第18話 大切なこと
「原因はあなたにあるんです、美浜さん」
あまりの衝撃に、口を震わせて驚愕の表情を隠しきれていなかった。
「私が、何を、しましたか」
「美浜家の厳しい教育はあなたには合っていたかもしれませんが、咲ちゃんにはとても重いものだったんです」
「ふざけたことをっ」
「これは咲ちゃんの口から聞いた証言です」
ハッキリと断言された寺門の言葉を聞いて力なくよろめいた父親に、手を貸してゆっくりと椅子に座らせたのは立脇だった。
「その証言は本当なんだろうな。まさか無理矢理言わせたんじゃないだろうな」
その言葉に少々むっとする。
立脇にはまるで寺門を信じるつもりが無いのだろうかと疑うほどだ。
「咲ちゃんは、自分勝手な行動をすると倉に閉じ込められると思っているのです」
全員が口を堅く閉じた。
「咲ちゃんの意思を尊重して何か尋ねたとします。そうですね……実際に私が言った言葉ですが、『和菓子を食べてもいいんだよ』と言ったとします。すると咲ちゃんはどうしたらいいのか混乱するのです」
「君の説明に私たちもかなり混乱しているが」
立脇の言葉に「う〜ん」と唸って言葉を探す寺門。
「和菓子を、食べるべきか食べないべきか迷うのです。『もし食べたとして、それが間違いだったら?』と一呼吸置くんです。『食べてはいけないモノだったとしたら、また倉に閉じ込められる』だから、動けないんです」
父親はさっきまでとは裏腹に焦った表情をし始めた。
「ま、待ってください。そうすると咲は動作を強要されない限り自分では動かないのですか?」
「そういうことになりますね」
「では学校では!? まさか1人黙って机に座っているわけでは……もしかして友達が居ないんじゃ……」
恐怖で顔は青ざめ、手足はいつまでも震えることを止めようとはしない。
「お父さん、それは」
手をかざして寺門が言いかけた瞬間、寺門の右、父親の背後から大きな声が響いた。
「違うよ!!」
あまりの大音量に寺門と立脇は苦しそうに両耳を押さえた。
しかし父親だけは、この声の主に驚きを隠せずに耳を塞ぐことを忘れている。
「咲……?」
自分の名前を呼ばれて、彼女は顔を真っ青にして口を両手で覆った。
彼女の中で、これはやってはいけないことの1つだったのだろう。
しかし父親は先程の寺門の説明を踏まえてそれを察知し
「言ってごらんなさい」
と話すよう促した。
咲は顔をこれ以上ない鮮やかな赤に染めて声を発した。消え入りそうな鳴き声だった。
「お父さんが、学校では楽しみなさいって言うから」
その先を聞かなくても、父親は安堵で肩の力を抜いた。
「咲」
咲の体が大きく震えた。
「お前は、自分が勝手な判断をすると倉に閉じ込められると思っているのか?」
何も答えない。
つまりそれは肯定を表している。
父親の中で何かが大きく波打った。
その瞬間、父親は両手を床に這わせて、額を打ち付けた。
「すまなかった!」
父親の唐突な行動に絶句を強いられる。
咲本人だって、どうしたらいいかわからずに立ち尽くしていた。
「私は…私はもう少しで咲の人生を台無しにするところだった。娘の異変にさえ気付かないなんて父親失格だ……」
誰かが口を開かなければならないのはわかっている。
しかし寺門が「どうか頭を上げてください」なんて言えるものか。
どうしようもないこの状況で困惑している大人たちをよそに、咲はゆっくりとかがみこんで父親の頬を包み込むように触った。
大切なものを、愛しさを込めて、壊れないように、優しく、優しく。
「やっと、こっちを向いてくれた」
涙を流すわけではない。
微笑んでいるわけではない。
ただその一言を発するのに精一杯といった様子だった。
「まさかお前がそんなことを考えているなんて思いもよらなかった」
父親の目から先に水滴が落ちた。
「これでは咲に嫌われても仕方がないな」
頬を支える腕に力が入る。
そして父親の頬に雫が落ちた。
腕は震えている。
そうだ、いつもそうだ。
私は何も聞かずにただ勝手に決めつけていたんだ。
言葉が出てこない咲の代わりに寺門が口を開いた。
「あなたが咲ちゃんに何も教えなかったんですよ。どこまでが許容範囲なのか、愛が何なのか」
滴る雫が量を増して父親の頬を濡らす。
「――――――っ!」
咄嗟に父親は咲を抱きしめた。
「お前は大馬鹿者だ」
どこか笑みを含んだ言い方だった。
「ごめっ、なさっ」
過呼吸で落ち着かない咲の背中を優しく擦る。
「謝ることじゃない」
この親子の様子を見て立脇はさっぱりといったような視線を寺門に向けてきた。
「咲ちゃんが言ってたんです」
【お父さんは、咲のこと嫌いなの。だって咲が悪いことするといっつも閉じ込めるんだもん】
咲の言葉を思い出してくすりと笑う。
「自分の存在を認めて欲しかったんですよ、彼女は」
彼女は長い歳月をかけてゆっくりと親の愛を感じなくなってしまったのだ。
いつも嫌われているといった間違った感情から、怒れるようなことをするともっと嫌われてしまうと考えるようになった。
彼女にとって一番耐え難いことは倉に閉じ込められることじゃない。
父親に嫌われるということだったんだ。
「父親は、あんなにも娘を愛しているのに」
ぽつりと寺門が呟いた。
「親の愛は下手をしたら子供にとっての嫌悪へと変わってしまう」
寺門は一瞬目を丸くしたが、妙に納得したような声を出した。
「親子は難しい」
難しいが、おもしろい。
寺門の目の前にはしっかりと愛を確かめ合った親子の姿があった。
数ヵ月後の冬間近。
「ゆとり館」にはしっかりと着物を着こんだ凛々しい若い男と、手を引かれている、赤い着物を着こみ美しい黒髪を頭頂部付近でおだんごに結っている少女が着た。
「ご無沙汰しております」
丁寧に会釈をする男から、品の良さが窺える。
「こんにちは」
寺門が少女に挨拶をすると、少女は大きな目をにっこりと細めた。
「こんにちは」
以前からは想像もつかないほどの愛らしさを振り撒いて丁寧に会釈をする。
家に上がり込むと、父親は立脇と金の話。
その間寺門は咲と居ることになった。
以前と同じ位置に腰を降ろす。
美しい姿勢は変わらないが、それ意外は違う。
もう2人きりで苦痛を感じることはない。
無理じゃなかった。
寺門は心の中で呟き、立脇の言葉を思い出していた。
なんだ、ちゃんと出来てるじゃないか。
「……学校は楽しい?」
咲はニコニコと答える。
「変わらないよ!」
「お家は楽しい?」
「うん! 前よりお父さんとお話たくさんするようになったの。お休みの日はお父さんとお外に遊びに行くの」
何の迷いも見せずに咲はニコニコとしている。
それを見て安心し、寺門も自然と微笑んでしまう。
「私、おじちゃんが笑ってるの初めて見た」
「え?」
あまりに唐突なことを言われたので思わず声が漏れてしまった。
「咲といる時も、もう1人のおじちゃんといる時も、笑ってなかった」
ギクリと、寺門は焦りを感じた。
思えば便利屋になってからというもの、一度も笑ったことがないのではないのだろうか……?
こんな自然に微笑んでしまうようなことがあっただろうか。
唖然としている寺門を見て、咲は手持ちの巾着から何かを取り出した。
「お礼」
それは何処にでも咲いている花だった。
「えへへ。さっきお父さんと歩いてたら見つけたんだよ。綺麗でしょ?」
花よりも美しく愛らしい笑みをつくる咲。
そしてそのまま寺門の右横に座る。
「おじちゃんの仕事はいいね。『人を幸せにするお仕事だ』ってお父さん言ってた」
寺門は何も言わない。
「素敵な仕事だね」
そう言うと、咲の顔が寺門に近づいてきた。
ピンクの唇が寺門の頬に優しく触れる。
咲は嬉しそうに恥ずかしそうに笑って立ち上がった。
「咲も、おじちゃんみたいになりたい!」
丸くなった目の視線の先にあるのは、以前の自分の姿だった。
「っ」
寺門が何かを言う前に、父親の声が聞こえた。
咲の着物が翻り玄関へと向かう。
「本当にありがとうございました」
深々と礼をする親子を見送り、立脇は自分の仕事部屋へ戻る。
寺門は呆然と立ち尽くしていた。
人を幸せにする仕事だと?
頭の中は混乱していた。
だって寺門はそんなつもりは毛頭なかったのだから。
初めは復讐をするために。
仕事の金の為に死ぬ、というおかしな制度を変えるために。
はっ、と寺門は気付いた。
本当に金の為だけだったのだろうか?
私は、あの日何でも屋を解体していた男の言葉を鵜呑みにしてちゃんと考えたことがないのではないのだろうか。
目的が他にあったとすれば、それは
「人」の為なのではないのだろうか。
命をかけなければならない程の大仕事。
依頼主の願いを叶える為に仕事に向かうのは……
それは、それが生き甲斐だからなのだろう。
そこに「人の願いを叶える嬉しさ」を感じて仕事に向かうのだろう。
あの前の日、店長がアロエを譲ると断言した日、店長には何の迷いもなかった。
落胆も苦しみもなく、そこにあるのは清々しさだった。
晴れ晴れとした微笑みだった。
それを「残酷」と決めつけていたのは紛れもない自分だ。
真実も知らずに1人相撲をしていたのは自分だけだったのだ。
「人の願いを叶える嬉しさ」
彼女は教えてくれた。
自分の為だけじゃなく、人の為に働くという幸せ。
彼女は教えてくれた。
本当に大切なことを。
本当の笑顔を思い出させてくれた。
彼女は教えてくれた。
自分にも、人の願いを叶えたいという願望があることを。
本当の笑顔が見たいということを。
依頼を通して寺門は、咲を救い逆に自分が救われていることに気づいた。
自然と寺門の頬を涙が伝う。
しかし悲しみではない。
頭の中は、この10年の間で一番すっきりと整理された。
彼女は教えてくれた。
自分は、次に何をすべきなのかを。
しっかりと着たスーツには長年の思いがズッシリと込められていた。
10年ぶりに、社長に面会する。
今までの無礼を謝らなければならない。
自分がやっと辿り着いた答を聞いて欲しかった。
そしてもう1つ。
お願いをしなければならない。
私を、働かせてください。と……