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アロエ  作者: 小日向雛
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第46話 いい奴なんだ

右京が目を覚ました。


本社には会社専門の病棟が存在する。そこで緊急手術を受けて3日間目を覚ますことの無かった右京が、ようやく目を覚ました。


頬がうっすらとさくら色になっている。


「頭痛い?」


「いや、頭というよりは縫われた傷口が少し痛いですね」


久遠の問い掛けにそう答えて、右京は自分の姿を見ていた。


左腕に点滴が施されている。


まだ頭がぼんやりとするのか、目はうつろだ。


「腹刺されて瀕死だったから、まだ本調子にはならないだろう。今のところ仕事入ってないし、ゆっくり寝てな」


清住がそう言うと、右京は遠慮なく瞼を閉じた。


「そういう清住も肩大丈夫?」


「あ?平気だよこんなもの。少し痛いかなってぐらいで、気にもとめないさ」


平然という清住を見て、春平は関心していた。


「多分、銃弾で打ち抜かれるよりは痛くない」


清住はにやりと春平に言った。確かに銃弾は痛かった。


「痛いにせよ、今日は仕事が無いからゆっくりしてるさ」


「今日は引き抜きの日だからね」


退屈そうに久遠は右京の病院食を摘まむ。


「何それ」


「何って……ただの鶏肉だよ。肉の種類も分かんないの?春平」


「んなのキャベツとレタスの違いより分かるわっ!そうじゃなくて、引き抜きの日ってのは」


春平がそう尋ねると、久遠は心底退屈そうに眉を顰めた。その代わりに清住が口を開く。


「本社から別の支店に引き抜かれること」


「左遷とも言う」


「でも本社と肩を並べられるような巨大な支店もあるわけだから、一概に左遷とも言わない」


「私は左遷された人しか見たこと無い」


ふぅ、と溜息をつく久遠に、清住は言った。


「どうでしょうねぇ?今回はあの支店の店長も引き抜きに来るって噂ですよ、久遠さん?」


あからさまな清住の敬語に、久遠は眉間に深く皺を刻む。


「どうでもいいわ。あそこの店長、虫唾が走るほど大ッ嫌いだし」


「俺たちは引き抜かれないから、別に問題はないしな」


「そうなの?もしかして3階の人間は例外とか?」


「あぁ、そういうこと。他の階の人間は居なくなっても新しい人間を雇えば問題はないが、俺たちには高い金を払って色んな訓練させてんだ。しかも高い収入が見込めて。まぁ、俺たちにも高い給料払わなきゃなんだけどな。とにかく、3階の人間は本社にしてみれば価値があるから手離さないんだよ」


「へーえ」


そこまで重要視されているとは知らなかった。


「それじゃあ沖田とかも危ないかな」


その名前にいち早く反応したのは久遠だった。


「沖田はぁ、絶対に無関係」


「……はっきり断言するね」


「あんただって初日に沖田が忙しそうにしてるの見たでしょ。あのこには与えられる仕事がたくさんあるんだから、社長が引き抜かせないよ」


納得して、春平も右京の病院食に手を伸ばす。


「引き抜きする支店って、決まってんの?」


「決まってないよ。引き抜きしたい支店の店長が来るの。あんたのところも来るかもね」


一瞬心臓が跳ね上がったが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「うちは無いね。本社から引き抜くほどの支店でもないし。第一、20年近く居たけど一度も引き抜きしたことは無かったな」


久遠は相変わらず興味なさそうだ。


「話戻すけど、あの支店の店長が引き抜きついでに3階の見学に来るらしい」


その言葉を聞いて、久遠は一瞬フリーズする。


「はぁ!?何の用があって!」


「もともとあの方は3階の変人たちに興味持ってたしな。いい機会だから変人観察に来るってところだろ」


「全く嫌みったらしいったらないなぁ!」


ここまで久遠が毛嫌いするとは、その店長は一体どんな人物なんだろうか。


「だからこれから案内役で俺が出回るから、あとは頼んだぞ」


「あんな奴のところになんか行く必要ないよ清住!」


「……あのさぁ、何でそんなに毛嫌いするわけ?」


春平の問いに

「よくぞ聞いてくれた!」と言わんばかりの様子の久遠。


「ちょっと頭いいからって性格悪いのよあいつ!」


つまりバカな3階の人間をバカ扱いしてくる、ということだろうか。


「あんな偉そうな奴は初めてよ!年下のくせにっ」


「年下ぁ!?」


「そう。最年少の店長だとか言われていい気になってんのよ、葵春貴!」



……待て。今聞き捨てならない単語が聞こえたぞ。



全身がざわっと粟立つ。


「俺、ハルに狙われてんのかな……」


だとしたらそれは春平をこの世から抹殺するためだろうか。


「えっ、葵店長ってそういう嗜好、いや、趣味の持ち主なのか?」


清住は苦笑している。というか、顔をひきつらせている。


「違うっての!そうじゃなくて……」


そこまで言って春平は押し黙る。さすがに打ち明けるのには抵抗があるようだ。


そんな様子を見て、清住は黙って春平の頭を撫でた。


「ま、一般社員は係の人間以外直接会って話す機会なんて滅多にないから」


安心しろ。とでも言いたいのだろうか。


その直後、仕事を担当する竹中がやってきた。


「ん?今日は仕事無いはずだぞ。俺が係の人間だって知ってるだろ」


「そのことについて伝えに来ました」


清住の言葉にポーカーフェイスで淡々と答える竹中。


「何だ」


「急きょ、清住さんの班全員で係を担当することになりました」


「はぁ!?」


異議を申し立てたのは久遠だった。


「今まで何も言わなかったじゃない!なのに何で今さら一般社員の私たちまで駆り出されなきゃいけないわけ!?」


「あちらの葵店長からの要望だそうです」


久遠はムッとし、春平はドキッとした。


どんな理由があるかは定かではないが、まず確実に

「春平が居る」ということも関係しているのだろう。










「しかしいつ見ても立派だなあ。僕を雇う会社に相応しいね」


引き抜きに来たのはこれで5度目だった。


1度目はまだ中学生になったばかりの時に来たので、何も理解していなかった。

高校生になってからは卒業まで毎年来ていた。


今回はそれからもう2年も経ち、今では20歳。立派な店長になった。


「どうぞ、葵店長」

ロビーに待ち構えていたのは、自分と同年代の青年。しかし幼く見える。


「君が沖田くんか。話は聞いているよ。本当は君みたいな優秀な社員を引き抜きたかったんだがなぁ」


春貴の言葉に、沖田は口だけを笑わせた。社交辞令の笑顔だ。

もっとも、春貴の言葉も社交辞令なのでそれが正しい反応だ。


「早速全フロア見て回りますか?」


「いや、まずは少し楽しませてもらうよ」


その言葉で春貴が3階を指しているを沖田は察した。


「では、そこまでご案内します。そこからは指名された藤堂たちが案内致しますので」


春貴は目を丸くしてすぐに表の顔になる。


「僕の少ない口数から正しい判断を下すなんて、やっぱり君は優秀な社員だなぁ」


沖田は小さく会釈だけをする。




全員が、エレベーター前の廊下で一列に待機、と沖田から内線で言われた。


いたって普通の清住、思いっきり嫌な顔の久遠、挙動不審になりがちな春平が待機している。


他にも3名ほど係の人間がいのだが、清住の班だけでいいと春貴が断ったようだ。

重々しい音を立てて、ゆっくりとエレベーターの扉が開く。


中から満面の笑みの青年が現れた。

少年ともとれる童顔で、茶色い髪がさらさらと揺れ、その間から丸い大きな瞳が垣間見える。


「久遠!久しぶりだね、また一段と綺麗になって!」


春貴の大絶賛を聞いて、彼女は嫌そうに目線を逸らして口を歪に曲げている。


ここまでくるとあからさますぎていっそ清々しい。


「君は年を重ねるごとに美しくなっていく。僕の周りはそんな美しい女性ばかりだな。恵まれてるや」


むむ、美浜のことも言っている。


「それはどうも。あなたの脳内ハーレムの一員になったようで」


「ん、ごめんよ久遠。君が容姿をとやかく言われるのが好きじゃないのはよく知っているんだ。僕は君の性格が大好きなんだからね」


さらに久遠の表情は険しくなる。


「あぁ、勿論君は君だ。君の言う『僕の脳内ハーレムの一員』とやらには加わってなんかいないよ」


清住は、黙ってその様子を見ている。


「それに君はとても賢い」



その言葉に、久遠は硬直した。


怒りとも悲しみともとれない、ただただ呆気にとられて傷ついたような表情だった。


久遠は何も言い返すことができずにいる。


「ちょっと――」


久遠の肩を抱いて、清住が声を発した。


「世間話もそこそこにして、そろそろ見学を始めませんか?」


「ん、そうだね」


納得して、春貴は頷いた。


ちらりと春平を一瞥して。




「あの完全なる嫌味が嫌いなんだよなぁ」


ぽつりと久遠が呟いた。


清住が3階の説明を春貴にしている。

久遠と春平は、ただ2人の後ろについて歩いているだけだった。


「……うん」


春平が重々しく返事をすると、久遠は何かを思い出したように目を丸くした。


「そいえば、あんた葵と知り合いなの?」


「ま、あね」


小さくため息をついて、春平は続ける。


「昔はね、すごくいい奴だったんだよ」


たとえ仕事だったとしても、あんなに仲良くしてくれた。


「昔って、いつ?」


「小学生の時」


「そんな頃からクソガキだったら日本の現状が心配だよ!そんなの、誰だっていい奴だった時期の話じゃん!」


「まぁそうかもしれないけど」


小学生からクソガキで、そのまま大人になる奴だっている。


でも春貴は、ある日突然性格がねじ曲がった……気がする。


そんなことを考えていて、何故か自分が春貴を庇うような考えしか持っていないことに気が付いた春平。


「しゅん」


突然馴染みのない愛称で呼ばれて、春平は体を震わせた。


自分を呼んだ人間が春貴だなんて、考えなくても分かることだ。


「な、なに」


「僕長旅で疲れちゃったから、休憩所に案内してよ」


「――うん」


そうして歩き出してから、春平はあることに気が付いた。


「でも俺、3階の休憩所がどこにあるか知らない」


てんやわんやで気が付いたら袴田家に行ったりして、ろくに案内をされていないのだ。まだ歩き回る時間もなかった。


「――はは」


その笑い声は呆れて出た失笑などではなく、馬鹿だとあざけるような嘲笑だった。


「まったく、しゅんは本当に何も知らないんだから。アロエに居たときだって、寺門さんや咲ちゃんばかり頼って随分だらけてたみたいだし」


「ハル。それとこれとは話が別だよ」


「同じだよ。結局お前は居るだけ無駄ってことなんだから」


「――――っ」


出そうとした声は声にならず、ただ空気だけが抜けていった。


「それに、お前が久遠と一緒の班だなんて知らなかったよ」


嘘だ。


知っていたから、清住の班全員で来いなんて言ったんだろ。


「お前も役に立つことがあるんだな。――あぁ、元々体育会系筋肉バカだもんな。バットとグローブで生きてきた単細胞で単純な生物だもんな」


背中に冷たいものが滑り落ちた。


春貴に出会う度、いつも自分の無力さを思い知らされる。


どれだけ世界に必要とされていないのか、どれだけ自分が人々に迷惑をかけて生きてきたのか。


どれだけ自分は要らない人間か、思い知らされる。


「それはあんたに言われたくないでしょ」


口をはさんできたのは久遠だ。


「それともあんたは春平に偉そうに言えるほどの人間なわけ?」


「何を怒っているのさ久遠」


「怒るよ!あんたに春平をそこまで酷く言う権利ないもの!」


久遠が声をあらげて言うと、春貴は

「ぷっ」と小さく笑った。


「ははは。面白いことを言うねぇ久遠は。……それじゃあ聞くけど、久遠は僕としゅんの関係を知ってるの?」


「そんなの知るわけないじゃない」


「それじゃあ君こそ、そんなこと言う権利はないよ。これは僕としゅんの問題だから、口をはさまないでくれるかなぁ?」


「何をっ――」


久遠の言葉は、久遠の口に添えられた春貴の人差し指に妨害された。




「君は部外者なんだからさ」




その言葉を合図に、久遠はピタリと言動を止めた。


「関係ない人間に偉そうに指図されるのは不愉快だ」


久遠は悔しそうに唇を噛み締めて、泣きそうになるのを必死に堪えていた。


そうでもしないと今にでも涙が溢れ出そうだった。


「ハル、そんな言い方はないよ」


春平が声音を堅くして言うと、春貴は鼻で笑ってみせた。


「それじゃあ春平が休憩所の場所を知っていれば良かっただけの話じゃないか。彼女は無能なお前を庇ってくれてるんだよ?申し訳なく思わないかい?」


意識が遠退いていくような錯覚。それほどまでに春貴の言葉は春平の心に突き刺さる。


そんな春平と春貴の間に、清住がスッと入り込んできた。


「休憩所なら俺が案内するんで」


「まったく、君もか清住。これは僕としゅんの話じゃないか。君は部外者」


春貴がそう言い捨てて春平の手に触れる。


ビクッと春平が恐怖心を露にすると、清住が春貴の手を振り払った。


「部外者はあなたの方です」


その言葉に、春貴は明らかに機嫌を悪くしている。


「何を言っているの?」


「あなたは俺の仲間を悪く言っている。正直、自分の仲間がこれほどまで罵倒されて黙っていられるほど、俺は寛大じゃありませんから」


「だったら何で僕を部外者扱いする?」


「久遠と春平の関係に口出ししたからですよ」


「でも君たちだって僕としゅんの関係に口出ししたんだよ?」


「それは申し訳ありません。だけど、いくらあなたと春平の間に何らかの関係があろうと、あれほどまで仲間が罵倒されてはたまりません。あなたも同様に、俺たちと春平の関係を知らないでしょう」



春貴はきゅっと唇を噛み締める。


「でも、上司やお得意様に文句を言われるのは当然でしょう?」


すると久遠が清住の肘にしがみついて言ってきた。


「私らの上司とお得意様をあんたなんかと一緒にしないで。上司もお得意様も、勿論仲間も、皆固い絆で繋がっているの。皆、大切な命綱を託せる仲間なの!」


春平は思い出したように、目の前に立ちはだかる清住と久遠を見た。


命綱。お互いを信頼し会って命を託す。それが自分たちの命綱。


4人だけじゃない。

仕事を持ってきてくれる竹中さんだって、仲間だ。他の3階の人も、皆仲間なんだ。


この2人は、自分のことを仲間だと認めてくれる。命綱を託せるって信頼してくれる。


「上司は勿論怒るよ。時には体が恐怖を覚えるために体罰だって必要なことがある。でも、決して罵倒はしないよ。それが仲間ってものなの」


春貴は何も言い返さない。


「私たちはあんたとは違う。仲間を大切に思っているから。……まぁ、社員を道具としか考えていない批評が名高い葵店長にはわからないでしょうけど」


ふんっと鼻を鳴らす久遠。

「言ってやった!」という自信が満ち溢れた顔だ。


春平がちらりと春貴の顔を覗き見る。


その顔は反論できずに青ざめていた。


その瞬間、春平の冷や汗は何事もなかったかのように引いていってしまった。


「ハ、ハル……?」


「不愉快だ」


そう冷たい声音で吐き捨てて、春貴は身を翻す。


清住が沖田に連絡をとると、ものの数十秒で3階にやってきて、ご立腹の春貴を連れて行った。


「沖田もご苦労だな。まぁ、あいつなら心配なんてひとつもないけど」


清住がそう言って、肩を竦めながら部屋に戻って行った。


その後を久遠が追う。


「春平、戻ろう」


「えっ!あ、うん……」


春平が渋っていると、久遠は不思議そうに眉を潜めた。


「とうかした?」


「だってハルが」


「あぁ。許せないよね、あんだけ言われたら。でも春平も言い返すべきだよ」


「違う!そうじゃなくて」


「だったら何よ」


春平は一度下を向いて息を止める。


久遠を見上げることもしないで、口元を押さえる。


「ハル……泣きそうだった」


「はぁ!?」


久遠はさらに機嫌を悪くして激怒している。


「いい年にもなって泣いてんじゃないわよっ!」


それは春平にも苦しい言葉だ。


「きっと物凄く堪えたんだよ、2人の言葉に」


そう言えば、春貴の仲間はどんな人たちなんだろうと、春平は思った。


一度も見たことがないし、聞いたこともない。


仲間とは春貴にとって一番堪える言葉なのかもしれない。


「ハルは元はいい奴だったんだよ」


例え仕事だったとしても、困った春平を助けてくれた。


春貴も、仕事じゃなくて人間として付き合ってくれていたと思う。


春貴が急変した小学生の時代。


あの時に起こった何らかの事件が、春貴の心をねじ曲げてしまった。


「ハルはいい奴なんだよ。今も、昔も」


例えどんなに傷つけられても、春平は決して忘れることなどできない。




どん底だった自分を助けてくれた、ただひとりの心優しい葵春貴を。





さんざんなことを言ってくる春貴。

だけどどうしても、春平には春貴が本当に悪い奴だとは思えない……。

次回、どうなる!?

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