第31話 最後の仕事
すっかり肩の調子が戻り、同時期に美羽から一通の依頼書が送られてきた。
それをファックスで見た美浜は楽しそうに頬を染め、それを受け取った春平は驚きで目を点にしていた。
「えっと、これは……」
「そのままじゃない。何も驚くことはないでしょ」
美浜は平然とそう言ったが、春平は納得がいかなかった。
【依頼:1日一緒に遊ぶこと】
「何これ。どこの婆さんの依頼だよ」
「せめて子供と言いなさい」
額を強く小突かれた。
「どんだけ暇なのかなー美羽ちゃん。別にわざわざ金払って俺と遊ぶ必要ないだろうに」
ふぅと溜息をつく春平を見て、美浜はさらに嬉しそうに目を細めた。
「美羽ちゃんにとって、あんたはそれだけの価値があるんじゃないのかな?」
「?何それどういう意味」
「さぁね〜」
そんな会話をしていると、玄関のチャイムが鳴り、寺門が帰ってきた。
「お帰りなさい。夜通しのお仕事?」
美浜がそう言うと、寺門は疲れように椅子に腰掛ける。
「あぁ、本社に行ってそのまま職場に行ってきたからね」
ふぅと溜息をついた寺門に、春平がお茶を差し出す。
「ありがとう」
そう言って春平の手に握られている依頼書を目にした。
「今日の依頼かい?」
「うん。9時になったら出て行くよ」
今は朝の8時なので、あと1時間。行く前にシャワーも浴びたい。
「美羽ちゃんからの依頼なのよ!」
「美羽ちゃん?」
「ほら、ストーカーの件の」
「あぁ、あの子か」
そういえば血相をかいてアロエに飛び込んできたのを覚えている、と寺門は目を細めた。
「その子からの依頼、か。いいねぇ春平」
「だから何が」
「……頑張ってくるんだぞ」
そう言われて、春平は素直に頷く。そして「準備しなきゃ」と言って席を立った。
空いた席に美浜が着席すると、寺門は真剣な表情で美浜を見つめた。
「どうしたの?何かいつもと雰囲気違うけど」
「違うさ」
美浜に書類の束を渡す。それを見て、美浜の表情に憂いが表れる。
駅前でぼーっと待っていると、こちらに向かって走ってくる少女が見えた。
「おはよ、美羽ちゃん」
「おはようございます。あの、待ちました、か?」
「いいや」
実際30ほど待っている。しかし、待ち合わせの30分前に来たのだから当たり前だ。
依頼主を待たせる訳にはいかないからな。と春平は時計を確認する。
「それじゃあ、行こうか」
依頼書には、遊ぶ内容は任せる、と書いてあった。となると、だいたい遊ぶ場所など決まってくる。
「遊園地、ですか」
「うん、いやだったかな?」
「いいえ全然!遊園地大好きなんです」
にこっと微笑む彼女を見て、ひとまずほっと安堵した春平。
とりあえず、片っ端から乗り物に乗っていく2人。
得にジェットコースターをはしごする。
「以外だなー。美羽ちゃんはこういうの苦手だと思ってた」
思いっきりの偏見だが。
「実際はそうでもないんですよ。小さい頃はよく両親とも来てたし……」
そこまで言うと、美羽の表情は急に暗くなり、言葉を閉ざしてしまった。
それを感知して、春平は美羽の手を握る。
「んじゃあもう一回行こうか」
にかっと楽しそうに笑う春平を見て、美羽はびっくりした反面、頬を紅潮させて、嬉しそうに目を細めた。
一日遊園地で過ごすというのも案外簡単で、買い物をしたり片っ端から乗り物に乗ったりなどしているうちに、陽はだんだんと沈んできていた。
「ちぇ、もう6時かぁ。予定じゃ7時までだったもんね。夕食でも食べていく?」
「はい!でも、その前に」
美羽はちらちらとどこかを見ている。
「最後に、観覧車に乗ってもいいですか?」
「観覧車?いいよ」
観覧車はちいさく揺れながら、上へ上へと上昇していく。
そこから窓の外を見て、美羽は小さく感嘆の声を洩らしていた。
「すごいですね〜。夕陽が綺麗……」
「ほんとだ。こんなの久しぶりに見たや」
美羽の向こう側に座って、春平も楽しそうに美羽を見つめる。その視線に気付き、はしゃいでいたのが恥ずかしくなったのか、美羽は急に姿勢を正してちょこんと座った。
「別に気にしなくていいのに。今日は貴女が依頼主なんだよ?」
「依頼主なんて、呼ばないで下さいよ」
急に冷ややかに言われて、春平は口を閉ざした。
「私はただ、正田さんと友達みたいに遊んでみたかったんです」
「っはは。じゃあ美羽ちゃんは今日は俺の友達だね」
にっこりと笑う春平を見て、美羽は胸が締め付けられるのを感じていた。
「覚えてますか?あなたが私に言った言葉」
「へ?」
「ストーカーが捕まった時。私が言おうとした言葉を遮って正田さんが言った言葉」
春平はゆっくりと記憶を辿る。ストーカーが捕まり、「がんばったね」という言葉を美羽にかけたと思う。それから、美羽は何かを言おうとして戸惑っていたので、自分が言ったのは
「覚えてる。ありゃ億が一の可能性を考えて言った言葉だったから、失礼だったね。うぬぼれだし」
苦笑する春平。
春平が言った言葉は
「惚れないでね」
だった。
そんな春平を見て、美羽は視線を下にして質問した。
「どうしてあんなこと言ったんですか?」
追い詰めるような言葉だった。気のせいか声が震えているような気がする。
1つ1つ言葉を選んで、春平ははっきりと言った。
「こっちは仕事だから。依頼主とそういう関係になったら困ると思ったんだ」
「どうしてですか?」
「……これからまたお世話になるかもしれないだろ、こんな風に」
美羽は視線を上げた。そこには、しっかりと自分を見つめている春平が居た。
その真剣な眼差しは時期に苦笑になった。
「まぁ、実際俺は恋愛とかには疎いしな、あんまり興味ないんだ」
その発言に美羽は目を丸くした。そうして、思いつめたように言葉を洩らした。
「……それが仕事だったらいいんですか?」
一瞬、春平は眉を顰めた。彼女の言葉の意味が判らなかった。
「それってどういう意味?」
何気なくそう訪ねると、美羽の顔が真っ赤になった。
そうして一度言葉を発することを躊躇い、しっかりと春平を見つめた。
真っ赤な顔には真剣な表情が見える。そうして、口が開かれた。
「私が貴方に、キスしてください、私を好きになってくださいって言ったら、あなたは依頼としてそれを引き受けるんですか!」
「……君が、俺に?」
美羽はこくりと頷いた。
春平は驚愕の表情で目を見開く。戸惑いを隠せずに、彼女の表情を窺うと、彼女は真剣にこちらを見つめていた。
それでようやく、春平は理解した。
彼女の気持ちを。
寺門は、ゆっくりと瞼が重くなるのを感じながら、夕飯の準備をしていた。今日は自分の分と美浜、高瀬の分で十分だ。
河越は家に帰るし、春平は「どこかで食べてくる」なんて言っていた。
「……悲しくなるな」
1人呟き、コンロの火を止める。
そうしてゆっくりと昔のことを思い出していた。
何故か目頭が熱い。これが今生の別れでも無いのに、そう思えてしょうがない。
「最後の仕事、頑張るんだぞ春平」
陽が落ちてきても部屋の電気はついていない。
家中が紅く染められるのを見ながら、寺門はゆっくりと瞼を手で覆った。
唐突な美羽の発言に、ようやく自覚し戸惑う春平。
誰も居ないアロエ寺門さんは一人感傷に浸っていた。
「最後の仕事」ってどういう意味!?
次回、まさかの急展開!