第15話 何か。
井上陽子8歳。小学2年生。
両方でしばった少しクセのある髪の毛が印象的な少女だ。
「お兄ちゃんのおなまえは?」
おままごとセットを目の前に広げながら陽子はニコニコしている。
「寺門太一だよ」
「太一くん?」
ニコニコと笑顔が絶えることはない。
陽子がゆとり館にやってきた日、陽子が日々一緒に遊びたいと指名してきたのは寺門だった。
「だけどこのお兄ちゃんは忙しいからダメなんだよ」
立脇がなだめたところで少女の意思は変わらない。
「お兄ちゃんじゃなきゃいやぁ!」
ただをこねて母に泣きつく様子を見た立脇は、何を思ったのかいきなり本社に電話し、寺門の仕事許可を訴えた。
もちろん、そんなことであの社長が方針を変えるわけがない。
しかし大切な客1人失うことになる、と何度も交渉すると社長は仕方ないと仕事許可を出した。
つまり寺門は陽子のおかげでもうひとつ上の段階へと行くことができたのだ。
「よーこのおじいちゃんはね、よーこのことが嫌いなんだよ」
ふいに話題をふられてどうしようかと硬直してしまう寺門。
もともと小さい頃から人と接することが少なかった寺門は、なにかと勉強ばかりしてきたので、人と接することや愚痴を聞くのが苦手だ。
しかしそんなことも気にしないで陽子は話を続ける。
「おじいちゃんはよーこのお父さんが嫌いだったんだよ。だから、よーこのかおなんて見たくないっていうの」
そんなことを言っても辛い表情さえしない。ただ寺門へニコニコとお茶碗を差し出すだけだ。
それは、子供だから何を言われているのかわかっていないだけなのか。
それともこの子が強いのか。
「でもよーこはしゃしんいがいでお父さん見たことないんだよ。だからね、お兄ちゃん見たときにびっくりしたんだ」
「え?」
陽子はさっきまでのニコニコした表情とは違う、はにかんだ嬉しそうな表情を見せた。
「しゃしんのお父さんにそっくりなの」
寺門は言葉が出てこなかった。
陽子は多くを語らないですぐにおままごとに没頭した。
寺門は今すぐに陽子を抱き締めたかった。
しかしそんな事をしていいのだろうかという不安がよぎる。
この子はとても強い。
自分がどんな立場にいるのかをはっきりと認識している。
それと同時に、悲しい、辛い思いをするのは自分の心の奥底だけでいい。と感情を必死に堪えているのだ。
寺門の右腕は脳が回転している間に陽子の方へ伸びていた。
行き場のなくなってしまった手はそのまま陽子の頭へとゆっくり落ちていく。
「?」
陽子は不思議そうに寺門を見上げた。
寺門は何も言わずに手を離す。
ただ復讐心を込めて便利屋を目指して生きてきた。
ただ中からこの会社の方針を変えてやろうと入社した。
ただなんとなく、流れに身を任せて生きてきた。
しかし陽子は違った。
人はそれぞれ、便利屋に何かを求めて来ている。
ただ仕事をこなすだけでは駄目なのかもしれない。
何故人はわざわざ便利屋を訪ねるのか。
もっと理解しなければならない事が多いのだろうか。
寺門の中にはいくつかの疑問が残った。
相変わらず本社から目をつけられている寺門の仕事内容は進歩しないままだった。
しかし少し変わったといえば、仕事内容に子供のお守りが加わった事だ。
それでも上司がいる事が条件で、決して1人で仕事が任される事はない。
また退屈な日々が続こうとした時の事だった。
彼女が、寺門の前に現れた。