第5話 5軒目のカフェ巡り
5軒目のカフェ巡り ― ランスおすすめの店へ
その日、カンヌは朝からそわそわしていた。
昨日の出会いが夢のように思えて、ノートを開いては「ランス」という名前を何度も目で追ってしまう。
約束どおり、今日は彼がおすすめするカフェへ一緒に行くことになっていた。王都で評判の店は数多いが、ランスが選ぶ場所ならばきっと特別だろう。
「お嬢様、少し緊張なさっているように見えますが?」
侍女エリナが支度を手伝いながら微笑む。今日はマルゴは休日である。
「そ、そんなことないわ。ただ……新しいお店に行くから楽しみなだけ」
「そういうことにしておきます」
エリナに茶化されて、カンヌは頬を赤らめながら馬車に乗り込んだ。
待ち合わせの場所には、すでにランスが立っていた。
爽やかなシャツに落ち着いたベスト姿。手にはやはりノートを抱えている。
「おはようございます、カンヌさん」
「お待たせしてしまったかしら?」
「いえ、僕も今来たところです。さあ、こちらです」
彼が案内したのは、大通りから少し奥まった石畳の小径に建つ、落ち着いた雰囲気の店だった。
看板には「カフェ・セリュリエ」と書かれている。
外壁は白く、窓辺には花が飾られ、まるで小さな隠れ家のようだった。
「ここは……?」
「この店は昔から僕のお気に入りなんです。華やかな店ではありませんが、パティシエがとにかく季節の果物を活かすのが得意で。特にベリーのケーキは絶品ですよ」
中へ入ると、静かなクラシック音楽が流れ、木の香りのする家具が心地よい温もりを醸し出していた。席に案内されると、カンヌの目の前には色とりどりのケーキが並んだショーケースが見える。
「わあ……本当に美しいわ」
苺のショートケーキに、ブルーベリータルト、そしてラズベリームース。どれも鮮やかで、見ているだけで気分が弾む。
「せっかくですから、二人で違うものを頼んでシェアしましょう」
「ええ、そうしましょう」
カンヌは苺のミルフィーユを、ランスはブルーベリータルトを選んだ。飲み物はそれぞれ、ミルクティーとハーブティーを。
運ばれてきたケーキは、想像以上に美しかった。
カンヌのミルフィーユは、サクサクのパイ生地の間にカスタードと苺がたっぷりと挟まれ、粉砂糖がふんわりと舞っている。
一口かじると、パイの香ばしさと苺の甘酸っぱさが口いっぱいに広がり、滑らかなクリームが全体をまとめていた。
「……これは、幸せの味ね」
思わず目を細めるカンヌに、ランスが笑う。
「その言葉、ノートに書いておいたほうがいいんじゃありませんか?」
「ふふ、そうね」
カンヌはノートを開き、
『苺ミルフィーユ:香ばしいパイと甘酸っぱい苺の調和。軽やかで、思わず笑顔になる味』
と記した。
一方、ランスのブルーベリータルトは、サクサクのタルト生地に濃厚なクリーム、その上に新鮮なブルーベリーがぎっしりと敷き詰められている。
彼が一口食べて感想を漏らす。
「うん、酸味と甘みのバランスが絶妙です。クリームが控えめだから、ブルーベリーそのものの風味が際立っていますね」
「少し分けてもらえる?」
「もちろん」
互いに皿を交換し合い、味わう。
カンヌはブルーベリーの鮮烈な酸味に驚きながらも、後味の爽やかさに感動した。
「本当に……果実そのものを食べているみたい。これならいくらでも食べられそう」
「でしょ? 僕はこの店の『素材を大事にする姿勢』が好きなんです。華美ではないけれど、正直で、丁寧で」
「ええ……わかります。カフェの本に書くとしたら、そういう想いも伝えたいわね」
ランスは嬉しそうに頷き、ノートを走らせた。
食べながら、二人の会話は自然に広がっていった。
好きな飲み物、子供の頃から慣れ親しんだお菓子、最近訪れた店で印象に残った味。
語れば語るほど、共感と発見が交差して、時間が過ぎるのも忘れてしまう。
「……こんなにスイーツの話で盛り上がれる人、初めてです」
「私も。家では呆れられるばかりだから」
笑い合う二人を、エリナは後ろから微笑ましく見つめていた。
ひと段落ついたところで、ランスがふと真剣な表情を見せる。
「カンヌさん。もしご迷惑でなければ……これから先も、一緒にカフェ巡りをしませんか? 本を作るにしても、一人より二人のほうが視点も広がりますし、何より楽しい」
その言葉にカンヌは胸を打たれた。
昨日まで一人で黙々と巡っていた日々が、急に鮮やかに色づく。
「……ええ、ぜひご一緒させていただきたいわ」
そう答えると、ランスの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます! では次は、僕が前から気になっていたカフェに……」
話は次々と広がり、未来の計画に胸が膨らんでいく。
帰り道、カンヌはノートにこう記した。
『5軒目:カフェ・セリュリエ
苺ミルフィーユ――幸せの味。
ブルーベリータルト――素材の力が際立つ誠実な一品。
今日、同じ夢を持つ仲間と出会った。これからのカフェ巡りがもっと楽しみになる予感』
ペンを置いたとき、胸の奥に温かな期待が灯っていた。
カンヌのカフェ巡りは、もう一人の旅人と共に新しい一歩を踏み出したのだった。