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閑話2 サンオリの決断

サンオリの決断


 夜更けの客間に、サンオリは一人取り残されていた。

 蝋燭の炎が壁に揺らめき、父の冷酷な言葉を繰り返す。


「カンヌ嬢との婚約を継続するか、勘当されるか――」


 選択肢は二つしかない。

 だが、胸にあるのはナンテールの微笑みだけ。彼女と共に歩む未来を夢見れば、父の怒声も、家の威光も、かすんでいくように思えた。


「……もし、すべてを失ったらどうなる?」

 サンオリは自らに問いかけた。

 領地も、金も、屋敷もない。従者も馬車も失い、ただの若者として町で暮らすことになるだろう。


 想像してみる。

 狭い下宿、粗末な衣服、労働で荒れる手。

 生まれてこの方、働いたこともない自分に務まるのか。


 ナンテールは、それでも傍にいてくれるのか。

 彼女は「あなたが好き」と言ってくれた。ならば、どんな苦境も二人で乗り越えられるはず――そう信じたい。


 だが、胸の奥に不安が広がる。

「確かめなくては……彼女の気持ちを」


 サンオリは立ち上がった。決意の色を帯びた瞳で。


◆◇◆


 翌日。

 サンオリは人目を忍び、ナンテールの住む男爵家を訪れた。

 玄関先に現れた彼女は、薔薇色のドレスをまとい、愛らしい笑みを浮かべている。その姿に一瞬心を奪われ、サンオリは危うく言葉を忘れそうになった。


「まあ、サンオリ様。おいでくださるなんて」

 ナンテールの声は甘く、彼の胸を揺さぶる。


 応接室に通され、二人きりになる。

 サンオリは深呼吸し、口を開いた。


「……父に、アヴィニヨン家との婚約を迫られた。しかし、僕は君がいい。家から勘当されても、僕は働いて君を養う。だから、僕と一緒になってほしい」


 言葉は熱を帯び、必死さに震えていた。

 だがナンテールは、ぱちぱちと瞬きを繰り返し、やがて小首をかしげた。


「……サンオリ様が、働く?」


「そ、そうだ! 領地もないなら働けばいい。剣でも商いでも、なんでもやるさ!」


 サンオリは必死に訴えた。

 しかしナンテールは少し考え込み、やがて柔らかく、けれど現実的な声を出す。


「でも……サンオリ様は今まで働いたことがありませんよね?」


「そ、それは……」


「伯爵家の後ろ盾がなければ、まともな職に就くのは難しいですわ。わたし、貧乏な生活は嫌です。毎日お金の心配をして暮らすなんて、とても耐えられません」


 その言葉は、鋭い刃のように胸に突き刺さった。

 サンオリの表情が凍りつく。


「な、ナンテール……君は僕を、愛していると言ったじゃないか」


 ナンテールはしとやかに微笑み、はっきりと答えた。

「はい。お慕いしています。ですが……貧乏なのは嫌なのです。愛も大切ですが、贅沢できる生活がないのは、もっと嫌ですわ」


「……っ!」

 サンオリの胸は打ち砕かれた。理想に燃えて駆けつけた思いは、現実の壁にあっさり崩れ落ちる。


 沈黙する彼を見つめながら、ナンテールは扇子で口元を隠し、ふふふと笑った。


「サンオリ様。わたしに良い考えがありますの」


「……な、なんだ?」


「アヴィニヨン家のカンヌ様と、よりを戻してください。そしてわたしは……側室で構いません」


「な、何を言っている……?」


「だって、その方がずっと合理的でしょう? 伯爵としての地位も守れますし、わたしはサンオリ様のお側にいられる。愛はわたしが差し上げて、財産と地位はカンヌ様から得ればいいのです。ね? これが一番よい方法だと思いません?」


 彼女は夢見る乙女のように微笑んだ。

 けれどその瞳の奥には、計算された光が潜んでいた。


 サンオリは言葉を失い、ただ呆然と見つめる。

 自分が追い求めた「愛」は、ナンテールにとっては「贅沢と安定の上にあるもの」でしかなかった。


「……僕は……」


 喉が渇き、声が途切れる。

 ナンテールは優しく囁いた。


「サンオリ様。愛とお金、両方を手に入れましょう。わたしと一緒に」


 その微笑みに抗う力は、もはや残っていなかった。


◆◇◆


 数日後。

 ポール伯爵邸の執務室。


 サンオリは父の前に再び立っていた。

 蒼ざめた顔で、しかし決意をにじませて。


「……父上。僕はアヴィニヨン家との婚約を続けます」


 ボルドー伯爵の眼光が鋭く光り、やがて深いため息に変わる。

「ようやく分かったか、愚息」


 その瞬間、サンオリの胸に浮かぶのは、愛らしく微笑むナンテールの姿だった。

 彼女はこう言った。

――「愛はわたしと、お金はカンヌ様からでよいのでは?」


 それは歪んだ理屈。だが、彼に残された唯一の道でもあった。


 こうしてサンオリは、アヴィニヨン家との婚約を継続し、カンヌとの縁を繋ぎ直す決断を下したのであった。





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