第53話 取引と奇襲
すべて話した。
清住が、自分との間に壁を作っていること、深い関係を築くつもりはないと言ったこと、それでも自分のことを信頼してくれると言ったこと、自分が清住を信頼していないと言ったこと。
「……きっと彼には、いろいろ思うところがあるのかもしれないけど。だいたいそういうものは過去のトラウマからくるんだよね」
「そういうのって、壁を作るってこと?」
「うん。人との間に何の壁も作らずに、包み隠さず自分をさらけ出した結果、それが悪い方向へといってしまって苦しい体験をしたことがある人は、人との間に壁を作りやすい」
その言葉は春平の心に深く突き刺さった。
それは春貴も同じだったからだ。
包み隠さず自分をさらけ出して、優秀だということを人に褒めちぎられた結果、嫉妬心を燃やす人間に彼はこてんぱんに侮辱されてしまった。
そんな人間が今更自分自身をさらけ出せるだろうか?
それにはかなりの時間と努力を労する。
それを春貴のように自分で治そうとしているならまだしも、清住の場合はまったく別だった。
人との間に壁を作ることでさえ自分の個性だと言い張り、自分自身を変えるつもりはない。
春貴は結果春平という理解者が現れたが、清住の場合は理解者がいない。
いや、理解者はいるのかもしれない。
ただのその理解者は「人との間に壁を作るのは清住の個性だ」ということを理解してほうっておいているだけだ。
「俺はそうだったよ」
窓の外を眺めて春彦は遠慮なく呟いた。
「俺はまだまだガキで、人を簡単に信用してしまう。人との間に壁を作ることを知らなかったから、目の前に現れた壁にぶち当たって結局1人で泣き叫ぶんだ」
アルジャジーラファミリーのボスは春彦の父なんかじゃない。
その親よりも自分を親身に育ててくれた、自分の中では唯一親と認めれる、アルジャジーラファミリーの元ボス、モーラス・アルジャジーラ。
白髪の老人だった。
全ての人を統率する力を持ち、全ての人の信頼を持っていた。
父は一家心中を図り母親と兄弟を惨殺、春彦に手をかけた時に騒ぎを聞きつけたモーラスに助けられたのだと言う。
それから春彦はモーラスを親と呼び、彼だけを父と慕った。
一家心中で生き残った春彦は全ての人脈と血縁を断つことを余儀なくされ、アルジャジーラファミリーの中で生きた。
マフィアの中で育つ春彦と友達になる者はいない。唯一友と呼べるのは自分より2回りも3回りも人生を経験している大人たち。
ボスの息子ということで特別扱いを受け、優遇される裏では、子供のくせにや生意気だという言葉が飛び交う。
そう影で言っているのを聞いた時、自分は本当に皆と仲良しなわけでも何でもなく、ただ父の存在が恐ろしいだけだったと聞いた時、
春彦はそこに壁を感じた。
誰も自分とは仲良くなってくれない。自分が仲良くなりたくても、相手はそれを望んでいない。
そんな陰口を叩かれたのを知った瞬間、
春彦は自ら決して壁を作らなかった。
その代わりに、多大な虚栄を張った。
父を、仲間を、刺したのだ。
「俺を見ろ、俺を恐れろ、俺は逃げない。なんてことを叫んで全員が顔を真っ青にしているのを見た時は、さすがに手が震えたよ。自分はなんてことをしてしまったんだろうかってね。俺はただ皆と本当に仲良くなりたかっただけなのに。自分を対等に見て欲しかっただけなのに、その願いをぶち壊したのは俺自身だ。だから、俺のことを何も知らない、ただ牧春彦だけを見てくれる友達が欲しかったんだなぁ」
春彦の過去を聞いて、春平は自分と境遇が似ているところがあると思った。
「どうして春彦はそんな大切なことを言ってくれたんだ?」
春平がそう言うと、春彦は嬉しそうに目を細めた。
「何でだろうね。春平には、俺のことを全部知った上で友達になって欲しいと思っちゃったんだよね。春平なら受け止めてくれるって思っちゃったんだよね。何も関係ない知らない人と友達になりたいって思ってたはずなんだけどね」
そこまで春彦は、春平を大事に考えている。
本当に友達なんだと思っている。
「春平は、清住と仲良くなりたいんだよね」
一人で考えて黙り込んでしまった春平に、春彦は優しく声をかけてきた。
「ただ仲良くなりたいだけなんだよね。清住さんを理解したいだけなんだよね」
春平は何も言えなかった。
「自分を信頼してくれている清住さんに、自分も清住さんを信頼するという形で感謝を表したいだけなんだよね」
なぜだろう。
春平は目頭が熱くなるのを感じていた。
「興味本位なんかじゃない。本当に、彼を心から信頼したいだけなんだ」
なぜだろう。
どうして、
どうして春彦は、自分がほしい言葉をこうも簡単に言ってくれるのだろうか。
ただ仕事も何も関係ない、同年代の友達がほしいと彼は言った。
自分と似ていた。
同じような経験をして、同じような気持ちを持って、同じように生きている。
そんな彼に、春平はいつしかゆっくりと心を開きはじめていた。
彼は本当に自分を理解してくれている。
春彦の優しさに触れて、境遇に共鳴して、春平は頬に涙が伝うのを感じていた。
ぬぐいはしなかった。
ただ、声を押し殺して泣いていた。
自分は、本当にいい友達を得てしまったのだ。
気づけば外は暗くなり、どうやら倉庫の中央が騒がしくなり始めた。
冷たい夜風が春平の赤茶色の髪の毛を弄ぶ。
春平の目にもう涙はない。
ここには「信頼」できる人間がいる。
牧春彦は、春平の中ですでに重要な人物となっていた。
「さぁ、取引が始まる」
手を差し出されて、春平はその手を握り返す。
「行こうか、俺の首もかかってる」
にっこりと笑う牧春彦を見て、春平はすっかり安心しきっていた。
中ではすでに全員が集合していた。
「しゅんちゃん、遅いよ!」
ぷんぷんと怒る美浜、そして隣には右京と女性2人がいる。
寺門はどこかに行ってしまったようだ。
「今日の仕事はアルジャジーラファミリーの皆さんの護衛でしょう?大切な仕事に遅れるなんて有り得ないわ!」
「それじゃあ寺門さんは?」
「寺門さんはちゃんと考えがあるのよ、きっと」
いまいち説得力にかける美浜の言い分に多少顔を膨らませた春平に
「さぁ、取引が始まるぞ」
と意気込んで言ったのは清住だった。
「あぁ、俺たちの取引は向こう側で行われる」
広い倉庫の中に密集させられたマフィアたちは、それぞれの取引によって場所移動をさせられる。
金銭取引はたくさんのマフィアが集まり、ほぼ競り状態だ。
その他不法な取引は少人数で、壁際でひっそりと行われる。
今回春彦の取引は不法なものなので、中央から少し離れた所で行われる。
「本当は外に出たいぐらいなんだけど、それはここのルールで禁止されているからね。こちらに寄ろうか」
そう日本語で言いながら、アルフレッドに英語で言う。
「ねぇ、ここに連れてきてくれたのは感謝するわ。でも私たちはこれからどうすればいいのよ!」
そう英語で吠える春彦が連れてきた美女2人、セラとアリス。
「そうだったね……それじゃ清住さんと右京くん、彼女たちを外に連れて行ってしばらく相手をしてあげてください」
「え、彼女たちを外に連れて行くのはいいの?」
春平が言うと、春彦はバカにした態度ではなく、優しく教えてくれた。
「お客さんみたいなものだからね。でも条件として中に戻ることはできないけど。清住さんたちも、中に戻るのは禁止になっちゃうけどさ」
「ちょっと待ってください。それなら私が出ていきます。右京と清住くんはこのまま残っていてください」
美浜の言葉を春彦が訳すと、彼女たちは火がついたように怒りだした。
それに美浜も焦りながら対応する。
右京に通訳してもらったところ、
「はぁ!?まるで私たちが邪魔者みたいな言い方ね!部外者を追い出すためにあなたが率先しているようにも感じるわ」
「そういうことではありません、ただ、彼らはいざというときの戦力にもなりますし」
「いざというときなら私たちの方が危ないでしょう!?春彦は仮にも男なんだから、女である私たちが狙われやすく抵抗できないというのは常識的にわかるでしょう!」
「それは……」
美浜が言葉をつまらせた。
言い分がもっともだったからだ。
「美浜さん。彼女たちの言い分はもっともです。だから、どうです?こちらには寺門さんも春平もいることだし、さほどの心配はないと思いますが」
「そんな簡単に……。ならせめて、右京か清住くんどちらかだけでも」
「お言葉ですが美浜さん。人間は2人に平等な対応などできません。俺のお客さんに失礼をはたらくつもりですか?」
春彦の力強い目に負けて、美浜は黙り込んだ。
右京と清住はそのまま彼女たちに連れられて、外に出てしまった。
今この場に残っているのは、美浜、春彦、アルフレッド、そして春平だけだった。
そして、不法取引は今まさに始まろうとしていたのだった。
「美浜さん。俺たちはどうすればいいの?」
「とりあえず牧さんに危険が近付かないか監視してるのよ。もし何らかの事件が生じたら、今頼りになるのはしゅんちゃんだからね」
そんな言われ方をされて、春平は肩に力を入れてがちがちになっていた。
そんな春平を見て、春彦は楽しそうに笑って春平の肩に触れる。
「あはは、春平、そんなに緊張する必要はないよ。確かに春平は頼りにしてるし、俺自身を預けてるけど、そんなガチガチになってたら俺どころか自分さえ守れないだろう?」
「む、た、確かに」
「ねぇ?だから……」
一瞬。
おそらくこの仕事にまだ不馴れな美浜と春平には感付きもできないほどの一瞬。
春彦の口元がいやらしく歪んだ。
「すぐ楽にしてあげるよ、春平」
「あの、もしもし?」
と、清住は日本語でアリスに尋ねていた。
真珠の肌を持つ銀髪美女アリス・マッケンハイアーは、清住の腕に自身のそれを絡ませて、あろうことか密着していた。
彼女のたわわに実ったものが押し当てられ、歩くたびにふわふわと揺れ、擦れる。
「どうしたんですか?」
片言の英語に反応して、アリスは上目遣いで清住を誘惑する。
「私たち完全に蚊帳の外よね。正直、暇じゃない?私は暇で暇でしょうがないの。ちょうどお腹も減ってるし、ねぇ?」
そう言うとアリスは清住を路地裏へ連れていき、女性とは思えない力で壁に清住の背中を打ち付ける。
「――っ痛!」
思わず声を出した清住は次の瞬間自らの体が言うことを聞かないのを感じていた。
過度の興奮で頭がくらくらする。
徐々に真っ白になって何も考えられなくなる。
そうして、ただ一点だけに全神経の注意を集める。
「ミス・マッケンハイアー……」
清住が顔を紅潮させながらも、平静を装おうとするが声は完全に震えていた。
「んふ」
そんな清住をあざ笑うかのように、アリス・マッケンハイアーは屈んで清住に悪戯をしていた。
同刻、全く同じ境遇に追いやられている少年がいた。
「セラさん?」
右京は英語で呼び掛ける。
表情は無だ。
「んふ。我慢しちゃって可愛いんだから。お姉さんが色々教えてあげるから、そろそろ素直になりなさい?ほら、体はこんなに素直になり始めているのに」
セラが指先にギュッと力をいれて握りしめると、右京は苦痛に顔を歪めて彼女を力いっぱい押し飛ばした。
右京がハッとして見ると、セラは細い体を丸めてうずくまっていた。
どこかを強く打ち付けたのか、首をだらんと垂れてピクリとも動かない。
「セラさん、あの、申し訳ございません。お怪我は……」
右京が彼女に手をかそうと近寄ると、
ドン!と、鈍い衝撃が伝わった。
セラはヒールの靴で力強く右京の腹を蹴っていたのだ。
「――――――っ!」
さすがの右京も声を出せないぐらいに叫び、腹をかかえて震える。
セラは立ち上がると、そんな右京の前に屈む。
「右京、大丈夫?ここ、痛いんでしょ?退院したばかりらしいものね。すぐにお姉さんが痛いの治してあげるからね」
そう言って、抵抗できない右京のスーツを無理やり脱がして青少年への暴行を開始する。
「しゅんちゃっ……!」
叫んだと同時に美浜は体の自由がきかなくなっているのに気付いた。
誰かが後ろで自分の体を捕らえて放さないのだ。
耳元にふぅ、と息が吹き掛けられ振り向くと、春平と同じ赤茶の長い髪の毛が顔にかかった。
「ミ、ミスターモナリー」
「どうか抵抗しないでください、ミス美浜。さもなければ……」
ドキッと美浜も、見ている春平も心臓が早鐘を打った。
「あ……ちょっ……!」
アルフレッドか美浜の背後から彼女の胸を鷲掴みにしていたのだ。
「これはあくまで警告ですよ。次はこんなものじゃすまされない事態が発生しますよ」
パッとアルフレッドが美浜を拘束から解放すると、美浜は顔を真っ赤にして体を両手で抱えて、アルフレッドを睨み付けた。
「てめっ!」
春平は頭に血をのぼらせて、アルフレッドに殴りかかる。
すると、背後から余裕の声が聞こえた。
「春平の相手はモナリーではないよ」
ハッとして背後を振り返ると、春彦が高々とジャンプして春平目掛けて足を伸ばしていた。
「くっ」
その蹴りを両腕で受け止めると、春彦は悔しそうな笑みでペロリと上唇を舐めた。
そのイタズラっぽいその表情に、春平は困惑していた。
「え、何…?」
「ん、何って、何?」
春彦がそう無邪気に尋ねてきた。
「だって取引って……これじゃあまるで」
春平は言葉が詰まるのを感じながら、必死に春彦の言葉を待った。
ケロッとした表情をして、春彦はゆっくり優しく言った。
「そうだね。これじゃあ奇襲だね。だって、そうだもん」
悪びれないその言葉を聞いた瞬間、春平は硬直した。
今この場に居るのは男2人、春彦、アルフレッド。
そして春平に美浜だったのだ。
春彦の意外な一面も見れて、ついに彼を信頼しきってしまった春平。自分のことをしっかりと理解してくれる彼に惹きつけられながら、春平は取引に向かいましたが、春彦とアルフレッドによる奇襲!
あれ、もしやこれは……