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毛根シネマティック・ユニバース(MCU)~秘密結社事件記録~

鮫になった少年のとある事件簿

作者: kawauso2017
掲載日:2026/09/27

ある路地裏に、その少年はいた。

 生まれつき歯がほとんど生えそろわない。

 先天的な疾患だった。

 食べられるものは限られている。

 硬いものはもちろん、普通の食事でさえ難しい。

 少年は今日も、手にした栄養補助剤を見つめていた。


「はぁ……今日もこれか」

 袋を開ける。

 味には、もう飽きていた。

「いつか……丸かじりがしたいよなぁ」

 少年は小さく呟いた。

「こんな栄養補助剤じゃなくてさ」

 果物でもいい。

 肉でもいい。

 噛みちぎって。

 歯ごたえを感じて。

 思い切り食べてみたい。

 ただ、それだけだった。



「――そこの少年」

「え?」

 声に振り返る。

 白衣の男が立っていた。

 年齢は五十代ほどだろうか。

 眼鏡の奥から、少年の口元をじっと見つめている。

「君は、実に運が良い」

「……運?」

「私は長年、歯牙再生について研究を続けていてね」

 男は懐から一枚の紙を取り出した。


「トゥース再生プロジェクト。ついに臨床段階へ入ったところなんだ」


「歯が……生えるんですか?」

「その可能性がある」


 少年の目が見開かれた。


「ほんとに?」

「ああ」

 男は笑った。

「ちょうど被験者を探していたんだよ」

 そして、一枚の紹介状を少年へ差し出す。

「どうだい? 丸かじりが夢なんだろう?」

「……」

「これを母さんに見せなさい」

 少年は震える手で、その紙を受け取った。



     ◇



 数日後。

 とある病院。

 無機質な手術室の中で、少年は眠っていた。

 モニター音だけが一定の間隔で響く。

「因幡先生」

「うむ」

「再生促進剤、投与開始します」

「始めろ」

 注射器から、透明な液体が送り込まれていく。


 一分。



 二分。


 三分。




 何も起きない。

「……変化ありません」

「追加投与だ」

「しかし、規定量に達しています」

「構わん」

「先生」

「計算では、あと少しのはずなんだ」

「ですが――」

「まだだ!」

 因幡はモニターから目を離さない。

「まだ出てこん!」

「危険です。これ以上の注入は――」

「黙っていろ!」

 さらに薬剤が投与された。

 室内の空気が張り詰める。

 やがて。


「先生!」


「どうした!」


「患部に変化が!」


 因幡が少年の口元を覗き込む。


「……っ」

 小さな白いものが。

 歯茎を押し上げていた。


「みろ……」


 因幡の声が震えた。


「ついに……ついに出てきた!」

 周囲の医師たちが集まる。


「再生だ!」

 歯が、ゆっくりと伸びていく。


「いや……これは再生ではない」

 因幡の表情が歓喜に染まる。


「誕生だ!」

「歯牙の誕生だ!」



 その瞬間。


 ビービービー!

 けたたましいアラート音が鳴り響いた。



「なんだ!?」

「先生! 被験者の患部を!」

「なに?」

 因幡が振り返る。

 そして。


 固まった。

「……二列目?」

 一列目の歯の、その内側。

 新たな歯列が形成され始めていた。


「想定外だ!」

「先生、再生反応が止まりません!」

「対消滅剤を投与しろ!」

「はい!」

 薬剤が注入される。

 だが。


「効きません!」

「何!?」

「三列目です!」

「追加しろ!」

「四列目!」

「もっとだ!」

「五列目です!」

「なっ……」

 因幡の顔から血の気が引いていく。


「なんだと……」

 少年の口腔内では。

 歯が。

 次々と。

 規則正しく。

 新たな列を作りながら増殖していった。

     ◇

 数日後。

 とある病室。

 少年の母親は、怒っていた。

「どういうことなんですか!」


 担当医へ詰め寄る。

「歯が生えるって聞きました!」

「はい……」


「一列でいいんです! 誰が十列も生やしてくれって頼んだんですか!」

「……申し訳ありません」


「元に戻せないんですか!?」

「現状では……」

「現状では!?」

 母親は頭を抱えた。

 手術を許可した自分を責め続けていた。


 だが。

 ベッドの上で。

 少年は笑っていた。


「母さん!」

「……なに?」

「ついに手に入れたよ!」

 少年は大きく口を開いた。

「誰にも負けない歯を!」

「……」

「見て!」


 少年の口内に並ぶ、幾重もの歯列。

「この精強な十列の歯!!」

「……」


 母親は言葉を失った。

 少年は嬉しそうだった。

 本当に。

 心の底から。


「夢だったウサギ肉の丸かじりも、これで夢じゃないんだ!」

「……え?」

「もう、栄養補助剤だけで生きていかなくていいんだ!」


 少年は笑った。

 その笑顔の奥で。

 十列の歯が。

 白く。

 美しく。

 並んでいた。

 ――遠い未来。

 人類は、失われた歯を再び生み出す技術を手に入れた。

 そして同時に。

 必要以上に生える歯を止める技術の必要性を、初めて知ったのである。

これにて短編集完了?です。後悔はしていません。

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