第54話 救えない
だんだんと息が上がっていく清住を弄びながら、アリスは勝利を確信しつつあった。
すると突然清住はアリスの頭を自分から引き離した。
ふぅ、と1つため息をつくと清住はアリスの目を見た。
「移動しようか」
その瞬間、アリスは勝利を確信した。
これで全て計画は実行された、と。
「う……くっ……ひっく」
何の抵抗も見せない右京を、ただただ暴行し続けるセラ。
何の悪びれもなく行為を続けるセラに、右京は何も言えずにずっと下を向いているだけだった。
ズボンのベルトに必死にしがみ付いて、じっと耐える。そんな右京を見て、セラは楽しんでいた。
「素直になりなさい?嫌じゃないでしょう、だってあなた嫌って言ってないもの。むしろ体は大歓迎らしいし」
そうして、手がゆっくりと伸ばされる。
「!」
「しかし新人でも一応本社の社員ってわけだね。そう簡単に気絶なんかしないか」
ちぇっ。と心底残念そうに春彦は春平を見つめた。
「ちょっと待ってよ。春彦は何をしたいの?もしかして、俺たちが邪魔なのかな。俺たちにも聞かれたらまずいような取引内容ならそう言ってくれれば多少の距離は置くし、命令なら耳栓でも何でも……」
「あはは、春平は面白いことを言う人だね」
春彦は楽しそうに春平のえりあしに触れた。
「これはね、こういう取引なの」
「えっ……」
何も理解できていない春平の手を優しく撫でると、こう言った。
「違法な取引なのは知っているでしょう?俺たちが取引しようとしてたこと……そんなものないんだよ。俺たちはただ手を組んでひとつの取引を大きな会社としているんだ」
子供を教え諭すように優しい声音だった。
「その取引って……?」
本当は聞きたくなかった。だけど聞かなきゃ、自分が壊れてしまいそうだった。
春彦はにやり、と笑って見せた。
「人身売買。便利屋本社の新人がターゲット」
美浜はショックで口を押さえて黙りこむ。
目は大きく見開かれていた。
春彦の手を振りほどくこともできず、春平はその手に支えられるかたちで足の感覚がなくなっていくのを感じていた。
その言葉を聞いた瞬間から春平はそれは自分のことだと悟ってしまった。
「嘘だろ?」
いつしか苦し紛れに笑っていた。
「嘘じゃないよ」
当たり前のように微笑みを向けてくる春彦。
春彦の笑みに恐怖して、春平は春彦の手を振りほどいた。
「それじゃあさっき俺に言ってたことは全部作り話?俺と友達になりたいっていうのも嘘かよ」
「何を言ってるのさ。春平に話したことは全部本当だよ。何ひとつ嘘なんかついてない。勿論、俺はできることなら春平とずっと友達でいたいと思ってる」
「じゃあ何でっ!」
「何でって……それは牧春彦の本当に望んでいることだけど、『アルジャジーラファミリーのボス』の俺が望んでいることじゃない。この意味、分かる?」
春彦は笑顔で話しているつもりだろう。
しかしその目は常軌を逸していた。
「良いこと教えてあげようか春平。清住と右京はどこ行ったのかな?」
春平には、何故そんなことを言ってくるのか分からなかった。
だって、言うまでもなく清住たちは春平の目の前で女性たちの相手をするために外に出ていったではないか。
「分かんないかなぁ。彼女たちは俺の部下だよ。どうして俺がただ邪魔になるだけの彼女たちを連れてきたと思う?」
その瞬間、美浜が
「右京っ!」と声を上げた。
その意味が理解できなくて、春平は美浜と春彦を交互に見比べる。
「清住たちが危ない!?もしかして彼女たちは何かのライセンス取得者……」
「違うよ。どこにでもいる、美女ってだけが取り柄だよ。だから、こういうこと。つまり清住たちは今……」
そう言って、春彦は美浜に近づいていく。
美浜の肩が、春彦が近づくたびにビクビクと震える。
そうして春彦の右手が美浜の肩に添えられ、左手が――
「やだっ、しゅんちゃん!」
美浜の叫び声に反応して、春平が春彦との間に入って美浜を背中で守る。
背中に悪寒が走った。
わざわざ美女を選んで、年頃の男たちを呼び出す理由がわかったからだ。
「分かった?だから、今頃場所移動して楽しんでるってわけ。そして今目の前にいる邪魔者はミス美浜ただひとり。彼女を黙らせるほど簡単なことはないよ。寺門だって同じ。数々の修羅場は潜っているようだけど、俺の敵じゃない」
にっこりと口元だけ笑っている春彦も、今まさに美浜に手を出そうとした。
恐怖で体が震え出した。それを抑えようと必死に腕を押さえる。
嫌いだった、こういうものが、こういう会話が。
美羽ちゃんにもそう言ったじゃないか。
俺は、そういうものが苦手で、恋愛感情で女の子を見ることができないって。
それは今始まった話ではない。昔から大嫌いだった。
今じゃないなら、いつからか?
それは――
そこまで考えて、思考が停止した。
体が、能が思い出してはいけないと言っている。
「春平さ、こういうの嫌いなんでしょ?色々あったみたいだしね。だから、君はきっと美浜さんが襲われているのを助け出すことはできない。そんな勇気ないもんね」
どこからそんな情報を強いれたのか、春平について語る春彦。
「アルフレッドと俺がいる。美浜さんが襲われる。春平も襲われる。この螺旋から抜け出すには、方法はひとつしかないよ」
ニコッと優しく笑う春彦の顔を、春平はじっと見つめた。
「春平が俺たちと一緒にポルトガルに来る。美浜さんは襲われない。右京も解放される。これが良策だよ、春平」
春彦の言葉を聞いて、美浜がアルフレッドに英語で抗議をしている。
「いいのかよ。俺が暴行されて倉庫から連れていかれるのを、他の連中は放っておくのか?」
「放っておくよ。お互い不法なことをしている身だ。他人の悪事を干渉して戒める奴なんて誰ひとりいないんだから」
そうか。他人だって不法なことをしているんだ、人のことを言う権利なんて一切ない。
「ポルトガルまでは?言っておくけど、俺パスポートなんか持ってねぇよ?持ってたとしても空港に言えば俺の身柄は確保される」
必死に駆け引きを成立させようとしている春平を見て、春彦はププと笑っている。
「可愛いねえ春平は。本当に何も知らないんだから。……春平は、アルジャジーラの部下と不法入国するんだよ。俺と幹部は一般の飛行機に乗るけど」
不法入国、人身売買、性的暴行。
すべては事前から仕組まれていた、取引なんだ。
春彦はそれを完璧にこなそうとしている。
「……そんな簡単に全てが上手く行くかな」
春平はぽつりと呟いた。
「そんな簡単に取引が成功するかな。考えろよ、俺は知能もそこそこあれば織字もできる日本人だ。20年も生きてんだから修羅場の潜り抜け方だって理解してる。牧春彦は言ってただろ、自分の知らない間に壁を作られてたってさ。人生はそんなもんだよ。知らないことだらけ、失敗することだらけ。計画通り完璧なんてないんだよ、良い意味でも、悪い意味でも。分かるかよ、アルジャジーラファミリーのボスさんよお」
負け惜しみのようなものだった。必死に友達の牧春彦ではなく、アルジャジーラファミリーのボスを皮肉って非難して、笑ってやった。
「人生を甘く見るな」
春平のその一言が春彦に火をつけた。
アルフレッドさえ目を見張った。
突然皿を割るような激しい破壊音が響く。
春彦が春平の頬を強打したのだ。その拍子に春平は転倒して頭を強く打ち付けた。
「うっ……」
後頭部に走る強烈な痛みに春平が唸ると、春彦がじっと見下ろしてきた。
その眼光は鷹のような鋭さで、今にも第二発目が降り下ろされそうだ。
「春彦!」
その春彦を後ろから押さえ込んだのはアルフレッドだった。
「春平は商品だから過度の損傷はご法度っていう話でしょ!」
その一言で春彦は抑え留まったが、その目は未だ倒れ込む春平を睨み付けていた。
「お前こそ、俺をなめるな」
美浜が春平のもとに駆け寄って強く抱き抱える。
強く春彦を睨み付ける彼女の眼光に、春彦は呆れたため息をついた。
「なぁ春平。牧春彦の友達ならアルジャジーラファミリーのボスを困らせないでくれよ。俺だってできるなら美浜さんに乱暴なんてしたくないんだよ?春平が黙ってついて来てくれたら皆無事なんだ。なぁに、売られたって殺されるわけじゃないんだから」
「それでも殺されると同等の苦痛を凌辱を一生受けるわ!それなら私がたった一瞬のあなたたちの暴行に耐えた方がましよ」
覚悟を決めた叫びだった。
自分を庇う美浜に、アルフレッドが近づく。
「……美浜さんは間違ってるよ」
掠れた声で言うと、春平は美浜を押し退けて立ち上がる。
「俺が一生受ける苦痛と、美浜さんが一瞬受ける苦痛とじゃ比べ物にならないよ。……大丈夫、死にやしない。これが、良策なんだよ」
美浜は目を見開いた。
自分より一回りも小さい子供が、これから長い一生の在り方を決断しようとしている。
そんな子供さえも、自分は助けられない。
春平が春彦とアルフレッドに連れて行かれる。
取引は終了した。自分の仕事も終了した。
同時に春平の仕事も、自由も終了した。
倉庫の中から春平たちの姿が消える。
「うっ……ふっ、く……」
情けない。
何も出来ない自分が情けない。
「助けて……誰か、助けて」
助けを求めることしかできない、自分の身さえも守れない自分が、本当に情けないと感じた。
「多分春平は汚い奴隷のトラックに詰め込まれたりはしないよ。しっかりと商談をもうけてちゃんとしたところに売られるから心配はないよ。まぁ、そのあとにどんな利用のされ方をするのかは分からないけど」
なんて楽しそうに話す春彦。アルフレッドはホッと安堵のため息をつき、その横で春平が力なく座っている。
そして、ぎゅっと目をつむって耐えた。
勘違いするな。
今一番苦しんでいるのは俺じゃない。あの場で俺を見捨てるしかなかった、そしてあの場に1人置いていかれた美浜さんだ。
そうして自分を思って泣いているだろう美浜を思うと胸が苦しかった。
「あと、もしかしたら清住たちが迎えに来てくれるかもっていう根拠のない願いは捨てた方がいいよ。そんなことを考えて絶望するねは春平なんだからさ」
「第一、藤堂たちは君がどこから飛び立つのさえ知らないんだから」
二人の責める言葉に、春平は絶望した。
そうだ、助けて欲しくても、自分たちは何一つこの事態について知らないんだから。
快楽のままに交合しているであろう清住と、されるがままに暴行されているであろう右京を思うと吐き気が込み上げてきた。
清住と右京は彼女たちに翻弄され、
春平は牧春彦から驚愕の事実を聞かされる。
1人泣き崩れそうになる美浜を置いて、春平は行ってしまう。
約1名空気になっております(笑
次回、いよいよ春平が――