第10話 タバコ店長
両親が中学校教師というのが影響したのか、太一少年は日々部屋で勉強することが多かった。
それが苦にもならなかった。
「太一、学校は楽しい?」
「うん。たのしー」
実際には、学校を楽しいと思ったことはない。
ただ、そういった返事をすると両親が喜んでくれると理解していた。
学校の何が楽しいのか、教えて欲しい。
そんな質問をことあるごとに繰り返す理由を教えて欲しい。
そんな太一に、友達はいない。
誰もが太一を遊びに誘おうとは考えなかった。
家に帰っておやつを食べて、勉強する。最近では英会話を勉強するようになった。
『皆は外に行って何をしているんだろう?』
これが太一の悩み。疑問。
だから、あの日はただ何となく。
外に出てみようと思ったんだ。
遊ぶって、何をしてるんだろう?
大勢で外に出て何か楽しいことはあるのだろうか?
太一は確実に歩を進める。
しばらく歩いて喉が乾いた。
駄菓子屋でラムネでも買おうか。
夏は過ぎたが、相変わらずの残暑に身体中の水分が奪われていく気分を味わい、ふと目の前の看板に目を向けた。
そこには確かに「便利屋」と書かれた看板があった。
次の日早速「便利屋」へ足を運ぶ。
やっぱり家から少し離れているので、歩いているうちに疲れてしまう。
毎月のお小遣いがこんなに有り難いものだとは思わなかった。
ラムネをぐびぐびと渇いた体に入れながら看板の前に立つ。
でも、いくら「またおいで」って言われたからって次の日に来ていいのかな……。
太一は店に入るのをためらった。
ガシャーン!
玄関前でチャイムに手を伸ばそうとすると、中から雷鳴の如く物が崩れるような音が轟いた。
さらに彩と思われる女性の「キャー」という悲鳴まで聞こえてくる。
もしかして躊躇している暇はないのか!?
太一は勢いよく玄関の扉を開いた。
するとそこには大量のゴミの山に押し潰されて苦笑を浮かべている彩がいた。
「あ、いらっしゃい」
ヘラヘラと笑う彩が心配になって、ゴミの中へ手を伸ばす。
「いつでも太一くんが来れるように準備しようと思って午前中からやってたんだけどね」
確かに掃除をしていたようだ。彩が埋もれているのはゴミ袋だ。または袋からはみ出た大量のゴミ。
「お、お疲れ様です」
おどおどと恥じらいを持って彩の手を握る太一を見て彩はくすりと笑う。
「これでも居間は綺麗に片付いたのよ?」
そう言って昨日太一が眠っていた部屋へと連れて行かれる。
綺麗に資料がまとめて並べられた棚、書き物ができるスペースのある机。
散り一つない空間。
太一は大きく深呼吸した。
「昨日は息苦しそうだったからね」
太一はその変貌振りに興奮して勝手に店の中を歩き回った。
そうして、一つの部屋にたどり着いた。
北側を向いているひっそりとした部屋だ。
「ここ入ってもいいですか?」
「え!? ちょ、ちょっと待って……」
彩の言葉も聞かずに太一は引き戸を開く。
「え……?」
「あ?」
目の前に広がるのは歩くスペースもないほどゴミに埋もれた部屋に、座り込んでいる一人の男だった。
「誰だお前」
口から気持ちよさそうに煙を吐いて太一の顔に吹きかける。
咳き込む太一を見て彩が太一の腕を引っ張り、非難させる。
「昨日お店に来たんですよ」
「依頼主か」
「いえ」
「なんだ。た〜だのガキか!」
相変わらずタバコを吸い続ける男を見て太一は眉をひそめる。それを見た男は不満げに立ち上がって、太一に近寄る。
「よそ者のくせに随分と偉そうな表情しやがるな」
太一の短い髪の毛をぐいぐいと引っ張り上げる姿に彩が顔を青くする。
「止めてください店長!」
「店長?」
痛さで顔をしかめながら、太一は男の顔を見上げる。
もう40歳は過ぎているだろう。おそらく45、いやそれ以上。
こんな下品な人がこの「何でも屋」の店長なのだろうか?
すると店長はいかにも文句がありそうな顔をして太一の髪の毛を放す。
「ったく。思ったことがすぐ顔に出る奴だな! そーだよ。俺が店長だよ。文句あるか?」
太一はその様子にぽかんと立ち尽くしてしまった。
「ありますよ! いい加減この部屋も片付けさせてください!」
「い〜んだよ彩ぁ。別にここに客が来るわけでもないんだからさぁ」
そう言って店長は2人を部屋から追い出す。木の棒で引き戸が開かないようにしているのが外から聞こえる。
「ごめんね。気分悪くしちゃったでしょ?」
「いえ……」
ふと玄関に目がいった。
「あの、昨日のアロエは」
今日は彩さんに会いたい気持ちも、外に行ってみようという気持ちもあったのだが、それ以上に「アロエ」という植物を観察したかったのだ。
なのに、目的の植物があるはずのところになかった。
「店長がいる時は触らせてもらえないのよ。あの人部屋にもって行っちゃうから」
ふぅと小さな溜息をついてゴミ袋を持ち上げたので、太一は手伝うことにした。
掃除がひと段落してお茶を出してもらったので、甘えて飲むことにした。
「店長には持っていかないんですか?」
「部屋にこもっている時はあまり近寄りたくないのよねー」
アハハと苦笑する彩を見て、太一は何も言わずに立ち上がった。
「? どうしたの?」
「僕が持っていきますよ」
「!?」
彩が止めようと立ち上がるのも見ずに、太一は店長の所にお茶を運ぶ。
「お茶ですよー」
数秒も待たずに戸がガラリと音を立てて開いた。
「よこせ」
「はい」
お茶を渡したと同時に太一は店長の部屋に侵入する。
「って、お前何勝手に入ってきてんだよ」
首根っこをつままれて外に追い出されそうになるのを、必死に手足をばたつかせて阻止しようとする。
「アロエ! アロエ見たい!」
「アロエだぁ?」
「うん!」
店長がいきなり手を放すので太一はそのまま垂直にお尻から落下してしまった。
期待の眼差しで見上げてくる太一に優しい微笑みを見せる。
太一は「うわぁ」と嬉しそうにするが、加えていたタバコを勢いよく吸い上げて太一の顔に吹き付ける。
「絶対嫌だぁ〜」
吹き付けられた煙が目や喉に染みる。大きく咳き込んでも、店長は部屋の窓を開けていないので部屋中の空気が曇っていて一向によくならない。
それでも太一は部屋を出ようとしない。
「ちょっと見るだけ!」
立ち上がってあふれてくる涙をこらえる。
「しつけーなー。駄目なものは駄目なのー。意味わかるかー?坊主」
ぐりぐりと頭を乱暴に撫でられる。
さすがに頭にきた太一は、店長の手を振り払って叫ぶ。
「じゃあいいよ! 明日また来るから」
「来んのかよ」
太一は逃げるようにして店を飛び出す。
看板は斜めに傾いて風の抵抗を受けていた。
意地悪で酷い店長。
なのに何故か、太一は彼を嫌いにはならなかった。