第20話 河越青年
「君が河越君かね?」
唐突な呼び出しにも、目の前の青年はさほど驚く事も無く不満に思うこともなく接してくれた。
「そースけど、何か?」
汗だくになった短い髪の毛をタオルで拭きながらの会話だ。あまり行儀が良いとは思えないが、寺門はそんなことを気にしている場合ではないと思った。
「私が先日電話した寺門です」
名詞を見せると河越は納得したようにそれを見つめる。
「あぁ、あの便利屋とかいう……。で、何の用ですか。取引先ですか? それとも契約会社を譲れとでも?」
「そんな話を君にしたところでしょうがないだろう」
「では何です?まさか俺を勧誘なんて言いませんよね?」
「君鋭いねぇ」
「…………」
「…………」
多分彼からしたら物凄くショックだったのだろう。
「あの……それは社長と話がついたってことですか?その、リストラとか左遷とか……」
段々と青ざめる河越の表情に、寺門はそっと微笑んだ。
「ハハッまさか。君を勧誘してることなんて社長さんは知らないよ」
その一言で河越は怪訝な表情を向けた。
そしてタオルから手を放し、しっかりと寺門と対峙する。
「あの、これは大人としての意見なんですが……。突然やって来てそういう話というのは少々非常識なのでは?」
「うっ」
寺門は一歩引き下がった。確かにそうだ。
しかし寺門はこんなことでは引き下がらない。
「それが僕の仕事だからね」
河越が明らかに不満そうな表情をしたのを見逃さずに、寺門は笑顔を作った。
「今日、仕事帰りにうちの店に寄っていかないかい? 転職は関係なく、見学だけでも」
彼は少し黙り込んで、「はい」と短く返事をした。
午後6時になり、2人は「ゆとり館」へと向かった。
「寺門です」
そう玄関先で言うと、中から扉を開けたのはセーラー服を着た美しい少女だった。
にっこりと目を細めてこちらを見ている。
「お帰りなさい」
「咲、まだ居たのか」
その言葉に咲はぷくっと頬を不服そうに膨らませた。
「だって学校終わってからじゃなきゃ来れないもの。門限は10時ね」
親の同意が書かれている紙を胸の前でひらひらと見せ付けている。
そしてようやく寺門の背後にいる河越に気付いたのだ。
「えっと……」
何と言っていいのか分からずに河越は硬直している。
そんな河越を不思議そうに見つめて、咲は言った。
「依頼人? それとも従業員?」
「従業員候補、かな」
苦笑して店の中に足を踏み込む。リビングにはじっと椅子に座って動かない孝太が居た。
河越はまた硬直する。
反対に寺門は不機嫌そうに咲を睨みつける。
「6時までなら。立脇さんの許しを得たの。学校終わってから6時までなら平気よね?」
しかし寺門は何も言わなかった。咲は焦ったように目の前で両手を振って否定した。
「で、でももう帰んなきゃっ! 6時過ぎちゃったしね!」
孝太を立たせて急いで玄関へ向かう。その2人を見送ってから、寺門は河越を振り返った。
「悪いね。来て早々不思議な光景を見せてしまった」
「い、いえ。あの」
「ん?何かね」
「……ここでは小さい子供も預かっているのですか?」
「あの子は依頼人の頼みでここに居るらしい」
曖昧な言い回しに「らしいって」と河越が突っ込むが、それ以上寺門は話さなかった。
「君がここで働いてくれるなら、同じ所で働く仲間として説明する必要はあるけどね」
楽しそうに笑う寺門を目の前にして、河越は口を一直線にした。
そんなある日、「ゆとり館」に孝太の父親が現れた。
だらしないTシャツにジーンズという格好で、頭は少々ボサボサとしている黒髪だ。
「警察にでも言うつもりですか」
初対面で最初に発したのはその言葉だった。
それにはさすがの立脇と寺門も目を丸くした。
「いきなり玄関でそういう話も何ですし、どうぞ中へ」
「いえ結構です」
そういうと父親は頭をぼりぼりと掻いて周囲をキョロキョロと見回している。
「随分と孝太が世話になっているようで」
「いいえ、そんなことはどうだっていいんです」
寺門が言うと、父親はじとっと視線を寺門に向けた。
「そういえばうちの甥が何か変なことを行ったんでしたね」
「何も変なことではありません。それで、孝太くんをどうなさるのですか?」
「…………」
父親は黙って寺門を見つめた。
一瞬参ったような表情を見せたかと思うと、玄関に勝手に腰を下ろして傍若無人な態度をとる。
「で? 私はどの書類にサインすればいいんですか?」
あまりにもあっさりとしている父親に、立脇は呆然としている。
「早くしてください。私のサインが必要なんでしょう?」
「え、あぁ、はい」
そう言って立脇は書類を取りに行った。
その間中、寺門は孝太の父親を背後から睨み付けていた。
「期間は如何いたしますか」
すると父親は一度背後の寺門を一瞥して、すぐに視線を自分の足元へ戻した。
「無期で。いつかまた、気が向いた時にでも迎えに来ます」
寺門は眉をひそめた。
「場合によってはこちらが孝太くんを受け渡せないということもありますよ」
「……私を警察にでも?」
「いいえ。こちらも商売上警察沙汰は避けたいんです」
「ではどうするつもりで?」
侮蔑するような含み笑いを浮かべている父親に、寺門は一度言葉を詰まらせて、
「場合となれば、親権をこちらに移します」
と冷静な口調で静かに言った。
戻ってきた立脇はその言葉を後ろで聞いて動けずにいた。
それは父親だって同じだ。
しかし寺門は父親に丁寧に書類を差し出し、丁寧に頭を下げた。
「ご苦労様でした」
その言葉の心理を知ることは出来ない。
「親権を移すって」
父親が帰った後、固い口調で問いかけたのは立脇だった。
テーブルを挟んで目の前に腰をおろす老人を一瞥して、簡潔に答えた。
「民事裁判ですよ。最近になって弁護士の資格を取った社員が居るそうなんでね。まったく、神がかっているというか都合が良いというか」
「私が尋ねているのはそんなことではないんだ」
「では何か」
「親権を移して、孝太をどこに置くかという話をしているんだ」
いつになく真剣な表情を向ける立脇に、寺門は目を丸くした。
「店に住ませるのはよしてくれよ。ここは便利屋であって、幼稚園ではないんだよ」
「では、私の家に」
「結婚もしていないのに子供ができるなんて、君のあの両親が許してくれるのか?」
寺門は言葉を呑み込んだ。
確かに寺門は定年退職してしまった両親を気遣って同居しているのだが、新しく子供と住むなんて余裕も無いだろう。
「……それでも、それがあの子の為になるのならば」
そう言って真剣に見据えてくる寺門を目の前に、立脇は眉を潜めた。
「私はたまに、君が何を考えているのか分からなくなるよ」
その言葉に反論できずにいる寺門を後目に、立脇は静かに背中を向けた。
更新がかなり遅れてしまいました。
この話を楽しみにしていてくださった方がいたら、本当に申し訳なく思っています。