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アロエ  作者: 小日向雛
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第62話 どうか、聞いてください

2日目の朝がやってきた。


ベッドから上半身を起こしてぼうっと虚空を見つめる。


隣のベッドには、まだすやすやと気持ち良さそうに眠る右京がいる。


その寝顔を見て、春平は何となく安心していた。


ここに来てから、いい思い出というものが何もない。


右京は体調が悪いのか吐くし、アクリルともあんまりいい関係ではなさそうだ。


「これが、青春ってやつかなあ」


昨日のあれが、告白シーンでたまたま右京は吐いてしまった、というならいいのだが。

どう考えてもそんな気はしない。


だって右京は今、女の人に触れられたくないから。


――。


そう考えて、どうしてそう思うのだろう?と自問する。

ほとんど他人の自分が、そこまで右京のことを知っているはずないのに。


ズキンとこめかみに激しい痛みがやってきた。


すると右京が静かに上体を起こした。


「おはよう。具合大丈夫か?」


春平の言葉に反応するでもなく、右京は先程の春平と同じように虚空を見つめていた。


「アクリル、見ちゃいましたね」


「え、ゲロ?」


右京は静かに頷く。


「酷いことしちゃったな……。ただでさえ近づくなって言って傷つけちゃったのに、近づいたらどうなるか目の当たりにして、本当に、本当に」


右京もどうやら錯乱しているようだった。


どうやら右京はアクリルに近づくなと言っていたらしい。その異図は分からないが。


「アクリルってさ、右京の恋人?それとも昨日友達から告白されたの?」


真剣な春平の問いに右京は目を丸くした。

そしてすぐに目を細めて言った。


「そうですね。友達だなんて、そんな程度の関係ではありません」


右京の言葉に顔を紅潮させる春平。自分でも恥ずかしいことを聞いたと後悔しているのだろうか。


「でも恋人ではないですし、昨日は告白……と言えば告白ですが、愛の告白なんかじゃありません。もし春平さんがアクリルに興味を持ってくれているなら、僕はそれはそれで嬉しいですよ」


春平ならアクリルを任せてもいい、そんな気持ちからきた本心だった。


「い、意味分かんないんだけど!それじゃあまるで家族みたいじゃん。そこに何で俺が出てくんのさ!」


耳まで真っ赤にして両手で必死に否定する姿を見て、右京は

「分かってますよ」と優しく言った。


春平には、本人は自覚しているのか分からないが、もう愛しい人が存在している。


「今日で本社に帰れますね」


「う?うん、俺はね。右京も今日なの?」


「春平さんと一緒に帰りますよ」


「そうなの?」


春平が目を丸くしているのを見て、右京は胸が締め付けられる気がした。


「だって、僕たち仲間じゃないですか」


命綱を託し合った仲間。

そこまで言ったら全てを思い出しそうで恐ろしかった。


案の定春平はきょとんとしている。しかしすぐにニカッと照れくさそうに笑った。


「そうだな、昨日今日の出会いだけど、これはこれでお互い命綱を託し合った仲間ってことになるかな!」


そんな返答が返ってくるとは思わなかった。


期待なんかしていなかったが、そんな返答をした春平に、右京は心の中でだけ微笑んだ。


もし自分が昨日初めて春平に会っていたとしても、やっぱり自分は春平を慕っていたかもしれない。


「僕が笑わないの、変だと思いませんでした?」


突然の質問に、春平は閃いたように答えた。


「そういえばアクリルとそんなこと言い合ってたね。確かに笑わないなって思ってたけど、でも本当は心の中で笑ってて表情には出てないだけのような気がしたから別に何の心配もしてなかったけど」


正直そこまで見ているとは思ってもいなかった。


なぜだかとても心が温まる。


「アクリルは、僕の妹なんですよ」


だから、この人に賭けてみようと思った。

きっとこのキーワードは春平の記憶を引き戻すものだと分かっているうえで。


「へ、へぇ、アクリルって右京の妹だったんだ。だからあんなに親しく話すんだね。でも、あれ?右京とアクリルは血は繋がってないんだよね。……何で俺がこんなこと知ってるんだろう」


来た、と右京は覚悟した。

このまま話が展開すると忘れるべき過去のことまで思い出して春平は錯乱する。


みるみるうちに春平の顔は青ざめていく。もう一歩で春平は全てを思い出して卒倒し、また右京のことだけを忘れるのだろう。


「――――っ」


春平が思い出し叫ぼうとした瞬間、右京はギュッと春平の手を握った。


「え?」


そのおかげで春平の思考が停止し、右京に集中する。


右京は笑いはしないものの、口角をつりあげた。


「今の気持ち、忘れないで下さい。それをふまえて、春平には話したいことがあるんです」









ダムに連れてこられて、右京の横に腰をおろす。お互いダムを眺めて隣に座っていることになる。


春平の癇癪を抑えるためか、二人の手は繋がれたままで、いつまでこうしてたらいいんだろうか、と春平はちらっと右京を横目で見る。


右京はじっとダムの底を見つめていた。


「――本社のマンションの僕の部屋で、春平に言った言葉を覚えていますか?」


「マンション?会ってたっけ?」


そう言った瞬間、頭の中に記憶さえない言葉が蘇る。


「ダムの底に笑顔を捨ててきた、て言ってた?どこで聞いたか忘れたけど」


右京は嬉しそうに目を細めた。

やっぱり春平は覚えていてくれた。それが嬉しかった。


「僕の気持ちに区切りをつけるために、春平さんに区切りをつけてもらうために、話したいことがあるんです」


そうしてゆっくりと視線を水平にあげる。


「どうか、僕の懺悔を聞いてください」









生まれたのは日本だからという理由だけで、14才の時に母親に連れてこられたのは、森に囲まれる小さな村だった。


日本語だってそんなに流暢には話せない。父親譲りの髪の色は、小さな田舎ではさぞ珍しかったのだろう。歩けば人が目を見開いてこちらを凝視する。


そんな右京は村に唯一ある、教師さえいない小さな学校に通った。

教えるのは村の大人。

小さな村に英語を得意とする大人なんているとも思えない。


もう少しお金があったら、バス通学で離れた町の学校に行くことができる。

だけど父親と離婚して日本に帰国してきた母親に金があるとは到底思えない。


学校で身体の特徴を馬鹿にされたり言葉が通じず睨まれるくらいなら、家で母親に日本語を教えてもらった方がいい。

だけど母親は毎朝早くに遠い町へ出稼ぎをしている。帰ってくる時にはすでに夜中の12時を過ぎている。


「ワンツースリーフォー」


そんな風に、右京の目の前のリンゴを数えて近寄ってくる女の子が1人いた。


クセのあるウェーブの髪の毛を胸元まで揺らして、少女はにっこりと笑った。


「これくらいなら英語分かるよ」


そんな風にして近づく人間は彼女が初めてだった。


名前はない。


「マヨネーズイズノー」


なんて笑顔で自己紹介したので、初めは『ノー』という名前かと思ったが、ジェスチャーしていくうちに、彼女の名前はnothing(無い)だと分かった。


母親が和英辞典を買ってくれると、だんだんと意志疎通ができるようになってきた。


村の人は右京が嫌いなんじゃなく、髪の色に驚いているだけだということ、彼女には両親が居ないということ、自費で名前をつけると言った人の言葉はことごとく断ってきたこと。


そして彼女には双子の姉妹がいるということ。


「体弱いから家にいるんだ」


「ふーん……」


この頃になると、少しずつヒアリングもできるようになってきた。


「住む、だけ、二人?」


「え?二人だけで住んでるのってこと?」


右京が頷くと、少女はにっこりと笑う。


「そうだよ。だけど、悲しくはないよ。ちょっとお姉ちゃんが可哀相っていうのはあるんだけど」


確かに、二人だけでしかも双子の妹は学校に行っている。この状況は決して楽でも有意義でもないだろう。


「いらない?家族、兄弟」


「ほしいよ。ほしいけど、それはやっぱり私たちがなってほしいと思った人になってほしいだけで。実際は中々現れないんだよね、そういう人」


「僕、駄目?」


「え、右京?」


少女は心底驚いたように目をぱちくりさせていた。そして困ったようにへらへらと笑った。


「駄目じゃないけど、やっぱり右京はお兄ちゃんって感じしないよ」


そんなことを話しながら、少女との距離は少しずつ近付いていった。いつも一緒に勉強し、話をする。日本語さえ分かれば普通の学校に通っていた右京も簡単な勉強ぐらい教えられる。


ある日、母親が一日中帰ってこないという話をしたら

「それじゃあ今日は家に泊まりにおいでよ。お姉ちゃんにも右京を紹介したいし」

とアクリルは嬉しそうに言った。




わりと小さなしかし一戸建ての家は、少女たち二人ぐらしには大きすぎるほどだった。

部屋は3室。他に風呂場やトイレがあるといった風だ。居間を通り抜けた先には、布団の中で呆然と天井を見上げている少女の姿があった。


「ただいま、お姉ちゃん」


少女の問い掛けに少女はゆっくりと振り返り、その隣に立っていた右京を見て心底驚いたように目を見開いた。


「その人が右京?」


「そうよ」


右京はゆっくりと少女に近付いて、膝をつき、小さく会釈した。

すると少女は掌を右京に見せる。


「海外の人は挨拶で手にちゅーするって話聞いたことある」


そんなことを平然と言ったので、右京は少し顔を赤くしながらも

「そうだね」

と答えて掌を返して甲に口漬けをした。


こんな出会いから始まり、3人はいつも楽しく遊んでいた。学校で勉強をするよりも、二人と会話をしているほうが右京の勉強になっていた。


ある日いつものように家へ行くと、いつもは笑顔で出迎えてくれる少女の姿がない。


おかしいなと顔を見合わせてから

「寝てるだけよね」

と少女は苦笑した。


しかし家へ入ると、顔面蒼白で唸っている少女の姿があった。その顔には汗の玉が浮き出ている。


「お姉ちゃん!!」


少女が慌てて近寄り、少女の体を揺さぶろうとする。


「触るな!」


しかし右京はそれに危険性を感じて少女を力任せに投げ飛ばす。

壁に背中を打ち付けて痛そうにうずくまる少女を見て、しかしそれよりも眠っている双子の姉の方が危険だと思い、右京はゆっくりと語りかける。


「どこか痛いところは」


少女は呼吸を荒くして胸をぎゅっと鷲づかみにしていた。


おそらくは発作。


右京は迷うことなく母に電話をして救急車を呼ぶように頼んだ。

咄嗟に日本語で呼ぶことはできない。まして小学生は目の前の現状に震えるだけでろれつが回らないだろう。


「町のお医者さん呼んで来て!」


そう言うと少女は顔を真っ青にして怯えて何度も頷いた。そして一目散に家を飛び出す。


町の医者といっても難聴の爺さんが1人いるだけだというのを知っている。だから、その人に応急処置をしてもらい、救急車で大きな病院に行くのが最善だと考えた。




少女は安静に眠っていた。


医者いわく、右京の迅速な判断が彼女の命を救ったそうだ。


双子の妹は泣き叫び、眠る姉にしがみ付いていた。

「お姉ちゃんがいなくなったらどうしようかと思った」

しゃくりあげながら言う妹。その様子を見つめて、自分はこの場にいないほうがいいだろうかと考えて病室を出て行こうとしたとき。


「右京、ありがとう」


唐突に言われて足止めされた。


「私だけじゃ何も出来なかった」


「こっちこそ、背中、痛くした」


「あんなのどうってことないもん」


ぐすっと鼻をすすり、少女は振り返ってゆっくりと右京を見上げた。


「やっぱり誰か家族が必要なのかもしれない」


その言葉は、深く右京の言葉に残った。


「右京みたいなお兄ちゃんがいてくれたら、いいのにな」




この事件を機に、母親は少女二人を養女にする決心をした。二人は快く承諾し、母親と右京があの家に引っ越す事になった。


「名前……どうする右京?」


母親の言葉に、右京は一瞬戸惑い少女たちの方を向いた。


「右京がつけてくれるならいいよ」


「うん」


オロオロとして、とりあえず思いついた名前を言ってみた。


「アクリル、パステル」


それが完全に日本人の名前ではないというのは、右京にはまったく分からなかったのだが、二人は快くそれを受け取り、これ以上ないという満面の笑みを浮かべていた。


姉のアクリルは少しずつ体調を取り戻し、普通に生活する分には全く問題ないまでも健康になっていた。

次第に妹のパステルと一緒に学校にも訪れるようになり、三人はいつも一緒だった。


母親が急に他界して、当てもなくなってしまった三人だが、それでも強く生きていこうと決めた。


辛さを乗り越え、笑顔が堪えない三人を、村の人たちは微笑ましく見守っていた。




そんな幸せな時間を、突然村にやってきた男たちによって引き裂かれることになる。




黒いスーツを身に纏い、ツカツカと学校に入ってきた男達の集団が、誰かを探すように教室中を見渡す。しかし身体的特徴で探し人を覚えていたのか、すぐにある人物を見つけて歩み寄ってくる。


「右京・ハル・ドレイクくんは君かな」


「……はい」


この一言が、この村の命運を分けることになった。



気持ちに区切りをつけるために

右京は自らの過去を春平に打ち明けます。

どうして右京が村の人間に蔑まれるのか、アクリルとパステルは何者なのか。

そうして、それを語って右京は春平に何を伝えたいのか。


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