しそうに右京を見つめていた。
――青春だなぁ。
そうしみじみ思って、やっぱり自分も歳をとったんだなぁと、少し落ち込む春平だった。
買い物の前に銀行へ行ってお金を引き出す。
「――――――」
見たこともないゼロの数に、春平は言葉を失ってしばらく硬直した。
「あの、さぁ……これって新手の詐欺じゃないよね?」
顔をひきつらせながら言うと、右京は笑顔で
「正真正銘、春平さんの稼いだお金ですよ」
と言う。
ちくしょう、笑顔が眩しい。
「いくらだった?春平くん」
沖田はひょっこりと体を乗り出して春平の通帳を見て、目を丸くした。
「やっぱり新人だと、この程度なのかあ」
「!?」
ビクッと体を強ばらせて沖田を振り返る。
「マジで?君たちどんだけ稼いでるの」
「僕はそれほど稼いでないよ。――まぁ、右京からの臨時収入があったから今回は結構な額いったけど、それでも春平くんの半分くらいしかないよ」
春平はもう一度通帳を確認する。
「――さんぜんまん……」
4人の中で、春平とユキナだけが顔を真っ青にして言葉を失い、他の二人はけろりとしている。
「う、右京は……?」
「僕は6千万です。きっとアルジャジーラファミリーの一件が儲かったんでしょうね。それにしても、清住さんと久遠さんは僕よりも遥かに多く貰ってると思いますけど」
「右京も新人って言えば新人だからね。きっと2割は社長に取られてるね。春平くんは多分4割くらい」
「こんなに貰ってどうするんだよ」
「でも僕たちは定期的にお金が入るわけじゃないから、これくらい貰わないと生活できませんよ?」
「基本給だって私の10倍は貰ってるくせに……」
「僕の2倍だね」
「100万くらい」
「ひゃっ……!?」
思わず悲鳴をあげる春平を、沖田とユキナはじっと見つめていた。
「うーん、どうやら皆さんたいそう稼いでいますね」
「こりゃあ高級料理店のフルコースでも奢ってもらわなきゃ割りに合わないなぁ」
「何で!?」
「今日明日ゆっくり休めるのは誰のお陰かなぁー」
「あ、沖田さん、毎日毎日皆さんのためのお勤め、ご苦労様です」
白々しい二人の小芝居にある意味では尊敬の眼差しを向ける春平と右京。
「――春平さん、割り勘ですよ」
「お前が全部出してくれてもいいだろ!?」
「僕にはお金を貯めてアクリルと住む家を買うという夢があるんですー。……まぁ、春平さんが美羽さんと一緒に住む家を買うつもりなら、少しは協力してあげてもいいですけど?」
右京のいたずらっぽい笑みが憎たらしい。
「――分かったよ」
「きゃー、春平さん優しい!」
手を合わせてこどものように無邪気にはしゃぐ沖田とユキナを呆れながら見つめると、ふと視界の端に見慣れた姿が見えた。
「――久遠?」
そこには1人で買い物をする久遠の姿があった。
いつものスーツ姿とは一変して、Yシャツにカーディガン、スキニージーンズに黒光りする乗馬ブーツと、かっこいい系にまとめている、いわゆる
「できる女」スタイルだった。
そして必死に何かを探しているようで、店の中を外から覗いてはすぐに立ち去るようなことをしていた。
――久遠も夕食に誘うか。
そう考えて、春平は激しく首を横に振った。
久遠は、退屈だから買い物でもするかという様子ではなく、本当に真剣に何かを探しているのだ。邪魔しては悪い、と決めつける。
――それに久遠なら俺らに晩飯たかりそうだしなぁ。本来なら久遠に全員分奢ってもらいたいくらいだけど。
そうして、春平は久遠を見なかったことにした。
それが後々の後悔に繋がるとは微塵も思わずに。
買い物を終えて夕食を済ませると、全員が春平の家に遊びに来た。
どうやら沖田と右京に至っては、今日は春平の家に泊まるつもりらしい。
それはいいとして。
春平がノブに鍵を差し込むと、カチャリと小気味いい音がして――
「鍵閉まっちゃった」
全員が頭に疑問符を浮かべるが、右京が真実にいち早く気付く。
「もしかして、鍵閉めるの忘れてたんですか……」
「いや違う!いっつも鍵閉めた後にノブ回して確認してるから、それはあり得ない」
「でも本社のマンションに泥棒さんは、セキュリティ上絶対にあり得ないですよ?」
ユキナが気味悪そうに言うと、沖田はしばらく何かを呟いていた。
「セキュリティを掻い潜っての侵入者?セキュリティ班も安全と認めてるから容認してるんだよね?」
すると春平以外の全員が気が付いた様子で、呆れた表情をしながらドアの向こうにいるであろう人物を想像した。
「そんな無礼な真似して家宅侵入する人間は、僕の知ってる中では一人しかいないなぁ」
ユキナと右京がうんうん、と執拗に頷く。
春平がもう一度鍵を回して扉を開き、おどおどしながら居間へ向かうと、そこには見慣れた人間がふてぶてしく寝転がってテレビを見ていた。
「よ、遅かったじゃねぇか。皆で買い物に行ったってセキュリティ班から聞いてたけど、もしかして晩飯食べてきたの?」
「――清住」
春平ががっくりと項垂れているが、清住はそんなこと全く気にせずに楽しそうに手を振っている。
「3階の皆さんはいつも無断で家宅侵入しますよね。命綱をいいことにセキュリティ班から鍵を貰っちゃいますからね」
「何も悪いことしてないんだから、細かいことは気にするなよ沖田」
「っていうか何でお前が俺の部屋に入る必要があるんだよ!」
春平の言葉に一瞬だけ迷いを見せたが、すぐに優しく穏やかな微笑みを向ける。
「そりゃあ、お前の元気な顔を今のうちに見ておきたかったから」
春平は驚いたように目を見開き、ユキナが横で顔を真っ青にして口に手を当てていた。
「気持ち悪い」
「あんた結構酷いよねー」
「馴れ馴れしく話しかけないで下さい」
この強姦魔、と聞こえないように小さく呟くが、清住の耳に届くには十分な声量だったらしい。
「そうだよなぁ、右京がいるのに馴れ馴れしくされたら都合が悪いもんなぁ?」
突然自分の名前を呼ばれて、右京が小首をかしげた。さらにユキナが憤怒する。
「あんたには関係ないでしょ!」
じゃれあう二人を呆然と見つめていた春平は、
「なんか、見てて恥ずかしいやりとりだなぁ」
と照れたように頬をほんのり色づかせた。
この中でただ1人。
清住の言葉の真意を知っている沖田だけが、目を伏し目がちにして声を失っていた。
ユキナは清住の夕食を作り、茶碗を帰ってから帰宅することになった。
「なんだよ泊まっていけよー」
ほんのりと酒の入った清住を、ユキナがするどい形相で睨み付ける。
「何で強姦魔と同じ部屋に寝泊まりしなきゃならないのよ」
「わ、えっち」
清住のふざけた言葉にユキナの頭の血管が切れるが、拳を握りしめて必死に我慢している。
「どっちにしろ男の部屋に女の子が泊まるのはよくないからさ。そもそも何で清住が許可するんだよ。俺の部屋だぞ」
「まぁまぁいいじゃないか今日くらい。無礼講ー」
脱ぎ出しそうな清住を沖田と右京が羽交い締めにするが、清住の力は伊達じゃない。
すぐに振り払われる二人を見て、ユキナは額に手を当ててため息まじりに言う。
「皆さんじゃあ清住を拘束できないでしょう?彼の酔いが覚めるまでは私もいますから」
「大丈夫、もし清住さんが手を出しそうなら、僕が全力で阻止しますから」
右京の言葉を聞いて、ユキナの頬が色づく。好きな男に言われたんだ、それは嬉しいだろう。
「お前偉いな」
突然の呟きに沖田は一瞬だけ戸惑うが、その声が酔いつぶれてちょっかいを出してくる清住の声だと気づき、沖田は目を疑った。
沖田は周囲に誰もいないのを確認すると、小声で囁く。
「酔ってたんじゃないんですか?」
「いいや、酔ってたよ。だけど、急に現実的なことを考え出して酔いが覚めちゃったよ」
大袈裟に首を傾げると、清住は優しい声音で言葉をつむぐ。
「悪いな。あんたもユキナも、俺のワガママを許してくれて」
その声が本当に参っているようで、反省している様子だったので、沖田は肩をすくめて素直に言う。
「僕よりユキナちゃんに謝ってください。どうせこれからユキナちゃんを呼び出してちょっかいを出すつもりなんでしょう?」
図星だったのか、清住は声を出して笑った。
「本当に悪いね。無理矢理休日の調整してもらったり、楽しい休日の邪魔しちゃって」
「休日のことは謝らなくていいですよ。春平くんと右京も休みたかっただろうし、清住さんも気が参ってるだろうし、久遠さんも――」
そこまで言って、沖田は言葉を止める。清住が悲しそうに微笑んでいた。
「どうしても、皆で楽しく遊んだ思い出がほしかったんだ。……久遠は、こんな俺に文句ひとつ言わないで長年命綱を託してくれた、たった一人の仲間だから。春平も右京も、俺の人生の価値観を認めてくれたいい奴らだから、最後に楽しそうに笑ってる姿が見たくて――」
清住の声が震える。
耐えきれなくなったのか、清住は体育座りをするように体を丸くして顔を腕と膝に押し付けていた。
「――ユキナ、呼んできて」
消え入るような声に何も返事をせずに、沖田は立ち上がった。
「ゲロ吐いたって聞いて、急いで飛んできたんですけど」
ユキナは皮肉を言ってから、すぐに清住の異変に気付いた。
「酔い覚めたんでしょ。ねぇ、本当に具合悪いの?」
清住の顔色を見ようと手を伸ばした瞬間――
その手は素早く清住に捕まれていた。
「痛い!」
もう一方の手で顔をひっぱたこうかと考えたが、それも易々と捕まれてしまう。
そうして力任せにユキナを抱き締める。
「ごっ……」
ユキナが顔を真っ青にしていると、清住は大きなため息をついた。
「はぁー、落ち着く」
「強姦魔!」
「ひどいなぁ。別にそんなつもりで呼んだんじゃないよー」
「でも無理矢理!」
清住はユキナを拘束する手を緩めて、ぽんぽんと優しく背中を叩いた。
「いいな、お前。やっぱり落ち着くよ」
その声がただならぬ様子だったので、ユキナは何も言わずに清住の言葉を待った。
「俺のこと嫌い?」
「そうやって他人に問いただすのは、あまりよくないよ。もし嫌いだったらどうするつもり?」
「はは、そうだな……」
清住は自嘲して、甘えるようにユキナの胸に顔をうずめ、掠れた声を絞り出す。
「明日には右京に返すよ。お前の気持ちも、お前の体も」
掠れた声はやがて弱々しく請い求めるものに変わる。
「だから、お願い。今日だけは俺のものでいてよ」
脆く崩れ落ちそうな清住を見捨て払い捨てることなんてユキナにはできなかった。
我が子を抱き締めるように、ユキナはゆっくりと清住の首の後ろに手を回して、お酒臭さが残る清住の髪の毛に優しくキスをした。
ただならぬ様子の清住と沖田。
休日はまだ続きます。
次回、全てが明かされます。