第49話 葵春貴
本社で働いていたのは、ほんの2年。
小学校3年から5年まで。
法律では働くことのできない年齢なので、アシスタントのようなかたちで働くことが多かった。
そして平行するように専門学校に行き、小学校に通っていた。
誰もが可愛がる美少年。誰もが納得する能力。誰もが認める知力。
そんな天才を社長は、先生は、社員は、親は大切に育てる。
「皆ハルくんの仲間だからね」
仲間は頼っていい。頼られていい。
あの時は、春貴にも仲間がたくさんいた。
仲間をたくさん増やそうともした。
確かにあの時は春平も仲間だったのだ。
誰もが自分を愛してくる、誰もが自分をすごいと言ってくれる。
そんな自尊心に浸っていた春貴だった。
あの日、全てを否定されるまでは。
「役立たず」
「皆仕方ないからお前を可愛がってるふりしてるだけだからな」
「キモい」
「自分が特別だなんて思うなよ?」
「お前なんか、本当は誰も気にとめてないんだよ」
「お前の周りの人間は全員、心の底ではお前のこと嫌ってんだよ、馬鹿にしてんだよ」
それで、今まで仲良く接していた人たちも、心の底では自分を否定しているんだと思った。
だから、誰にでも心を開いちゃ駄目なんだ。
そう思ってしまった。
「春貴くんはこんなことも出来ちゃうのねー、まだ小さいのに」
それは妬みか?ひがみか?
いつしか、人間は全員表と裏の顔があって、心の底では自分以外の人間をあざけているんだと、思ってしまった。
アロエに行くと、いつも自分に笑顔を向けてくる春平の姿が目に留まる。
「ハルは凄いね、何でも知ってるんだもん」
凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄いすごいすごいすごいすごいすごいすごいすごいすごいすごいすごいすごいすごいスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイスゴイ
頭の中で、繰り返し繰り返し「凄い」という言葉が流れ続ける。
凄いって、何だ?
凄いって、自分を馬鹿にしている言葉か?
すごいって言えば僕が喜ぶとでも思っているのか?
スゴイと言われてぬか喜びしている僕を見て馬鹿にして笑っているのか?
あぁ、結局あの人たちの言葉は本当だったんだ。
仲間だと思っていた春平でさえ、自分を馬鹿にしているんだ。
自分を疎ましく思っている。
自分のことをお節介だと思っている。
心の底では自分を見下している。
自分を、嫌いだと思っている。
だったら自分だって春平を見下してやる。
自分が一番なんだって自慢してやる。
お前なんか、自分の足元にさえ及ばないんだって罵倒してやる。
世の中の人間、全員。
お前らなんか居なくたって世界には何の異常も来たさないんだって、思い知らせてやる。
仲間なんてものは、この地球上には存在しないということを知らしめてやる。
そうだ、そうだよ。
どうせ否定されるくらいなら、初めから誰とも仲良くなんてならない方が傷つかない。
しばらくして、春平が学校に行くようになったので、春貴が春平のもとを訪れる理由はなくなった。
いい気味だ。
しかし、春貴が目にしたのは、春平のことを心から大切に思ってくれている、「家族」のような「仲間たち」。
春平のために高い金を払って本社から同年代の自分を雇ったり、本社の学校に行かせたり、何よりただ一緒にいるということを本当に大切に思ってくれている、春平の「仲間たち」。
春平には、自分以外にも信頼できる仲間がいる。
僕には、いない。
そうか、きっと僕は心のどこかで春平を羨ましがっていたのかもしれない。
これじゃあ、僕に真実を告げてきたあの人間たちとまるっきり同じじゃないか。
春貴は、途中まで話すと、ただ涙を流すだけで言葉を止めてしまった。
「僕のこんな羞恥な姿を見て、満足かい?」
まだ強がりを言う春貴を、春平はただじっと見つめていた。
勝手な人間が勝手に言った勝手な言葉に、春貴はこの数年間ずっと悩まされてきたんだ。
それが真実か嘘かも分からずに。
幼い頃に体験したことが春貴の心に大きな傷を作ってしまい、人間不信になってしまった。
「俺は春貴を馬鹿にしたわけじゃない。きっと、今まで出会った人たちだって、全員が春貴をそんな目で見てた訳じゃないと思うんだ」
「奇麗事を言わないで」
「――そうやって虚栄を張る必要はもう無いよ。その思い込みで、お互い傷つく必要はないだろ」
春貴は黙っている。
「少なくとも俺は、これからも春貴の仲間でいたいと思う。きっと久遠たちもお前のことを知れば分かってくれるさ。俺の仲間は、これからもハルの仲間にもなる人たちは、全員、そういう人間だよ」
春平は、いつの間にか自分の顔に笑みが浮かんでいるのに気付いた。
目の前にいる可哀相な少年を安心させてあげたいと思ったから。
「ハルは、俺の友達になってくれる?」
春平の言葉に、春貴は一瞬戸惑いを見せた。
しかしそれもつかの間のことで、春貴はゆっくりと春平に手を差し出した。
「やっぱりしゅんは馬鹿だよ、大馬鹿だ」
春貴の目から大粒の涙が零れ落ちる。美しく、透き通った涙の粒。
大きな春貴の瞳は優しく細められ、互いの右手はきつく結び合う。
「しゅんはずっと7年間、僕の友達だったんだろ?」
当然、と言わんばかりに春平はゆっくりと目を瞑った。
きっと完全に人を信用しろ、といってもすぐには出来ない。7年間もかけて培った人の味方はそうそう変えられるものじゃない。
だけどそれでも、春貴が1人でも信用できる人間を探し出すことができたんなら、それでいいと春平は思った。
自分たちにはまだまだたくさんの時間がある。そうやってゆっくり歳を重ねて広く回りが見渡せる余裕を持てればいい、それが一番だな。
「美浜さんのことは、どうなの?もしかしてずっと美浜さんのことも馬鹿にしてたんじゃあ」
春平の真面目な表情に春貴は一瞬驚きつつも、春平を睨みつける。
「どれだけ僕のことを馬鹿にしてるんだ。咲ちゃんは違う。元から、違ったんだよ」
春貴が捻じ曲げられた時から、美浜は春貴を大切に思っていてくれたらしい。
「皆が皆、春貴を心の底で否定しているわけじゃないのよ」
そんな親身な美浜の言葉を、当時小学生だった春貴は嘲笑した。
「ハハッ、そんなこと、本気で信じれると思ってんの?」
本気で睨みつけてくる春貴にも、美浜はびくともしない。
「少なくとも私はしていない。だから、もっと肩の力を抜いて、他人に自分を預けてみなよ。私に出来るならお安いご用意だから」
「……そんなこと言って、結局最後には僕を放り投げるんだろ」
苦しそうに洩らされた春貴の言葉。その言葉を聞いて、美浜は春貴を強く、強く抱きしめた。
美浜の涙が春貴の肩を濡らし、同様に春貴も気付けば自分の涙が美浜の肩を濡らしているのに気付いた。
その時既に、春貴は美浜に恋をしてしまっていた。
「へ、へーえ」
自分の知らない間にそんなことがあったなんて、意外だ。
じゃあ美浜さんは元から春貴のことを知っていたんだ。
春平の中に、ひとつの可能性が過ぎる。
美浜さんが春貴を苦手と言っているのは、もしかしたら春貴が自分に依存しないように言っているだけなのかもしれない。
本当に苦手なわけじゃないのかも。
「ぷっ」
春平の口から小さく笑いが漏れた。
なんだ、散々俺が美浜さんに依存してるみたいなこと言ってたくせに、結局依存で心配されているのはハルなんじゃん。と小さく笑う。
「何笑ってんだよ」
明らかに不満そうに、だけどどこか照れたように睨んでくる春貴を見て、さらに春平は笑顔を戻せなかった。
「いや、可愛いなと思って」
「馬鹿にするな!」
その後、二人が騒いで、帰宅してきた久遠に追い出されてしまったのは言うまでも無いことだった。
とりあえず仲良しさんに戻った二人。これから少しずつでも春貴が人を信用できるように、そう春平は祈っている。
次回からは新しい展開に!
分かったようで分からない仲間の本性が少しずつ垣間見えてきて……