閑話4 ナンテーヌ視点 侯爵令嬢の影
侯爵令嬢の影 ― ナンテーヌ視点
舞踏会から数日が経った夜のことだった。私は自室の鏡台の前に座り、葡萄酒のグラスを軽く揺らしながら、侍女が持ってきた噂話を思い返していた。
(……なるほど。ニース=グルノーブル嬢が、カンヌを街角で呼び止め、痛烈に言葉を浴びせた、というわけね)
思わず唇に笑みが浮かぶ。侯爵家の娘らしく傲慢な態度ではあったが、その剣幕は実に好都合だった。伯爵令嬢のカンヌが動揺するには十分だろう。身分差を強調されれば、どれほど想いを抱いていても、自信を揺さぶられるに違いない。
私はグラスを卓上に置き、長椅子に背を預けた。シャンデリアの光が反射して、部屋の壁に揺らめく影を落とす。
(しかし、ニースは感情的すぎる。正面から叩き潰すだけでは、かえってカンヌを奮い立たせかねないわ)
慎重に、けれど確実に。カンヌをランスロットから引き離すには、もっと周到な計画が必要だ。そう考えていると、扉を叩く音がした。
「ナンテーヌ様、ニース様がお見えです」
思わず微笑みが深まる。好機とは重なるものだ。
***
応接室に通したニースは、きらびやかなドレスに身を包んでいたが、その目には苛立ちが宿っていた。
「まったく、あの伯爵令嬢……一歩も引かないのですもの。わたくしが侯爵家の娘であるというのに!」
彼女は扇子を乱暴に閉じて机に置いた。私は穏やかに紅茶を注ぎながら、その様子を眺める。
「ですが、効果はあったでしょう。彼女は迷いを抱いたはずですわ」
「ええ、そうかもしれませんけれど……このままでは、ランス様はあの娘に夢中のままです。悔しくてなりませんわ!」
私はわざと同調するように頷き、声を落とした。
「――ならば、手を組みませんか。目的は同じでしょう? カンヌ嬢とランスロット様を引き離すこと」
ニースの瞳が大きく見開かれる。すぐに驚きは好奇の色へ変わり、やがて企みを共有する者の光を帯びた。
「……あなたも、ランス様を?」
「もちろん。私は公爵夫人になるべき女だと信じています」
堂々と告げると、ニースは扇子で口元を隠しながら笑った。
「ふふ……面白い。ならば、どのように?」
***
それから私たちは、夜更けまで作戦を練った。狙うのはカンヌの心の隙間。ニースが街で浴びせた言葉で芽生えた不安を、さらに大きく育てるのだ。
「例えば、カンヌ嬢に偽の手紙を届けるのです。ランス様が別の令嬢との縁談を進めている、と」
ニースが提案する。私は首を振った。
「それだけでは彼女は動揺するだけ。大切なのは、彼女自身に『自分は邪魔だ』と思わせることです。そうなれば、彼女の方から身を引くでしょう」
「……なるほど」
「だから、彼女が自信を持てる場――本作りや街での活動を利用します。そこに影を落とせば、彼女はランス様と肩を並べる資格がないと考えるはず」
ニースは楽しげに目を細めた。
「実に周到ですわね。よろしいわ、わたくしも協力いたします。あの伯爵令嬢を追い落とすためなら」
私たちはグラスを掲げ、ひそやかに乾杯した。赤い葡萄酒が灯火に照らされ、血のようにきらめく。
(――カンヌ。あなたに居場所はない。私こそが、ランスロット様にふさわしい女なのだから)
その夜、二人の令嬢は共犯者となった。カンヌとランスロットを引き離すための、暗く甘美な企みが始まろうとしていた。




