第101話 乙名の危機、沖田の思考
相手の会社は「表向きは」なんてことはないペットショップだ。
小さな店ではなく、他の店へペットを送る大会社で、そこではさまざまな交配種の研究や海外とのペットを通じた連携が行われている。
もちろんビル一階部分は普通のペットショップを経営しており、乙名はカジュアルな格好でそちらに出向くことになった。
赤チェックのジャンパーにカーキ色のズボン、スニーカーという格好で平日の昼間にガラス越しに猫を見る。
猫は何も言わずにじっと乙名を見つめ返し、しかし興味をなくしたように顔をぷいっとそらしてしまった。
――あーぁ、ふられた。
そんなことを考えていると、横にぴょこんと女性が現れた。
長くふわふわな茶髪を垂らしてじぃっと猫を見る姿に心臓が早鐘を打った。
そんな行動が、どうしてもミミに見えてしまったのだ。
乙名の視線を感じて女性がこちらを振り向く。
薄化粧なのに充分目鼻立ちがくっきりとした女の子だ。
乙名が警戒を解くようににっこりと笑うと少女もにっこりと笑った。
こんな平日の昼間にいるのだから、大学生だろうか。
「猫、かわいいですよねー」
少女が嬉しそうに言うのを見て、乙名は目を細める。
「うん。可愛いですね」
その目線は少女に向けられている。
「え?」
ばっちりと目が合ってしまったのにも関わらず乙名は自信満々に少女を見つめたまま口を開いた。
「かわいい」
その一言に少女の顔が真っ赤に染まった。
照れているようで、複雑な表情をしながらうつむき、「そ……ですね」と気まずそうだ。
その反応が余計に可愛くて乙名はにっこりと笑った。
「そうだよ。1人なの?」
「私……?」
「君以外に誰がいるの」
乙名が含み笑いをすると、少女は耳まで真っ赤にしてしまった。
「1人です、けど」
この質問に1人と答えるのならばそれなりには好感を持ってくれているのだろう。
手応えを感じた乙名が「じゃあ――」と続けようとしたとき
「みぃー」
と可愛らしい鳴き声が背後から聞こえてきた。
振り返ると、腕に手のひらサイズの子猫を抱いている若い男性店員がいた。
なんだか出会いの邪魔をされた感が拭えない乙名は苦笑しながらも少女に視線を送った。
彼女も同じことを考えているようである。
「猫は可愛いですよねー。よかったらだっこしてあげられるので、遠慮なく声かけてくださいねー」
「はーい」
にっこりと愛想笑いをする乙名の横で、少女はこれ以上乙名と関わるつもりはないらしく「それでは」と頭を下げていそいそと離れていってしまった。
「………………猫、抱いてもいいですか?」
ぶすっとした表情で店員に声をかけるが、彼は嫌な顔ひとつせずに微笑んでいる。
「どの猫がいいですか?」
「その、抱いてるやつで」
「この子?可愛いでしょー。つい1ヶ月前に生まれたスコティッシュフォールドの仔猫ですよ」
「ふーん」
手にした猫は、腕が浮き上がってしまうほど軽かった。
こんなに小さな命もあるのだ。
「――異常は?」
ぼそりと、乙名は店員にしか聞こえない声で呟いた。
「あ、そのキャットフードの在庫ですか?えぇっと……こちらに陳列してありませんでした?」
店員は笑顔を崩さないまま答え、そのまま乙名をキャットフードコーナーへ誘導する。
「まぁ商品の在庫の流通に関して異常はありませんが、私個人としてはオススメしませんねぇ。けっこう猫によっては嫌がることもありますし圧倒的に不人気ですよ」
――なるほど。
乙名は唇を噛んで小さく微笑した。
彼の言い分からすると、どうにも嬉しくない事態ではあるようだ。
情報の流通に関して異常はない。
ただ、好ましくない事態が起きているようだ。
「うちの猫には合うかなぁ」
このとき、たいていは上手く隠喩で伝えるものなのだがなぜか彼はそんなことはしなかった。
「この商品はオススメしませんけど、同じ社から出ている別の商品はうちのペットショップでは大人気ですね」
「………………」
――なんだ?
意図が掴めず困惑する乙名。
何か、乙名を揺さぶろうとしている感じがする。
なるべく動揺を隠し、平然と乙名は尋ねた。
「どの商品ですか?」
「まだ店頭には出してないんですけど、今サンプル持ってきますね」
「――サンプル?」
言葉の言い回しに明らかな不信感を示し、ついつい思ったことが口に出てしまった。
なぜその「商品」を持ってくると言わないのか。
好ましい状態ではない。
ただ、別の朗報がある。
なのに「サンプル」と言うあたり、その情報をあっさりと知らせるつもりはないらしい。
「えぇ、サンプルですよ」
にっこりと、店員は微笑む。
にっこりと、潜入している同僚が微笑む。
「サンプルじゃなくて商品を持ってきてくださいよ。オススメするなら買いますから」
「最初のお客様にはサンプルを渡さなければならないんですよ。そういう決まりで」
「――――――」
ますますわけがわからない。
しかし彼は「ついてきてください」と言って店の奥に乙名を誘導した。
本来はここで滞りなく情報を伝達する手筈だったのに、なぜか彼は乙名を会社の中へと立ち入らせた。
彼が何を考えているのか思いを巡らせて、しぶしぶついていく。
とんでもない情報だから「サンプル」という形でワンクッション挟みたいということでもないらしい。
まるで、その情報事態伝える気はあるのだが、核心まで触れさせてはいけないと
――圧力をかけられているよう……。
そこまで考えて、乙名は自分の思考の浅はかさに肝を冷やした。
圧倒的不人気な情報。
身内で大人気の情報。
かといってそれを伝えることはできない。
だが――サンプルは見せる。
便利屋にとっては都合が悪く、こちらの会社にとっては都合が言い情報の片鱗を、今から乙名に「見せつける」。
そう、上からの圧力で。
――はめられたっ!
慌てて乙名が身をひるがえしたときにはすでに扉が閉ざされていた。
「ちっ!」
舌打ちすると同時に、同僚が乙名めがけて拳を降り下ろした。
避ける余裕はないのでそれを左手で叩いて軌道を変え、その隙に右拳を彼の腹にめり込ませた。
とんでもない衝撃に、同僚は呼吸を止め、胃からせり上がってきたものを吐き出した。
「馬鹿野郎っ!お前が俺に敵うわけねぇだろ!」
げほげほと咳き込む同僚に言葉を投げつけると、ふと背後に気配を感じた。
「そうかいそうかい」
「っ!」
風を切る音に反応してその場にしゃがみこむと、案の定横殴りにされるところだった。
そのまま左足を軸に体を回転させて相手の足元をすくう。
まぬけな声を漏らしながら転んだ男。
乙名が安心して立ち上がると
「チェックメイトというやつだよ、乙名くん」
首もとにひんやりとした感覚があった。
背後から抱かれる形で刃物を向けられている。
「さすが便利屋の諜報科なだけはある。相当の武術の持ち主だな。特殊護衛科に行くべきではなかったか?」
男が耳元で下品に揶揄する。
正直護身術程度しか身に付けていなかったのだが、わざわざ自分の弱さを露呈する必要はないので黙っていた。
ただ冷静に、現状と今後のことばかり考えていた。
「二重スパイか」
「そういうことだ」
つまり同僚は相手方にバレてしまい、便利屋の情報をそのまま伝えようとしていたのだ。
便利屋にとっては潜入スパイが捕まり二重スパイに仕立て上げられていたという好ましくない情報だが、ペットショップ側からすると朗報だ。
だがそれを最初に乙名に告げるわけにはいかない。だから「サンプル」という言葉を使ったのだ。
同僚は敵。
しかし心の底からの敵ではなく、相手に圧をかけられて敵になってしまっただけでこちら側の人間だ。
――純粋に俺に何らかの形で助けを求められなかったのは、ひとえにこいつの能力不足か……。
そうなると誰も責められない。
「だが俺を捕まえる必要はあったか?」
ここで情報を得て乙名を逃がした方が、今後も何一つ疑われることなく諜報活動ができたであろうに。
「ある。私たちにとっては、今後微々たる情報のやりとりをするよりも、便利屋の核となる人間を捕まえて情報を吐き出させた方が何倍も利益があるのだ。核となる人間、すなわち欲するのは沖田、桜、そして乙名」
「………………」
「なるほど。それで、俺を二重スパイに仕立てあげるのか?」
「馬鹿なことを。そんなこと、無理であるのは百も承知」
どう転んでも、乙名は相手に捕らえられた身であって、それ以外の何者でもない。
できることは、乙名からの情報搾取のみ。
それはこの2つの会社間で何かが勃発してでも成功させたいことだったらしい。
「わかってるだろ?俺を捕まえたことで、何かが起こるなんて」
嘲笑う乙名に、男性もナイフを突きつけたままにやりと笑った。
「当然だ。もちろん手立てはある。たくさんの手間がかかろうと、お前がほしかった」
「――そんなうすら寒い台詞は女に言っとけ」
「軽口を叩くな。これからお前に何が待ち受けているのか、理解できないわけではないだろう?」
言われただけで、額の裏がひゅうっと刺すように痛んだ。
これから待ち受けているのは、いっそ殺してくれと言わんばかりの拷問か、自白剤か。
――どちらでも構わない。
自白剤の訓練も少なからず受けている。拷問は日課のように受けてきた。
ただこの後、両会社がどんな方法で動き出すのか、
今は自分の身の安全よりも、心配だった。
一汗かいてシャワーを浴びて、さっぱりした気持ちでベッドに横になった春平。
時計は夕方をさしているし、腹の減り具合から考えても間違いはないのだろうが、やはり窓がないので不安な気持ちにはなる。
それが正しい時間なのかわからない。
小さくため息をついてゆっくりと本を開いた。
数日前、乙名は怒り心頭で自分を見ていた。
――他人事なのに、どうしてあんなに親身になれるかな。
なんだかんだ言って、やはり根はいい奴なのだろうな、と思いながら瞼を閉じた。
覚悟を決めても、やはり自分を心配する顔が頭から離れてくれない。
――美羽ちゃん……組をあげて全力で捜索してなきゃいいけど。
考えて、不謹慎ではあるがついつい笑ってしまった。
――自惚れもいいとこ、か。
初めて美羽に会って依頼が済んで怒鳴られたときを思い出して、心が温まっていく。
もうああして、顔を合わせることはない。
途端に、笑みは跡形もなく消え去ってしまった。
読みかけの本は、もう読む気にはなれなかった。
同刻、3階への連絡事項を済ませた沖田は、非常階段を降りながら思考していた。
本来ならエレベーターを使ってすぐにでも別業務へ向かうのだが、わざわざ非常階段を降りたのは考えをまとめる時間がほしかったからだ。
――乙名くんの帰りが遅い。
情報の交換などをした日は、どこにも寄らず最速で戻ることになっている。そうして情報の漏洩を防いでいるのだ。
――まさか乙名くんが寄り道なんて考えられない。仕事には神経質なほど真摯な乙名くんだ、何か問題があったのか……。
何かに巻き込まれたときは携帯での連絡、それができないときはベルトに仕込んでいる無線ボタンを押して緊急事態ということを知らせる手筈になっている。
――それさえも許されないような、緊急事態……。
考えているうちに階段を降りきってしまっていた。
もしものときは、最悪の事態を考えるべし。
最も最悪なのは――乙名雄輝の「体」の死。
次にあげられるのは拉致監禁。
そして――ターゲットとの間に何らかの異常が発生したか。
沖田は周囲に当たり障りのない笑顔を振り撒き、他愛ない言葉を交わしながら、内心では恐ろしく冷静で冷たいことを考えていた。
――死は手のつけられない事態だ。それを想定するぐらいなら、拉致監禁とターゲットとの異常接触について対策を練るべき、か。
何らかの事件事故に巻き込まれ拉致監禁されたのなら、ベルトの無線が使えるだろう。
乙名ならなおさら、その無線の存在を覚られる前に実行できる確率はほぼ100パーセント。
――できないのなら、同業者との接触の可能性がおおいに高い。
同業者、ことさら便利屋のことを知っているのならば、ほしい人間は自ずと限定されてくる。
――同業者ならこちらの情報を欲している可能性が高い。それなら乙名くんを選んで拉致監禁しているのだろう……。乙名くんにどれだけの価値があるのか、そこまでわかっている人間だ。
となると相手の仮の「同業者」の正体が限定される。
――やはり行った先で捕まったと考えるのが妥当。
取引先と電話で会話しながら、やはり頭の中の大部分を占めているのは乙名のこと。
だからといって取引先との電話を疎かにするような真似はしない。
忙しいときに別のことをしながら別のことを考える――この便利屋勤務で沖田が修得した能力だ。
――乙名くんのヘマとは考えにくい――となると、予想外の事態に適応する気がなかったのか。
そんな事態に陥るとしたら、やはり考えられるのはただひとつ。
――仲間との接触異常。第一にあげられるのは、きっと……いや、高確率で仲間の裏切り。二重スパイ!
頭の中ですべてがひとつに繋がった。
諜報化の仲間が裏切ったのか、もともとこちらを騙し潜入していたスパイなのか、脅されて二重スパイになったのかは後で片付ける項目だ。
――これは僕の独断だけで行動できる問題じゃない。すぐに社長に連絡を入れないと……
本来ならこちら側だけで対処するのが妥当ではあるが、乙名雄輝損失のリスクはあまりにも高い。
それなら手間ではあるが社長に話をつけた方がいい。
――相手が悪かった。
電話を切ってから、沖田は颯爽と立ち上がってエレベーターへ向かった。
その表情は明るい笑顔ではあるが、心からにじみ出る苛立ちと憎しみ、焦りは隠しようがなかった。
最近タイトルが長い件について←
でも今回の見せ場は乙名がピンチ!ということと沖田がすげぇ!ということでしたので^^
沖田、桜、乙名は便利屋御三家です。
さ、次回からはいよいよ主人公さんが行動開始!がんばれ春平ー><
そして鬱展開が続いていますしこれからも続くので、ここらでちょっぴり息抜きとしてアロエ短編でも挟んだ方がいいかなーと考え中……。