第60話 研究
「どこ行くのよ」
厳しく所在を確認されて、清住は苦笑いを顔に浮かべながら振り返った。
「ちょっと『先生』に相談しに行くんですよ、久遠さん」
清住の言葉に眉を潜ませながら、久遠はじっと彼を見つめた。
「『先生』に、一体何の用事かしらねぇ?」
「ちょいと俺の可愛い馬鹿息子2人についての相談だよ」
「…………」
「もうあいつらをどうにかできるのは『先生』だけだからな」
久遠は何も言わない。
それはある意味で肯定をしている。認めたくはないけど。
「そろそろ春平の寺門さんの催眠術も解ける頃合いだしね」
清住がそう言ってドアノブに手をかけると
「待って」
久遠が厳しい口調で清住を止めた。
「私も『先生』に会う」
すると清住は小馬鹿にするように苦笑する。
「会えるの?」
「会うよ。最後くらい、あの子たちに一肌脱ごうじゃないのよ」
その決意を固めた久遠を見て、清住はまた優しく目を細めた。
それは春平を見つめる表情に似ている。
「最後、ね」
あんまり聞きたくないことではあったけどな。
「春平、どうかしたの?」
右京に代わってベッドに横たわっている春平を見て、アクリルは心配そうに口をすぼめている。
「うん、ちょっと疲れただけみたい。心配することなんてないから」
そう言いながら、少し表情を暗くする。
アクリルはやっぱり一定の距離を保っている。
気にしていると思うと胸が痛んだ。
それ以上に、自分が原因で春平をどうしようもない事態に陥れたのが悔しい。
いっそのこと、ダムの底に身を沈めてしまおうかと思うほどに。
「あのさ、もしまだ気にしてるんだったら、やめてよね」
「えっ?」
唐突なアクリルの言葉に、右京は目を丸くした。
アクリルは言いたくなさそうな様子で俯き、服の裾を握りしめていた。
「右京、全然笑ってくれないから」
一気に胸の中が真っ黒になった。
アクリルの言おうとしてることを理解して、右京も視線をさ迷わせる。
「あの子はこんな右京を望んではいないよ」
その言葉がさらに突き刺さる。
自分でもそんなことは理解している。だけど笑えないのは、あの子の全てを犠牲にして、自分だけが幸せに生きているような気がしてしまうから。
「でも僕は笑えない。笑いたくないんじゃない、笑えないんだ」
そう弱々しく言う右京を見てアクリルは逆上し、力任せに右京をひっぱたいた。
右京は反論することもなく、ただ叩かれたまま動かない。
「右京がそんなんだからっ、パステルが報われないのよ!」
叫んでバタバタと走り去っていくアクリル。
右京はそれも仕方ないと伏し目がちにベッドにこんこんと眠る春平を見つめていた。
だけどあんな勢いで外に飛び出して、村の人に見つからなかっただろうか?と部屋を出て玄関から顔を外に覗かせる。
アクリルは力なく歩いていた。
それを見て安堵した瞬間、肌にピリッとした気配を感じた。
仕事がらみの経験上、それが何なのか知っている右京は、ハッとして周りを見渡す。
――刹那、アクリルの目の前に2人のガタイのいい男たちが飛び出した。
その男たちは手慣れた様子でアクリルの口をふさぎ、手を拘束しようとする。
「アクリル!」
咄嗟に飛び出した右京は男の背中に蹴りを入れ、もう一人の男の手に関節技をかける。
アクリルは腰を抜かしておろおろと右京を見ている。
「ダム施設に戻って!」
緊迫した形相の右京を見て我を取り戻し、一目散に施設へと駆け込むアクリル。
背中を蹴られた男はうめきながら起き上がる。
「そんな顔してやってくれるじゃんか。お前が本社から来てるっていう特殊護衛科の人間か」
「あの子を家じゃなく施設に戻らせたのは咄嗟にしちゃあいい判断だな」
右京は男たちから距離をとる。いくら右京でも、自分よりガタイのいい男二人を無傷で伸せるか不安だった。ただでさえあまり体調がよくない。
「……随分と色々なことを知っているな」
いつもからは想像もできないような低く冷たい声音で、右京は男たちを睨み付けた。
なぜ自分が本社の特殊護衛科の人間だと知っているのか。
相手の話ぶりだと、アクリルが独り暮らしだというのも知っていそうだ。
「まぁ、俺たちもあんたたち同様依頼をこなしに来ているだけだ」
おまけに春平のことも知っている様子だ。
男の一人が右手を胸に当てて恭しく一礼した。
「私どもはコンプ研究社からやってきた偵察部隊のものです」
コンプ研究社。聞いたことがある。
一度清住が対峙したことのある会社だ。
本社同様、決しておおやけじゃない言わば実態を闇に隠している違法な会社だ。
「特殊護衛科の方は我らについて何かご存知で?」
「名前と実態を少々」
クスリ、と一人の男が笑う。
「なら話は早い。我らが普段何をしているのか知っているならば、何も話すことはない」
右京がゴクリと唾を飲んだ。
コンプ研究社はその名の通り実験・研究を行う会社だが、決してその実験内容は明かされない。
そうしてこういう過疎化した村などにこっそり訪れては少年少女を誘拐し、実験のモルモットとして利用する。
少年少女は村に送り返されるが、その際に破格の金をモルモット料および慰謝料として届ける。
たった1日我が子が消え去り、自分たちが働いても稼ぎきれないような額の金が添付される。
この状況に親は何も言うことがなく、警察も同様に誰の仕業か判明できずにいる。そもそも会社自体が誰にも知られていないのだから当然だ。
「あなたの妹君がこの度わが社の研究実験体として選ばれました」
「……随分と余裕で言うね」
男は右京を嘲笑うかのようにため息をつく。
「当然でしょう!?もとより警察など当てにしない、さらには諜報科さえ持たないあなた方の本社が、さらに一社員でしかないあなたの為に動くわけがない。だからってあなた方に何ができましょうか!」
「どうせ明日には帰るあなた方が!」
二人の敬語は右京を敬っての言葉じゃない。
ただ無力な右京をとことん嘲笑って馬鹿にしているだけだ。
それが無性に悔しい。
自分がどれだけ無力か思い知らされる。
「調べによると正田春平はまるっきりの新人。右京も働いて間もない新人同然。どれほどの力量かは図り知れないが、少なくとも俺たちより単純な筋力がないのはわかる」
確かに単純な筋力からすると、ガタイのいいコンプの奴らの方が勝っているだろう。
「どちらにしろ俺たちは今日1日をただ影を潜めて過ごして、明日になったら行動に移すだけだ」
じゃあな、と言って背中を向ける俺たち。
「待てよ」
迫力のある声に振り替えると、そこには殺気にみちあふれた表情の右京がいた。
「ただで帰すと思ってんなよ」
男がヒュウと口笛を吹いた。
「おっかねぇ。特殊護衛科さんは世界的にも恐ろしいマフィアを相手にしたり、紛争地に赴いたりするんですもんねぇ」
「そんな人相手に戦えるかなぁ」
楽しそうに笑う二人に右京はためらうことなく飛びかかる。
相手が何を持っているか分からない。むやみに懐に飛び込めばそこで終わりなのは分かっている。
素早く男のまえに急接近したところで、男が懐に手を忍ばせた。
この至近距離で使用するもの、ナイフ、目潰し、薬物。銃はこの至近距離では扱うのが難しすぎる。
そう咄嗟に判断して右京は横へ飛び退く。
「おおっと!?」
懐に忍ばせた手とは反対の手が、右京の胸元を掴まえようと伸ばされたが、すでにそこには右京はいない。
なるほど。懐に忍ばせたのはフェイクで、もう一方で狙っていたか。
右京は男の肩に手を置いてそのままフワリと飛び上がり、高い位置から後頭部に回し蹴りを叩き込む。
「うっ」
グラリと体勢を崩した顔面を両手でガッシリと固定し、膝で顎を打撃する。
さらに脳震盪を起こしたであろう男の顔面を蹴り潰すと、男はそのまま仰向けに倒れる。
「残念ながらもう一人いるぜぇっ」
いやらしく笑い男が右京に拳を伸ばす。
その手をパァンと弾き軌道をずらし男の体勢も崩す。
「ふへへっ……残念だったな右京ちゃん」
だが男の拳が開かれて、握りしめていた粉末を顔にかけられる。
「ふっ……ぐ!」
両手を顔の前で交差させて、目潰しは回避できたが、少々吸い込んでしまったようだ。
怪しく甘い香りが鼻孔をツンと刺激する。
その瞬間、体がふらっとよろめいてしまった。
体がビリビリと痺れて、さらには平衡感覚がとれなくなってきていた。
「コンプ研究社の新薬のお味はいかがですか?」
「――――――っ!」
右京が怒号をあげようとした瞬間、背後から後頭部を鷲掴みにされた。
ギリギリと指が頭に食い込んでいく。
「80点、といったところだな。今まで出会ってきた奴らの中では最高点だ。ただし、俺らに勝てずにボコボコにされた奴らの中では、の話だけどな」
「あぁ、特殊護衛科だけあって素早い洞察力、判断力、そして行動力」
「唯一の誤算は、お前の打撃ひとつひとつに俺を卒倒させるほどの重みが無かったってことだな」
「俺たちはお前らのようなすばらしい才能はない。ただ、お前たちのような攻撃に耐えられるような耐久力と力がある」
「そういうことだ、ボウズ」
そう言って男は右京の頭を持ち上げて、乱暴に投げ飛ばす。
「――あっ」
その瞬間体に電撃が走り、手足が痙攣する。
その体に容赦なく叩き込まれる蹴り、蹴り、蹴り。
「ほら、泣け、叫べ!誰かが助けてくれるかもよ!?」
右京は声を出さなかった。
「随分と我慢強いなぁ。……あぁ、叫んだところで誰も助けてくれないか!どうやらお前は村の人に嫌われてるらしいしな!」
「むしろ村の人間はお前が死ねば大喜びなんだろうよ!何でかは知らないけど、あんなに石投げつける村人は初めて見たぜ」
顔の側面を蹴られて、脳が揺れ動くような錯覚に陥る。
大きく息を吸い込む右京。
このまま蹴られて死んでしまうのだろうかと思う。
――ひゅっ。
何かが投擲されて、男の後頭部に当たった。
「――って」
男が振り向くと、そこには顔色を真っ青にした春平が立っていた。
「……お前が正田春平か」
「よく分かりませんが、これ以上その人を痛めつけるつもりなら相手になります」
そうして男たちは改めて右京を見下ろす。
痣ができて血がにじみ、泥だらけになっている。
「――いや、もういいから退却するわ。もともとこいつを痛めつけるのが目的じゃないし」
そう言って走り去る男たちを見てから、春平は改めて右京を見下ろす。
どうしたものかと困惑しきった表情だった。
「今年は盛大ですねぇ」
ダム社員は苦笑しながら右京の手当てをした。
そうやって手当てされる右京は黙ってうつ向き、春平は椅子の背中に足をかけるようにして座り、その様子を不思議そうに見ていた。
アクリルはというと、オロオロして右京の安否を心配するばかりだ。
その視線に気付いたのか、社員はニッコリと笑った。
「右京さんは打撲なんかの外傷が酷く目立ってるだけで、それほど心配はいりませんよ」
ホッと息をついて春平を見る。
すると春平は一瞬呆けて、すぐに社員と同じようにニッコリと笑う。
半ば顔を赤くして、アクリルはしかめっ面をする。
「な、なにのんきに笑ってんのよ!」
「いやぁ、アクリルがあまりに心配そうな様子だったから安心させようと思って」
「変なこと言わないでよ!」
「それよりこの人どうしたの?えらく傷だらけだね」
「どうしたって……あんなが助けたんだから、私よりも現状はよく知ってるでしょ!?」
そう言うと春平は眉を潜めて額を押さえた。
「いや……社員の人が『盛大だ』なんて言ったから、もしかして何かのお祭りの催し物だったのかなぁって思って。それだったら俺かなり空気読めてないじゃん」
春平の軽率な言葉にアクリルは逆上する。
「何言ってるか分かってんの!?あんなお祭りあるわけないじゃん!」
アクリルは春平の胸元に掴みかかって力任せにガクガクと揺らす。
「あれは一方的な暴力よ!リンチされてたんじゃない!」
そう言うとようやく現状を理解したのか、春平はアクリルの手を振り払って、うつ向く右京の前にひざまずく。
「大丈夫ですか!」
遅ぇよ!と内心で拳を握りしめ、ようやく春平の言葉の違和感に気が付いた。
それは右京も同じなのか、目を見開いて春平を凝視する。
「春平さん……もしかして」
「ん、何ですか?」
春平が首を傾げると、右京はこれ以上ないほどに目を見開く。
アクリルは何かを堪えるように口許を押さえ、社員も驚愕の表情を隠せずにいた。
「春平さん、僕のこと、分かりませんか?」
春平は楽しそうに腹を抱えて笑う。
「分かるも何も、俺たちたった今会ったばかりじゃないですか!」
新年あけましておめでとうございます。
今年1年も楽しくやっていこうと思いますので、皆様よろしくお願いします。
そして新年早々第60話が更新できてよかったです^^区切りの良い数字だし(笑)
コンプ研究社という怪しい会社が登場しました。アクリルが、ってか、右京が!!
春平も右京のことを忘れてしまったようで……
一体どうなってしまうのでしょうか!
明日も更新できるといいですが。
朝早くか、夕方以降のどこかで更新したいと思います^^