表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/16

第3話 甘美なる第三歩

悪役令嬢の決別 ― 甘美なる第三歩


 王都の朝は、いつもざわめきに満ちている。石畳の道を行き交う商人や旅人、露店から漂う香ばしい匂い。昨日までの自分なら、そんな景色はただ背景の一部にしか映らなかっただろう。けれど今は違う。


「さあ、今日はどんな甘い出会いが待っているかしら」


 馬車の窓を開け、カンヌ=アヴィニヨンは澄んだ風を吸い込んだ。頬を撫でる風が心地よい。


 今日の目的地は――チョコレート専門店。

 王都でもひときわ評判の店で、なかでも「夢幻のチョコレートパフェ」が人気だと耳にしていた。


「お嬢様、また随分と濃厚そうなものを……」

 護衛のエティエンヌが苦笑する。

「ふふ、人生には甘さが必要なのよ」

「昨日も甘さを満喫なさったばかりでしょう」

「だからこそ、今日も甘さを重ねるのよ!」


 呆れるエティエンヌを横目に、侍女のマルゴは楽しげに微笑んでいた。


◆◇◆


 王都の中央通りから一本奥まった小道に、その店はあった。

 「カカオの小部屋」と銘打たれた看板。

 木製の扉を押すと、濃厚なカカオの香りが空気を満たす。


「いらっしゃいませ」

 迎えてくれたのは、黒いエプロン姿の青年店員。

 壁際にはずらりとチョコレート菓子が並び、ガラスケースにはガトーショコラや生チョコが宝石のように輝いていた。


 奥の席に案内され、カンヌはメニューを開く。

 視線が自然と吸い寄せられたのは――やはり「夢幻のチョコレートパフェ」。


「これをお願いするわ」


 ほどなくして運ばれてきた一品は、まさに芸術だった。

 背の高いグラスに、濃厚なチョコアイス、ガトーショコラの欠片、チョコソースが幾重にも重なり、その上に金箔をあしらった生クリームが渦を巻いている。飾りには苺とミントの葉。


「……美しい」


 カンヌはフォークを手に取り、ひと口。


「んっ……!」


 舌の上でとろける濃密なチョコレート。苦味と甘さが絶妙に絡み、奥行きのある味わいを作り出していた。

 次にアイスをすくえば、ひんやりとした冷たさが舌を包み、ガトーショコラのしっとりとした食感が重なる。

 そこへ苺の酸味が加わると、濃厚さの中に爽やかさが走った。


「これは……まさに甘美の迷宮……!」


 思わず陶然と呟く。


「お嬢様、表情がとても幸せそうです」

「だって……これは、ただの甘味じゃないわ。芸術よ」


 マルゴも試しに一口食べ、感嘆の声を上げた。

「……確かに、これは本に書きたくなる味ですね」


 その言葉に、カンヌは手元のノートを取り出した。

 表紙には花の刺繍が施され、中はまだ真新しい。


 彼女はペンを走らせる。


――第三軒目「カカオの小部屋」

 注文:夢幻のチョコレートパフェ

 感想:濃厚さと爽やかさが同居した甘美。芸術的バランス。人生で一度は食べるべき逸品。


 記録を終えると、マルゴが不思議そうに尋ねた。

「お嬢様、どうして感想をまとめているのですか?」

「王都中のカフェを巡ったあと……一冊の本にまとめてみようと思って」

「本に……?」


 マルゴが目を瞬かせる。

 カンヌは頷いた。


「そうよ。『アヴィニヨン伯爵令嬢のカフェ巡り記』。いっそ出版して、甘味に悩む人々に指南を与えるの。……悪役令嬢の断罪から逃げたなら、新しい役割を自分で作ればいいわ」


 その言葉に、マルゴは目を細める。

「お嬢様らしい発想ですね。ですが――」


 ふと、彼女が視線を奥の席に向けた。

 そこには、まだ若い男性が一人、ノートを広げて何やら書き込んでいる姿があった。


「あの方も、何やら記録をされているようですよ」


 カンヌは思わず男性を見やる。

 焦げ茶の髪に、落ち着いた灰色の瞳。衣服は質素だが清潔で、どこか知的な雰囲気が漂っている。


(もしかして……あの人も、カフェを本にしようとしているのかしら?)


 胸が小さく高鳴った。

 同じ目的を持つ者に出会うかもしれない――そう思うと、不思議と心がざわめく。


 彼女は紅茶を口に運びながら、視線をそっと逸らした。

 けれど心の奥底では、その存在が気になって仕方がなかった。


◆◇◆


 店を出たあと、馬車に揺られながらカンヌはノートを膝に抱きしめていた。

 ページには三軒分の記録が並んでいる。


 一軒目――「白い薔薇亭」のイチゴショートケーキ。

 二軒目――「紅茶の庭」と「ふわふわパンケーキ」。

 三軒目――「カカオの小部屋」のチョコレートパフェ。


「こうして並べてみると、私、本当に生きている実感がある……」


 破滅の未来に怯えていた頃には想像もしなかった時間。

 甘味と紅茶に囲まれ、ノートに言葉を刻む――それが今の自分を確かに形作っている。


 そして、カンヌは小さく笑った。


(あの男性……もしかすると、いずれ私の道を交差する存在になるのかもしれないわね)


 夕暮れの街並みが、彼女の胸に新しい予感を運んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ