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アロエ  作者: 小日向雛
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114話 迷い

いよいよ便利屋本社は本格的に分断され始めてきている。


ほとんどの社員が沖田派となってはいるが、少なからず神居派へと傾倒しているものもいる。


それは、ひとえに神居という人間のカリスマ性に引かれているところもあるだろう。


さらには迅速で的確な判断、グレーゾーンの撤廃を徹底する行動には、沖田派も天晴れと思うしかない。


だがもとから表舞台で働いていた沖田の人望はとてつもなく厚い。ほとんど沖田有利に思える状況ができあがっている。


そんな中で、絶対に沖田派だと社内で思われていた正田春平が神居にしっぽを振っているのには、社員たちもにわかには信じられない事態であったらしい。


「まぁ、先代の葬儀であんだけ牙剥いてたら誰だってそう思うよね、若」


逆行の眩しい社長室で、にっこりと蛇のような笑みを浮かべる神居に、春平は「うるせぇ」と反発した。


「俺はただ3階の紛争介入の撤廃っていう餌に食いついただけだ。今でも社長は沖田になるべきだって思ってる」


「――と、意思表明してこいと、諜報化のたぬき君に言われたのかい?」


さすがに鋭い。

乙名と春平の考えてることなんてお見通しのようだ。


だがそれは乙名の想定の範囲内だ。加えて、見透かされることを前提とした作戦というのがバレているだろうことも範疇だ。


策士は裏の裏の裏まで読み尽くす。


――大丈夫だ、乙名はなんとかしてくれる。俺はあいつの言う通りに動くまでだ。


神居は余裕な態度で机に肘をつくと、蛇のように妖しい目で春平を舐めるように見つめている。


「おおかた情報でも探ってこいって言われたんだろ?――で、何が聞きたいんだ?」


「……」


――勝てる気がしない。


春平はごくりと息を飲み込んで、諦めて目を瞑った。


なんとか騙し騙し聞き出そうと思っていたが、自分では力不足だ。


ならば、下手な演技をするよりも自分らしくばか正直に質問をぶつけた方が、少しはこういう策士たちには心象もいいかと思い、肩の力を抜く。


「俺は、いまだに先代とお前の繋がりが信じられないんだよ」


「そればっかりは、先代無き今、証明するのは難しいけど――会社ではなく、あくまで社会的繋がりなら証明できるぞ?」


けろっ、とした神居の態度に、ぽかんとするのは春平だ。


「え、えっと……?」


「久遠と一緒。俺、先代とは養子縁組した関係なんだよ」


「――は?」


「なんなら今から一緒に役所に行って調べてあげても構わないけど?」


にっこりと笑う神威に、春平はひきつった笑みを向けた。


「……義父の跡目になりたかったってことか?」


「――いやぁ、それはどうだろう。少なくとも、先代からは色々な話も聞いてたし、少しは私情を挟んでたかもしれない」


「沖田は仕事に私情なんて挟まないぞ」


「おっ、明らかな沖田派発言だね。いいよ、その潔さは好きだ」


にっこり言って、神居はふんぞり返って机に足を乗せた。


「そうやってあら探しでもしたいんだろうけど、やめた方がいい。俺には勝てないから」


――その通り、だな。


「言葉を返すようで悪いけどな、あいつも人の子だ、けっこー私情を持ち込んだりしているぞ?」


「そんなことねぇよ」


「お前とは友達なんだってな」


「だからってひいきしたりする奴じゃねぇよ」


「お前のこと、どうでもいいって思ってたら、わざわざアロエには行かせないよ。いくら二重監視があるとしても、美浜と接触なんてさせないよ、普通は」


「……」


二の句が告げられなかった。


確かに、少なからず春平を優遇しているふしはあるのかもしれない。


だが、それだけだ。


気づけば神居が目を細めてこちらを見ていた。優越感にも似た卑しい笑みを浮かべ、絶好の獲物を見つけたと言わんばかりに春平を捉えている。


「で、他に質問はあるか?」


神居は余裕を崩さない。


聞けば聞くだけ揚げ足をとられるような春平は、ただ必死に質問を考えながら自分の実力のなさを思い知る。


「――お前、悲願の達成とかなんとか……沖田が社長じゃだめなのかよ」


「だめだね」


きっぱりと即答されてしまった。


「別に悲願達成なら、沖田の手伝いをすることでも叶えられるんじゃないか?あいつっ、――あいつ、すっげー信頼されてるし、社長のことだって信頼してるみたいだった……。だから、お前の意見に反対したりしねぇよ!」


あの葬儀で、沖田が泣きそうになっていた。

信頼していた社長が、自分ではない人間を候補としてあげていたことがショックだったんだ。


沖田は人間だ。

私情を挟んだり嫉妬したり、人並みにはするだろう。


でもそんな沖田だから、神居の意思も尊重してくれると思う。


しかし春平の気持ちは神居には届かなかった。


またバカにしたような笑みを向けられるかと身構えた春平に――神居は、厳しい瞳を向けた。


まるで春平を軽蔑するように、あるいは教え子を諭すように、神居の視線が春平を捉える。


その瞳に見つめられると、身動きがとれなくなる。

神居は、求心力を持つ不思議な人間だ。


だからこそ、ぽっと出てきたにも関わらず、派閥ができてしまうほどに信頼を獲得しているのだ。


「――何か穴でも探りたいんだろうけど、残念ながら俺にはそんな大層なものがないから、お前らが望むような穴はないぞ」


「………………」


「俺はただ、この社を変えたいだけだ。それも私情込みだろうな。ただそれが先代の、義父の望みであり、初代の悲願である。――先代からそれを託された俺は、何も考えずにそれを遂行するまでだ。沖田派だの神居派だの、くだらない」


言って、神居は春平から視線をそらした。


まるで目の前が無人であるように、机に積み上げられた書類に目を通していく。


その言葉に、その姿に、覚悟を感じてしまったから、


春平は、これ以上何も言えなくなってしまった。


なんなら、社長になるべきは神居かもしれないとさえ考えていた。


沖田には決定的なものが足りない。

神居との違いは、古株かどうかというくらいしかないと思っていたが――そんなものじゃない。


ただ「流れ」で社長になろうとしている沖田とは違い、神居には他の何物にも侵されない信念があった。


そして今彼を目の前にして、不利な条件であったものが消えていくのを感じた。


誰も神居のことを知らないのならば、これから知っていけばいいだけのこと。


一部では、神居はスパイなのではないかという話もあったが、それは違うだろうと春平は確信した。


なにか根拠があるわけではない。


ただ、目の前の男が言っていることが嘘だとは思えないのだ。


もはや目も向けない神居に軽く一礼して社長室を出る。


自分の中に芽生えてしまった感覚に嫌悪感さえ抱きながらエレベーターに乗り込む。


昼時ということもあって、一階は賑わっている。


気乗りしないままフロントの目の前を通りすぎようとして――いきなり背後から腕を掴まれた。


「!」


力強さに相手が手練れだと感じて思わず身構えるが、振り返ってその腕の主が清住であることに気づいてやや放心する。


「……清住?」


「よー。店舗勤務がこんなところで何してんだよ」


特殊護衛科の元同僚は、相変わらず無駄に爽やかでうすら寒い笑顔を浮かべている。


その左腕に、がっちりとホールドした乙名を引き連れて。


「――なに、2人って、そうやって連れだって昼飯食うほど仲よかったっけ?」


「いやいや、たまたま見っけたからこうして拘束して話聞こうと思っただけ」


清住は、たまにびっくりするほど行動力がある。


乙名はなんだかしっくりこない顔をしていたが、春平を見かけるとちょっとだけ嬉しそうに血色がよくなった。


「そう!朗報だよ春平!」


「え?」


言われてから、ちらりと清住を見る。


乙名だから、こんなところで声を上げて諜報科の話をするとは思えないが、部外者である清住がいてもいいものかと春平が悩むと、乙名はそれを見透かしたかのように「いーのいーの」と言った。


「どうせ藤堂清住も聞きたかった内容だろうし、こいつは社員として信頼できる。こと特衛科なだけにな」


さ、移動するぞ、と乙名が元気になってフロントスタッフの部屋へ向かう。


他のスタッフに挨拶しつつ部屋に通されると、腰を落ち着ける間もなく乙名が嬉しそうに振り向いた。


こいつがこんなに感情を表に出すのも珍しいと困惑しながら、春平は乙名を見つめる。


「聞け。沖田派に朗報だ!」


「う、うん」


「神居は次期社長になりえない。なぜなら、神居が本当に初代の悲願をどーのこーのと思っているなら、沖田の補佐をするべきだからだ」


まったく話が見えてこない。


春平と清住が顔を見合わせると、乙名が改まって咳払いをし、得意気に言った。


「沖田は初代の息子だ。それも、血統書付きの!」


「……」


一瞬、間が生まれる。


そのあとに、春平よりも早く乙名の言葉を理解した清住が、おそるおそる口を開く。


「――えっと……初代ってのは、初代だよな?沖田は3代目候補で……」


「そういうことだ」


「もう死んでるんじゃないのか?」


「とっくに。ただ、人生を全うして享年86だ」


その言葉にはさすがに春平も口をはさまずにはいられなかった。


「年齢の計算が合わなくないか!?」


「何をバカな……。合うよ。かなり高齢なときの子供だし」


「……」


不可能では、ない。


理解した瞬間春平を襲ったのは、すべて晴れ渡ったような感覚だ。


もしそれが事実ならば、初代の悲願を達成するのは沖田が妥当だ。


あくまで神居が言い張るのならば、沖田をたてるべきだろう。


しかし――


「なんで沖田はそのこと秘密にしてるんだよ」


「言う必然性なんてないからな。あいつ、誰が社長になろうがどうでもよさそうだし」


怠惰な乙名の言葉に、清住は「っぽいよなぁ」と呆れ、春平は視線を落とした。


そう、唯一問題があるとすれば、沖田のやる気だ。


だがそれが大きな問題なのだ。


「――それじゃあ沖田は敵わないよ」


ぽつりと呟かれた春平の言葉に、場が静まり返った。


清住が信じられない、といったかたい表情で「なんで?」と聞いてくるのに、春平はぐっと息をのんだ。


「あいつは、たとえ初代と直接的な関係はなくとも、この会社を変えようとする信念がある」


沖田派である春平を引き寄せるほどの信念が、彼にはある。


しかし乙名は呆れたようにため息をつき、頭をいらついた様子で掻いている。


「あのな……あいつもあんまり表に考えてることは出さない人種だから分かりにくいかもしれないが、沖田にだって譲れないものはある」


「会社をよりよくしたい、それだけだろ。沖田は自分が先頭に立つ必要はないと思ってるんだ。その考えてをなんとかしない限り進展なんてないし――派閥はどんどん神居優勢になっていくぞ」


「それでお前がその寝返り第一号だってわけか」


「そんなことは言ってないだろ!俺たち外野がどんなに騒いだって無駄だって言ってんだよ!」


「春平の言い方だと、すっかり神居に吸収されちまったみたいだって、俺は言ってんだよ」


「乙名、春平。落ち着け」


年長者である清住がいがみ合う2人の肩を冷静に叩く。


「それこそ俺たちは部外者だ。もしそうなるならそうなるまで」


相変わらず自分ペースの清住に、乙名は苛立ちを必死に抑えている。


「藤堂てめぇ……俺はそれを阻止するために動いてるんだよ」


「乙名の力でも無理なことはある」


「無い!」


「おぉ……」


あまりの自信過剰っぷりに、春平は思わず拍手を送ってしまい反感を買ってしまった。


たしかに清住の言う通り、だからといって何かができるわけでもなく。


もし乙名が沖田と初代の関係を広めたとしても、そんなものは神居の前では武器にもならない。


春平は息をついて落ち着くと時計を見た。ちょうど昼飯時だ。


「――乙名。話がそれで終わりなら、俺は席を外して構わないか?」


「……うん」


ちょっぴり不服な様子の乙名。


彼がここまで沖田に固執するのも無理はない。


社会的生存権を失った彼ら諜報科にとって、この会社の意義はあまりにも大きい。

その中で信用に足るものを金字塔にしようとするのは自然というものだろう。


「お開きだ」


清住がぱんっ、と手を叩き、話は終了した。












このまま昼飯を本社で済ませて、今日は休日だった寺門の待つアロエへと帰宅した。


しかし玄関には見慣れぬ靴がある。


不思議に思いながら居間へ向かうと、なにやら真剣な様子の寺門が、テーブルに落ち着きながら目の前に座る人物にまさに声をかけるところだった。


「――あ、春平。気づかなかったよ」


参ったように笑う寺門の反応に、男もゆっくりと背後を振り返った。


「――おかえりなさい」


はにかむ沖田に、春平はため息をもらした。


「後釜が決まったのをいいことに、ここぞとばかりかに仕事を抜ける癖がついたのか、お前は」


本社では沖田派が必死になっているというのに。


沖田は「あはは」と誤魔化すように笑ってから腰を上げた。


「それじゃあ春平くんも戻ってきたことだし、僕はこれで」


「あぁ、気をつけて帰るんだよ。それと――今日は貴重な話が聞けてよかった。長年の重荷をおろさせてもらった気分だ。ありがとう」


「いやぁ、そんな大層なことはしていませんよ」


「君がいてくれて、本当によかった」


真摯な寺門の言葉に、沖田は珍しく頬を染めて顔を背けた。


「それじゃ春平くん、お邪魔しました」


自分の肩を叩いてすり抜けていこうとする沖田の腕を引っ張ると、思ったよりも力がはいってしまったらしく沖田の体がぐらついた。


「ちょっと、俺も話あんだよね」




やってきたのは近くの河原だった。


夕方になると人は少なく、たまに犬をつれて散歩をするような人しかみられない。


まぁ、こちらの会話を気にするような奴はいないだろうとふんで、春平はその場に座り込み話をする。


「お前さ、ほんとのところはどうなわけ?別に自分は社長にならなくてもいいとか言ってるけど」


「ん、まぁ、君たちほど盛り上がってはないよねぇ。僕はこの会社をあるべき方向へ導こうとする人が社長になるべきだと思ってるし」


「人任せかよ」


「そう思われても構わない。以前神居くんが言っていた通り、僕は誰かの右腕として仕事をするのは得意だけど、先頭に立つような器じゃない。カリスマ性でいえば神居くんの方が合っている。そして僕は、神居くんはしっかりとやってくれると確信している」


爽やかに断言する沖田に、ヘドが出そうだった。


「違うって。俺が聞きたいのはそういうことじゃない」


「じゃあ、何?」


「はぐらかしやがって」


チッ、と舌打ちをしてから、春平は横にいる沖田を見据えた。


「そうじゃないだろ。本当に他人任せな奴が、どうして『初心を忘れないように』なんて言ってウチに来るんだよ」


「……」


「お前だって、思うところがあるんじゃないのか」


「……そりゃ、あるよね。社長候補なんだからさ」


「そういうことを言ってるんじゃない」


「それじゃあ春平くんは、僕に『社長になりたい』って言ってほしいってこと?」


「はぐらかすな」


「別にはぐらかすことなんてないよ」


路嘉ろか


名前を呼ばれて、沖田の肩がビクッと震えた。


初めて見る沖田の隙に戸惑いながら、春平はキッと彼を睨みつけた。


「お前の決定は、多くの社員の人生を左右することになるんだよ」


どうして、と、沖田は尋ねたい気持ちをおさえた。そんなもの、聞かなくたってわかる。


「なのに肝心のお前が逃げてちゃ話にならねぇって言ってんだ!」


苛立ち立ち上がって、不安そうな影をおとしている沖田を睨み付ける。


「俺たちは便利屋が好きなんだ。だから、信頼できるお前に社長になってもらいたい。お前が神居を信頼した上でその決断を下すなら俺だって色々言いたいことはあるが、引き下がるつもりだ。ただ――お前、踏ん切りついてねぇじゃん」


そう。

肝心の沖田が、未練がましいのだ。


図星だったのか、沖田は珍しく返す言葉に迷っているようだ。


沖田は春平から目を逸らすと、空を見上げる。


どこまでも晴れ渡った空に、少しだけ顔を綻ばせて呟いた。


「そりゃ、迷う。これは僕の会社だからね。より良いものにするために、どうするべきか、悩んでしまうよ。でも相談できる人はもういないから――ただ、アロエに聞くことしかできないんだよ」


「アロエ……あのアロエである必要があるのか」


「あのアロエじゃなきゃだめなんだよ」


困ったように笑い、沖田は春平を見上げた。


「ねぇ。アロエってなんだか知ってるかい?昔から万能と言われて薬として使われてきたんだよ。でもね、それに薬の効能があるなんて誰にも知られなければ、アロエはしょせんただの草なんだよ。――父が、よく言っていた」


父。それが初代のことだと分かり、春平はゆっくりと彼の隣に腰を下ろした。


「でもそれを『しょせんは草』と捉えるのかそうではないか。僕はそこが大事だと思うんだ」


さわさわと風が頬を撫でるのを感じながら、沖田は悲しそうな視線を目の前の川へ向けた。


思い出すのは、春平と初めて出会った日のこと。


自分の名前をひどく愛してくれる素敵な男の子と出会ってから、少しずつ何かが変わっていったのだ。


「僕の父は、それを『一人ではできなくとも、集まればできる』って捉えたんだ。そして父は、まだ見ぬ僕のためにこの会社を作った」


だから、アロエを大切にしてくれるこの友人には、知ってほしいと思った。


自分のことを。


初めて、個人的に。



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