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アロエ  作者: 小日向雛
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第56話 あなたに、ありがとう。

「こらこら、こんなもの持ち上げたら危ないじゃないか」


そうしてモナリーの腕を間一髪で止めたのは


「……寺門さん」

 

春平が安堵の息を洩らした。

そんな息子を目の前にして、寺門は優しく微笑んだ。しかし強気だ。


「牧さん、あなたが怪しいとは思っていましたが、少々情報を手に入れるのに時間がかかって到着が遅くなってしまいましたよ」


寺門は、何らかの事件のにおいをかぎつけて、一足先に行動を開始していた。

もし自分が離れて春平と美浜に危害が加えられても、どちらにしろ自分がいたとしても結果は同じことだ。

それならば、大事になる前に行動して、小さい事件は致し方ないと思うしかなかった。


この場合の小さい事件とは、ここに至るまでの経緯だ。


「うっ」


小さく声を洩らしてボディーガードが倒れる。

右京の周りには小さな血だまりと、取り囲むようにして倒れるボディーガードがいる。


モナリーは寺門に拘束されて動けない。

いくら歳をくっているとしても、相手はベテランの便利屋。次の行動に移す前に何をされるかは分からないが、確実に保証はない。

それはモナリー自身がよく知っている。


清住は、未だ美浜に馬乗りになる春彦に銃口を向ける。


「ナイフじゃお前に勝てないだろうけどさ、この武器の方が性能がいいのは分かってるだろ?」


清住の言葉に驚いたように目を見開いてポカンとする春彦。


清住のとなりで硬直していた春平は、ハッとして美浜に駆け寄る。

そして動かない春彦から美浜を救い出すと、急いで清住の後ろに隠れる。


その様子が、なぜかとても面白い光景に見えた。


「――はは、なんでか成功すると思ってたんだけどねぇ。誤算だらけだったってことか」


そう、清住と右京があの美女たちになびかなかったことも

寺門が自分の仕事を放ってまで自分の勘を信じ、逸早く行動したことも


すべては春彦の想定外で、誤算だったということだ。


春彦は大人しく両手を挙げて降参する。


「で?俺を日本の警察に突き出す――なんてことはしないよね、おたくの会社は」


「勿論」


答えたのは清住だった。今この中で一番地位が高いのは清住だからだ。


「うん、分かってる。だから春平を連れて行こうとしたんだし。――で、俺はどうなるのかな?」


「このまま気絶しているボディーガードの目が覚めたらモナリーもつれて一緒に帰国していただきます。それで結構」


その清住の言葉に驚く風でもなく「あぁ」と納得したように拳をぽん、とうった。


「そうだね。君達は無事に仕事を成し遂げた事になるし。俺らは俺らで収穫なしでそのまま帰れるんだもんね。つまり振り出しに戻っただけだ。失うものなんか何一つないし」


――そう。もしたとえここで春彦を殺したところで、もっと恐ろしい事態が発生するのは両者目に見えていた。


つまり春彦がつれてきたのはほんの1部にも満たない人間とボディーガードだけで、国に返ったら何百人のマフィアがいるか知れない。いやそれ以上かも。

そんな奴らがボスの仇をうちに本社に乗り込んだら、一介の便利屋である本社が敵うわけもなく、警察にもバレて二重苦が発生してしまう。


それならもとよりこんな事件は無かった事にしたほうがよっぽどお互いに効率的なのだ。


「そう、牧さんたちは失うものなんて何一つないから安心だ。俺たちの『首』だって免れる。寺門さんたちだって『クビ』免れるだろ?……唯一俺たちは少々大切なものを失ってしまったらしいがな」


辛そうに清住が目を伏せた。

この意味が、春平にはまだ分からなかった。










事件は無事に終了した。

寺門と美浜はけろっとした表情で「またね」と言って去って行く。

しかし疲労はかなりのものだろう。ただ春平たちに気を使って平気なふりをしているだけなのは見え見えだった。


「俺たちも新幹線で帰るか」


そんなことを言って、清住は優しく春平と右京の肩を抱いた。




何故か分からないけど、清住は「右京にはあまり触れないでくれ」と春平に助言して、毛布を渡すと右京を1人で座らせた。


必然的に隣に座る春平と清住だが、春平は少し居心地の悪さを感じていた。


たったさっき、隣に座る人物にクサイセリフを言ったばかりだったので。


「俺のこと信じてくれたの?」


咄嗟のことばに春平はビクッと肩を震わせた。どうやら春平の胸のうちなんて簡単に分かるようだ。


「そ、そりゃあ信じもするさ。わざわざ危険を顧みずにあんな行動に出るし。俺のこと、仲間だって思ってくれてるんだから」


「強いから頼る、とは違うの?」


清住は明らかに春平をおちょくっていた。


「だーもう!いちいち五月蝿いなぁ、信頼してるってんだからそれでいいだろ!」


ぷいっと顔を背けた春平を、清住は穏やかな目で見つめていた。


「なぁ春平」


静かにそう言って、清住も窓の向こうを見た。


お互い顔を見合わせていない状況で、会話が始まる。


「俺が人との間に壁を作るのは本当に性格なんだよ。きっと小さい頃に人に否定とか拒否とかされたんだろうな。どんなことだったか分からない。だから俺は誰とも打ち解けなかったし、3階の人間になった時も、今ほど仲間と打ち解ける事なんて全然なかった」


春平は何も言わない。

自分がここで相槌を打ったりするのも、駄目なような気がしたからだ。


「でもさ、俺の人生を根本から覆してくれた人がいたんだよ。――それが、3階にやってきた新人、モナリー・アルフレッドだった」


清住はゆっくりと目を閉じて昔の話を語り始める。





清住がこの仕事を始めて3階の人間となったのは、右京と同じ16歳の時だった。

まったく隙のない清住。その隙のなさは同時に人々との壁になって、誰も近寄りはしなかった。


しかしモナリーだけはそんな清住を気遣って近付いてきた。

最初こそ警戒していた清住だが、毎日のようにモナリーがどうでもいい話をもちかけては楽しそうに笑うのを見て、次第に警戒は薄れていった。


この「どうでもいい話」が、清住にとってとても意味のあることだったのだ。


「世の中にどうでもいいことなんてないわ。どうでもいい話だって、色々な意味があるのよ。分かるでしょ?」


清住の疑問をそんな風に吹き飛ばしてくれる彼女に、清住は惹かれていた。


だから、職場恋愛なんていけないことだと知っていたけど、


二人は付き合いだした。


愛し合って、初めてこれが愛なんだと清住は実感していた。



だけどその仕事はやってきた。



3階の人間にだけ国にも秘密で行われる違法な依頼。


中東戦争参戦に選ばれたのは、モナリー・アルフレッドだった。


唯一自分の心の扉を開いてくれた人間と、永遠の別れを告げられて清住は愕然とした。

あんなところに言って、生きて帰ってくるわけがない。

そもそも会社は戦死を想定して、帰りの交通機関さえ用意しない。


つまり会社はモナリーを捨てたのだ。


モナリーが言っていたように、結局はそこで春彦に救われたようだが、そんなことを知る良しもない清住は絶望においやられた。


誰とも口を利かない、誰とも目を合わせない。ただ仕事を黙々とこなし、あとは家にひきこもる。


そんな落ちた清住の目の前に現れたのは、


「新しくハウスキーパーになったユキナです。よろしくお願いします」


最初はただ家の掃除をするというだけの人間だった。

何もやる気がおきない清住の家は荒れ放題で、ユキナは毎日毎日清住の部屋を訪れては綺麗にしてくれていた。


そのうち、家が綺麗になり始めると、

もしかしたらこの子さえ俺の目の前から消えて言ってしまう

という不安を持ち出した清住は、そうならないように自ら家を散らかし始めた。


ユキナは困った顔をしながらもどこか嬉しそうに「まったくもう」なんて言って片づけをしてくれた。

清住はいつもその様子を眺めていたのだが。


何故か突然、無性に彼女が欲しくなった。


彼女なら自分の心の隙間を埋めてくれて、扉を開いてくれるかもしれない。と、根拠のない希望がわいてきた。


「ユキナちゃん」


「はい?」


ユキナが笑顔で振り返った次の瞬間には、清住はユキナを押し倒して無理矢理――……


それから二人は付き合いだした。


ユキナもまんざらではない様子で、以前と変わらず毎日のように家を片付けにきてくれた。


最初こそユキナをはけ口としてみていた清住だったが、話をするうちにユキナに本当の意味で惹かれていった。


いつか、また無理矢理彼女を押し倒したことがあった。そんなときはユキナはつらそうな表情をしながらも無言でされるがままにされる。


しかしその時は違った。清住は、彼女を押し倒したままの状態で、突然泣き始めた。

彼女を強引に抱き起こすと、そのまますがるように抱きついていた。


「ユキナ……俺の前から消えないでくれ」


消え入りそうなか細い声で懇願する清住の言葉に、ユキナはやさしく答えた。


「いなくならないよ。ずっと、ずっと、清住の前にいるから」


そうして優しく抱きしめた。

その日、二人は本当の意味でようやく結ばれたのだった。




しかし事件は起きた。

それは、ほんのささいなことだった。

ほんのささいなことが、大きな喧嘩に発展してしまったのだ。


ユキナはモナリーのことを知っていた。

口喧嘩の時にユキナがモナリーのことを口走った時、清住は激しく逆上した。


「なによ、人との間に壁を作るだのなんだのって……結局は人に嫌われるのが怖いだけじゃない!世の中の全ての人間に嫌われたくないだけじゃないの臆病者!」


ユキナがそう怒鳴り散らした。

清住は怒り来るってユキナを殴る蹴るの暴行にいたって、果ては力づくでユキナを犯した。


体中に大怪我を負ったユキナは全治3週間の怪我で入院し、清住も3週間の謹慎を受けていた。


また家に閉じこもって無気力な生活をし始めて、清住はぐるぐると思考が書き巡らされるのを感じていた。


俺が心を開かないのは故意だ。

人と関わろうとしないし、理解しようともしないだけだ。

理解されるなんてもってのほか。されたいとも思わない。


下等な人間たちに、俺が理解されてたまるかという気持ちがあった。


だけど本当は誰にも嫌われたくない臆病者なだけだと、自分がよく知っていた。認めたくなかっただけだ。


昔は、誰にも嫌われたくないし、皆に好かれたいと思っていたけれど、そんな器用なことは俺には無理だった。


誰にも嫌われないように適当な返事、愛想笑い、さらに自己主張が激しくて嫌いと思われたくないから極力自分の意見は押し殺す。


そうやって常にその場の空気に身を任せているうちに、

いつしか自分の存在が消えていた。


誰にも嫌われないかわりに、誰からも好かれない。

そんな俺は皆の関心を集めるわけでもない、ただの『無関心の対象』でしかなかった。


俺が存在している場所は空気の通り道で、言葉どおりの『空』だった。


嫌だ。いやだ。


もっと皆に俺を知ってもらいたい。関心を持って欲しい。


どうでもいいなんて思われたくない。

だけど嫌われるのも怖い。


自分のことをよく知ってもらうということは、自分の良いところも、悪いところも知られるということだ。


嫌だ、そんなの嫌だ。


好きになって欲しいだけなのに、どうして皆俺を無視するんだよ。


どうして俺に関心を持ってくれないんだよ!




いつしか崩壊寸前になったその心で下された決断は


これが自分の性格で個性なんだと思うことにして逃げるだけだった。





「馬鹿だよな。それっきりユキナとは途絶えるし。ユキナには、本当に悪いことをしたと今でも反省しきれない。だから、ユキナが右京のことを好きだという話を聞いて、安心した。まだあれでも男を好きになってくれるんだって安心した。だからこそ、これからは幸せになってほしいと思った。俺は自分に嘘をついて生きてしまったけれど」


ふぅと溜め息をついて、しばらく沈黙が続いた。


「……そうやってけじめをつけると、何となく気が楽だったんだよ。愛想笑いして、俺の地位が少し高くなると部下もできる。すると頼りになるって思われるんだ。それが凄い嬉しくてさ。そんな風に純粋に頼りにしてくれることは嬉しいんだ。たとえ『こいつ使える奴』なんて風に思われてても、それが俺の存在意義だと思えばそれがいいんだ。だから、久遠が入社してきて嬉しいし、右京が来てさらに楽しくなった。お前の前にいた社員の子もそれは楽しい子だったよ」


また見せる寺門のような笑み。

春平はそんな笑みを盗み見ていた。


「いつしかあいつらも俺のことを『信じる』ようになってきて。それが本当に嬉しい事だったんだよ。――でもあいつらにこんな話したことはないよ。なんでだろうね」


そうして清住が春平の顔を見る。目線が合う。お互い逸らしはしない。


「……あぁ、あいつらとはそれが暗黙の了解になっているからな。お前が初めて俺のことを真剣に理解しようとしてくれて、初めて『信頼』しているなんて口に出した奴だったからかな。ホント、嬉しいんだ」


そんなことを本人目の前にしてよくいえたものだと、春平は顔を真っ赤にする。


「ありがとう」


そうして春平の頭を撫でる清住はどこまでも優しくて、心の広い男だった。


春平は、清住に言いたい事があった。



俺も、信頼してるって始めて言われた。

だから、感謝したかったんだ。個性を否定するつもりなんて全然なかった。

俺の中でも、清住が始めて真剣に目の前で『信頼』しているなんて口に出した奴だったからな。


言葉は言葉にならずに、涙となって春平の頬を伝った。


「……ありがとう」


聞こえるか聞こえないかの小さな声は、そのまま新幹線の音にかき消された。


清住に聞こえたかは定かではない。




でもやはり清住の顔には、優しく目を細めた笑みが浮かんでいるのだった。



長かった春彦編もようやく終了。

これから清住が心を開くとか、そういうことが問題じゃないんですね。

清住の性格はそのままで。彼が彼だと認識してそこから信頼を築いていけばいいんです。人をそのままに認める、そんなことができればと思いました。


さて、次回からはまた少し違ったお話になります。

メインになるのは今ちょっと怪しいあの人――…

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