第5話 雑木林の瓦窯跡
八月に入ると、羽崎の朝は、涼しい時間だけを置き忘れて走り出す。八時前だというのに、町外れの雑木林へ向かう坂道の空気はもうぬるく、洸太の背中には歩き始めて十分もしないうちに汗が張りついた。
先頭を行く陸矢は、片手に旧版地形図、もう片手に細い測量用ポールを持っている。高校の地理教員が休日の朝に持ち出す荷物としては妙に本格的だが、本人は通勤鞄でも持つみたいな顔をしていた。
「この先、道が一回へこむ」
振り返りもせずに言う。
洸太は地図から顔を上げた。
「へこむ?」
「地面が。昔、火を使った場所の土は色が変わるし、熱で締まる。木が生えても分かるときがある」
未羽は首に巻いた手拭いで汗を拭きながら、陸矢の背中へ声を飛ばした。
「先生の説明って、いつも一歩目だけ優しいね。そのあと急に置いてく」
「全部説明すると長いだろ」
「そこは洸太の担当だよ」
前を歩いていた洸太が、素直にへこんだ顔で振り返る。未羽は笑って、虫よけをもう一度足首へ吹きつけた。
雑木林の入口は、畑の脇を抜けた先にあった。かつての土取り場を埋めたらしい緩い窪みが続き、その先に、背の高い榎と若い竹が入り交じる暗がりがある。表通りから三分も離れていないのに、車の音が急に遠くなった。
陸矢はそこで立ち止まり、測量ポールの先で地面を軽く突いた。
「ここから先、尾根でも谷でもないのに、人の足で削ったみたいな傾きがある」
洸太がしゃがみこむ。表土は乾いていたが、靴先でほんの少し掘ると、その下から赤茶けた粒と、灰のような粉が混じった層がのぞいた。
「焼土……」
言葉が、思わず喉から滑り出る。
千加子が帽子のつばを上げて近づいてきた。今日は資料館の外に出る日らしく、いつもの白手袋ではなく、軍手に野帳という格好だ。
「まだ断定はしないで」
そう言いながらも、彼女は土の色を見て、静かに頷いた。
「でも、火を使った場所の可能性は高いわね。窯なら、周囲に焼け損じや歪んだ瓦片が出る」
香音は少し離れた場所でスマートフォンの地番図を開き、林の外縁を見回していた。
「昔の筆界も、ここだけ妙に曲がってる。いったん囲って、あとから畑や雑木地にされた線ね」
その言い方に、洸太は土の下へ眠っている時間の長さを思う。使われなくなり、名前を失い、誰のものとも言い切れない場所になって、それでも地面だけは少しずつ記憶を残している。
未羽がしゃがんだまま、小石のようなものをつまみ上げた。
「これ、ただの欠けた土?」
洸太は受け取って、指先の泥を払う。薄く湾曲し、片面だけが妙につるりとしていた。
「瓦片です。しかも、焼きが強い」
「へえ」
未羽は、自分が拾った破片を、もう少しだけ慎重に見た。
「昨日までなら、ただの石だと思って蹴ってた」
「今日は蹴らないでください」
「蹴らないよ。だって今の顔、久しぶりに当たりくじ引いた人みたいだもん」
洸太は返事をしないまま、破片の縁を親指でなぞった。熱で締まった土の感触が、指の腹に小さく残る。
そのとき、陸矢が林の奥へ数歩進み、ふいに振り向いた。
「窯だけじゃない。搬出路もあるはずだ」
彼の視線の先では、木の根元から緩やかな下りが一本だけ続いていた。獣道にしては幅がそろい、人の通り道にしては、人に見せる気のない曲がり方をしている。
「寺町へ抜けるなら、表を通るよりこっちが早い」
陸矢はそう言って、草を踏み分けた。
洸太たちは、息を整え直して、その後を追った。
雑木林の中へ入ると、風の通り道が変わる。葉の裏がこすれ合う音の向こうで、見えないところを流れる水の気配まで聞こえる気がした。洸太は、古い瓦がこの道を運ばれた景色を思い描く。まだ寺の名が忘れられていなかったころ、焼き上がった土が人の手から人の手へ渡り、坂を上っていったのだ。
いま足元にあるのは、その名残だけだった。
けれど名残があるなら、話は地面からまだ続けられる。
それが、洸太には嬉しかった。




