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アロエ  作者: 小日向雛
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第110話 俺、今幸せ。

「ちょっとー、春平が来てるそーじゃないのよー!」


久遠がスパンッ、と勢いよく襖を開け放して待機部屋にやってくる。


そこに、春平の代わりに見慣れない人物が清住・右京と向かい合って座り込んでいることに気づき、一瞬思考が停止する。


男は久遠を見るとにっこりと嬉しそうに微笑んで立ち上がる。


「何やら精神ダメージが半端じゃないようで、寝込んでおりまーす」


「――で、何であんたがここにいるのよ、乙名雄輝」


手を勝手に触られて振り払ってから冷たい視線を向けるが、乙名は懲りた様子もなく久遠の近くに居すわり続ける。


「暇だからさー、春平と袴田嬢を茶化しに来たんだよねー」


「うわっ、むかつく!」


「でも乙名さん、よく門をくぐれましたね」


右京が顔をあげて尋ねると、今度は彼の隣に腰をおろしてわしゃわしゃと髪の毛を撫で始める乙名。


「いやぁー、ぶっちゃけると春平に呼ばれたと言うか?」


あははー、と笑う乙名に、清住班3人は納得の行かない表情をしている。

そして、その疑問を口に出したのは清住だった。


「2人って、そんなに仲良かったんすか?」


「ふかーい仲になったからね」


乙名が言うとしゃれにならない。


苦笑するしかない3人だが、乙名はもちろん仕事としてここを訪れている。


事後報告として春平から袴田組の依頼の件を聞き、急遽乙名が監視役に抜擢されたのだ。(といっても、乙名は前科持ちなので、当然のように2重3重の尾行がつけられている)


だがそこに運良く春平から乙名を友人として呼び出す連絡が来た。


そしてこれは好都合とばかりに乙名は内部に入り込んだのだ。


「お嬢と会うのが8時だから、それまではのんびり寝るんだとさ。乙名を呼んだのは意外だったが」


じぃっ、と清住の不振な目を受けながら乙名は何食わぬ顔で立ち上がる。


「ま、そういうことなんで、俺は大人しく春平の御守りをしますよ」


じゃね、と背中越しにひらひらと手を振って乙名が待機場を出る。




春平が眠っているのは清住と右京が寝室として使っている部屋だ。


畳に布団を敷いて、無理矢理目を瞑って眠りを待つ春平のもとに、静かに乙名がやってくる。


開かれた襖の音でパチッと目を覚まし、廊下を監視しながら後ろ手で襖を閉める乙名を認識する。


「よう乙名、悪かったな」


「ぜーんぜん。それよりどうしちゃったのさ、そんなに寝込むほど追い込まれたのか?」


春平は繊細だからなー、とへらへらしながら乙名が傍らに腰をおろす。


中庭でさえずる小鳥の声を聞きながら一度目を閉じて、春平は「そうだな」と小さく呟いた。


「俺ってば、進歩のない男なんだなぁと思ってさ」


「あら否定的」


「結局、ゆっくり立ち直っているつもりなのに、どうしても無理が出る。……というより、俺の方から進歩を拒んでる感じなんだなぁって、ようやく気づいた」


春平が弱々しい声でつむぐ言葉に、乙名は落ち着いた様子で耳を傾けている。


休日の昼間。


遠くで男衆たちの楽しそうな声が聞こえるのを、春平は部外者の気持ちで聞いていた。


そしてゆっくりと布団から上体を起こし、苦し紛れに苦笑した。


「俺が美羽ちゃんを幸せにできるわけなんてないのにさぁ」


「………………」


「なんか言えよ」


「……――春平は、お嬢のことを幸せにできないんじゃなくて、幸せにしようと思ってないだけだよ」


「は?」


冷静に、まるで仕事をこなすように冷たく投げつけられた言葉が春平を混乱させる。


それを理解した上で、乙名はそれでも口調を変えずたんたんと言葉を並べていった。


「幸せにできる未来があるはずなのに、それを信じず『自分は人並みの幸せを手にすることができない』って思い込んでるだけさ」


言って、乙名の顔が綻ぶ。

参ったと言わんばかりの寂しげな表情に、春平は反論することができない。


「そして春平をその思考の檻に閉じ込めているのは俺ってわけね」


「えっ?いや、別に乙名は「春平くん」


久しぶりに「春平くん」と呼ばれて心臓が早鐘を打つ。


しかし乙名は自分の胸をとんとんと叩くと、満面の笑みを見せつけた。


「俺、今超幸せ」


「――――――」


唐突な発言に春平の思考が停止する。


「過去に辛いことがあったなんて、みんな同じだよ。でもそれに縛られて今を楽しくできないなら、俺の中でそれはまったく無意味な経験になるんだよ。ってわけで、過去は過去。そんな俺は、誰かに自慢したくなるくらい幸せだよ」


「……うん」


「だから春平くんも、もっと幸せになれるはずなんだ――っていうか、俺や春子とか、妙な奴らと自分を比べて『俺は幸せになんかなれないんだ』って共感しようとすんなよ」


「そんなことはっ――」


ない、とは言い切れなかった。


今でも思い出せば汗が噴き出し吐き気が出てくる記憶。


乙名や春子が世間並の幸せを手にしているとは言えない状況を見て、自分も幸せになんかなれないと思っていた。


決して、この辛さからは逃れられない、と。


同時に、彼らに謎の仲間意識を持っていたことも否めない。


「と、いうわけでさ。俺が幸せなのに春平が幸せを否定するのが俺は許せないわけ。幸せなんて、どんな状況下でも必ずやってくるものなんだからさ、なれるなれないできるできないじゃないのよ」


「――うん」


「じゃあ質問。美羽さんの幸せは何?」


「……そんなの、美羽ちゃんにしかわからない」


「不正解。幸せはひとつじゃない。その証拠に、俺も……おそらく、袴田の親方もわかってる」


その言葉に、まるでばらばらになっていたパズルのピースがかき集められるような感覚に陥る。


そして、美羽の嬉しそうな顔が再び浮かぶ。


今度は、優しい微笑みをたたえる乙名の目の前で。


「――俺の」




俺の幸せ。




美羽が望むのは、春平のそばにいること。

そして、春平自身が幸せであること。


それこそが、美羽の幸せなのだ。


ようやく気づいた春平を見て、乙名が満足そうににんまりと笑う。


「春平くん。幸せはひとつじゃないよ」


言われて、春平はハッとして布団を押し退けた。


「親方に謝ってくる!」


「まぁまぁ、そんな慌てて結論出したら親方が気まずいでしょ。ただでさえ若者2人の人生を大きく左右する問題なんだからさ」


乙名が慌てる春平を「どうどう」と制したとき、携帯が鳴り響いた。


「――春平。前から思ってたけど、仕事中はマナーモードにするのが常識でしょ」


「だって滅多に連絡なんか来ねぇから」


しかしメールだったようだ。


携帯を開き、送信者を確認する。


どうやら噂をすれば、というやつらしい。


『ごめんなさい、もしかしたら8時を少し過ぎてしまうかもしれないので、待っててもらっていいですか>< 離れには右京たちも来ているので』


「――あぁ」


彼女は時間を守れないような人ではない。だからもしかしたら何かあったのかもしれない。


『大丈夫?遅くなりそうなら迎えに行くよ』


と、返信をすると、ものすごいスピードでメールが返ってきた。


『大丈夫です!』


「これはね、やましいことがあるパターンだよ」


横から画面を覗いていた乙名がにやにやしながら言ってくる。


「男と遊びに行ってるのを知られたくない、とかかな。それか、友達に春平を紹介したくない、か」


「どっちにしろ悪い意味でしかねぇじゃねえーかよ」


はぁー、と大きくため息をついて、愕然とする。


「あの子ってさー、思わせ振りなだけなのかなー。俺、ずっと野球バカやってたからそういう浮いた状況がわからねぇんだけど」


「さぁ?実際お嬢に会ったことないからなんとも言えない」


もしかして美羽の幸せなんたらというのも、部外者が勝手に思っているだけで、美羽自身は春平のことをそこまで想っていないのかもしれない。


「――いや、これじゃだめだろ」


「おっ」


春平はすくっ、と立ち上がってネクタイを締め、出掛ける準備を始めた。


「互いの気持ちをはっきりさせて結論出すために、無理矢理迎えにいく」


「えー、女の子が嫌がりそうな行動ー」


「うるさい。もし相手がただの友達だとしても、自慢して紹介できる男だと思い知らせてやる」


「イケメンだなー」


上着を羽織り、襖を開ける。


すると目の前に、片膝をついた状態で弥八が待機していた。


「ぎゃぁぁぁぁぁあああああ!!気配、気配ぜんっぜん読めなかったんですけど!!」


突然の登場に悲鳴を上げる春平を弥八は眉ひとつ動かさずに見上げ、乙名は呆れたように「高給取りの給料泥棒め」と呟いていた。


「若。お嬢さんは森山という同級生と映画に行っております。場所を説明しましょう」


どうやら聞いていたようだ。恥ずかしいと思いながら「相手は男?」と遠慮なく尋ねる。


「男です」


「……ではなおさら行ってきます」


夜に男と2人っきりで帰りが遅くなるだなんて、断固として認めん。










「幸せだけどねぇ」


春平と一緒に袴田組を出て、過去の因縁から清住班に微妙な反応で別れを告げられ、乙名は愛車を妙安寺の敷地にとめた。


すると万が窓からこちらを嬉しそうに覗いているのに気づいて思わず素で笑ってしまった。


「ただいまー」


「おかえり雄輝」


「おかえりなさい……」


玄関まで迎えに来た万の頭をぽんぽんと叩いて居間へと向かう。


そこには、乙名の帰宅に気づいているのに気づかないふりをしながら、足を抱え込み携帯をいじるミミがいた。


その横にさりげなく腰をおろし、ぼんやりとテレビを見つめる。


ミミが嫌悪感丸出しでこちらを睨み付けているので微笑み返すと、ぷいっとそっぽをむかれてしまった。


「ミミちゃんは相変わらず可愛いねー」


「乙名のそういうとこ大っ嫌い」


言いながらテレビに視線を向けるミミ。


「なんで?俺はミミちゃん好きだよ」


だけど乙名がこうして柔らかく微笑むと、ミミはこちらを向いて顔を真っ赤にするのだ。


「そういうところが嫌なの!」


ぱしっ、と肩を叩かれて思わず苦笑する。


まだまだ溝は埋めきれないが、ミミの乙名に対する嫌悪感はなくなっている。


ようやく仲間になれたような感覚に、乙名は嬉しそうに笑う。


そして、ジーンズのポケットに入れていた携帯が振動する。

どうやら春子からの着信らしい。


「はい乙名」


『もしもしー?春子だけどー、今すぐ会いたいから来てほしいなぁ』


「おいおい、もうすっかり夜じゃないかぁー。そんなに俺に会いたいの?」


『今すぐ!乙名じゃなきゃダメなのぉ』


「仕方のない子だなぁ、まっくー。ちょっと待っててね、今から行くよハニー」


電話を切ると、ミミがじと目でこちらを見ていた。


「女?」


「そう、女。夜のお呼び出しがかかったから、行ってあげなきゃ」


「ふんっ」


あからさまに不愉快な態度で、ミミは乙名に背を向ける。


やっぱり素直でかわいい子だなと内心思いつつ、春子の呼び出しなら断れないので渋々車の鍵を持って玄関を出た。




「遅い。報告」


新聞社地下、諜報科のデスクに、春子はふんぞり返って座っていた。


もう夜の9時を余裕で過ぎているので他の社員の姿は見当たらない。

どうやら春平と袴田の話を聞くためだけに春子がサービス残業をしていたようだ。


「はいはい春平ね。今のところなんともなさそうだよ。袴田のお嬢との婚約問題で呼び出されただけみたい。春平の報告に嘘はないと、自信を持って言えます」


そしていくつかの報告を終えたが、春子は釈然としない様子でペンを走らせている。


「――で、春平となにかあったわけね」


「あぁ……感づいてたわけですか」

さすが、と言いながら乙名は参ったように頭を掻いた。


「大したことじゃないんだけど、お互い2人きりになるとどうも古傷抉られるみたいで」


ここで会話を打ち切っても問題はなかったのだが、なぜか言葉がすいすいと泳ぎ出す。


それだけ、乙名が深層で春子を信頼しているということだろう。


まったく仕事とは関係のない世間話に応じるために、春子はペンを置いて、傍らに座る乙名を見つめた。


彼女が耳を傾けてくれるということで、かしこまって何を話せばいいのかしゅんじゅんしてから、乙名は恥ずかしそうに苦笑した。


「春平が例の事件やら諜報科の人間の処遇を予想以上に気にかけていたみたいでな、婚約も交えて幸せについて談義したわけだけど……うん、なんかねぇ」


「何?」


彼女にしては珍しく物腰柔らかな問いかけだ。

春子の女性らしさを感じて内心どぎまぎしながらも、表面的には気にしていないように振る舞う。


「俺にそんなこと言う資格ねぇなぁーって思ってさ。結局俺もいまだ縛られているようなもんだし、説教できる立場じゃなかった。と、反省中」


以上。と、乙名は無理矢理言葉を締め括った。


正直、このての話は苦手だ。


いつものたぬきだなんだと言われている自分が、春平やあの事件が絡むと動揺してしまう。

そんなこと、あってはならない。


乙名はいつものようにへらへらと笑い、仮面を被る。


しかし――


その仮面は、春子によって物理的に叩き落とされてしまった。


「っ!」


左頬にじんわりとした痛みを感じてから、ようやく春子にひっぱたかれたと自覚する。


春子は無表情で手を出したようだ。


だが目を見開き唖然とする乙名と視線が合うと、あっけらかんとした爽やかな笑みをこぼした。


「胸を張れよ、青少年!」


彼女らしからぬ行動に何もいえない乙名を置き去りに、春子はにっ、と笑う。


「幸せなんでしょ?春平を幸せにしたかったんでしょ?なら何も反省することなんてないわよ。それに、あんたにそんなことを言ってもらえた春平は幸せだったと思うわよ。少なくとも、私の知る正田春平はそんなことを気にする子じゃないわ」


断言されて、視界が晴れる。


惚れ惚れするほど男前の春子を目の前に、乙名は表情を作ることさえ忘れていた。


「――俺、春子のこと好きかもしれない」


「ふざけたお世辞をありがとう」


「お前って、実は俺の理想の女なのかも。なんていうか、すごく抱きたい。いや、抱いてほしい」


「そんな真似したら噛み砕くわよ」


ガチンッ、歯を鳴らす春子を見て、思わず乙名は笑ってしまう。


つられて春子が楽しそうに笑う。


そして、以前よりも自分の感情に素直に従って笑っていることに気づいた。


おそらく春子も、こうして笑うことなどなかっただろう。

自分を追い詰めて、周囲の不幸なオーラに気圧されて。

でも実は、こうして笑っているのが本当の春子なんじゃないかと乙名は思っていた。


春子という女性は、元来優しくて笑顔の絶えない子だったのでは、と。


それを引き出せているのが自分なら、嬉しい。


そして自分を変えてくれたのが春平だとしたら――いや、それは考える必要もない。


春平の考えなしの無鉄砲さが乙名と春子の笑顔を引き出すトリガーとなっていたのなら、自分ももう少し、考えずに動くということをした方がいいのかもしれない。


思って、乙名は身を乗り出す。


無邪気に笑う春子の頬に触れ、そっと髪の毛をすくう。


突然の事態に春子が目を見張り硬直する。


その姿を確認して、乙名はぱっと手を放した。髪の毛がさらりと揺れて彼女の頬にかかる。


「――ごめんなさい、調子に乗りました」


彼女は、父親に人体実験として拷問の限りを尽くされた子だ、大の男に無防備に触られると嫌悪感があるだろう。


しかし春子は「いえ……」と言うと、遠慮がちに乙名の手に触れた。


電撃が走る。


―――俺の方が妊娠しそうだ。


案外冷静になりながら、それでも彼女から視線を逸らすことができなかった。


「あのね、嫌ではないのよ……?」


「――えっ」


「乙名が自分から動こうとしたの、嫌ではないのよ」


気づけば春子が恥ずかしそうに頬を染めてうつ向いていた。


――あぁ、この子は……。


誰もいない2人きりの空間。


乙名は伸びかけた手を止めて、春子の頭を優しく撫でた。


ビクッと一度震えて、春子は心配そうな瞳で乙名を見つめる。


年相応の表情をする春子に嬉しさと愛しさを感じながら、乙名はいつものようにへらっと笑った。


「疲れたな。飲みに行こうぜ。たまには沖田も連れ出してさぁー」


「あ、うん」


わりとあっさりいつもの調子に戻った乙名に呆然とする春子をそのままに、乙名は立ち上がり大きく背伸びをした。


「どうせお互い本社に戻ってフロントの仕事しなきゃなんねぇんだからさ、連れ回そう」


はい、と差し出す乙名の手をじっと見つめて、春子は参ったように苦笑した。


「そうね。あの子を困らせてあげましょうか」


そして、春子は乙名の手をとって立ち上がった。



これで本当に乙名編に決着がつきました。

乙名と春子がこれからどうなるのか、ミミちゃんと乙名の関係に何か変化があるのか。

それは温かく見守って欲しいです。

でもひとつ言えることは、今まで1人で生きてきた乙名と春子が、心を許しあってお互い手を取り歩みだしたということです。


さて、いよいよ次回は春平と美羽ちゃんの決着です。

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