序章
※若干ですが、残酷な描写が出てくることがあります。苦手な方はご遠慮ください。
世界に隔離された場所。そう言われている国がある。
大陸の左端に位置するトマス帝国。国の皇帝がクーデターに倒れてからはその場限りの政権が続き、国の中は混沌としていた。社会に秩序などはなく、ただ掃き溜めのような社会がギリギリの均衡を保ってそこにあった。情勢が混乱する中、自身の財産はきっちりと守りぬいた富豪たちと、何もかもを失った低所得層たちとの差は開くばかりだった。
外国からの観光客もいない中、富豪たちから貧乏人と蔑まれる全員が逼迫した生活を送っていた。子供たちは早くから労働に駆り出され、朝から深夜まで働かされた。先進諸国が憲法や法律を整えていく中、トマス帝国だけは時間が止まったように索漠としたままだった。
クーデターの時に破壊された家や建物は瓦礫のまま残り、申し訳程度に作られた市場は活気とは無縁のものに見えた。
そんな市場を駆ける小さい影。彼はただ走った。何かから逃げるように、胸には盗ったばかりの果物を抱えて。
「誰かそいつを捕まえてくれ!泥棒だ!」
果物屋の店主が大声で叫ぶ。叫ぶ間にも、少年は全速力で駆ける。小さい体のどこにそんな力があるのかと思うくらい、地を強く蹴る。何度も転びそうになりながら、砂利道を裸足で駆け抜ける。
「くそっ!二度と来るなクソガキが!」
追いかけるのを諦めた店主をちらりと確認して、少年は角を折れて足を休めた。全力疾走を続けたせいで膝ががくがくと笑っている。まるで今の自分を笑われているかのようだったが、そんなものは関係ない。二日ぶりの飯にありつけるのだ。
少年、ネルは自分の隠れ家へと戻った。瓦礫と化した街の一角、元々家があった場所の地面に手で触れる。突起を持ち上げて、地下室へのふたを開く。ここが彼の住まいだ。地下室と言っても、天井は所々割れ目があったり欠けていたりで、太陽の光が入ってくる。だが、そんなものはネルにとって邪魔者でしかなかった。
ネルは十二年の生涯の中で、希望という言葉を忘れてしまっていた。三歳の時に皇帝の独占的な統治が終わりを迎え、国中を襲ったデモのせいで家は奪われ、破壊された。そして家族も。
独りとなったネルは、最初は働き口を探していた。しかし、どの工場も手一杯で、ネルの入る隙間がなかった。それに加えて、ネルは同年代の子供たちよりも体が小さかった。それも災いし、ネルが働けるところなど、荒廃した今のトマスにはなかった。こうして今では色々なところで盗みを働きながら、何とかその場しのぎで命をつなげてきた。正直、命をつなげる意味があるのかはわからない。死んでしまった方が楽なんだと思う。だが、目の前の空腹には勝てない。空腹が訪れれば、何かを食べたくなる。それは耐え難い苦痛なのだ。空腹を我慢してまで死にたいとは思えなかった。それならば誰かが快楽のためでも自分を殺してくれればいい。だが、今のところそんな人間はネルの前には現れなかった。




