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アロエ  作者: 小日向雛
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第103話 再び動き出す

春平はナイフを取り出すと体を低く保ったまま店員に突っ込んだ。


まさか銃を持った人間に飛び込むだなんて破天荒なことをするとは思っていたらしく、店員の懐に入るのは簡単だった。


そのまま何の躊躇もなく、ナイフを脇腹に突き立てた。


「えっ?お前、えっ?何して――」


動揺したようにそこまで言って自分の状態を理解したらしく、真っ青な顔で断末魔の雄叫びをあげた。


その叫び声に刺激されたのか、腹から飛び出た血が春平の顔にかかる。


しかし春平は何の困惑もせずに店員の髪の毛を乱暴に引っ張ると顔を近づけて睨み付けた。


「なぁおい、どうせそれも演技なんだろ?」


「なっ、あひっ、ひっ……っく、あぁ……」


恐怖で声が出なくなったのか、店員はぼたぼたと涙を流しながら嗚咽をもらしていた。


「非常階段はどこにある」


「うっ……その……助け、助けてくれたら教えるっっ!」


店員のその一言に、春平の目の色が変わる。


激しく店員を蔑み憎むような眼光を向けて、春平はナイフを首にあてがった。


「なぁおい立場わかって言ってんのかよ、人のこと撃っておきながらよぉ」


軽くナイフの背中で首を擦っただけで、店員は何度か呼吸を止めていた。


「非常階段はどこにある」


「っ、え、エレベーターを出た右っに……っう」


「それも演技で嘘だったら戻ってきててめぇぶっ殺すからな」


せめてもの情けなのか、春平は店員を投げ飛ばすようなことはせずにその場に座らせると、乙名を背負ったまま硬直している浜田に視線で合図した。


浜田はハッと我に返って春平の後を追いかける。





自分でも身震いするほど、春平は集中していた。


エレベーターまで走ると、階段の扉前に店員が2人待機していたのだ。


しかも今まで春平に立ち向かってきた情けない風貌ではなく、いかにもスポーツか何かやっていたというどっしりとした体格の男2人だ。


明らかに自分よりも体格がいい。

だが、だからといってそれが春平の不利に直結するわけではない。


春平が得物を持っているとわかると、男たちの体が一瞬強ばった。


その隙に小さな体を俊敏に動かして、相手の懐へと潜り込む。


「なっ――!」


慌てた敵のわき腹にそのままナイフを突き立てる。


咄嗟に避けられたので突くことはできず、かするだけになってしまったが、それでも十分なダメージだ。


しかし相手が屈強な2人とあっては押しきることも難しい。


「あんまり調子に乗るなよ、春平くんよぉ」


もう1人の男に手首を乱暴に握られ、春平の手のひらからナイフがこぼれた。


「――っち」


ナイフをとられては反撃の余地がないので、床に落ちたナイフを遠くへ蹴り飛ばす。


そしてくるりと体を折り畳むように丸めると、引っ張られる力と相手の体重が相まって、面白いように体が転がった。


仰向けになった相手の足を拘束し、締め上げる。


「ぎゃああああああ!!」


悲鳴と同時に相手が床をタップするが、これは競技でも何でもない。


春平は恐ろしいほど冷静な顔で遠慮なく締め上げる。


そして、ゴキンという何かが外れる音と同時に男が断末魔の叫びを上げた。


「よし、降りるぞ」


「えっ!?あ、はいっ……」


何事もなかったかのように言う春平と、その足元に転がる男とのギャップについていけず、浜田は声を裏返した。


こういう状況を初めて目の前で見て、恐怖しているのだろう。


春平は構わず非常階段の扉を開ける。


「乙名、大丈夫か」


返事はない。


顔を真っ青にして浜田の背中でぐったりとしているのを見て、浜田は困ったようにため息をついた。


「体が弱っているところを連れ出されたから、具合悪くなったのかもっすね。足も応急処置しているとはいえ、相当ひどいことになってますから」

ならなおさら、早くしなければいけない。


階段を下っていくと、連絡を受けたと思われる社員たちが自分を待ち構えていた。


どう見ても最初の弱々しい社員と同じレベルにしか見えない。


――つまり、下で待ち構えているか、別ルートにいるのか。


乙名や沖田の言葉を信じると、やはりそれ相応の戦闘能力を持つ社員がいるはずだ。


このまま押しきって下っていくことも不可能ではないが、数で不利なのは間違いない。

それにこちらには乙名を背負った浜田がいる。


ここで2人が捕まるのだけは避けなければいけない。


「よし、浜田。絶対に俺の後ろについてこいよ」


浜田が返事をする前に、春平は飛び出した。


折り畳んだナイフを取り出すと、明らかに社員は怯んだ様子だ。


そこで階段を降り、目の前まで接近する――と見せかけて、春平は非常階段の扉を開けて脱出した。


「なにっ!?」


驚愕の声を上げてざわめく社員とはうらはらに、浜田は冷静に後を着いてきた。


「こんなの、ちょっとした時間稼ぎにしかならないけどな」

苦笑しながら、誰もいない廊下をかけていく。


どうやら春平たちが非常階段で下っていることからほとんどの社員がその妨害に向かっているようだ。


そのまま走り、あらかたの社員が非常階段から出てきたところで再び階段で下を目指す。


「浜田、距離をおけっ!」

手で制しながら、春平は血が流れている方の腕で思いっきり窓ガラスを叩き割った。


「なっ――!!」


自傷行為に唖然とする浜田をよそに、春平は服を脱ぎ捨てて乱暴に腕に巻き付けた。


「こうやって撹乱するんだ。ついでに今までさんざん血ぃばら蒔いてきたけど、ここらで止血しとけば、完成」


すると廊下に点々とついている血の跡が割れた窓ガラスの前で途絶え、まるで窓から飛び降りたかのような跡が完成した。


「さっ、行くぞ」


そして再び闇雲に広いビルの中を走り抜ける。すると階段の方向からは社員の声が聞こえてきた。

思惑通り追いかけてきたようだ。


このままいけば、とりあえず下の階へと下ることができる。


思いながら走っていたとき――


肌に、電撃がぶち当たったかのような衝撃が走った。


腕の痛みではない。

もっと精神的で、胸の内から広がっていくこの憎悪とも恐怖ともつかない気持ちの混濁は――


慌てて立ち止まり、横を振り返った。

ちょうどT字の廊下を、誰かが通りすぎていくのが見えた。


顔ははっきりとは見えなかった。


だが、流れた癖のある黒髪と、灰色のスーツに包まれた筋肉質な体がちらりと見えた。


たったそれだけだ。


人影はすぐに見えなくなり、こちらにも気づいていないようだった。


「どうしたんですかっ」


息をきらしながら浜田が尋ねる。

肩で息をしているが、乙名を背負ってここまで春平の後についてきたのだ、どれだけ鍛練をした優秀な社員かがわかる。


「いや……」


知り合いのような気がしたが、どうにもわからない。


今の興奮しきった春平の頭では、冷静に知人のことを思い出すなど不可能だった。


だが、どうしても嫌と言うほど知り合った人のような気がしてならなかった。


「まぁいい」


今はここから脱出することが重要だ。


だいぶ社員が廊下に溢れたのを確認して、春平たちは非常階段へと戻った。


散り散りになった社員のひとりやふたりが目の前に立ちふさがったところで何の問題もない。


階段を降りていくと、社員の姿はほとんどなかった。


「もっと体格のいい奴らに妨害されると思っていたんだけど……」


「ここはあくまで大会社の支店のようなものですから、そのような人は駐在していないんです。ただ、今回は乙名を捕らえたことで少しずつそういう人も配置されてはいるんですけど――」


「それよりも便利屋の方が迅速に動いたということか」


「はい。やはり、沖田さんがいち早く今回のことに気づいたのが幸いしました」


「……やっぱり、お前は無理矢理弱みを握られて二重スパイに仕立てられてたんだな」


強気に笑って見せると、浜田は恥ずかしそうに顔を赤くした。


「そう思いますか」


「裏切るような奴じゃないだろ。勘だけど」


背後をついてくる浜田を顔だけ振り返って見る。


浜田は何も言わず、嬉しそうに照れ臭そうに笑っているだけだった。


そうしていると、ほとんど難なく一階にたどり着いた。


――扉の前に誰かいる。


微弱ながら人の気配がする。


普段なら感じとることさえできない気が、極限まで研ぎ澄まされた中で感知できる。


――このまま扉を開けたら、陰から鈍器で殴られて一発かな。


ナイフを握りしめて、一度静かに息を吸った。


同時に、相手が驚くくらい乱暴に扉を開けた。


そしてまだ見ぬ人影へと向かってナイフを突きつけた。


どうやら読み通り社員がバットを持って待ち構えていたようだ。


屈強な男の腹に、ナイフが刺さる。


「――――――っ!」


一瞬怯んだのを好機と見て、そのまま渾身の拳をめり込ませ、すぐに床に手をつけた低い姿勢になり足払いをする。


――相手が自分より力があるとわかったなら、それよりも早く動けば問題はない。


腰を打ち付けて倒れた社員に馬乗りになって、あとは躊躇なくボコボコに殴り付けた。


顔を腫らしてぐったりとしたのを確認してから立ち上がる。


ここは倉庫の中。

あとは目の前の扉を開くと最初やってきたエレベーターのある製品置き場があり、さらに扉を開くともうすぐそこは一般人の入り交じる店の中だ。


この倉庫内には今倒れている社員しかいない。


それを再度確認してから、後ろの浜田を見た。


「店に出たら全力で逃げられるか?」


「問題ないです。正田さんがここに来たのを確認したときに助けを呼んでいたので、すでに外で待っているでしょう」


「……おい、顔が青いぞ」


不審に思って尋ねると、弱々しい声で「手ぇ……」と返ってきた。


「血だらけですよ……」


「は?腕からも流れてるんだし当たり前だろ。今こいつを全力で殴ったから拳もイカれたかも」


痛みなど感じない。


それゆえ、そんな会話で自分が怪我をしていることを冷静に思い出すと、途端に貧血で目眩が起きる。


ふらっと体を壁にもたれかけると、だんっと激しい音が響いてしまった。


「手当てしましょう!」


「いや、追っ手が来たら骨が折れるからとにかく早く脱出することが優先だ。――お前も、ずっと乙名を背負って走りっぱなしだ、辛いだろ」


「諜報科として、ある程度は鍛えてるから平気です」


とは言うものの、すでに肩で息をして足もガクガクと震えているようだ。


それを横目で見てから、春平は扉を一切の躊躇なく開けた。


するとそこには、屈強な男が1人立っていた。


がっしりとした筋骨隆々の体、動きやすそうな灰色の作業着、手に持った鉄パイプ、野獣のように鋭い目。


明らかに今までの奴らとはレベルが違う。オーラがそれを物語っている。


「あいつらでこんなチビごとき簡単に捕らえられると思ってたんだがなぁ……得物とは、ずいぶん卑怯だと思わねぇか?」


どっしりとした重低音の声が、威圧感を与えている。春平が興奮でぶるりと体を震わせた。


「あいにくヒーローでも何でもなく、どんな卑怯な手を使ってでも任務を遂行するきったねぇ男なんでね。そもそもバットやら鉄パイプやら持ってるお前らにだけは言われたくない」


強気に微笑んで見せると、男は納得してるのかしてないのか、どこかぼうっとした様子でパイプを肩に担いだ。


ある意味では、春平の戯言なんて気にもとめていないようにも見える。


「浜田」


背後を振り返らずに声をかける。


「俺がこいつを押さえてる隙に全力で店内に飛び出せ」


この勝負、どうなるか分からない。

自分もこの男から逃げ切れるか分からない。


ならば隙を見て逃がすより方法はない。たとえ自分がどれほど窮地に追い込まれようが捕まろうが。


「……はい」


春平の意思を組んで、浜田は力強く頷いた。


「おいおい、そう簡単に突破させるわけないだろーが。他の奴らと違って、俺はそんなちっぽけなナイフじゃ怯まねぇよ」


左手を下に向けてぷらぷらと振っている様は、明らかに春平をバカにした態度だ。


「便利屋の特衛科なんてしょせんはイロモノのお飾り、負けるわけもないでしょーが。鍛え方が違うんだよ」


イロモノ呼ばわりに、ぷつんと何かが切れた。


いや、すでにキレているのに拍車をかけて、完全に理性を失ったと言ってもいい。


「じゃあイロモノのお飾りに負けるわけはないな」


勝つことは目的ではなかったのだが、ついつい乗せられて今回の仕事を忘れてしまう。


すると男は鉄パイプを持ち上げて、そのまま壁に打ち付けた。


激しい金属音が鼓膜を震わせる。


「これ以上、便利屋に邪魔をされるのは虫酸が走る」


さきほどは余裕たっぷりの口調だったのだが、そこには怒りさえ垣間見える。


「俺の背後に回すつもりはねぇからな」


俺の言葉を受けて、ナイフを強く握りしめる。


今はこの男と向き合うことしかできない。

背後からは苦しそうな乙名の息づかいが聞こえる。

だが、振り返って確認はできない。


――浜田なら、うまくチャンスを見つけて逃げ出してくれる。


頭の中ではそれなりに冷静な判断をしながら、ナイフを構えた。


そして――床を蹴って男に近づく。


腕力で敵いそうにないなら、こちらは小さい体を活かして動き回ればいい。


そのままナイフを相手の腕へ突き刺すように伸ばした。

相手が横へそれたらそのまま第二の攻撃に移す自信はある。


しかし、相手は避けなかった。

そのまままったく動かない静止状態を維持していた。


当然、ナイフは腕に深々と突き刺さる。


「なっ――!」


予想外の行動に春平が瞠目するが、男はまったく表情を変えないまま口だけを動かす。


「言っただろ、ナイフなんてちっぽけなものじゃあ俺は怯まねぇぞ」


言って、男が鉄パイプを斜め上から降り下ろした。


「くそっ」


深く突き刺さるナイフを引き抜いていたら鉄パイプで頭部をぐちゃぐちゃに潰されてしまう。


咄嗟に引き抜くではなく横に体重をかけて切り抜くことでナイフを腕の中から取り出し、そのまま抜いた遠心力を利用して床に転がり込む。


隙を与えないためにすぐさま立ち上がり、背後へ回って背中を突く。


――つもりだったのだが、なぜか前を向いていたはずの男がこちらを向いている。


驚く間もなく、鉄パイプによってナイフの軌道が変えられてしまった。


だがそこから脇腹を切り抜けばいい。

そうして振り抜いたナイフさえ、易々と避けられてしまった。


そしてよろめいた春平の顔面に、鉄パイプが迫り来る。


「―――――」


回避不可能。

背後に飛び退いたところでパイプの射程距離内におさまり、床に座り込めばさらに激しい二波が来ることは明らかだ。


両腕で顔をガードし、真っ向から鉄パイプの攻撃を受ける。


腕にパイプがめり込むのを確認して、春平は背後へ跳んだ。


鉄パイプの力に逆らわず吹き飛ばされれば、力が分散されて受けるダメージも少ないだろうとの考えだったのだが、だからといってダメージを受けないわけではない。


腕が悲鳴をあげる。


押しの強さに負けて体が壁まで飛ばされ、背中を強く打ち付けた。


そこに追い討ちをかけるように男が近づいた。


そして、なんの躊躇もなく鉄パイプが春平の腹に振り下ろされた。


「――――――っ!!」


声にならない悲鳴を上げて上体を折り曲げた。


「アバラ3本くらいイッただろ?俺の腕をヤってくれたお礼だよ。乱暴に切り抜いたりするからさ、神経も筋肉も切れてるよー、コレ」


まったく気にした素振りはない。

まるで痛みなど感じていないように。


「さ、あと一発入れたら後ろの二人を回収するかな」


そして、鉄パイプが振り上げられ、春平の頭を狙う。



だいぶ前回の更新から空いてしまいました。

現在3話書きだめております。


次回は時間を空けず更新できますので、よろしくお願いします。



さて、絶体絶命の春平。

次回決着です。

そして沖田の話が少し出てきます。


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