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アロエ  作者: 小日向雛
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第21話 失敗か成功か

美浜の思惑どおり孝太はゆとり館へ出入りするようになり、また、寺門の思惑どおり河越も出入りするようになっていた。


しかし唯一の誤算があったとしたら、ゆとり館で働く社員間に少なからずの亀裂が生じたということだ。


「ねぇ、寺門さんまだ怒っているのかい?」


この亀裂に全くの無関係である河越が、声を潜めて咲に確認をした。


「でしょうねぇ。まだ私が勝手に孝太くんを招き入れたことを根に持っているなんて……なんて女々しい」


咲はその美しい顔を明らかな嫌悪の表情に歪めて言った。


最も、ある意味では男らしすぎる父親を持つ咲にしては、そんな寺門の態度が嫌悪の対象になるというのは当たり前の感情なのかもしれない。


先ほどから居間に座って微動だにしない孝太を、咲は一瞥した。


「孝太くんが口を聞きたくないというのは分からないでもないのよ、私の場合は」


まるで自分に言い聞かせているように呟く咲。


しかしその表情は段々と険しくなっていく。


「だけど、私には分からない」


「?」


ゆっくりと瞳を閉じて咲は苦悶した。



どうして傷つけることでしか子供と接する術を知らないのか、私には分からない。





同刻、依頼を1人淡々とこなしていた寺門もまた、苦悩していた。


「どうしたんですか。今日は随分と浮かない顔をしていますね」


本社の人間とタッグを組むという異例の仕事で、同社の吉見ということで、寺門は自分の胸の内を洗いざらいさらけ出した。


「成る程ねぇ。そりゃアルバイトの子なんかにそんな決定されちゃ頭にもきますね」


「はあ、まあ、それもそうなんですが」


「まだ何か?」


「元々それを決定したのは立脇さんなんですよ」


「依頼主が未成年ということを考慮しての違反行為、か。だけど、その後に孝太くんの親御さんの許可を得たんですよね」


寺門は眉間にシワを寄せて黙り込んだ。



確かに全ては順調に見える。


孝太は救われたのだ。


もうしばらくは虐待を受けなくてもすむ。


しかし全ての決定権を持つのは孝太ではなく、あくまで父親だ。


いつあの父親が孝太の虐待を目当てにやってくるか分からない。正直、寺門としては受け渡したくは無い。


しかし彼の言う「無期」が本当なら、孝太はこれからゆとり館に居ることになる。何年後も、何十年後も。


だから寺門は父親に親権の移行という言葉を告げた。

しかしその、あまりにも先を考えすぎて周りの迷惑をこうむらない寺門に、立脇は怒りと失望を感じたのだ。


「なんでしょうね。全員の願いは1つのはずなのに、どうしてか対立が起きてしまう」


宙を見つめる寺門を、同社の人間はただ何も言わずに見守っていた。









「咲」

寺門の呼び掛けに、咲は振り向いてすぐにそっぽをむいた。


「何ですか」


明らかな他人行儀の態度で、どこか棘のある言葉だった。


それに参ったように、寺門は弱々しく呟いた。


「すまなかったね」


本心が現れている寺門の声に、咲は心配そうに振り返る。


「随分と素直だね」


「お前は悪いことなんかしていなかったのにな」


おそらく咲は、以前の自分のように心を閉ざしている孝太を見て、いてもたってもいられなかったのだろう。


そんな彼女の気持ちを無視して規則に縛られていた自分が情けなく思えてくる。


「私たちの気持ちは1つだ」


それは、孝太を本当の意味で救いたいということ。


「……そうだね」


少し照れるように微笑む咲を見て、寺門は「また咲に救われてしまったな」などと考えていた。


ふと居間に視線を向けると、そこには楽しそうに遊ぶ孝太と寺門の姿があった。


「楽しそう、なのか?」


お互い一言も発することなく黙々と積み木で遊んでいる。


呆れた溜め息と共に声を洩らした寺門とは反対に、咲は嬉しそうに言葉を弾ませた。


「とっても楽しそうだよ!」









そうして、再び父親はゆとり館を訪れた。以前と変わらないだらしない格好で。


「引き取りに来たのですか」


「あぁ、こいつがな」


寺門の言葉に受け答えて、父親は自分の後ろに隠れている叔父を引っ張り出した。


それは、誰もが予想しなかったことだ。


「ストレスのはけ口がなくなるのは少々惜しいが、それでも近所の評判もあるし、親権は譲れないな。……だから、これからはこいつに孝太の面倒を見させる。意義は無いな?」


あくまで偉そうな口調の父親。寺門は眉間に皺を寄せながらもそれを了解する。


「では、戸籍上はあなたが父親なのですね? それで、孝太くんの叔父さんが面倒を見る、と」


「そういうことだ。あいつはあくまで高瀬孝太だ。これで文句はないだろ」


それだけ言って乱暴に父親はゆとり館を出て行った。


その様子を、影から孝太がじっと見ていた。


「孝太、おいで」


叔父はゆっくりと孝太を手招きする。それに釣られて、孝太が姿を現した。


「それでは、孝太がしっかりと会話できるまで、ここに預けてもいいですか?」


遠慮がちなその言葉に、寺門は即答した。


「もちろんです。私たちの仕事は、依頼主に与えられた仕事を忠実にこなすことです。依頼主がどんな人であろうと、依頼がどんなものであろうと私たちは構いません」


その言葉に、叔父は優しく微笑んだ。


「私は以前、随分と的外れな事をあなたに言ってしまったような気がします」









以前と変わらず、そこには孝太が居る。立脇が、寺門が、そして咲が居る。


「どうしようか、河越くん」


じっと視線を向けてくる3人を見て、河越は背中を丸めた。


「……僕は正直、食べる為に働いています。働かなきゃ生きていけないんです。だから人よりも多くの運転免許を持って、いつリストラされてもすぐに他の会社で働けるようにしてきました」


真面目に答える河越に、寺門は優しく促した。


「勿論君の意思は尊重する。こちらとしても、君の特技、つまりは運転ということになるのだが、それを活かせるような仕事を与える。以前と変わらない報酬も出す」


「でも僕はそれを本気で信じられない」


全員が息を呑んだ。


「あなたは突然すぎる。本当に、全てが突然で、まだ何の準備もできていない僕をここに連れて来て、働いてくれと言っている。本当に、突然で、勝手すぎる」


寺門は申し訳なさそうに俯いた。


確かに、勝手なことだ。しかしそれしか方法は無い。この会社の秘密主義を守るためには、おおっぴらに社員勧誘なんかできない。全てが、勝手なことだ。


半ば諦めかけていた寺門に、尚も河越は続けた。


「……だけど、それでも僕はこの仕事に惹かれてしまった」


「!」


「孝太の様子を見て思いました。あなたたちの仕事、人を助けるという仕事がとても尊いものだと。今回の依頼が成功なのか失敗なのかは分かりませんが、それでも僕は、そんな仕事を誇りに思って必死に働くあなた達と共に居たい、そう思ったんです」


真面目に全員の顔を見ながら告げる河越の言葉に、全員が頬を染めた。


「そんな格好いい仕事ではないさ」


「それでもいい。僕はあなた達を信用したい」


しばらくの沈黙の後、全員が同時に河越に握手を求めた。顔を見合わせて、くすりと笑う。


「歓迎するよ」


「ようこそ便利屋へ!」


「君は私達の仲間だ」


河越はそんな3人を見てにっこりと微笑み、握手を交わした。





直後、河越が働いていた会社は倒産。多くの人間が職を失ってしまった中、唯一以前と変わらぬ収入を得ることに成功した青年が1人居た。


「寺門さんが僕を勧誘しようとしていたのはこのことだったんですか」


「ようやく気付いたねー。社長から直々に命令が下ったんだよ。君の能力を他の会社に奪われるのは惜しいからね」


少し恥ずかしそうに俯く河越を、寺門は愉快そうに見ていた。








寺門46歳、咲16歳、河越23歳、孝太10才の時だった。




そして1年後。


寺門が満47歳を迎えたその年、彼は人生の転機を迎えることとなる。


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