第32話 さようなら春平くん:前編
いつになく恋愛模様です。
※会話の中に多少いかがわしい単語が使われているので、苦手な方はご注意ください。
それは、美羽が春平に「キスしてください」と言っているようなものだ。
春平は押し黙って彼女を見つめる。お互い一歩も引かずに見詰め合っている状態で、春平は立ち上がった。
「!」
突然の行動に美羽は肩を震わせた。
春平は立ち上がって美羽の隣に座ったのだ。
2人の顔が間近に迫り、口を開いたのは春平だった。
「俺たち便利屋にも、拒否権というものがあります」
そう言うと、美羽はちらっと目線を逸らした。
しかしそれを春平は許さなかった。
ぐいっと彼女の頬に触れて、無理矢理自分の方を向かせたのだ。
美羽は高鳴る鼓動を必死に抑えて、間近にある春平の顔を見上げた。
真剣な双眸は、夕陽の光を反射して光っていた。
「でも俺は美羽ちゃんがそう依頼してきたら、拒否はしない。……美羽ちゃんなら」
最後の一言にどんな意味が込められているのか、春平は真剣な表情のままだ。
「俺だって男だからね」
そう言うと春平の顔が徐々に近付く。美羽はその瞳に見とれているだけだった。
両手が美羽の頬に添えられて、彼女は目を背けられずに居た。
このままキスしてくれるならそのほうがいい、そう思っていたのだ。
しかし
「キスする、という依頼を承りました」
春平がそう確認するように言ったのだ。
「――――――!!」
突然我に返ったように、美羽は春平を跳ね除けた。
彼の胸板を両手で力いっぱい押しのけて、美羽は荒い呼吸を整えようとしている。
一方の春平は、先程と何ら変わりのない真剣な表情で美羽を見つめている。
それを見て、美羽は急に虚しくなった。
「これも、仕事、ですよね」
「そうだよ」
簡単に言い捨てられて、美羽は虚しい気持ちを抑えていた。
「……もういいです。すみません、冗談がすぎました」
美羽は目を背けてそう言った。依然頬は赤いままだ。
「……分かりました」
そう言って春平は立ち上がり、また美羽の向かい側の席に座る。
しばらくの沈黙。
美羽は気まずそうに俯き、春平は退屈そうに外を眺めていた。
そんな中、先に口を開いたのは春平だ。
「……俺も茶化してごめん。人にそんなこと言われたの初めてだったからちょっとびっくりしたんだ」
そんな言葉が聞こえて、美羽はゆっくりと顔を上げる。春平は外を眺めている。
「初めて……なんですか?」
美羽が意外そうに春平を見つめると、彼は困ったような微笑を向けてきた。
「元々色恋沙汰には無縁でしたから」
「嘘……」
「おいおい嘘言ってどーすんだよ」
呆れて笑う春平を見て、美羽はさらに心を締め付けられた。
「苦手なんだよ恋愛って。まぁ、トラウマみたいな感じでさ」
「トラウマ?」
「ああ、あるだろ?例えば、親のエロビデオとかエロ本発見しちゃった時とか、コンドーム見つけちゃった時とか。あれってすげーショックだろ?トラウマってのはそんな感じ」
分かるようで分からない例えをされて、美羽は「うーん」と唸っていた。
「だから、恋愛はしたくないんだ。美羽ちゃんだからっていうのは関係ないからね」
「性欲は無いんですか?」
突然の大胆発言に、春平は思わず顔を紅くした。
「す、すごいこと聞いてくるね美羽ちゃん。うーん、高校生っていやあこんなもんなのかねー」
「すみません」
引かれた、と激しく落ち込む美羽を見て、春平はにやにやと笑った。
「大丈夫、それが健全だ。……そりゃ無いって言えば嘘だよな、人間の本能だもん。でも、理性が嫌がってる感じ。できればそんなものには関わりたくないってね」
顔を紅くしながら、ふぅと溜息をついた春平。
「だからさ、悪いけど美羽ちゃんの気持ちには答えられそうに無い。……ごめんね」
そう言われて、美羽は春平から視線をそらした。
「でもさぁ、それでも美羽ちゃんに俺のトラウマを克服させる自信があるってんなら、試してみてよ」
「え?」
くすくすと楽しそうに笑う春平を見て、顔を紅くする美羽。
「俺を振り向かせてみせてよ」
美羽は呆然と春平を見つめた。
「……それは、諦めるなって言ってるんですか?」
「いいや。でも、諦めてくれなんて言わないから。今のところはあくまで君と僕は依頼主と便利屋っていう関係だけど、そこから進展させたいなら、させてくれてもいいよ。やる気があったらね。そうやってるうちに美羽ちゃんにも彼氏が出来て、また俺のことを『ただの便利屋』っていう目で見れる日が来るから」
「……それって軽く諦めろって言ってませんか?」
「言って無いって」
「私は諦めませんよ」
はっきりと断言されて、春平は目を丸くする。
「もう勘弁してくれって土下座されても諦めませんよ。それでもいいんですね?」
今までからは想像もできないほどたくましく決心されて、春平の頬が思わず赤くなる。
「う、うん。どうぞ……」
そう言うと美羽は嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃあ、佳乃ちゃんみたいに、名前を呼ばせてください」
「あ、そっか。美羽ちゃん俺の事『正田さん』っていっつも読んでるもんね」
「はい。じゃあ……春平さん?」
そう言われて、春平は背筋が急に寒くなるのを感じた。
「うえー、人にそう呼ばれたの初めてだ。気持ち悪りー。それならいっそ名前呼び捨てしてくれ」
「あは。それじゃあ……春平」
美羽は自分でそう呼んで、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「…………」
それは春平も同じだった。
目の前の可愛い女子高生が、今まで「正田さん」と呼んでいたのに、突然自分のことを「春平」と呼び出したのだ。そりゃあ違和感もあるし、緊張もする。
さらに相手は自分のことを好きだと言っている。
「春平も、私のこと美羽って呼んでください」
美羽は緊張でカチコチになりながら要求している。
「……それは俺に決定権がある」
「なにそれー!?」
その後、美羽は「春平」と呼ぶたびに緊張して中々会話にならなかったので、結局「春平くん」と呼ぶことになり、2人は夕食を共にした。
「それじゃあ、また何か依頼があったらアロエまで」
「依頼がなくても行くかもですよ?」
「……仕事の邪魔にならない程度にね」
「分かってますよ。それじゃあおやすみなさい、春平くん」
楽しそうに手を振ってアパートの部屋の中に入るのを確認してから、春平はアロエへと戻った。
「どうだった?デート」
唐突に美浜に言われて、春平はブッと吹きだした。
「汚いわねー。で、どうだったのよ」
「……あのさー、今だから分かるんだけど……もしかして美浜さん、俺が出かける前からそのこと知ってたの?」
「あらー、そりゃあ美羽ちゃんが春平のこと好きなのなんて、誰でも感付くわよ」
そう言われて、春平は顔が赤くなるのを感じていた。
それを楽しそうに観察する美浜。
「でも、そうやって言ってくるって事は……告白されちゃった!?」
「どうでもいいでしょそんなの」
「うわー怪しい!何、何、どうしたの!?」
「しつこいですよ」
「いいじゃない、最後の仕事なんだから、内容ぐらい教えてよ」
「嫌だよ」
そう答えて冷蔵庫を開けてから、春平は美浜の発言に違和感を覚えた。
「待って」
春平は何も取り出さずに冷蔵庫を閉めて、美浜を見つめる。
表情は、不安げに曇っていた。
「今、最後の仕事って言った……」
不安な子供のような表情をする春平を見て、美浜は優しく微笑んだ。
「そうよ。アロエでの最後の仕事よ」
美浜の表情には憂いがある。
そんな美浜の肩に、春平は乱暴に掴みかかった。一瞬、美浜の表情が苦痛に変わる。
「どうして、それどういう意味!?俺、クビなの……?」
今にも泣きそうな声を出す春平を見て、美浜はゆっくりと彼を抱きしめる。
美浜の柔らかい髪が揺れて、甘い香りが鼻をくすぐった。
「クビじゃないわ。ただ、ちょっとの間出張するのよ。――本社にね」
「出張――?」
美浜の言葉に、春平は硬直する。
「そう。ただ、少しの間、本社で働くだけよ。絶対また戻ってこれるから、出張よ」
「本社って、ここから通うの?」
「違うわ。あちらでマンションを貸してくれるらしいの」
「戻るって、いつ?」
その質問に美浜は答えなかった。
ただ、春平をきつく抱きしめているだけだ。
春平は美浜を力任せに引き剥がす。
「それは出張って言わないよ!」
「……そうだね。それじゃあ昇進おめでとう、しゅんちゃん」
「昇進って……」
「社長さんがね、この前の孝太との仕事で活躍したしゅんちゃんを知って、本社で働かせたいんだって。よかったね」
「―――よくないよ!」
乱暴に怒鳴ると、美浜はじっと春平を睨みつけた。
「俺は寺門さんに育てられて、ずっとこうやってここで仕事して、アロエの店長になるのが夢なんだよ……。今更本社に言ったって、絶対後悔するに決まってる」
「仕事は部活動じゃないのよ!」
美浜に怒鳴られて、春平は恐怖で萎縮した。
「しゅんちゃんがやりたいから、嫌だから、なんていうのは通らないの。世間はそんなに甘くないのよ。……、何よ、たかが職場が変わっただけでそんなにムキになって」
ふん、と鼻をならす美浜を見て、春平は何も言えなかった。
「だから、早く行ってよ。出発は明後日だから、準備してさっさとアロエから出て行って!」
美羽のペースに押されてドキドキ、
アロエに帰って急遽本社への転勤を命じられ、
さらに美浜さんの説教。
色々なことが起こり過ぎて、混乱してしまいます。
アロエの皆に見捨てられてしまった春平は、一体どうなるのか!?
次回、アロエ編終了!?