第25話 共同作業:前編
帰り道での会話の後、微動だにしなくなった春平を置いて、ハルはそのまま帰っていった。
まるで人形のようにふらふらとアロエに戻った春平は、しばらく呆然とテーブルに突っ伏していた。
「しゅんちゃん?」
美浜の声もまるで届かない。ただ呆然と
「寺門さんは?」
と聞いただけだった。
現れた寺門と延々と過去の話をし続け、気付けば夜が明けていたのだ。
「まったく春貴の奴め。今更そんなことを春平に言いおって」
ふん、と鼻を鳴らして怒る寺門を見ながら、春平は自分の胸が痛むのを感じていた。
なんか、必死に忘れていた深層心理を無理矢理ほじくり起こされた感じだ。
ゆっくりと胸に手を当てて、なんとか落ち着こうとする。
そんな春平の様子を見て、寺門は言った。
「ハルは明日も来るぞ。本社の派遣で調査しているから、これも彼の仕事だ」
葵春貴。小学生の頃に引き篭もっていた春平と唯一仲良く接してくれた少年だ。しかし今となってはライバル視……というよりはとてつもなく嫌悪されている。
それよりも春平の頭の中はたくさんのことが駆け巡っていた。
「そっか、俺の父さん母さん心中したんだ……」
「しゅんちゃんそのことは」
「いいんだよ別に」
美浜の言葉を遮って、春平は強く断言した。
まるで自分に言い聞かせるように。
「俺が親だと思ってるのは寺門さんだから。今更前の両親なんて関係ないさ」
少し参ったような笑みを浮かべて、春平は美浜を見つめた。
「それに、春貴が言ってた噂と真実は違うだろ?寺門さんは俺を商売道具にっていう気なんか毛頭なかったんだから」
「そうだ。だから、もう忘れろ」
希うような寺門の言葉に、春平は目を丸くする。
「忘れられないよ。それを受け入れて生きていかなきゃ」
正論を言われて目を丸くしたのは寺門だった。
確かに、と言わざるを得ない。
「ただ、そうやって割り切るにはもう少し時間が掛かりそう……」
そればっかりは時が解決してくれる問題だ。それを感じてか、寺門は小さく溜息をついて1つの書類を手に取る。
溜息には、少し愉しそうな雰囲気が込められていた。
「それじゃあ時に解決してもらおう。こういう時は忙しく過ごすに限る」
そう言って春平に1枚の書類を手渡す。
浮かない表情でその書類を受け取った春平だが、その依頼内容を見て唖然と口を開けていた。
「今日はゆっくり寝ていなさい。依頼は今日の朝10時から。あと5時間ぐらいだが、寝ないよりは寝たほうがいい」
にっこりと笑う寺門の表情を、春平は口をあんぐりと開けたまま見つめた。
さらに寺門は言う。
「依頼主に不快感を与えないように、十分に眠って体力を付けておきなさい」
今日は木曜日だ。
ハル、つまり春貴は昼過ぎに来るらしいから、とりあえず会わなくてすむ。
まぁ、3時から出勤する美浜は明らかに嫌そうな顔をしていたが。
実際春平も嫌そうな顔をしていたのだが。
できれば今引き受けてる中学の野球部指導の依頼に行きたいのだが、時間の都合でどうしても今日は断らなければならなかった。
「野球の依頼断ってまであいつに会いたくねぇよ」
項垂れながら、目の前にそびえ立つ巨大なビルを見上げて、とぼとぼと中に足を踏み入れる。
しかし春平もプロの便利屋。
ビルの中に入ったらいつまでも項垂れたりはしない。
「おはようございます」
部所に到着して、目の前にいた女性社員に挨拶をする。
「おはよう……て、あなたここの部?」
「今日からお世話になります」
元気に返事をするが、正確には今日
「から」日曜日
「まで」という短い期間だ。
何せ依頼主が、依頼主だから。
「へえー。あたしは田中。宜しくね」
「中田です、宜しくお願いします」
「下の名前は?」
「へ?し、俊介です」
「しゅんちゃんねぇ」
楽しそうに握手を求める田中に手を伸ばすと、それを誰かに遮断された。
「部内の馴れ合い禁止」
「何よハケンー」
「田中さんだって派遣じゃないですか」
少し不満そうに眉を寄せる若い男が横に立っていた。
「こちら、新人の中田しゅんちゃん」
男のメガネが光り、じろりと見下された。
「『はじめまして』中田俊介です」
軽く会釈をすると、男は偉そうな態度で対応してきた。
「君のことは聞いているよ。高瀬孝太だ、宜しく」
今回の依頼主は、こいつだ。
高瀬孝太。現在27歳の彼は、言わずと知れた「アロエ」の同業者である。
切れ長の目にメガネがとてもキツイ印象を与える美男子だ。メガネは伊達だ。
彼いわく「メガネをかけている方が頭が良さそうに見えるだろ」らしい。
「で?今日の体調は如何かな、『中田くん』」
嫌味のようにそう言われて、春平は笑顔のまま眉を吊り上げた。
「元気ですけど、一体何の用事があって俺をこんな所まで呼んだんですか、高瀬さん?」
「俺の雑務が多くて大変だからだろう」
「そんなの1人でやってろよ」
「まったくこれだから犬の散歩ぐらいしか脳の無い体育会系の坊ちゃんは!俺は新しい企画で大忙しなんだよ。なんたって社運がかかっている企画だからな」
「そんなの派遣にやらせるのかよ」
「俺の人望はあつい」
考えられない。
春平はあからさまに疑うような表情を高瀬に向ける。
「ま、そういう間違いも世の中にはあるか」
「こら、間違いって何だよ間違いって」
黙々と2人で印刷作業をしながら話す。
まぁしかし、人望はともかくそういう仕事での信頼があついのは確かだろう。
高瀬は忠実に仕事をこなすという面では本社からも一目置かれている存在だ。
『思考能力がすぐれていて、引率力もあり、計画能力もある』これが、本社から高瀬がアロエに正式に社員になった時に送られてきた成績表に書かれていたことだ。
「おー、やってるね」
そう言って顔を出したのは美浜だった。
「美浜さん今日管理なの?」
「そうなのよー。まったくこれから出勤しなきゃなんないっていうのに」
ふぅと溜息をついて2人が印刷している様子を眺める美浜。その表情はどこか楽しそうでニヤニヤしている。
「何笑ってんだよ」
「そんな言い方ないでしょ孝太」
ぎゅっと高瀬の頬をつまんでシツケをする美浜。
「だってあんた達2人がこうして同じ職場で働いているなんて可笑しくて」
本当に何しに来たのか、美浜はそれだけ言ってさっさと自分の職場へ出勤したのだった。
「あのさー、寺門さんからはこの仕事は6時で終わるって言われたんだけど、本当に終わるのかよ」
目の前に広がる印刷物をホッチキスで止めながら文句を言う。
今のところ、すぐに終わりそうな見込みなどまったくなかった。
「それは知らないな。延長かもしれないぞ」
「延長って……高瀬が俺に金払うのかよ」
「そうだ。だからそんな口の利き方をするな。俺は依頼主だぞ!」
偉そうに胸を張る高瀬を胡散臭そうな目で一瞥して、春平は黙々と作業を続けた。
時刻は時期に5時半になろうとしている。
社員の中には早く帰りたい一心で早めに仕事を切り上げようとしている人もいる。
そんな春平にとって非日常な光景を目の前にして、ゆっくりと目を閉じた。
こんな日常を日常としてこなしている高瀬。同じ職場で固定されている仕事、人間関係。
「楽しい、かな」
小さく呟いて窓の外を見つめた。
春平の仕事は毎日のように目まぐるしく変わる。
固定された正田春平という本名はほとんど意味を成していない。
あるのは作られた大量の偽名と、偽りの人間関係。
そんな中で、固定された高瀬孝太という名前で、同じ職場の社員と仲むつまじく日々仕事をしている孝太が、春平には少し羨ましかった。
「おい手止めてんなよ。しっかりと依頼はこなすんじゃないのかー?」
ぐりぐりと頭を殴られて、春平は正気に戻った。
「うるせぇな。俺は俺のペースでやるの。それに、3日もあるんだから大丈夫だろ」
それだけ言うと2人はまた仕事をする。
目の前に置かれたコーヒーを目にして、春平は躊躇いがちに告げた。
「……今日の夕飯はラーメン食べに行きたい」
「随分とまた突然だな」
「なんとなく、そんな気分だったんだよ」
「あれー、ラーメンですか?私も行きたい!」
突然会話に加わった田中に、春平はビクッと肩を震わせた。
「田中ちゃんも食べたいの?」
「しゅんちゃんと食べたいんですー!」
「お、お前たちラーメン食べに行くのか」
「部長!」
さらに会話に加わった部長を見て、高瀬が背筋を伸ばす。
「そういえば新人の歓迎会でもやろうか」
「部長それいい考えですね!」
「じゃあ部の皆で今日はラーメンね」
「おいおい歓迎会にラーメンかよ」
「いいんですよ部長。こいつがラーメン食いたいって言ったんですから」
「そうなのしゅんちゃん?」
「はい」
「よーしじゃあ決定ね!ラーメン楽しみー」
部長の声かけで、今日は部の皆でラーメンを食べに行くことになったらしい。
「しゅんちゃんラーメン好きなの?」
「あ、いや。そういう訳じゃないですけど気分的に」
「あー、あるよねそういう日。突然ポテチ食べたくなったり」
楽しそうに話しかけてくる田中を見て、春平は顔をほころばせた。
こんな無意味な会話が、今ではとても嬉しく感じる。
ビルの入り口では、何やら男たちが5人ほど集まっていた。
ついに現代へと戻ってまいりました。
今回は高瀬と春平という奇妙な組み合わせでの仕事です。