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アロエ  作者: 小日向雛
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第105話 死ねない死人

後日、藤堂清住の発言により、特殊護衛科全体の大規模なストライキが決行された。


内容は「正しい情報と状況の提示」を求めたものだ。


「ごめんね、僕の店舗は本社とは関係が薄いから参加できなくて」


「そりゃ仕方ないっすよ。表向き、店舗は店舗で独立していることになってるから無理は言わないですって」


申し訳なさそうな春貴の背中を叩いて、清住は爽やかな笑みを浮かべた。


おそらく今回の事件は本社の中でもかなり深層の話だというのは理解している。


もちろんそんな情報を提示してもらえるだなんて思っていない。


清住側が求めるのは、正田春平の生存に関する有無と、生存の場合は正田春平の解放。

その意図は社長側にも汲み取られているだろう。


しかし社長側はまったく動く気配がない。


特衛科全体のストライキという大損害を被っても教えるつもりはないらしい。


春平が関わっていたものがどれだけ危険なことかがわかる。


「――だから乙名はやめとけって言ったのに」


クソッ、と清住が舌打ちするがもう遅い。


右京の部屋に集合した3人は、テーブルを囲んでこれからのことについて考え込んでいた。


「あとは沖田の良心がどれだけ動いてくれるかが問題ね」


言ってはみたが、やはりそれは期待できないかもしれないと久遠は苦い顔をした。


沖田は仕事に私情を挟まない。


今回は特殊なケースではあるが、それでも沖田が折れることを期待するのは難しい。


今できることは、やはり社長側が動くのをただひたすら待つだけだ。


「ま、色々もどかしいことはあるけど、詰んだようなもんだな」


と清住が爽やかに笑ってみせた。


3階全機能停止の損害は莫大なものだ。


いつ社長が根をあげてもおかしくない状況なのは、ここにいる誰もが、この会社の社員全員が知っていることだ。










一方の社長室では、思惑通り苛立ちを隠せない社長が沖田を前に頭を抱えていた。


「まさか正田を生き返らせると言うのか……?」


「不可能なことではありません。ただ……」


沖田は言葉を切った。社長も、その先に続く言葉は理解している。



『不可能なことではないが、それによって社員の会社に対する不信感が強まる』



だがここまで来てしまってはどうすることもできない。


悩みこそすれ、答えはすでに決まっている。その決定を渋って後回しにしているだけだ。


そうしている間にも、損害額は膨れ上がっていく。


沖田は何も言わず、ただただ社長の決断を待つ。


してやられたという悔しさ、自分ならもっとうまくできただろうかという気持ち、できることなら春平を生き返らせたいという気持ち。


これらをすべて仮面の裏側に隠して、ただ無表情で待っている。


社長も観念したのか、タバコを取り出すと勢いよく吸い始めた。


最近体調が思わしくなく禁煙を言い渡されていたのだが、我慢できずに吸ってしまった。


「……あいつは、小さな小さな歯車だ」


ぽつりと呟いた社長の声に抑揚はない。


「その歯車はいつから動いていただろうか。寺門が正田の母を見たときからか、それとも、寺門が『やつ』と会って便利屋を知ったときから、すでに動いていたのだろうか」


まるで死の間際のうわ言のように社長は焦点の合わない目で部屋を見渡し、続けた。


「寺門の運命を変え、母親の運命を変え、久遠の運命を変え、乙名の運命を変え……今度は、社の中枢まで変えようというのか」


くくく、と社長は楽しそうに笑った。


それは自暴自棄になっているようにも見えたし、春平の今後を心から楽しみにしているようにも見えた。


「私のアロエが奴の手に渡ったときから、私も奴という歯車に動かされていたのかもしれんな」


「社長」


「沖田、すぐに正田のもとへ行って伝えてほしいことがある」


にやりと怪しく笑う社長の表情は、沖田の『父親』のものとよく似ていた。










しばらくすると、空いていたベッドに乙名がやってきた。


別段いつもと変わらない表情で「よぉ」と挨拶をすると、よっぽど眠いのかそのままベッドに潜り込んでしまった。


しかし足や首もとに残る痛々しい傷はいつもとは違う。

「……お前、きっとこのまま出られるよ」


「へっ?」


唐突な乙名の言葉に、春平はすっとんきょうな声を上げた。


「きっと、社長が根を上げてお前を生き返らせる」


布団から顔を覗かせて自信たっぷりに言う乙名。


だが、いくら乙名の言葉とはいえそんな常識はずれなことが信じられるわけもない。


「そんなことあるわけねぇだろ。あの社長だぞ?」


「それがあるんだな。なんてったってここ数日で被害額はすでに『億』だ」


「億!?なんの話だよ!」


まったく理解できず春平が声を上げると、乙名は少しだけ寂しそうに、羨ましそうに目を細めた。

「お前の死に本社の中枢が絡んでいることを特衛科の藤堂、葵支店長が疑って、2人を中心に3階の大規模なストライキが決行されている」


「っ!」


信じられない言葉に春平は言葉を失った。


まさかあの春貴や清住が仕事に私情を挟むなんて思わなかったのだ。


「それだけ正田春平の死は不自然で、正田春平はあいつらが必死になるほど取り戻したいものだったみたいだな」


「馬鹿かよ……」


春平がぱくぱくと口を動かしながら言うと、乙名はにっこりと笑った。


「お前が言うな」


嬉しそうな乙名の表情を見て、思わず春平の顔も綻ぶ。


「なぁ、乙名はこれからずっと本社にいるのか?」


「そうだけど?」


「挨拶なしで、か」


「まだこだわるか……」


「当たり前だろ。俺が死んだのも、億単位の被害額が出たのも、もとをただせばお前が原因なんだよ」


「おーい、すごい自己防衛と正当化だぞ、それは」


呆れた様子でごまかそうとする乙名を、春平は真剣な目で見つめていた。


ようやくここまでたどり着いたのだ、いまさら引くつもりなどないし、今までのように乙名に受け流されるのも御免だった。


春平の真剣な眼差しに応えるように、乙名は穏やかな表情で春平を見つめた。


「みんな、会いたければ本社フロントに来ればいいよ。今生の別れじゃない」


「でもお前はそれでいいのかよ。そんな気持ちでいいのかよ」


「いいよ。乙名雄輝はここにいる。死んではいるけど、ちゃんと息をしてここにいるんだ。な、駄目か?」


その台詞は反則だ。


そんなことを言われては、もう春平には何も言えない。


「――結局、迷惑かけて終わったな」


「まぁ、そうだね」


「ほんとお前は素直な奴だよ」


春平が呆れて言うと、乙名はいつものように含み笑いをした。


「お前と一緒にいた時間はほんと少ないもんだったけど、楽しかったよ。ずーっと一緒にいたような気がするくらいな」


春平がニカッと歯を出して笑うと、乙名は少しだけためらいがちに笑った。


まるで何か、後ろめたいことがあるように。


乙名はベッドから上半身を起こすと、胸元のロザリオを握りしめた。




「――本当はずっと前から一緒にいたんだって言ったら、お前は驚くかな」




「――――――」


乙名が何を言おうとしているのか、どれくらい大切なことを打ち明けようとしているのか、まったく掴めない。


だから、春平は何も言わず目を大きく見開いて乙名の顔を見つめることしかできなかった。


そんな春平の反応はわかりきっていたのか、乙名は小さく苦笑すると「ロザリオ」と呟いた。


「これさ、どこへ行くときも何をするときも必ず持って歩いてるんだ」


そう言えば以前乙名が自分のことを「敬虔なクリスチャン」と言っていたことを思い出した。


「これ持ってるとさ、女の子と一緒にいるとき良い雰囲気になっても断れるんだ」


「……断りたいの?」


「春平と一緒。軽い女性恐怖症だからね」


「でもいつも女の子と一緒にいるだろ」


「まぁ、女の子が嫌いなわけじゃないし。それに――それが俺の仕事だから」


「仕事……」


予想もしていなかったことを言われて、ぽかんとしてしまった。


「俺は基本的に、女の子を相手に諜報活動をすることが多いから。まぁ……いわゆるハニートラップ?」


楽しそうに笑う乙名の目は、まったく笑っていなかった。


手元に視線を落として、乙名は冷たい声で続けた。


「俺は小さいときに死んで、こんなにも辛い思いをしながら生きているのに、正田春平は楽しそうにたくさんの人に囲まれて愛されて生きている。それを見たとき、俺は春平が憎くて憎くて仕方がなかった」


「乙名……」


「どうして同じ場所にいたのに、春平だけはまったく違う人生を歩くことができたんだろうって。どうして、どうしてって、ずっと恨んでいた」


「同じ場所……?」


意味が分からず聞き返すと、乙名は静かにこちらを向いた。


怒りも悲しみもなく、何も考えていない人形のような瞳で見つめられて、背筋が凍るような思いがした。


「――あの日2人で、優しいお姉さんに会ったんだ」


あの日……。

乙名のいう『優しいお姉さん』がぱっと頭に浮かばず、春平は考え込む。


そういえばミミと一緒に依頼をこなしたとき、乙名は相手の女性を気にしていたようだった。

もしかしたらそのときのことを言っているのだろうか。


考えを巡らせる春平とは対照的に、乙名は淡々と言葉をつむぐ。


「探検の途中で、俺は定規を落とした。それを拾ってくれたお姉さんは、優しい笑顔で飴をくれたっけ」




――どくん、と心臓が脈打った。




乙名の言う状況を、春平は確かにひとつだけ知っている。


「俺はあの日――確かに死んだんだ」


悲しそうに、乙名が微笑んだ。


「あの日救急車で運ばれた俺を放心状態で見つめていたお前を、俺はいつまでも忘れられないよ」












路地裏で女性が小学生男児を暴行。


1人は無傷だがPTSDの表れる可能性が高く、もう1人は暴行、性的暴行を受けて身心共に重症、全治3ヶ月。


その事件はまたたくまに広まり、全国的なニュースになっていた。


まだ未成年ということとあまりの被害にマスコミも騒ぐことはせず、暴行を受けた少年・乙名雄輝は静かな環境で入院生活を送っていた。


だけど我が子の身を心配する母親が何度も『面会謝絶』の札がはられている病室へと詰めかける。


「雄輝っっ!雄輝は無事なんですか!?一目でいいから会わせてっっっ!!」


「お母さん、落ち着いてくださいっ!今は雄輝くんのことを考えてどうか静かに時が経つのを待ってあげてください!」


看護師が必死に取り押さえるが、母親は廊下で金切り声を上げながら泣き叫び続ける。


そんな喧騒を聞きながら、雄輝は茫然と天井を見上げていた。


眠ることもできず、かといって動くこともできず、何か食べたいわけでもなければテレビを見る気力もない。


ただ、時が経つままに生きているだけだった。


そしてふと事件のことを思い出し、激しい吐き気に襲われることが多い。


そんな、生きているか死んでいるか分からない自分。


いや、乙名雄輝の心はすでに死んでいた。




しばらくしてからようやく歩けるようになり、少し自分でも外の空気を吸おうと思えるようになってきた。


許可を得て屋上へと足を踏み込む。


柔らかい春の風がふんわりと茶色く染めた髪の毛を撫でていく。


自分はどうして死ねなかったのだろう。


なぜこんな辛い思いをしながらも生きていようとしているんだろう。


自分の生命力が嫌だった。


そんなとき、自分以外にも人がいることに気づいた。


茫然と立ちながら、なぜか自分を睨み付けている女の子。


全身に包帯を巻かれて顔しか肌の色が見えない状態だ。


「お前、なまえは?」


そう尋ねられたが、今は誰とも話す気力がなかった。


しかし少女は気にすることなく勝手に話を続けた。


「オレ、桜春子」


睨み付けたまま話しかけてくる春子を「自分のことをオレって呼ぶなんて、へんな子」くらいの認識で見つめていた。


「お前、女に半殺しにされて入院したんだろ?すっげー噂されてた」


「………………」


「どうして生きてるんだ?」


春子の言葉は、弱っている雄輝の心に痛いくらいに突き刺さった。


その表情を読み取ったのか、春子は楽しそうににやりと笑った。


「なぁ、オレもすごく辛い目にあったんだ。死なないギリギリのラインでずっといたぶられるんだ。なかなか殺してくれないんだ。それがどれだけ苦しいことかわかるか?」


わからない。


わからない。


春子の言っていることは、今の状態の乙名には難しすぎて理解できない。

だけど、「どうして生きているんだ?」の一言が妙に心に残っている。


「いっそ死にたい。どうして殺してくれないんだろう。死にたいのに、死にたいのに……そうやって考えているうちに、ひとつの決断にいたった」


女の子らしくない、ついでに言うと子どもらしくない口調で春子は語気を荒くしながら続けていた。


しかし、ぷつんと糸が切れたように春子の呼吸も整っていった。


「簡単だったんだ」


ぽつりと呟いた春子の表情が気になって、横に視線を向けた。




そこには、見たこともない人間の残虐な笑みが浮かんでいた。



「死んじゃえばいいんだよ」







にっこりとした春子の笑みが、乙名の網膜に焼きつく。




「乙名、死んじゃえ」



10年前、あの事件で一緒にいた同級生は乙名だった。


次回、乙名の本当の気持ちが明らかになる。

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