表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アロエ  作者: 小日向雛
20/115

第19話 孝太くん

ゆとり館の外から数人の悲鳴が聞こえていた。


いや、2人だ。

男と子供がゆとり館に駆け込んできた。


普段から鍵を掛けることを心掛けてはいるが、今日は10年来のお客さんが訪ねてくることになっている。

そろそろ来る頃だし、鍵を掛けておくのも何なので今この瞬間は鍵を開けていた。


そんな矢先の出来事だった。


まだ10代後半か20代前半か、青年は小さな男の子を引きずって玄関に上がり込んだ。


「助けてください!」

血相をかいて男の子を目の前に出す。


身体中アザだらけ、擦り傷、切り傷、鼻血を出し、頭から少量だが血が滴っている。


「っ!?」


偶然その場に居合わせてしまった不運な寺門45歳は、その光景を見て2人をゆとり館に上がらせない訳にはいかなった。


泣きじゃくる男の子の手当てをして、青年に麦茶を差し出す。


男の子どころか、青年にまで泣かれてはたまったものじゃない。


どちらをなだめようか迷ったぐらいだ。


「一体何があったんだ?」

落ち着いた青年に尋ねる。

勿論、青年にはかすり傷ひとつ無い。

どうせ男の子が泣き叫ぶのを見て、どうすればいいのか困って不安になってしまった、といったところだろう。


「いい大人の男がいつまでも泣くんじゃない」


渇を入れると、青年はひっくひっくと痙攣する喉を必死に抑えながら寺門を見つめる。


「この子は一体どうしたんだね」


「お、甥です」


「甥ぃ!?」


その言葉に唖然として寺門は次の言葉が出てこなかった。


「姉の、息子、なんです……っひくっ」


男の子はすっかり落ち着いたが、青年はまだひっくひっくと言い続けている。


「あぁ……」


納得して目の前に座る男の子を見つめる。


確かに、それでは不自然な点は無い。

歳の離れている姉弟ならこういう親戚関係だって珍しい事ではないだろう。


「で、この子はどうしてこんなに怪我を?」


寺門の問いかけに、青年は押し黙って居る。

どうやらすっかり落ち着いたようだ。


寺門はその様子を見て『ふざけているうちに大事故になってしまった』なんて笑える話ではないような気がしてきた。


そして、青年は次にびっくりしたように目の前のテーブルに広がる依頼書を見る。


寺門は、はっとして依頼書を隠す。


ここから個人情報がもれてはそれこそ笑える話ではない。


「ここは便利屋なんですか?」


「はぁ、まぁ、そういう事になる、ね」


ここに青年を入れるべきではなかったと改めて確信した。


ちらりと青年の目を覗くと、そこには希望が現れているように見えた。


「僕なんかが依頼、なんて生意気でしょうか」


それを聞いた寺門は真っ直ぐに前を見据えて


「いいえ」


と言った。


「私たちの仕事は、依頼主に与えられた仕事を忠実にこなすことです。依頼主がどんな人であろうと、依頼がどんなものであろうと私たちは構いません」


その言葉に青年はまた振り返しそうだった。

鼻が赤くなってきている。


「ただ……私たちにも最低限の拒否権はあるけどね。とりあえず言って損はないはずだ。言ってごらん」


苦笑いしながらも優しく諭す寺門に青年は小さく溜め息をついて心を落ち着かせた。


「……この子を、しばらく預かってはもらえないでしょうか」


寺門は一瞬目を丸くした。


「それは」

寺門が言葉を続ける前に、玄関から聞こえる少女の声がそれを遮った。


「お尋ね者―――! ねぇ、鍵開いてるけど入っていいの!? 寺門さ―――ん?」


明るい声に寺門の心が弾んだ。


青年に了解をとって、玄関まで早足で迎えに行く。


玄関にはセーラー服を着た可愛らしい少女が待ち遠しそうに待っていた。


「やだ、寺門さん何も変わってないや」


その言葉に苦笑して返事をする。


「咲はだいぶ変わったね」


咲は何か企んでいるようないたずらっぽい笑みを無言で見せた。


「私もう16よ? 10年も経ってるんだもん、当然」


そうして居間に咲をあげると、咲は何か言いたそうに男の子を見つめた。









「この子の親が、その、なんと言うか……殴ったり蹴ったり」


正確には姉の夫が、だ。

この子の母親、つまりは青年の姉はとっくに離婚してしまって、青年自身この子に会うのは久しぶりだとか。


「君は何をしてたんだね?」


「買い物に。そこで偶然この子の家を通りかかったら、泣き声が外まで響いてて……」


心配そうに男の子の頭を撫でても男の子は何も言わない。


「そう、か」


寺門は男の子に話しかける。


「僕の名前を教えてくれるかな?」


男の子は黙ったままだ。


その様子を見て咲も言葉を失う。


かつての自分と同じような態度を示す男の子に咲は優しく近づき、問いかける。


「何もしないから、名前だけ教えてくれないかな? 何もしないから」


咲の表情が苦しさで微かに歪んでいる。

その様子が男の子にも伝わったのか、小さく口を開く。


「こーた」


「孝太くんね?」

孝太が頷くのを確認してから、寺門の顔を覗き見る。


しかしどうやら寺門は咲の言いたいことが分かったようだ。


「残念だけど、未成年者に関する依頼は、保護者の同意が必要なんだよ」


「こんなになってるのに、どうやって親に許可を求めろって言うんですか!」


寺門を信じがたいというような目で睨み付ける。


「こんな状況下に居る孝太を放り出すも同然ですよ」


返す言葉が無かった。


「そういう教育方針なだけかもしれないじゃない」


言ってから咲は「そんな訳無い」と後悔する。


「だからって子供をこんなに傷つけて良いわけが無い」


青年の顔が強張った。


謝ることも出来ずに咲は黙り込んでしまう。


「でも、これが規則なんだ」


寺門の一言が青年の顔を真っ青にする。


「仕事だからですか? 上司に叱られるからですか?」


寺門は何も言わずに青年を見つめている。


「あなたは、人間じゃない」










この場はあの2人を追い返すしか手段はなかった。


その後に寺門は疲れきって椅子に身を預ける。


「ねぇ……」


声をかけられてから、咲がここの客だということを思い出した。


「あぁ、すまなかったね。せっかく来てくれたのに」


「私は別にいいのよ」


苦虫を潰したように美しい顔を歪ませる咲を見て寺門は苦笑した。


「で、履歴書は持ってきたのかい?」


バサッと書類を寺門の目の前に放り出す。


「うんうん。ちゃんと親に許可を貰っているね」


今年16になった咲は法律上働くことが可能になる。


そこで咲はこの「ゆとり館」でのアルバイトを希望したのだ。


「社長はいいって言ってくれたの?」


「私の昔の客だということで許可は容易に下りたよ。あとはこちらでしっかり面接をすれば問題ない。それは立脇さんが帰ってきてからの話だ」


それを聞いて咲はふぅと安堵のため息をついた。


「ありがとう」


「こちらこそ。あまり収入が安定しない仕事だぞ?」


「平気よ」


咲の、10年前の決心と同じ目で訴えられて、寺門は嬉しそうに顔を緩めた。











「寺門くん。あのねぇ、いい年になってそんな所でいじけないでくれないかな」


明らかにすっかりご長寿になってしまった立脇が部屋の隅で丸くなっている寺門に言った。


「いじけてないです」


「嘘です」


少しむすっとしつつ、またいじける。


いや、落ち込んだ。


人間じゃない。なんて言われたのは初めてだった。


確かに、小さい頃から一般的な人間のような生活をしていたわけではない。


しかも10年前までは復讐心さえ持っていた。


小さな少女にも「おじちゃんが笑ってるの初めて見た」とも言われるほど表情が表れなかった。


自分が人間らしい感情を人より欠いていることくらい知っている。


でも、孝太を助けたいとも思った。


だから尚更悔しかった。


「いつまでもそんな丸くなっていては迷惑だよ。君には新しい仕事が入っているんだから」


唐突な告白に寺門は驚きを隠せなかった。


「え? だってまだ依頼人が居ませんよ」


「社長だ」


その言葉を聞いてその場に立ち上がる。


「仕事内容は【社員勧誘】。しっかりやってくれよ」


ぽんと寺門の胸を叩いたついでに書類を渡す。


「まだ若い青年だ。その年でたくさんの運転免許を取得していて、今が仕事盛りだろう。しかし―」


その青年に降りかかるであろう事件を、無関係であるはずの他社の人間だけが知っていた。




前回から更新が遅れました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ