第47話 何故
「あんたがそこまで言うなら、疑わないよ。だけど、葵春貴は私にとっては苦手な人間だから」
そう言って久遠は春平の手を引く。強引に連れて行かれるかたちで、春平も自分達の部屋へと戻っていく。
「あの人のあの態度は今に始まったことじゃないだろ。あんまり気にすんなよ」
清住がガシガシと春平の頭を乱暴に撫でる。
春平は心配かけまいと決心を決めて立ち上がった。突然起立したので、清住はびっくりして手を引いた。
「トイレ」
「なんだよトイレか」
はぁー、とため息をつく清住。
「急いで戻ってこいよ。『絶対に呼び出されて説教確定だから』と沖田から未来予知の言伝てがあったからな」
誰に呼び出されるのかは、あえて聞かなかった。
他の階の上司だった。
その上司の部下が春貴に引き抜かれたのだが、かなりご立腹でいらっしゃったらしいのだ。
ガミガミと言われること1時間、3人はようやく解放されて右京の見舞いに行くのだった。
「葵店長、か」
右京はそれだけ呟いてじっと自分の掌を見ていた。
こうして見比べると、確かに春貴もかなりレベルの高い美少年、というか美青年だが、右京の美少年っぷりは浮世離れしていると春平は感心していた。
「あの人、随分と虚栄張ってますよね。……疲れないのでしょうか?」
「知らないよ。あんな虚栄と勉強と嫌味のかたまり」
そうして買ってきたケーキを自分で食べている久遠。
「きっと嫌なことをたくさん経験してきたんでしょうね」
その言葉に、春平は反応する。
いつも右京は核心めいたことを呟く。
「そんなの誰だって経験してるよ!だからってストレス解消に他人に嫌なことしてたらろくな人間じゃないわ」
その通りだ。
そんなのは、子供が腹いせに他の弱い人間や動物を虐めるのと同じだ。
「僕は明日退院して、葵店長の所に行ってきますね。まだ本社が貸してるホテルに泊まる予定でいるようですし」
「何で右京がわざわざ!?」
驚いて思わず春平は大声で尋ねる。
「挨拶をしろ、とのことでしたので」
何故か春平には、その時の右京の表情が
とても愉快そうに見えたのだった。
「ユキナ」
薄暗い部屋の中で、女性の名前を呼ぶ声がこだまする。
「ユキナ……ユキナっ」
必死に呼ぶ青年の手を、ユキナはきゅっと優しく握る。
「はい。ここに居ます」
優しい声音だ。
「あなたを置いて消えたりしませんよ。私は、あなたの味方ですから」
握った手を自分の頬に寄せる。
青年はゆっくりと深呼吸をして、そのまま意識を闇の中へと沈ませた。
「えっ、右京どこ行くの!?」
右京は本社の敷地を飛び出て、近所の豚カツ屋に入って行った。
「きゃあ右京ちゃんっ!」
おそらくは看板娘のような少女が、嬉しさ余って右京に抱きついてきた。しかし右京は至って無表情。
「牛肉ってある?」
「お前何言ってんの?ここは豚カツ屋だぞ」
「うん、あるよ。案内するね」
少女は当然のことのように右京の手を引いて別の部屋へと入っていった。
「おっとその前に、許可書はある?」
「勿論」
そう言って右京が書類を手渡すと、少女は満足そうに部屋を出ていった。
残された春平は、部屋の中を見渡した。
「右京、ここ、何?」
「ん?カウンセリングの待合室ですよ」
「カウンセリング?」
春平はわけが変わらなかった。
だって今は春貴に会いに来ているのだ。それが何故豚カツ屋の裏にあるカウンセリングの待合室に来なきゃいけないんだ。
「葵店長は、よくここにカウンセリングに来ているんです」
「春貴が?」
「はい」
「どうしてお前が知ってんだよ」
「葵店長は僕には教えてくれるので」
なるほど、春貴にとって、右京は別段馬鹿ではないということだ。英語しゃべれるし。かっこいいし。金髪だし。少し間違ってはいるが。
「どうやら、中学校にあがってすぐぐらいに、ここに通っているらしいですよ」
「中学校!?もう7年くらいも通ってるっての?」
何故わざわざ?店長というのは、それほどまでに大変なことなのか?
……いや、寺門さんだって大変だが、カウンセリングに通っているなんて聞いた事も無い。
「言ったでしょう、あの人はきっと嫌なことをたくさん経験してきたんですよ」
春平はそんなことを無表情で言う右京の横顔を、信じられないといった驚愕の表情で見つめていた。
こいつは何が言いたいんだ?
春貴は、そうやって嫌なことを長年経験してきて心を傷つけるほどに疲れていると言いたいのか?
そんなこと……
春平が頭の中で葛藤している間に、奥の部屋から女性が出てきた。
「あ、あああ右京さん!?」
女性は頭をガンッと後ろの壁に打ちつけてしまった。あまりのショックだったらしい。
「お疲れ様です」
「……お疲れ。で、俺には気付いてない訳ね」
短い溜め息をつくと「春平さんもこんにちは」と、とってつけたような言い方をする。
「仕事は何してるのって聞いたときに変な笑顔向けてきたと思ったら、何だ、ここでカウンセリングのバイトしてたのか」
「これが本業ですよ、春平さん」
むすっと拗ねたように言う女性に、春平は優しく笑って見せた。
社員専用のマンションでハウスキーパーを兼業している一ノ瀬ユキナは、楽しそうにほくそえんだ。
「ユキナ?右京、着たのか」
「着ましたよ店長。ほら、春平さん付きで」
「春平!?」
素っ頓狂な声を上げながら、ユキナの後ろから春貴が出てきた。
緩めていたネクタイをきゅっと閉めて、じっとこちらを凝視している……むしろ睨んでいる。
「しゅんをここに呼んだ覚えはないよ」
「右京について来ただけだ」
「右京!」
今度は右京を怒鳴りつけて睨んでいる。それでも右京は顔色ひとつ変えずに春貴を見ていた。
「いけませんでしたか?葵店長と春平さんは昔からの知り合いだと聞いていたので、別段問題はないと思ったのですが」
「カウンセリング直後にこんな奴の汚い顔なんか見たくない」
酷い言いようだ。
「ってか、お前カウンセリングなんか通ってたんだな。けっこう意外」
春平がそう言うと、春貴は憎らしそうな表情を向けてきた。
「お前にそんなことを言われる筋合いはない!」
「落ち着けって。俺はただ右京についてきただけなんだから、右京とたくさんおしゃべりしてくださいよ、店長」
春平がわざとらしく言う様子を唇を噛み締めて見つめ、すぐに平静を取り戻した。
「……そうだ、今日は右京と話がしたかったんだ。元気だったかい?」
「正直なところを言いますと、今日まで入院してました」
「あらら。今は平気かい?」
「はい」
「――で?やっぱり君の存在が不愉快なんだけど、しゅん」
「ああ、お構いなく」
「早く出て行ってくれよ」
「どうして?」
春平がけろっとそんなことを言うと、春貴の表情が険しくなった。
「どうして、だと?」
ピリッとした空気が春平の肌にまとわりつく。
「そもそも、どうしてしゅんが右京についてくる必要があった?僕はしゅんなんか呼んでいないよ。右京についてくることで、何かいいことがあるとでも思ったのか?それとも右京を守れるとでも?」
「そんなことは別に」
「じゃあ黙ってマンションに居ればよかったじゃないか。お前みたいな能無し単細胞は家で大人しくしてればよかったんだ。どうせしゅんは、右京の邪魔になって足手まといになるだけなんだから」
そう言って春貴は春平の額をつついてくる。
「何?しゅん、汗びっしょりだよ?もしかして空調が暑いかな」
わざとらしく言う春貴。春平の表情を不敵な笑みで見つめながら。
「勘違いもほどほどにしておけよ?僕に真実を指摘されるの、本当は嫌なんだろ?分かってるよ、そんなこと。怖いんだろ?僕が、僕の言うことが、怖くて怖くてしょうがないんだろ」
春平は目を見開いた。まるで、心の底を見透かされているようで、
やっぱり怖かったからだ。
「ちょっと」
そう言って春貴の言葉を遮ったのは右京だった。
「どうしたの、右京」
「そんなに言うの、酷いと思う」
右京は春平を庇うように立っていた。その様子を見て、一瞬呆然とした春貴だったが、すぐに腹を抱えて笑い始めた。
「しゅんっ、お前年下の右京にまで心配させて庇ってもらってんの?なっさけないなぁ」
その言葉に、ひとつひとつの単語に心を攻撃されながら、春平は目をきつく閉じて痛みに堪えた。
――次の瞬間、春平は春貴の右手を力強く捕まえていた。
「な、に……?」
唐突なことに春貴はびっくりして掴まれている右手を見ている。
春平の力は強い。ギリッと締め上げられて、春貴は眉を顰めた。
「ハルに、話があるんだ」
「僕は無いけど」
「俺はある!」
春平が怒鳴ると、同時に春貴の右腕を無意識的に締め上げていた。
「しゅん、痛い……」
春貴の小さな抵抗の言葉にも耳を貸さず、春平は話し始める。
「どうしてそこまで俺を目の敵にする?どうして久遠たちに酷いことを言う?」
春平はできるだけゆっくりと話そうとしている。しかし興奮しているのか、話すスピードは徐々に上がっていく。
「昔はそんなこと言わなかったじゃないか」
「それは仕事だったから」
「それでもいい奴だった。なのにどうして今はこんなに酷いことばかりを口にする?……俺、ハルに何かした?」
その問いかける言葉に、春貴は一瞬肩を震わせた。
「俺がハルの気に障るようなことをした?思い当たる節がないんだ」
春貴は春平の目を見ていない。少しずつ、視線を知らしている。
そんなことも気にせずに、春平は自分自身にも言い聞かせているように囁いた。
「教えてくれ。俺が、何をしたっていうんだ」
ついに春平が反抗!?言われっぱなしは性に合いません!
しかし、どうして春貴が7年間もカウンセリングに通う必要が……?
次回、少しずつ春貴の過去が明らかに!