第99話 本社最大の秘密
――死ぬ覚悟。
どくんと心臓が脈打った。
沖田の言葉の意味がわからなかったのだ。
死ぬ、とはどういうことか。
乙名に会いたいなら、会ったらすぐ死ねということか。
それとも――
「詳しい説明は省かせてもらう。死ぬ覚悟があるというなら乙名くんに会わせてあげられる。死ぬという言葉の重みが理解できるなら」
僕が、社長に頼んであげる。
確かにそう言ったのだ。
「頼んであげる……?」
社長という雲の上の存在に対して、頼んであげると言ったのだ。
まさか一社員のそんなわがままじみたことが通用するとは思えない。
――かつがれている……?
考えて、すぐに払拭した。
そんなことは万にひとつもありえない。
沖田は、どんな場面でもどんな相手でも、仕事には真摯に向き合う。
彼の言葉は、無条件で信用に値する。
何か策があるのか――
死ぬ、というのは決して大げさに比喩したものではない。
言葉通りの死を意味している。
だから沖田は何度も春平の気持ちを確認したのだ。
――死んでまで、乙名に会うか。
春平はゆっくりと目を閉じた。
まず頭に浮かんだのは寺門の姿。
自分が死んだらどれだけ悲しむだろうか。
河越さんも、高瀬だって悲しむかもしれない。
自分に危険が及んでいることを感じて忠告をくれた美浜、春貴――
自分を信じてくれた仲間たち。清住、久遠、右京。
そして、何が起きているのかもわからないまま取り残されるミミと万……
春平は目を開いて、穏やかな様子で沖田に尋ねた。
「別れの挨拶はできるかな」
「できない」
「そうか……」
残念に思って小さくなる声だが、表情は変わらない。
覚悟はできている。
「――わかった」
「っ!」
沖田はひどくショックを受けた顔で春平を見ていた。
なんだかんだで、春平は考えを改めると思っていたのだろう。それくらい利口である、と。
春平も、深く考えた。
考えた上で、自分が死ぬことを良しとしている人はおそらく反対する人より少ないということがわかった。
だけど、どうにもできなかった。
それよりも、乙名が気にかかって仕方がなかった。
きっとこの先の人生、人に迷惑をかけて生きていくだろう。
ならば、せめて一回でもいい、それがたとえわがままなエゴだとしても、誰かを助けたい。
自分は、自分の思い通りの世界でしか生きていたくない。
とことんわがままな春平の出した結論だった。
「死ぬよ」
「っ………………」
何かを言おうとして、沖田はそれを悔しそうに呑み込んだ。
きっと春平を止めたかったのだろう。
だけど、覚悟を決めた春平を揺るがすことはできないと判断し、口を閉ざした。
――沖田は、強い。
改めて実感して、春平はそっと微笑んだ。
死を認識した人間の悟りとでもいうのだろうか。
でも死ぬのが平気なわけではない。
そんな人間はどこにだっていない。
割りきったつもりでも、やっぱり死は恐ろしいものだ。
死ななくていいのにわざわざ死を選ぶわけがない。
そんな生き物、どの世界のどの時代にもいない。
ただ、死ぬほどの後悔もある。
そして、もしかしてという救いを期待している。
春平がそっと微笑むと、沖田は耐えきれなくなったように顔を背けた。
その瞳はうっすら涙で濡れていた。
「――覚悟のほどを、社長に見せてもらう。社長が春平くんにその覚悟と資格があると判断したら、もう何一つ隠しだてすることもないし依頼を操作されるようなこともなくなる」
はっきりと言い放つ沖田。
依頼操作のことも、春平がすでに知っているていで話している。
「わかった」
完全に外部の光を遮断して、人工の光が煌々とひかっている社長室の中、目の前のソファにどっしりと座って値踏みするような視線を向ける社長の前に、春平と沖田は直立不動の姿勢をとっていた。
「……あぁ、そうか」
沖田の話を聞いてからずっと口を閉ざしていた社長が、そっと言葉を紡ぐ。
老齢でひげをたくわえ禿げ上がった彼ではあるが、その言葉のひとつひとつに、人を服従させるほどの力が宿っている。
「こいつはまぁ、バカではあるが発言を違わぬやつだ。――できないことは口にしない」
だから「あのとき」、勢いに任せて久遠のかわりに戦地へ向かうなんて世迷い事は言わなかった。
そう、古傷をえぐられているような気分だ。
社長は自分のひげをもしゃもしゃと触りながら、春平を頭のてっぺんから足の先までなめまわすように見た。
「もともとこいつは邪魔な存在そのものだったからな、こうして手中に収まるならいい機会だ。……よし、殺せ。乙名との面会は、その後だ」
「では殺処分が済みましたら乙名に向かわせます」
「よし。用件がそれだけなら出ていけ」
なんとも愛想のない言い方である。
しかし――ひとつわかったことがある。
春平は、物理的に殺されるわけではない。
――なんとなくわかってはいたけど……
確信はなかったから、本当に死ぬ覚悟はしたのだ。
――きっと俺は、死んだ乙名雄輝のようになる。
沖田が死について深く説明をしなかったから、もしかしたらという気はしていた。
ただ、それがどういうことなのかはまだわからない。
社長の機嫌を損ねる前に社長室を出て、エレベーターに乗り込んでから沖田は携帯を使用した。
何かを手配しているようだ。
1階まで降りてから、沖田はフロントへ向かった。その場に春子の姿はない。
「社長の命令で春平くんを妙安寺まで送ってくる」
フロントの女性にそう伝えると、女性は心底驚いたように目を丸くした。
「へ?あぁ、うん。帰りは何時?」
「片道けっこうかかるからねー。今日はそのまま上がれって」
「沖田くんがねぇ……。珍しいこともあるものね。わかった、お疲れさま」
あまり納得はしていないようだが、すんなりと受け入れてくれたようだ。
春平が不思議そうな顔をしていたので、沖田は恥ずかしそうに顔を綻ばせた。
「自分で言うのも何だけど、わりと本社に缶詰めの忙しい日々を送ってるから」
「そりゃあ……確かに自分で言うことじゃねぇな」
「やめてよ。それに――このことは、僕以外は誰も知らない機密だから」
「………………」
「誰も知らないから」
飄々とした様子で、沖田は本社を出ながら言った。
「僕以外、誰も何も知らないから」
「でも春子……」
「彼女は、当事者だから」
「?」
さっぱり意味がわからなかったのだが、沖田はそれに関して何も説明することなくタクシーに乗り込んだ。
街中を約30分ほど走行してから、ようやく目的の場所についたようだ。
何のへんてつもない高層ビル。
そのビルすべてのフロアが新聞社になっている。
「ここ、社員の誰もが知らない支店だから」
「知らないって……こんな大規模な」
「ただの新聞社だからね。ここの社員はある一部の人間を除いて決して本社に近づくことはないから」
沖田が新聞社のフロントに顔を出しても、誰もが誰も沖田を知らないような態度をとっている。
「こちら受付となっております、いかがいたしましたか?」
「――花咲に用事が」
沖田が愛想よくそう言うと、途端に空気が変わった。
まったく沖田なんて知らないはずの社員たちの目の色が変わったので。
「では私が案内いたしますので、どうぞ沖田さま」
まだ名乗っていない沖田の名前を呼び、女性は立ち上がってエレベーターに向かう。
一度2階に上がってから、物置のようなところに連れ込まれた。
「ではこの先はご自由に」
「ん、お勤めごくろうさま」
沖田がにっこりと言うと、女性も嬉しそうに微笑んで物置を出ていってしまった。
2人きりの薄暗い部屋の中、沖田は勝手にものを動かし始めた。
「春平くん、これ動かすの手伝って」
そう言う沖田に逆らうことなく本棚を押すと、本棚の裏に隠し扉が出現した。
「今日からこの奥が春平くんの部屋ね」
「――――――え?」
地下に繋がる階段を延々と下ると、急に視界が明るくなった。
たくさんの白熱灯、大きな廊下、たくさんの扉――まるで牢獄のようだった。
ただ牢獄と違うのは、そこにはたくさんの人がいて、スーツ姿で普通に歩いているということだ。
誰もが沖田の顔を見て「お疲れさまです」と挨拶をしていく。
そして誰もが横にいる春平を見て目を見開く。
「沖田さん、そいつ……正田春平じゃないですか……」
「うん。今日から仲間入り」
適当にあしらって、沖田は春平を引き連れて奥へと歩いていく。
フロアまるまるひとつ使っているため、恐ろしく広い。
階段がさらに地下へと続いているのを見るとどうやらまだまだ規模の大きな場所のようだ。
沖田はそのまま廊下を進み、ある部屋の前で立ち止まった。
コンコンと軽くノックすると相手の了承も待たずに部屋へと入った。
当然窓などない部屋に白熱灯が煌々と光り、オフィスのような机配置だが人間の席ではないらしく、たくさんの書類に埋もれている。
大きな部屋なのに、そこにいるのはたった1人だ。
その人物もここで仕事をしているわけではなく、書類を確認しに来ただけのようだ。
「お疲れ。見ればわかると思うけど、事情がかわった」
その人物に向かって声をはると、今まで書類にしか目をくれていなかった人物が顔を上げてにんまりと妖艶に微笑んだ。
「説明は不要」
ぱさ、と書類を無造作に机に置いて、桜春子は言った。
「………………」
――何で春子がこんなところに……
まったく状況が理解できずに立ち尽くす春平を見て、春子はにっこりと微笑んだ。
「どうしてって顔してるわね、わかりやすい」
「説明は任せてもいい?」
「もちろんよ。あなたは何でも知ってるフロントスタッフであって、ここが本職じゃないもの。……あぁ、だからって帰らないでね」
「今日はこれで上がり」
困ったように笑う沖田を見て、春子はわざとらしく目を見開く。
「忙しいあなたが?そんなに春平を心配しているの?」
「当たり前」
きっぱり言った沖田の言葉は、少なからず春平の心を支えていた。
「唯一残される彼の尊厳は守らないと。――まず手っ取り早く彼をひんむいてくれる?」
「は!?」
「私は後ろ向いてるから」
くるりと背中を向けてから春子は何やら収納ボックスから男物の下着やTシャツなどを選んでいた。
「ここで?」
困惑して沖田を見ると、彼も困惑したようだった。
「んー、そうみたいだね。僕がいたから規定の場所での身体検査はできなかったし」
「全部?」
「全部。ごめんね」
「いいけど……」
言いながら、春平はスーツの上着を脱いだ。
「携帯はこちらで預かるから」
沖田の手に携帯電話をぽん、と置いて次々と脱衣していく。
すべてのチェックを終えて、春子の用意した青色の作業着に身を包むと、再び春子がこちらを向いた。
「うん、似合ってるわよ」
「……そりゃどうも。で?そろそろ本当のことを話してくれてもいいんじゃないか?」
脱衣したからかすっかり萎縮はなくなり、春平は腰に手を当てて尋ねる。
すると春子は大袈裟に両手を広げた。
「別に難しいことはないわ。おいたをしなければ痛いこともない。非常に単純明解。私も、乙名も――ここにいる人間はみんな死んだ人間だから、あなたも仲間になるだけよ」
「――何の、仲間だ」
そこが肝心だった。
声を低くして尋ねると、彼女の微笑みにより一層凄みが増す。
「私、金融金利科で、フロントスタッフを兼ねているの。だけど本職はここ。社長と沖田を除く本社の人間すべてがその存在を知らず、一般の新聞会社を装って影で暗躍、誰にも知られないように、知られてもわからないように存在を抹消して、そうまでしてもやらなきゃならない仕事。便利屋本社という組織の中で、一番社長に重要視されている仕事」
すぅ、と春子が息を吸った。
それだけで、室内の暖をすべて吸いとられたかのように空気が凍りつく。
「それが私たち、特殊諜報科」
不謹慎だと思われた方がいたら本当にごめんなさい。
そして今回の話を待ってくれた方、本当にごめんなさい。
どちらにせよ謝る言葉しか持ち合わせておりません。
とりあえずUP。
もう1話書きためているので、早めに更新できると思います(^o^)
今までは謎解明。
そして次回から、そのまた次回から、ようやく動き出すお話……
長くなりますが、おつきあいの方何卒よろしくお願い致します。