第2話 割れた瓦と油紙の地図
軽トラックは、羽崎銀座の中央にある空き店舗の前で止まった。もとは履物屋だった店だが、今はシャッターの片側だけが開き、祭りの備品置き場と臨時倉庫を兼ねている。荷台から瓦を下ろすたび、乾いた土の匂いと、日に焼けた藁の匂いが混ざって立った。
清蓮寺の世話役らしい白髪の男が、額の汗を拭きながら言う。
「新しいのに替えるわけじゃないんだよ。割れや歪みを見て、使えるものだけ戻す。古い瓦は重いからねえ」
その説明を聞いた途端、洸太の足は舞台から降りたときより軽くなった。さっきまで自分を刺していた視線が、いつの間にか瓦の箱へ移っているのがありがたかった。
「江戸末から明治にかけての混在かもしれません」
思わず口が出る。
世話役は「ほう」とだけ言い、重そうな箱の角を持ち直した。未羽が横で、また始まった、という顔をしている。
「刻印、ありますか」
「刻印?」
「窯元や流通の手掛かりになる印です。裏面に」
「裏面を見るには、まず運ぶの手伝ってくれ」
それはもっともだった。洸太はあわてて箱に手をかけた。持ち上げた瞬間、掌に、ただの重さではない古い密度が乗る。焼かれた土が年をまたいで沈黙してきた、その沈黙ごとの重みだった。
未羽は隣の箱に手をかけながら、顔だけこちらへ向ける。
「さっきの舞台より、よっぽど生き生きしてる」
「これは笑わせなくていいから」
「人を笑わせたいのか、瓦に好かれたいのか、どっちなんだろうね」
答える前に、通りの向こうで子どもが走った。福引きで当てたらしい大きなぬいぐるみを抱えたまま、勢いよく角を曲がり、空き店舗の前に積みかけた箱へぶつかる。箱そのものは持ちこたえたが、その上に仮置きされていた一枚の瓦が、滑った。
「あっ」
洸太が手を伸ばしたときには遅かった。
瓦は足元のコンクリートに落ち、鈍い音とともに二つに割れた。祭りのざわめきの中なのに、その音だけは妙に近く、はっきり聞こえた。
世話役が眉をひそめる。
「すまん、古いもんだから」
洸太はしゃがみこんだ。割れ目は黒ずんだ土の色だけではなかった。中に薄く空間があり、そこへ小さく折りたたまれた油紙が挟まっていた。
「……何か入ってる」
未羽の声が、今度は冗談なしに低くなる。
洸太は指先でそっと引き出した。油紙は汗と土で貼りつくように固くなっていたが、崩れず残っていた。店先の灯りに透かすと、中に墨の線が見える。
章光もしゃがみこみ、世話役も、近くにいた商店街の役員も、いつの間にか円を作っていた。祭りの人波がその前だけ少しよけ、提灯の赤が輪の外側をゆらゆら流れる。
未羽が言う。
「開く?」
「ここで雑に開いたら怒られる」
「じゃあ丁寧に怒られよう」
その言い方で、洸太の肩から少し力が抜けた。彼は手の汗をズボンでぬぐい、呼吸をひとつ整えて、油紙の端をゆっくり広げた。
中には、寺町から川沿いへ抜けるあたりを思わせる手描きの線と、小さな目印、それから墨の文が一行だけあった。
『次に切るべきは、恋ではなく、町の嘘』
誰もすぐには口を開かなかった。
祭り囃子の録音が、少し間の抜けた笛の音で店先をかすめていく。遠くで「当たり一本!」と叫ぶ声がする。そんな夜店通りの音が、逆にこの一文だけを浮かび上がらせた。
章光が先に息を吐いた。
「何だこれ。ずいぶん、喧嘩腰だな」
世話役は顔をしかめる。
「寺のもんかどうかも分からんぞ。悪戯かもしれん」
「この状態で、わざわざ瓦に詰めます?」
洸太は一文から目を離せないまま言った。
未羽が紙の端をのぞきこみ、口の中で文字を追ってから、にやりとした。
「ねえ、これ、すべった日の景品にしては当たりすぎじゃない?」
洸太は返事の代わりに、割れた瓦の断面を見た。誰かが意図して隠したとしか思えない空間。油紙の折り方。墨の線の震え。冗談にするには、どれも手が込みすぎていた。
「資料館へ持っていきます」
自分でも驚くほど早く、言葉が出た。
未羽はもうそのつもりだったらしく、腕まくりをして立ち上がる。
「じゃ、行こう。こういうのは、明日まで待つと大人が増えて面倒になる」
「今も十分、大人が多いけど」
「じゃあ、面倒な大人が増える前に」
彼女はそう言って、油紙を守るみたいに洸太の横へ立った。提灯の明かりがその頬に赤く映る。さっきまで自分の失敗で埋まっていた夜が、別の形で急に深くなった。
洸太は割れた瓦の片割れを持ち上げながら、胸の奥で何かが確かに点るのを感じていた。




