閑話2 ナンテーヌ視点 公爵夫人への野心
ナンテーヌ視点:公爵夫人への野心
その夜。
ナンテーヌ=ド=マルセルは、自室の化粧台の前で、長い時間をかけて髪を梳いていた。蝋燭の炎がゆらめき、鏡に映る自分の姿を幻想的に照らし出す。
薔薇色の唇、長い睫毛、艶やかな髪――。
鏡の中にいるのは、社交界において十分戦える美貌を備えた「武器」そのものだった。
彼女は小さく鼻で笑った。
「サンオリなんて……所詮は小石。けれど、わたくしが踏みしめるべきは――公爵家の大理石の階段よ」
社交界の噂は耳に入っている。
ランスロット公爵令息が、アヴィニヨン伯爵家の娘カンヌと親しい仲である、と。
カフェでの談笑、馬車で並ぶ姿……誰かが見ては吹聴し、王都中に広まっていた。
ナンテーヌは鏡越しに自分の瞳を見据え、冷笑を浮かべた。
「カンヌ=アヴィニヨン……伯爵令嬢に過ぎないくせに。あの方と並ぶなど、分不相応だわ」
たしかにカンヌは可憐だ。けれど、性格は気弱で恋に溺れる類いの女。そんな女が公爵夫人として家を支えられるはずがない。
――公爵夫人になるのは、このわたくし。
決意を胸に、ナンテーヌは机に向かい、便箋を広げて羽根ペンを走らせた。
第一の作戦。
舞踏会での接近。
来月、王都で夏季舞踏会が開かれる。王弟家系や公爵家は必ず顔を出す。
その場でランスロットと「自然な会話」を交わすこと――それが最初の関門だ。
「舞踏会用のドレスは……もっと華やかに」
深紅のサテンか、翡翠のシルクか。だが彼の瞳に映える色がいい。確か、あの方の瞳は澄んだ青。ならば淡いエメラルドか、白銀のドレスが効果的かもしれない。
第二の作戦。
偶然を装った弱者の演出。
ランスロットは騎士道精神に篤い青年と聞く。困っている女性を放ってはおけない。
ならばわざと小さく転ぶ、手紙を落とす、誰かにぶつかられて困る――些細な出来事でいい。
助け起こす彼の手が差し伸べられれば、その瞬間から縁は始まるのだから。
ナンテーヌは鏡に向かって首をかしげ、小首を傾げる仕草を練習した。頬の角度、まつ毛の伏せ方、唇のわずかな開き……。
「この愛らしさがあれば、きっと心を動かせる」
第三の作戦。
カンヌの孤立。
ただ待つだけでは駄目。ライバルを退けなければ、自分の未来は拓けない。
「カンヌのドレスを『古臭い』と噂してやろうかしら。それとも、別の男性と親しげにしているように見せかける?」
噂は真実である必要はない。人々が信じれば、それが「真実」になる。
カンヌが社交界で笑い者になれば、自然とランスロットの心は冷めていく。そこに自分が優しく寄り添えばいい。
第四の作戦。
支援者の活用。
彼女の叔母は、かつて宮廷侍女を務めていた。今でも王宮に顔が利く。
その人脈を使えば、ランスロットの予定や趣味を探り出すことも容易だ。
「わたくしは顔だけじゃない。人脈も情報も、すべて駆使して公爵夫人の座を奪う」
便箋の上にはびっしりと戦略が並んだ。
舞踏会での接触、偶然を装った出会い、ライバルの失墜、情報網の利用――。
完璧だ。
ナンテーヌはペンを置き、満足げに微笑んだ。
翌朝、彼女は早速行動に移した。
仕立て屋を呼びつけ、舞踏会用のドレスを依頼する。
「生地はリヨンの最高級シルクを。色は……彼の瞳に映える青緑を基調に。裾には銀糸を」
仕立て屋が慌ててメモを取る。ナンテーヌはさらに胸元のレース、袖口のラインまで細かく指定する。
その後は香水商を呼び、彼女自身の印象を形作る香りを探す。
柑橘の爽やかさに甘さを加えた香水――清廉で可憐だが、余韻に色気を残す。
準備を進める彼女の胸には、炎のような野心が燃えていた。
サンオリに縛られかけた過去。
もしもあの男と結ばれていたら、一生を棒に振っていただろう。
けれど今は違う。
狙うのは公爵令息、そして公爵夫人の座。
「必ず、この手に入れる」
窓辺に立ち、青空を仰ぐ。
未来の自分は、煌びやかな舞踏会の中央でランスロットに手を取られ、貴族たちの羨望を浴びている――そんな光景が脳裏に描かれていた。
ナンテーヌはそっと笑みを深める。
「カンヌ=アヴィニヨン。あなたには退場してもらうわ。
公爵夫人になるのは、このわたくし……ナンテーヌ=ド=マルセルなのだから」




