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第2話 ロイヤル・アッサムとスコーン

悪役令嬢の決別 ― カフェ巡りの第二歩


 翌朝。

 カンヌ=アヴィニヨンは、鏡の前でゆるやかにブロンドの髪を結い上げながら、心なしか機嫌がよかった。


「昨日のケーキ……本当に美味しかったわね」


 頬を指で押さえると、微笑みが零れる。

 イチゴの酸味とクリームの甘さが絶妙に絡み合い、舌の上で幸せを作り上げていたあのひととき。

 あれこそ、自分が欲しかったものだ――愛でも虚飾でもなく、確かな喜び。


「お嬢様、今日はどちらへ?」

 支度を整えた侍女マルゴが問いかける。

「もちろん、次のカフェよ。昨日から決めていたの」


 カンヌはドレスの裾を揺らし、胸を張った。

 護衛のエティエンヌは苦笑を浮かべる。

「悪役令嬢がカフェ巡りとは……ずいぶんと穏やかな道を選ばれた」

「だって、断罪される未来なんて真っ平ごめんだもの。それに――紅茶が飲みたいの」


◆◇◆


 王都の大通りから一本外れた通り。

 小さな石畳の道を進むと、緑の蔦に覆われた木造の店が現れた。

 看板には「紅茶の庭」と記されている。


 扉を押すと、優しい鈴の音。

 漂うのは、香り高い紅茶の匂いだった。


「ようこそお越しくださいました。お席へどうぞ」


 出迎えたのは、上品なメイド服を着た店員。

 案内された席は、窓辺に置かれた丸いテーブル。外の庭には色とりどりの花々が咲き乱れ、柔らかな陽光が差し込んでいた。


 カンヌは息をのむ。

「まあ……まるでおとぎ話のサロンみたい」


 運ばれてきたメニューには、数十種類の紅茶の名前が並んでいた。

 アッサム、ダージリン、アールグレイ、ローズヒップ……。


「すごい……紅茶だけで、こんなに種類があるのね」

「お嬢様、どれになさいますか?」


 迷った末、カンヌは「ロイヤル・アッサム」を選んだ。ミルクティーに最適と書かれている。

 さらに、セットのスコーンも注文した。


 やがて銀のポットとカップが運ばれ、芳醇な香りが立ち上がる。

 ポットから注がれる琥珀色の液体は、きらめきを放ち、カップの中で小さく揺れた。


「いただきます」


 一口含む。

 口いっぱいに広がるのは、深く濃厚な香味。

 それをミルクがやわらかく包み込み、まるで温かな毛布のように心を落ち着ける。


「……はぁ。幸せ」


 気づけば、自然に微笑んでいた。

 添えられたスコーンにクロテッドクリームをのせ、ひと口。

 ほろほろと崩れる生地と、甘さ控えめのクリームが紅茶に驚くほどよく合う。


「お嬢様、頬が緩んでいますよ」

「いいじゃない。これを笑わずに食べられる人なんているのかしら?」


 マルゴも思わず吹き出した。

 エティエンヌは外を見張りながらも、口元が少しだけ和らいでいる。


◆◇◆


 しばらくすると、隣の席に座っていた貴婦人二人が、ひそひそと話しているのが耳に入った。


「見て、あの子……アヴィニヨン伯爵家の令嬢じゃない?」

「まあ、昨日サンオリ様に振られたって噂の……」


 その言葉に、カンヌの背筋が一瞬固くなった。

 しかし、すぐに肩の力を抜く。


(もういいの。サンオリのことなんて、どうでもいい)


 紅茶を口に含み、静かに微笑む。

 それだけで、心の中にしっかりとした安定が広がっていった。


 彼女たちはさらに言葉を続けていたが、もはや気にならなかった。

 この香り高い紅茶が、自分にとっての新しい未来の象徴のように思えたからだ。


◆◇◆


 午後になると、カンヌは次なる目的地――パンケーキカフェへと足を運んだ。


 木製の扉を開けると、甘い香りと焼きたてのバターの匂いが広がる。

 ふわふわのパンケーキに、蜂蜜やバター、フルーツが添えられていた。


「……これは誘惑ね」


 メニューの中から、カンヌは「クラシックパンケーキ」を選んだ。

 ほどなくして運ばれてきた皿には、厚みのある三段重ねのパンケーキ。

 上からとろりとバターが溶け、黄金色のシロップが滴り落ちている。


「では、いただきます」


 ナイフを入れると、柔らかく沈み込む生地。

 一口頬張れば、ふわっと広がる卵の優しい風味と、バターの芳醇な香り。

 シロップの甘さがそれらをまとめ上げ、至福のひとときが訪れた。


「……んっ、これは……ケーキとはまた違う魅力ね」


 思わず目を細めるカンヌを見て、マルゴが笑う。

「お嬢様がこんなに楽しそうなお顔をされるの、久しぶりに見ました」

「ふふ、悪役令嬢なんて肩書きに縛られていたら、こんな幸せには気づけなかったわ」


◆◇◆


 カフェを出る頃には、夕日が街並みを黄金色に染めていた。

 馬車の中、窓越しに見える景色を眺めながら、カンヌは心の奥で呟いた。


「これで二軒目。……まだまだ巡るわよ」


 もはや彼女の中に、昨日までの悲しみや屈辱は影も形もなかった。

 代わりにあるのは、未来を自分で選び取るという決意。


 悪役令嬢としての破滅ではなく、自由な令嬢としての旅。

 その道のりは、まだ始まったばかりだった。

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