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アロエ  作者: 小日向雛
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第109話 好きです。

「大丈夫?一応護身用のナイフでも持っていった方がいいんじゃないかしら」


「きっと美羽ちゃんにちょっかい出したから海に沈められんだよ、お前」


玄関で靴を履く春平の背後、包丁を持った美浜と新聞紙を丸めて頭をぽこぽこ叩いてくる高瀬が好き勝手言っている。


「いいから2人とも早く仕事いく準備しろよ」


「あら私は今日はお休みだもーん」


「あら俺もお休みしたいもーん」


「知るか」


言って、玄関の戸を閉める。

時刻は朝の8時。2時の約束に出かけるにはまだ早いが、その前にどこかアロエから離れたところで妙安寺に連絡を取りたかったのだ。


アロエの電話を使えば事足りるのかもしれないが、諜報科のことを知らない人間の前で下手な行動はできない。


本来連絡など入れる必要はないのだが、なにせこのご時勢に組長から直接お呼び出しがあったのだ、何も言わずに行くわけにはいかない。


適当にカフェに入ってコーヒーを飲みながら、携帯で連絡を入れる。


「もしもし、春平です」


『もしもし……おはようございます』


「おー、万かぁ。井上さんか乙名いないかな?」


『2人ともいませんけど』


「そうか……。ならいいや。悪いな、じゃあ」


携帯を切って、テーブルに突っ伏す。

わざわざ本社に電話をかけるのもどうかと思うし……仕方がないので事後報告ということにして、速やかに袴田組へと向かうことにした。












約束の時間よりもずいぶん早くついてしまったので周囲をぶらぶらしようとしたところで聞き覚えのある声に引き止められてしまった。


「これはこれは、若」


「――若って呼ぶなっつの」


近くのコンビニに寄ると、昼飯を買う人々の姿にまぎれて雑誌を読んでいる青年を発見した。春らしい無駄に爽やかな笑みを浮かべるこいつは、特殊護衛科所属の藤堂清住だ。


「お前、屋敷の外に出ていいのかよ」


「今回はなんとなく遊びで呼ばれたようなもんだし、明確な敵がいないからわりと自由なんだよ。って言っても、1人じゃ出かけられないけどな」


清住が目で促す方向には、いかにもな風貌の和服男がいる。


「弥八さん……でしたっけ?」


春平がおずおずと声をかけると、いかつい男はぺこりと頭を下げて再び直立不動となった。


「特衛科のくせにおっかねぇボディーガードつけてるなー」


「ストーカーでもいいぞー」

周囲から浮いていることにはたして彼は気づいているのだろうか。


「で、お前はこんな時間にどうしたんだよ」


「あぁ……別件で親方に呼ばれてるから早く来たんだけど、早すぎたみたいで」


本来の用事も済ませられなかったし、たとえそれがなかろうと美浜高瀬ミミの視線や心配が気になるので早く出ただろう。


すると清住は雑誌を閉じて何事もなかったように棚へ戻し、春平を手招きしながら外へ出た。ストーカーも一緒だ。


「それじゃあ3人で飯でも食おうぜ」


「あぁ、いいの?」


ちらりと弥八に視線を向けたが、彼は何も言わず顔をふせがちにしたままだ。


「んじゃさー、寿司奢ってよ、回転しないやつ」


「おい」


「特殊護衛科の高給取りに寿司ねだって何が悪いんだよー。な、な、弥八さんも是非」


「……くれぐれも約束の時間には遅れないように」


「大丈夫です。仕事でそんなヘマはしませんから」


春平がスーツのネクタイを緩めながら言うと、弥八は少しだけ不満そうに俯いた。




新鮮な魚で腹を満たした後、3人で武家屋敷へと戻った。


約束の時間より20分早いが、「早ければ早くても構わない」という弥八の言葉を受けて親方に面会することとなった。


殿様の部屋のように一段高くなった広々とした部屋の左右に、いかつい男衆が正座をして腰を折り、一番奥には同じく正座をする袴田組組長がいた。


この人は便利屋に対しても尊大な態度をとろうとはしない。

いつも真摯な姿に好感こそ持てるが、今回は妙な緊張感が広がっている。


清住と弥八が同室することは許されず、春平だけがその張りつめた空気の中に身を投じた。


「特殊護衛科、正田春平です」


「御無沙汰しております。なんでも別の店に移動したと聞いておりますが」


「以前と同じく、美羽さんが住んでいる近辺のアロエという店で働いておりますが、特殊護衛科という肩書きは変わりませんので」


そう、店が変わっても春平は特殊護衛科であり特殊諜報科なのだ。

異例ではあるが乙名や春子と同じ「兼業」という扱いになっている。


「ところで、今回の依頼の内容をまだ伺っていなかったのですが」


「あぁ、依頼内容は『話をしたい』というくらいのものですよ。後で必要書類なども書いておきましょう」


「お手数おかけします」


「だから話の内容は、依頼とはまったく関係ないものだととっていただきたい。強制でもなければ脅しでもない。もちろん拒否権というのは利用していただいて構わない。私は、正田さんの本心と話がしたいのです」


ビンッ、と緊張の糸が限りなく一直線に張り詰められた。


さすがといえばいいのか、この人の威圧感は半端ではない。


全身から汗が噴き出し、春平はハンカチで額を拭った。


「――了解しました。では、ここからは対等に」


「無駄話で時間が割かれると双方利益はありませんので、単刀直入にもうしましょう。




美羽のことを、どうお考えですか」




言葉通り、一刀両断されてしまった。


身を裂かれて出てくるのは血ではなく汗だ。


「えっと……素敵なお嬢さんだとは思っています」


我ながらはっきりしない言葉を選んだと思う。


煮えきらない答に、さらに親方が切り込んでくる。


「私の質問が悪かった。正田さん、以前あなたのお願いで美羽を許嫁にしたことがありましたな」


「私事でお嬢さんには大変な失礼を致しました」


頭を下げると「そういう話ではありません」と顔を上げるよう指示された。


「それを現実のものにはしていただけないかと申しております」


「――――――え」






「どうか、我が袴田組の花婿としてうちに来てはくださらないか」






「――――――」


全思考が停止するどころかとんでもないスピードで巡り始めた。


花婿となってしまったら、仕事はどうなるのか。

組との関係はどうなるのか。

自分はどんな立場にたたされるのか。


「あっ、あ、あの……そういう話は組の人との間で行われるものなのでは……」


「そうですね。そして後継に組を任せるのが筋ですし、私ももちろんそのつもりです」


「では、俺はどういう立場で」


「無論、婿以外の何者でもない。正田さんには今まで通り仕事もしていただき、組とは一切関係ありません」


「……で、婿、ですか」


なんだかつじつまが合わない。


頭が爆発しそうになりながら理性を保つ。

するとそれに親方も気づいているらしく、申し訳なさそうに拳を握りしめた。


「妙なことを口走っていることは承知しています。本来の形で組の誰かと婚姻させればいいのであれはそうしたいところですかま、あれの心はそこにありません。ただ、あれは組の大事な一人娘ですゆえ、どこぞの男と外で暮らさせるのは心配なのです」


でも、なんて言葉は出てこなかった。

確かに彼女は複雑な身の上であるため、外に出すのは避けた方がいいと思う。


出すしか形がないのであれば、はるか遠方しかないだろう。


「しかし正田さんなら任せられる。安心して美羽を預けられる。とは言っても正田さんは仕事が多忙ですので美羽が心配で……だから婿にきていただけないかと思っていたのですが――あくまでこれは私の心の内。ですから正田さんの美羽に対する気持ちを教えてほしいのです」


重い。

本当に重い。


この20歳そこそこの小わっぱに、とんでもないものを押し付けようとしている。


周囲の視線、親方のぎらぎらとした双眸に心臓さえとまりそうな心地になりながら、春平は小さく深呼吸をした。


「――失礼を覚悟で申し上げます」


「問題ありません、それが聞きたいのです」


「……。――お嬢さんのことは、とても可愛い子だと思っています。一途だし、いつも一生懸命になって俺のことを応援してくれている。前は異性としての好意などなくただ驚くことしかできませんでしたが、今は違います」


「……」


「愛しいとも思いますし、付き合うことができるなら俺のそばにおいておきたいとも思います」


言って、顔から火が出そうだった。


親方も嬉しそうに顔を綻ばせ始めている。


だが、春平は言わなければならない。

震える拳を握りしめて、覚悟を決める。


「でも、だからといってお嬢さんをお預かりすることはできません」


「なっ」


「ここまで言っておきながら何を……っ!」


愕然としてざわめく若い衆を右手で制し、親方はあくまで冷静に続きを促してくる。


「俺は今までもこれからも、女性と親密な関係を持とうとは思っていません。情けない話なのであまり公にはしたくありませんが……でも、お嬢さんには俺以上にいい男が見つかるはずです。美羽さんはまだ十分すぎるほどに若い。早まる必要はないと思うんです」


「――女が求めてきても、自分の不器用さを盾に突っぱねますか」


「ふがいないと自分でも思っています。甲斐性なしとも……だけどそれでも、俺にはどうすることもできません」


――あの子は、幸せになるべきなんだ。


自分が一緒になったところで、何かができるだなんて自惚れることはできない。


過去を思い出し体が震える。感情を爆発させて泣き叫ぶ乙名の顔が浮かんでくる。


春平はゆっくりと目を閉じて、深く頭を下げた。


そしてひとこと、ごめんなさいと。そう言うだけでいい。


これから、どれだけ馬鹿にされたって構わない。自分の名誉を守るためだけに彼女を不幸にはしたくない。


「女の幸せは、たとえどんな境遇だろうと愛する男と共に生きることだと思うのですよ。少なくとも美羽は、わかった上でそれでも正田さんを待っていますよ」


それが決定打となった。


拳の震えが強くなる。

乙名の代わりに、自分にすがり嬉しそうに微笑む美羽が脳裏に浮かんだのだ。


どんなに引き離しても一途に自分を想う美羽。たまに強引で、泣き虫で怖がりで。でも、自分に向ける笑顔は誰よりも愛しい。


あの笑顔を、自分だけのものにしたい。


振り向かせてよと、あの観覧車の中で言った。


からかっていただけ、なのに……


「――好きです」


気づけば、頭を下げたまま涙を圧し殺しとんでもないことを言ってしまっていた。


「幸せだとか甲斐性なしだとか、そんなのどうでもいい。ただ俺の近くにおいて、俺だけを見ていてほしい」


美羽があの男子高校生といたとき、心臓が止まるかと思った。


まさかあの子が自分以外の男のことを考えるなんて思ってもいなかったからだ。


可愛いあの子は、なにをしなくとも一生自分だけのものだと思っていたから。


「それで彼女が、俺が、どうなろうと関係ない。ただ黙ってそばに置いておきたい」


そう。

今ならはっきりと自分の気持ちを理解できる。


こんな得体の知れない便利屋である正田春平を――そもそも、本名が正田春平というのかどうかも定かではない自分のことを手放しに信頼しついてきてくれる彼女のことを、


「――愛している」


もう二度と、彼女のような人は現れないと本能的に突き動かす何かがある。


春平はみっともなく流れる涙を乱暴に拭って、前を見据える。


「でも、それではだめだと思っています。たとえ気持ちがどうあろうと、俺が美羽さんを受け入れることはありません」


だ め だ よ 。と


ありもしない乙名の幻影が春平を絞め殺そうとする。

諜報科の人間が、瞳を光らせて自分を睨み付けている。


春平は畳に手をつくと、深々と土下座をした。


その行為に男衆がざわめき、何より目の前の親方が一番驚いたように目を見開く。


見ずとも周囲の様子がわかりながら、春平はぎゅっと目をつむった。


「これで、勘弁してください。今日の話はなかったことに」


春平の言葉に男衆は口をつぐみ、親方の言葉を待つ。


張りつめるような静寂の中ゆっくりと瞳を閉じた親方の言葉だけが、重苦しく響き渡った。




「正田さん、あなたには失望しました」





待て次回!

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