昔話をしようか。
あれはいつの話だっただろう。ごめんね、ぼくもまともに覚えていないんだ。
そうだ、昔の話をしようか。
あの頃のぼくはからっぽだったんだ。いいや、今もか。
政変が起きた。森が焼き払われて、仲間はみんな死んだ。殺された。
疎遠になっていた幼馴染も、死んだ。
ライラックの髪が揺れる姿。ぼくは彼女の自殺する瞬間を、最期を、知っている。
消えゆく彼女を看取ったのはぼくだから。
思い出その1。
「ね、ねえスズリ」
小さな手が裾を引く。聞き慣れた声。
振り返れば不安げな瞳がぼくを見上げていた。
幼馴染のバイナ。腐れ縁でぼくとは馬が合わない。なのに向こうはずっとつきまとってくるんだ。だから相手をしなくちゃいけなくなる。なんなんだこいつは。
「み、見て…!」
そう言ってやつは小さな花弁を差し出した。虹色に光るそれは綺麗で、異質な空気を纏っていた。
「なんだ、それ?」
「輪廻の、花。さっきね、咲いてたの。ちょうど散って…」
言い終わる前にぼくは背を向けて歩き出した。吐き捨てる。
「……っ!そんな呪物差し出してくんな!」
輪廻の花。数百年に一度だけ、月の晩に咲く不思議な花。強い魔力を含んでおり、魔力の少ない底辺の精霊が触れればすぐに吸収されてしまう危険性を孕んだ呪物。
そんな危険物を満面の笑みで差し出した。殺す気か、あいつは。
その日の晩、布団に入って後悔した。もっと優しく言ってやればよかった。
バイナの花が咲くような笑顔だけが脳裏に焼き付いて離れなかった。
思い出その2。
「スズリ…!」
今日も絡まれている。バイナしかいない。
面倒だ、という表情を隠さないまま振り返れば、変な髪型のバイナが立っていた。
笑いが漏れた。なんだその変な恰好。
「ぶはっ……!!なんだそりゃ…」
「笑わないでよ。村の子がやってくれたの!」
珍しくバイナが反論してきた。こいつ、数十年かけてやっと歯向かえるようになったのか。
にしたって似合っていない。魔界のほうで流行りの髪型らしいが、ここに流行がくるのにはだいぶラグがある。きっと魔界のほうでは古いものなんだろう。
ぐしゃぐしゃと崩してやる。似合わない髪型のバイナを見ていたくなかったから。
切り株に座らせた。ぼくが編んでやるから、他人に触らせんな。それがただのエゴだと自覚して、また嫌悪感。
でも、ぼくが一番、バイナを知っているから。
「お前にはお前に一番似合う髪型ってもんがあるんだよ。なんでも他人のマネすんな」
淡々と言って、髪を編んでやった。今日は見捨てない。隣に座って太陽の巡らない空を見る。
「なあ」
別に返事は求めていなかった。聞いていてくれればよかった。
「友達って、なんなんだろうな」
風が吹いた。頬を優しく撫でる。ぼくはバイナに数多くの刃を突き立てたのに。
そんなことを考えたら泣きそうになってきた。こいつの前では死んでも泣かないけどさ。
「うーん、友達、ね」
「にゃっちとスズリのこと、じゃない?」
しばらく考え込んでからバイナは言った。なんだって?
ぼくと、バイナが、ともだち。友達。トモダチ。何度も繰り返し舌で転がす響き。いつになっても慣れない。
散々いじめているつもりだった。仲が悪いと思っていた。どうして?異常だ。
こいつはぼくが嫌いじゃないのか?
ぐるぐると思考を巡らせていくうちに、気が付けばバイナはどこかに行ってしまっていた。
思い出その3。
しばらくバイナとは会っていなかった。図書館に引きこもって出てこなかった。別に追及しなかった。
それが間違いだったのかな。
久しぶりに会ったバイナは別人だった。底抜けに明るかった。ぼくのバイナはどこに行ったんだよ。返せよ。
口をついて出た。下劣なことを考えている自分に吐き気がした。ただの幼馴染だろ。バイナはぼくの所有物じゃない。
「…バイナ」
彼女が振り返る。いつもの笑顔。でも違うんだ。違和感だらけで気持ち悪い。
「きみはだあれ?」
目の前が真っ暗になった。嘘だ。嘘って言えよ。ぼくとバイナの数十年はどこに行ったんだ。ぼくは崩れ落ちた。だって立っていられるわけないでしょう。
「あ、おきた」
次に目が覚めたとき、ぼくは図書館の一角に寝かされていた。バイナの根城。彼女の痕跡でいっぱいの、深淵。
「君は……一体誰なんだ」
震えた声が出た。隠さなきゃいけないのに。動揺を知られたくないのに。
手の震えが止まらない。きっと表情にも出ているんだろうな。
知らない彼女は楽しそうにくるくると回って挨拶してくれた。
「にゃっちはラグラ!エラー暴走した電子存在の、コピードール!」
ラグラ。バイナの姿で、声で、全く違う存在が動いている。
ぼくはその場で嘔吐した。バイナの図書館を汚してしまった。ごめん。
でもごめん、受け入れられないんだ。ラグラは悪くないのかもしれない。
バイナが望んだことかもしれない。でも、記憶が共有されてない。ただの多重人格ではない。それが辛かった。受け入れられなかった。
思い出その4。
「スズリー。スズリってばー。」
ラグラが擦り寄ってくる。来るなよ、偽物。
「来るなってば」
必死で押し返してもこいつはぼくより力がある。負けるのはぼくだった。
「見てよ、これ!」
虹色に光る花弁。あの日と同じ。そこにバイナはいなくて、ラグラがいることだけがぼくを深く傷つけている。
「ば…っ!そんな呪物差し出してくんな!」
口をついて出たのは同じセリフだった。くそ、どこまで引きずるんだ。
早く忘れないと。忘れないと、と自分を追い詰める度心が抉れる音がする。
庭の景色は変わらない。いつでも同じ背景なのが、またぼくを追い詰める。
ふとラグラを見た。苦しそうな顔。
「スズリがさ、にゃっちをいらないって思ってるの、知ってるよ。ごめんね。でもさ、バイナは死んでないんだ。生きてはいるの」
「ほんとか」
生きてる。バイナが。生きている。本当に言っているのか?憎たらしくてたまらないはずのラグラが神様のように見えてきた。
「会えるか」
縋りたい。誰でもいい。ぼくを助けてくれるなら、なんだっていいんだ。
友達。そう言ってくれた。ひとりぼっちだったぼくに、最初に手を伸ばしてくれたきみに。
会いたい。そう思った。バイナじゃなければだめなんだ。
「ごめんなさい」
悲しそうにうつむくラグラ。
「にゃっちの意思じゃ起こしてあげられない。然るべきタイミングで、バイナは勝手に目覚めるよ」
ぼくは絶望でいっぱいだった。
思い出その5。
それは突然だった。気が付けばどんどん情勢は悪くなっていた。管理者代行は失恋したらしい。気が狂ってしまったみたいだ。
まず魔力が流れなくなった。干ばつが起きた。ぼくの住むエリアはまだましだった。毎日交代で魔力を注ぐことでなんとか緑を保っていた。
「どういうことだよ!どんどん流通が途絶えてる!」
「ここもじきに枯れるな。終わりだ」
長老達の声。どうしてそんなことを言うんだよ。上に立つ奴が諦めんなよ。言えなかった。怖かったから。ぼくは弱い。
「ラグラは」
自然にラグラの名を呼べた。こんな時に。ねえラグラ、ぼくはきみでもいいのかもしれない。拒絶してごめんなさい。どうか隣にいてくれませんか。届かない。
曇り空を眺めるのをやめた。図書館へ走った。きっときみがいるはずだって、知ってたから。
久しぶりに会ったラグラは様子がおかしかった。どこか上の空だ。
「スズリ、スズリ。にゃっちはもうすぐ辿り着けるのです。この庭の秘密に!きっとやり遂げてみせます、やれるに決まってるわ。」
誰だ、これは。おかしい。どこが、とは言えないがおかしい。
思い出その6。
政変が終わった。久しぶりに図書館へ向かった。だいぶ焦げてしまった外壁を見流しつつ建物のなかに入る。
「ラグラー。生きてるかー。」
返事はない。ぼくの間延びした声が反響するだけ。リノリウムの床に足音が響いている。
中庭から甘ったるい香りがするのを捉えた。嫌な予感がする。ひたすら走った。実体を消して全ての物体を通り抜ける。最速を目指して。
中庭に出た途端、鼻腔を占める甘さがきつくなった。足元になにか当たった感触がして見下ろせば、ラグラが横たわっていた。苦痛に歪んだ表情。魔法が溶けだしている。精霊の自殺。
「ラグラ!!!!」
ぼくはパニックになった。なんで、どうして。死ぬなよ。何があったんだよ。
ぼくじゃダメだったのかよ。ぼくが隣にいるって言ったじゃん。お前までいなくなるのかよ。ねえ、答えて。
震える手で筆を手に取る。固有魔法。直近30分の過去だけを書き換えることができる。
何度行使しても溶けだす魔法の量は変わらない。どうして。
「何分前から、解けてんだ……」
「前の、鐘、から」
前の鐘。大体一時間。足りない、全く足りないじゃないか!絶望でいっぱいになった。何度書き換えても、もうきみは救えない。手遅れなんだ。ぼくはまた、大事なひとを失う。
「痛かった、よな。ごめん…ごめん……!」
ループさせるのをやめた。辛いだけだから。
「ラグラ、聞かせてくれ。お前の歌を。何を見つけたんだよ」
「あたしさ、みつけたの。この庭の、本当の目的。ここは試作品の墓場。魔界の『いらない子』が集まってくる。ここは出来損ないのゴミ箱なんだよ。あたしはそれが許せない。いらない子なんていないでしょ。確かにみんな魔法は下手かもしれないけどさ」
小さな咳を二つ。無理すんなよ。
「あたしも、いらない子だったわけ。じゃあお望み通り、消えてやろうかなって。ほんとは怖くて。鐘が鳴ってからもしばらくゴロゴロしてるだけだったんだよ。最初は気持ちよかった。段々痛みが出てきてさ、30分経ったなあって思ったら…っ。もう、手遅れなんだって……!スズリも、あたしを助けらんないって思ったら、間違えちゃったかも、って。ごめん、ごめんなさい……」
泣いている。ラグラが、泣いている。やめろよ。ぼくまで、泣くだろ。
この瞬間以上に自分の力不足を悔やんだ瞬間はなかった。もっと魔法ができたなら。出来損ないじゃなければ。
「ぐっ…う……」
ラグラの表情が苦痛に歪む。中庭には溶けた魔法が満ちていて、枯れた庭に緑を与えている。ラグラの花。痛々しい光景のはずなのに、綺麗だと思ってしまった。ラグラの身体が色とりどりの花に埋もれていく。
「ね、え。スズリ」
ラグラの声?違う。バイナの声がする。弱々しくぼくの名前を呼んでいる。泣きそうになるのを堪えて近寄る。
「バイナ」
「ともだち、だ、よ。ありがとう…」
「バイナ、いかないで」
「スズリ、が、すき、でした」
「バイナ、ぼくをおいていくの」
もう涙が溢れて止まらない。泣かない、なんて誓ったのはいつだろう。あの日を返してくれよ。ありえないだろ。ぼくのバイナだ、溶かすもんか。独占欲?私物化?関係ない。大好きなんだ。小さな友達が。腐れ縁の幼馴染が。
「スズリなら大丈夫だよ。」
そう言って、消えた。薄かった指先すら残っていない。綺麗に消えた。
泣き崩れた。一気にふたりも大事なひとを失うなんて。ぼくがなにをしたって言うんだ。
「バイナ、ラグラ。大好きだよ……!」
行先のない言葉が溶けた。どうして。大好きなんだ。大好きだったんだ。ぼくのバイナ。ぼくのラグラ。好きでした。大好きでした。出会ってくれてありがとう。ずっと一緒に、って約束守れなくてごめんなさい。




