第20話 カンヌ 本作りを通じて考える
本作りを通じて自信を取り戻すカンヌ
ベルンの街は、冬を前にしてにぎわいを増していた。
広場では色とりどりの布が翻り、焼き菓子の香りが漂っている。
そんな喧騒の中、カンヌはノートを抱え、真剣な顔で紙に書き込みをしていた。
「ここ、どう思いますか?」
差し出したページには、カフェ巡りの記録がびっしりと綴られている。
コーヒーの香り、カップの形、店主の笑顔――細やかな描写は、読む人に場面を思い浮かべさせるほどだ。
ランスはページをめくりながら、ふっと目を細めた。
「いいね。カンヌの文章には温かさがある。読んでいると、実際にその場に座っているような気持ちになる」
その言葉に、頬が自然と熱を帯びた。
「……本当ですか?」
「本当さ。僕なんかより、君の感性の方がずっと豊かだ」
胸の奥に、ぽっと小さな灯がともる。
侯爵令嬢に言われた「身分が足りない」という言葉は、まだ心のどこかに残っている。
けれど――こうしてランスが正面から認めてくれることで、その影は少しずつ薄れていった。
***
数日後。
二人は街の印刷工房を訪ねた。
古びた木の扉を押し開けると、インクと紙の独特な匂いが鼻をかすめる。
工房主の老人が顔を上げ、驚いたように目を丸くした。
「本を作りたいだと? お嬢さんが?」
その声に、カンヌは一瞬だけ身を固くした。
だがランスが横で頷き、穏やかな声で続ける。
「ええ。彼女の記録は多くの人に読まれるべきものです」
カンヌは勇気を振り絞り、ノートを差し出した。
工房主はじっくりと読み込み、やがて口元に笑みを浮かべた。
「……なるほど、これは面白い。本にすれば、きっと若い娘さんたちが喜ぶだろうな」
その言葉を聞いた瞬間、胸がふわりと軽くなった。
誰かに価値を認めてもらえたことが、こんなにも嬉しいなんて。
***
活動は想像以上に忙しかった。
文章を清書し、挿絵を描く人を探し、紙の種類や装丁を決める。
やることは山のようにあった。だが、不思議と疲れよりも楽しさが勝っていた。
「カンヌ様、こちらに合いそうなイラストを描いてきました!」
街の少女が差し出したスケッチには、カフェの窓辺で微笑む女性の姿が描かれていた。
「すてき……! ありがとう」
次第に、活動の輪が広がっていった。
友人たちや街の人々が力を貸してくれ、みんなで一冊の本を作り上げる喜びを共有していく。
ある夜、ランスがカンヌに囁いた。
「君は気づいているかい? みんなが君の言葉に惹かれて、自然と集まってきているんだ」
「……私に、そんな力があるんでしょうか」
「あるよ。君は人を笑顔にする力を持っている」
まっすぐな眼差しに、胸がまた熱くなる。
自分の存在が誰かの役に立っている――それを実感できるのは初めてだった。
***
やがて、試し刷りの一冊が完成した。
表紙を撫でた瞬間、カンヌの目に涙がにじんだ。
「……本当に、できたんですね」
隣でランスも静かに微笑む。
「君の努力の結晶だ」
重みのある一冊を抱きしめると、胸の奥に広がっていた不安が嘘のように消えていく。
――私だって、やれるんだ。
侯爵令嬢に何を言われても、この本が証明してくれる。
自分の力で歩き出せるのだと。
***
その夜、カンヌはベッドの上でそっと目を閉じた。
ランスがくれた支えと、街の人々の協力が背中を押してくれた。
自分を卑下する必要なんてない。私は、私のままでいい。
小さな決意が、胸の奥で静かに輝いていた。
やがて迎える告白の返事。
そのとき、胸を張って彼と向き合える自分でありたい――そう願いながら、カンヌは眠りについた。




