第65話 先生
そこは右京や春平がいた病室とは異なる。
個室だが、4人部屋と同じくらいの空間で、窓際にベッドがある。あとは机に洗面所に本棚があるくらいで、他の病室とは何ら変わりがない。
しかし、明らかにその部屋の纏う空気が異なっていた。
重苦しい空気が部屋中を満たしていた。
そんな中で、清住はせっせと液晶テレビを運んでいた。
「先生の依頼だけど、『金はいらないからテレビ買って』って言われたんだよね。残念ながら俺の金だけど」
皮肉を言ってるのに皮肉に聞こえないのが清住だ。持ち前の爽やか笑顔を向けられると
「はいはい」という雰囲気がうまれてしまう。
「で、その肝心の先生が見当たらないんだけど」
「もともと時間にルーズな人だからね」
――依頼なのにそんなにルーズでいいのだろうか。
春平が清住をジト目で見ていると、入り口から声が聞こえてきた。
「やあ清住くん、待たせたね」
4人全員が瞠目して後ろを振り返った。
誰かが後ろに居るなんて全く気が付かなかった。
いや、気配が全く感じ取れなかった。
清住だけは表情を柔らかくしてどこか安心していた。
「先生」
先生と言われた人物は口元だけを綻ばせた。
右手を上げて挨拶しながら。
「テレビありがとうね。――で、君たちが春平くんと右京くんだね」
辛うじて頷くことはできたが、喉から声は出なかった。
まだ清住と同じくらいの年齢なのに、ボサボサした髪の毛は真っ白になってしまっている。
髪の毛の隙間から見える色素の薄い灰色の瞳は、獲物を射抜くような鋭い光が垣間見える。
それはまだその人物の特徴でしかない。
彼らが驚いたのは、先生が車椅子に座っていて、左手が肩から無く、同様に左の太ももから先が存在しない。
横腹は何かに食い千切られたようになっている。
それは普通の生活を送っていたら決してならない体だった。
その表情から察してか、先生は少し困ったようにはにかんだ。
「やっぱり、初見ではインパクトありすぎですね、僕」
「すいません。こいつら先生のこと何も知らなくて。いや、常識もないんですけどね」
そう言って乱暴に二人の頭を鷲掴みにして、無理矢理頭を下げさせる清住。
「まぁまぁ清住くん。今日はその子たちに常識を教えに来たわけではないではないでしょう?」
そう言って、先生は病室の中へと車椅子を進める。
すると背後から看護師が長椅子を運んできた。この広い病室に設置するのだろう。
先生が軽く礼を言うと看護師は退室する。
「さぁ座りなさい」
春平と右京はケロリとした表情で腰を下ろし、久遠は少しためらいがちにソファーの端に腰をおろした。
「あの、先生。実は依頼のことでお話があるんですが――」
一連の事情を説明すると、先生は口をポカンと開けて放心していた。
「奇跡ですね。神様も捨てたもんじゃありません」
「先生もある意味奇跡じゃないですかー」
「あぁそうだったね。あっはっはっ」
――ついていけない。
何が笑えるのかも分からない。
「君たちは本当に修行が足りませんね。便利屋として、客には平気な顔で嘘をつけるほどの訓練はしたんでしょうが、何となく気が許せそうな相手になった途端に考えが筒抜けなんですよ」
ギクリと二人の肩が震える。
「そうやって考えを見抜かれるようじゃ特別護衛科の仲間として失格ですよ。仕事上、信じていいのは命綱を託した仲間だけです」
先生の説教が二人の胸に突き刺さる。
春平は実際、その甘さから春彦につけこまれた。
清住は春彦を観察して、どこか不信感を抱いていたようだが、春平はそんなもの一切なかった。
春彦のことを思い出して、いかに自分が生ぬるいかがよく分かる。
「相手に気を許してはいけません。疑うくらいでなければ。まだ未熟なうちはね」
つけ加えた言葉に春平は反応して先生の目を見つめる。
相変わらず目だけは笑っていないのだが、どこか穏やかな雰囲気に溢れていた。
「疑心暗鬼にはなってはいけませんよ。そのための仲間です。仲間だけは、最後まで信じるのですよ。ただ――長くそんな状況に自分を置くと、誰に気を許してはいけないか、誰に気を許していいのか、自然と鼻がきくようになります。事実、僕は君たちを一切警戒してないし、むしろリラックスしているのです。君たちが僕を疑うか、それとも気を許すか。それは自由です。あぁ、できれば訓練として疑ってほしいものですが」
なぜか人を惹き込む話し方をする人だと思った。
本当に本社の学校の先生かと思った。
だけど先生は先生じゃなくて、あくまで自分たちの先輩なのだ。
そんな事実を感じて、春平は目の前にいる人がすごい偉大な人のような気がしていた。
自分もこのようになれるのだろうか、と期待に胸を膨らませながら。
「それじゃあ僕の出番はないようなので、テレビの設定をして、くつろいでから帰ってください」
「テレビだけは受けとるんですね、先生」
「当然でしょう清住くん?人の好意は受けとるためにあるんだよ」
「受けとるだけなんですね……」
「こらこら、無い物ねだりはいけないよ右京くん」
清住と右京が先生と一緒にテレビの設定をしている間も、久遠は終始無言で何かに耐えているようだった。
「久遠?」
春平が声をかけると、久遠はハッとして春平を見上げる。
「何よ」
「久遠だって先生の知り合いなんだろ?普通に話せばいいのに」
「話すことないもの」
なぜか拗ねたように、つんと顔を背ける久遠。
「だけど挨拶もしてないじゃん。そんなに嫌いなの?」
――そんなに嫌いなの?
久遠は突然カッとなって叫び出した。
「そんなの、あんたに関係ないじゃない!」
声を張り上げて立ち上がった久遠に、全員の視線が向かう。
春平と右京は何事かと目を見開いていた。
「久遠さん」
聞きなれた静かな声で呼ばれて、久遠は我にかえる。途端、突然叫んだことと後輩を驚かせてしまったことに恥ずかしくなり、顔を紅潮させて視線を泳がせていた。
「相変わらず、カンシャクを起こすんですねぇ」
先生は呆れたように言った。
しかし我が子の不出来を思うような、どこか優しい雰囲気だった。
久遠は納得いかないように清住を睨み付ける。睨み付けられ清住は、小さくため息をついて困ったように笑ってみせた。
「それじゃあ俺たちは戻りますから、馬鹿息子たちをよろしくお願いします」
「あぁ、任しておいて。こういう馬鹿息子たちの扱いは上手だよ、僕」
深々と頭を下げる清住に先生は楽しそうに言っている。
部屋を去る二人を見送ってから、先生は右手で顎を触ると、じろじろとソファーに座る二人を見つめる。
「うーん、これからどうしましょうかねぇ」
「どうもしなくていいです。自分たちで乗り越えたいから」
「大切な人たちのために、ですか?」
確かにそうだが、そこまではっきりと言われると照れてしまう。
先生は小さく笑う。
「そんなに簡単なことではないと思いますよ。――たとえばの話です、今君たちがそうやって自分を保つことができている時、もしふいにその人たちが亡くなってしまったら、君たちはそうやって自分を保てますか?これはその人たちが亡くなって悲しみ、三日三晩泣き明かす、というレベルの話ではありませんよ。君たちの命にさえ関わる問題です」
妙に真剣に説き伏せる先生の様子を見て、二人はいぶかしげに眉を潜める。
「どうしてそんな突拍子もない話をたとえにあげるんですか」
右京が半ば喧嘩を売るような態度で反発するのは、実際に似た経験をしているからだろう。
「近い将来、もしそういう突然の事態が起きたとしても眉ひとつ動かさずに対応しなければいけなくなるからですよ」
二人が言葉を飲み込み硬直しているのを確認して安心したのか、先生は優しく言葉をつむぐ。
「ほんの少しの間でいいんです。僕を信じて、僕にかけてください」
随分と更新が遅くなりました。
少々忙しくなってきたのですが、アロエは諦める気はありませんのでっ!楽しみにしている方がいらっしゃったら幸せです^^*
ついに久遠編突入です。
久遠編で事実本社編が終了します。
それでは、長い長い久遠編になりますが、よろしくお願いします。