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笑えない漫談師と、縁切り寺の瓦地図  作者: 乾為天女


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第1話 羽崎銀座の夜店通り

 七月下旬の羽崎銀座は、夕方の六時を回るころになると、商店街の上に張られたアーケードの鉄骨まで熱をためこみ、提灯の明かりさえぬるく見えた。焼きそばのソース、川魚の串焼き、かき氷のいちご蜜、古びた畳にしみついた線香の匂いまで、寺町と商店街の境目が分からなくなる夜だった。


 その通りの真ん中で、洸太は小さな組み立て舞台に立っていた。


 市役所文化財係の青い腕章が、どう考えても漫談に向いていない。自分でも分かっているのに、外せなかった。外したところで中身まで変わるわけではないし、むしろ外すほうが気後れして見えそうで、結局そのまま来てしまったのだ。


 「えー、本日はですね。羽崎の瓦から分かる、恋愛と流通の深い関係について」


 最前列の子どもが、すでにラムネ瓶の玉を見つめていた。


 洸太は咳払いをひとつした。


 「瓦というものは、簡単に言えば、重いです」


 横で司会役をしていた章光が、笑っていい場所だと知らせるように先に手を叩いた。ぱち、ぱち、と少し明るすぎる音が夜店通りに散る。けれど観客は、どこで息を合わせればいいのか分からない顔のまま、団扇だけを動かした。


 洸太は続けた。


 「重いものほど、遠くへ運ぶにはお金がかかる。つまり昔の家は、恋人に会いに行くより先に、屋根をどうするか考えていた可能性が」


 「瓦の話だよな?」


 通りすがりの男がそう言い、横の妻らしい人が「恋人って言ったよ」と笑う。そこだけ小さく笑いが起きたが、洸太の胸には入ってこなかった。自分の言葉で起きた笑いではなく、言葉がずれて転んだ音だったからだ。


 舞台の袖にいた未羽は、れんげ亭の前掛けのまま、紙皿に載せた小さなコロッケを売りながら、ちらりとこちらを見た。目が合うと、口の形だけで「どんまい」と言う。慰めなのか面白がっているのか、その両方なのか分からない。


 洸太はもう一度だけ攻めた。


 「この町の瓦は恋より重い。だからこそ、軽い気持ちでは屋根にも恋にも――」


 そこで、また静かになった。


 子どもが一人、母親の袖を引いた。


 「まだ終わらないの」


 その声は小さかったのに、舞台の上にはっきり届いた。


 章光がすぐに前へ出て、明るい声を張る。


 「はい、洸太くんの郷土漫談、熱のこもったお話をありがとうございました! 次は商店街福引き券の追加配布でーす!」


 拍手は、章光の手から始まって、義理と習慣で少しだけ広がり、すぐに福引き箱のほうへ流れていった。


 洸太は頭を下げた。下げたまま、視界の端で未羽がコロッケを口へ放り込み、もぐもぐしながら親指を立てるのが見えた。あの合図は励ましの形をしているくせに、刺さるときは案外深い。


 舞台を降りると、熱気の中に現実の音が戻ってきた。くじ引きの鐘、金魚すくいの水音、商店街の役員が飛ばす怒鳴り声、川風に押される幟のばたつき。洸太は腕章を外そうとして、やめた。外したところで、今日のすべり方が軽くなるわけではない。


 「お疲れ」


 章光が紙コップの麦茶を差し出した。


 「すべったって顔してるけど、倒れるほどじゃなかったろ」


 「一番いやな慰め方、知ってます?」


 「知ってる。今のがそう」


 章光は笑って、通りの先を振り返った。


 寺町側から、軽トラックが一台ゆっくり入ってくる。荷台には藁を噛ませた木箱がいくつも積まれ、側面に白い紙で『清蓮寺 庫裏改修 古瓦』と墨で書いてあった。


 「改修で外したやつ、今夜のうちに仮置きするってさ」


 章光がそう言ったとき、洸太の胸の奥で、さっきまで冷えていた何かが、ほんの少しだけ動いた。


 瓦。


 笑いは取れなくても、その言葉だけは今でも体のどこかに引っかかる。


 未羽が皿を重ねながら近づいてきた。


 「ねえ、すべった日に瓦が来るって、持ってるのか持ってないのか分かんないね」


 洸太は麦茶を一口で飲み干し、苦い顔のまま答えた。


 「最低の日に、好きなものだけ来る感じ」


 「じゃあ、ちょっと見に行こうよ」


 未羽はもう歩き出していた。洸太はその背中を追いながら、胸の奥でまだ名乗らない小さな熱を、一度だけ確かめた。



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