第112話 アロエの名前
妙安寺には、多くの社員たちが集まっていた。
黒の喪服に身を包んだ人々を玄関で迎え入れ、春平と乙名は小さく礼をする。
春平が美羽にプロポーズをしたあの日、
便利屋本社の社長が息を引き取った。
訃報は便利屋全体に行き渡ったが、葬儀に呼ばれたのは純粋な諜報科を除いた中枢に関わる人物だけで、いち店舗の人間は呼ばれない。
そんな中で寺門が妙安寺に呼ばれたのは異例中の異例だ。
おそらく「アロエ」が関与しているんだろうなぁ、と呆然と考えながら、春平は妙安寺に到着した寺門を出迎えた。
「おはよう、朝からご苦労だね」
優しく微笑む寺門の表情にやや照れながら「ん、まぁ」と言葉を濁す。
「いちおう妙安寺にいた人間だし、無理矢理駆り出されたからしょうがない、よね」
言って寺門の表情を見て、春平は口を閉じた。
いつものように笑っているのに、落ち込んでいるのが雰囲気から伝わってくる。
「……寺門太一さんですね。ご記帳お願いします」
あくまで公私わきまえて、春平は恭しく言う。
寺門もそれを理解して記帳し、静かに本堂へと向かった。
乙名は2人のやり取りを見守りながら、静かに頭を下げるだけだ。
そう、これはひとりの偉大な人物の死を弔う行事なのだ。
たったひとりの親族としてやってきた久遠も、清住に担がれてようやく来た、という雰囲気だった。
「――気持ちは分からんでもないけどさ」
隣にいた乙名が苦笑する。
「ある意味、『あの科』は俺たちにとっちゃあ救済措置の意味合いもあったから、感謝だってしてたんだよな。こんなんでもさ」
「――――――」
乙名が寂しげに本堂の方向を見つめた。
あそこに、いるのだ。
しんみりとしながら、いよいよ葬儀が始まる。
葬儀が終わると、全員酒を飲んで談笑しながら使者を弔う。
そこかしこで楽しそうな笑いが広がる中、春平はミミに手招きされて台所へと向かっていた。
髪の毛を黒く染めてアップにしているミミが、可愛らしく首を傾けた。
「ごめんねぇ。人手が足りなくて困ってるのー」
「んーん、運ぶくらいなら俺だってできるから」
「春平ちゃん、お偉方と仲いいでしょ?そっちの方に持っていってあげて」
お偉方、とは沖田、乙名、春子、久遠あたりのことだ。
便利屋には明確な役職がないが、ほとんどは能力で上の立場にいけることになっている。
もちろん本社の社員はエリートであり、その中でもフロントの3人は別格だ。久遠は親族ということでそのくくりに入れられているのだろう。
「了解」
ミミは春子がいるから近づきたくないのだろう。
なんとなくだが、その2人が仲良く話をしているところを想像ができない。
思いながら、春平は円になって床に座り込むフロント3人組のところへビールを運んだ。
「おーっす、ここ座れよー」
完全に酔っぱらっている乙名がぽんぽんと自分の膝を叩く。
「馬鹿かよ」
どかっ、と彼の隣に腰を下ろして、春平は沖田に酌をした。
「ありがとう。気ぃ使わせてごめんね」
「今のうちから媚売ってるだけだよ」
ぶっきらぼうな春平の言葉に沖田が楽しそうに笑う。もちろん、春平がそうしてのしあがろうとする性格じゃないことは理解している。
春平は沖田を気遣っていた。
今小さな彼の背中にのし掛かるとんでもない重圧に押し潰されることのないように。
春子は周囲を見渡しながら、ぐびっ、とビールを飲む。
「みんないい感じに酔っぱらってるわよ。これくらいがちょうどいいんじゃないかしら」
「えっ、こんなところで!?」
驚く春平にグラスを持たせて、乙名が酌をしつついつもの人を小馬鹿にする笑みを浮かべる。
「ん、まぁここにいるやつらの大半は知ってることだし、本当の就任は公式な場でやるからな。今は『はーい、僕でーす』くらいのノリの方が案外いいだろ。まわりも騒ぎやすいしさ」
「そんなもん?」
「そうかもねぇ」
沖田はのんびりと言っているが、おそらく脳内で色々なことを考えているのだろう。
いくら軽い発表の場だとしても、その発表の内容自体は決して軽いものではない。
一呼吸置いてから、沖田がグラスを持って「では」と立ち上がる。
その動きだけで周囲が「きたきた」と沖田に視線を向けている。
あとは前に出て、発表をしつつ乾杯をすればいい。
そんな簡単なことだ。
本日を持って、まだ公式とはならないが沖田が便利屋3代目代表取締役社長となる。
先代の死に悲しみながら、これから始まる新生便利屋に期待を持ち、社員が自発的に沖田を見上げた。
そのときだった。
入り口の方で、何やらがやがやとした声が聞こえてくるではないか。
「ねー、ちょっとだけだよ。迷惑なんてかけないからさ」
「困りますっ。粛然とした場ですので」
「ミミちゃんだ」
真っ先に乙名が立ち上がり受付の方へと向かう。
そして――乙名を押し退けるように1人の青年が姿を現した。
すらりとした長身の男が、全員の視線を集めて仁王立ちになる。
立ち姿は自信に満ち溢れた暴君そのもの。
一応ここが葬儀の場であることは理解しているらしく、喪服を着用している。
「――だれ」
春平が、目の前にいる春子に尋ねる。
だが彼女は静かな瞳で男を見上げたまま考え込み、
「知らないわ」
と一言。
「おいっ、茶化すな。俺にはもう隠す必要ないだろ」
「隠してなんかいないわ。私は知らないって言ってるの」
「だって……お前が知らないわけないだろ」
「………………」
春子がちらりと沖田を見上げる。
その視線に気づいた沖田は、男をほけーっと見つめたまま「いや……僕も知らないんだ」なんて、とんでもないことを口走った。
男は乙名の肩を抱くとにっこりと笑い、ずいぶん馴れ馴れしい様子で話しかけている。
「なぁーなぁー色男ぉ。もしかして、もう宣言しちゃってるわけぇ?」
「……何のことだ?」
おそらく乙名も見知らぬ人物の登場に混乱しているだろう。だが心の内を読ませないようにいつもの半笑いを浮かべている。
その態度が気に食わなかったのか、男は「またまたぁ」と言いつつ、蛇のように妖艶な視線を向けた。
「思わせ振りな言動は嫌いだよ、『乙名雄輝』くん?」
「――部外者に知られるほど、広い顔じゃないと思ってたんだけどなぁ」
「いやいや、この先まず間違いなく俺の片腕になるだろう男のことを知らないわけじゃないか」
「……」
この男のことが理解できない。
乙名が無言を返答すると、男は飽きたように乙名から離れてツカツカと前へ歩き出した。
わざとらしく沖田の横をすり抜けて、胸を張ったまま全員の視線を集中させる。
「初めまして、便利屋社員の皆様。まだまだ非公式な場ではありますが、ここで改めてご挨拶申し上げます」
まるで舞台役者のように大袈裟な身振り手振りに抑揚のある台詞めいた発言。
何より、百戦錬磨のエリートの中のエリートたちを鷲掴みにして離さない、という王者のオーラが凄まじい。
一呼吸置いて、男はもう一度ネクタイが締められているのを確認した。
「神居泰春、次期便利屋社長としてここにご挨拶申し上げます」
瞬間、厳粛な場がざわついた。
まったく想定外の事態にそれぞれが顔を合わせて「どういうことだ」「沖田が新社長だと聞いているが!?」と情報を確認しあっている。
神居はそれを楽しそうに見下ろして満足げだ。
だが――そのざわめきを止めたのは沖田だった。
「葬儀の場です、静粛に」
まったく落ち着いた様子の沖田に促され、その場はピタリと静まる。
だが、神居は沖田に主導権を握らせずに口を開いた。
「そう、厳粛な場だ。さすが沖田殿はわかってらっしゃる」
「あなたも、突然現れてお焼香もなしにそんな発表をするのはいかがなものかと思います」
沖田に指摘されると、神居はけろっとした様子で「それもそうだ」としっかり焼香をした。
そんなことを言われて顔色ひとつ変えずにぱぱっと行動をする神居に、乙名がため息をつきながら戻ってきた。
「さて、では改めて。私は本社にこそ顔を出してはいませんでしたが、立派な社員です。諸事情で名簿に記載がないので事務員の方も知らないかもしれませんが、疑うようでしたら鑑定付きの先代の遺書で確認いただきたい。そこで、次期社長候補として選任されました。役職は、簡潔に言うと社長補佐」
社長補佐。
その言葉に誰もが息をのんだ。
そんな役職があっただなんて知らない。もしあったのだとしたら、立ち回りからしてそれは沖田で間違いないと思っていた。
沖田は何も言わず、静かな瞳を向けているだけだ。
それをなんととったのか、神居はにんまりと笑うと、声高々に宣誓した。
「私が社長に就任した暁には、この便利屋というシステムを大きく改革していこうと思います。各フロアの簡便化、3階の紛争介入の見直し――」
つらつらと自信満々な彼の言葉を、乙名は最初こそ不愉快そうに聞いていた。
しかしあまりにも明確すぎる方針に、次第にひとつの不安が脳裏に過る。
「おま――」
焦りが、乙名のポーカーフェイスを破壊する。
まさかこの場で、諜報科のことまで持ち出すのではないか。
次期社長ならば、そこらへんのことはしっかり弁えているだろう。だが――改革というのならば、それを排除する可能性だってある。
そして、乙名の不安は的中した。
神居が目を細めて挑発するように視線を乙名へ向ける。
「そしてなんといっても、あるべきではない特殊諜――」
そのとき。
ビールの瓶が激しく割れる音が響いた。
神居の言葉は遮られ、全員がその方向を振り向く。
空になったビール瓶を叩きつけ、正田春平が仁王立ちしている。
場違いな男の場違いな行動に、全員呆気にとられている。
しかし春平は鋭い形相で壇上に立つ神居を睨み付けるだけだ。
神威は一社員にすぎない春平のことを認知しているようだ。
春平の行動に納得し「あぁ」と楽しそうに微笑むと、失言を認めた。
「さすが袴田の若は迫力が違う」
どうやらそんな最新の情報まで知っているらしい。
「――で、若が身を呈している中で次期社長候補の沖田くんは涼しい顔でだんまりかい?」
矛先を向けられても、沖田は動じない。
「沖田くん。確かに能力値では俺は君に遠く及ばないよ。でもね、君には決定力が足りない。人を導く力も、到底あるとは思えない」
「てめぇ。そういうことを言う場じゃねぇだろ、ここは」
「春平」
でしゃばりすぎだ、と春子が名前を呼ぶ。
沖田が「いや」とようやき口を開く。
「春平の言う通りだ。信任不信任の決議は、今後に回すべきだと僕は思う」
「ふむ――でしゃばりすぎたね。生沖田くんを見て興奮しちゃってさ」
あははは、と楽しそうに笑って、神居は不敵な笑み見せつける。
獲物を捕えた蛇のように邪悪な微笑み。
「社長の休止でみんな何かと忙しいだろうし、今後は俺も顔を出す。一通りの準備が整うまでは、不便ではあるけど神居と沖田を最高司令機関として各自仕事をしてください」
「何者かもわからないぽっと出のお前の命令を従うのか、俺たちは」
春平の棘のある言葉に春子が「あちゃー」と言わんばかりのため息だ。
しかし誰もが不満に思うところ。
神居はそれを十分承知した上で、楽しそうに笑っている。
「もちろん沖田くんと協力するから、へたな命令は下さないよ。仕事でそんなことをするほど愚かじゃない」
言って「最後に」と神居が宣言した。
「俺は、次期社長となってこの本来あるべき形からずれてしまったこの便利屋を改革する!本来の姿へと!」
まるで王の宣言のように、その言葉が会場内に響き渡る。
そして、神居は言いたいことだけ言って早々に妙安寺を後にした。
残された社員たちはしばらく呆然としていたが、すぐに各々この騒動について話し始めた。
「春平、すまん」
乙名が申し訳なさそうに苦笑する。
「お前ばっかり損な役回りだ」
「いいや、慣れてるから大丈夫。それよりも沖田」
ちらりと視線を向けたが、沖田は横たわる社長を確認しているらしく、表情を窺うことはできない。
「そっとしとけ」
乙名が、冷静に言い、いつもの調子で近くを通りかかったミミにちょっかいを出していた。
そうだ、一番滅入ってるのは沖田だ。
信じていた社長から伝えられなかった一番大切な情報。
にわかに信じられない神居の発言。
その背中はどこか寂しそうで、
友人である春平でさえ、易々と声をかけられない。
「なんだか大変だったみたいじゃない」
深夜、寺門と一緒にアロエに帰宅すると、美浜がリビングで翌日の仕事の準備をしていた。
明日は高校の英語の授業なのだろう、懐かしい教科書を見つめながら春平は「んー、まぁね」と言いながら、美浜の夕飯の残りを食べていた。
「そうだよなぁ。沖田、大丈夫かな」
「あの子ならなんとかうまくやってくれるだろうから、心配はいらないよ」
寺門がコーヒーを淹れてやって来る。
美浜はうんうん頷きながら話を聞いていたが、「あの、ね」と遠慮がちに口を開いた。
「順当にいけば沖田くん……だったかしら?彼が、次の便利屋の社長になるはずだったのよね」
「あ、そっか。美浜さんは本社に行ったことないから知らないのか」
春平の言葉に、美浜が「むっ」と頬を膨らませる。
「契約で行ったことはあるわよ。隣接してる専門学校で、しゅんちゃんと同期だった子でしょ?やけに仕事ができたって言う、その、えぇっと」
「沖田路嘉だよ」
「そう、沖田くん!へぇー、ロカくんって言うのね。現代の子って感じの洒落た名前ねー」
「ほぉ、あの子は路嘉っていう名前だったのか。誰も彼のことを名前で呼ばないから知らなかったよ」
マグカップを持っていた寺門までもが驚いた表情をしていたので、春平は思わず苦笑した。
「いや、あいつさ、あんまり自分の名前好きじゃないらしくて」
「えー、もっと渋いのがよかったのかしら」
「よくわからないけど、重荷なんだとさ」
「重荷……?」
美浜がきょとんとする。
でもこれ以上は春平も知るところではないため、彼女の疑問に答えることはできない。
だがただひとつ、春平には言えることがある。
忘れもしない、彼の名前の由来。
それを聞いたからこそ、沖田とは仲良くなれたようなものなのだから。
「路嘉って言うのは、漢字も読みも全部当て字なんだ。本当の名前は『ろかい』」
「――廬薈。アロエの日本語名だよ」
沖田の本名。それは、春平が大切にしている植物と同じ名前だった。
不安定な便利屋に現れた神居という男。
これから、便利屋はどうなってしまうのか。
いよいよ新章突入です!