閑話5 サンオリの断罪
サンオリがカフェでの大失態を演じた翌日、ポール家の屋敷は早朝から重苦しい空気に包まれていた。廊下を歩く召使いたちの視線は、冷たく、どこか怯えている。
噂は瞬く間に広がっていたのだ――
三男坊がカフェで醜態をさらし、さらに殴りかかった相手がとんでもない人物だったということが。
「サンオリ様、伯爵様がお呼びです」
メイド長の声は、冷ややかで感情を押し殺していた。
サンオリは内心の不安を押し隠しながらも、まだどこか楽観的な気持ちを抱いていた。
どうせ父は最初は怒るだろうが、言い訳をすれば理解してくれるに違いない。
そう、カンヌが自分を拒絶したのは一時の気の迷いで、婚約はまだ取り戻せるはずだ――と。
しかし、執務室の扉を開いた瞬間、その甘い考えは木っ端みじんに砕かれる。
「――愚か者がッ!!!」
机を叩きつける轟音とともに、伯爵ボルドーの怒号が響き渡った。
顔は朱に染まり、目は血走っている。
執務机の上には既に数通の手紙が置かれており、その封蝋は王宮やマルセイユ公爵家のものだった。
「お前、己が何をしたか分かっているのか!?」
「……い、いや、その……ただ少し感情的になっただけで……」
「感情的になっただと!? お前が殴りつけたのは、マルセイユ公爵家令息だぞ、殿下の甥御にあたるランスロット殿だぞ!」
サンオリの顔色が一気に蒼白になる。
あの青年が、ただの取り巻きではなく――王弟の子息だと?
「ま、待ってください父上! あれは挑発されて……いや、そうだ、僕のカンヌを奪ったのです!」
「黙れッ!」
再び机を叩く音。
伯爵の声は、怒りを通り越して憤激に震えていた。
「この愚か者が。お前の痴態は既に社交界中に広まっておる。『ポール家の三男、女を巡って王弟の御子息に暴力を振るう』――これがどれほどの恥辱か、想像できんのか!」
「で、ですが……僕は、カンヌを取り戻さなければ……ナンテール嬢にも……」
「そのナンテール嬢からも既に縁談の断りの連絡が来ておるわ!」
伯爵は手元の手紙を突き出した。
そこには「サンオリ様とのご縁談はなかったことに」と冷たく綴られていた。
サンオリの口から情けない声が漏れる。
「そ、そんな……」
「カンヌ嬢からも、きっぱりと断りの返事が届いた。
お前はもう、どこからも見放されておるのだ」
伯爵の言葉は冷厳だった。
室内の空気が凍りつくほどに重い沈黙が落ちる。
「サンオリ。お前はポール家の名を汚した。それも取り返しのつかぬほどにな」
「ま、待ってください父上! 僕は……まだやり直せます! 謝罪をすれば、きっと……」
「馬鹿者!」
伯爵は立ち上がり、怒りで拳を震わせながら叫んだ。
「謝罪で済むものか! 相手は王弟の御子息だぞ! しかも現場には貴族や平民が多数居合わせていた。お前の悪行はすべて目撃されている! 既に『暴力沙汰の不肖の三男』として噂は広まった。王宮からの処分が下るのも時間の問題だ」
「……っ」
サンオリは言葉を失った。
足が震え、膝が折れそうになる。
夢見ていた未来――カンヌとの復縁、ナンテールとの幸せな生活、家門の誇り――それらが音を立てて崩れ去っていく。
伯爵は深く息を吐き、しかし表情は一切和らがない。
「サンオリ=ポール。もはやお前を庇うことはできぬ。ポール家はこれ以上の恥辱を背負うわけにはいかん」
「……っ、父上……まさか」
「――本日をもって、お前をポール家より追放する」
その宣告は冷酷にして絶対的だった。
サンオリは呆然とし、耳を疑った。
だが、父の瞳は一片の情けもなく、決定は覆らないことを告げていた。
「今すぐ部屋を片づけろ。持ち出せるのは最低限の衣服と金銭のみだ。屋敷には二度と足を踏み入れるな」
「ま、待ってください! 僕は……僕はポール家の人間ですよ! こんな……」
「もう何も言うな」
伯爵は冷ややかに視線を逸らした。
その瞬間、サンオリの中で何かが崩れ落ちる音がした。
廊下に出たサンオリを待っていたのは、兄ルジェンの無言の視線と、召使いたちの冷たい眼差しだった。
誰も彼を助けようとはしない。
誰も声をかけない。
彼はただ、孤独に自らの罪を背負うしかなかった。
――こうして、サンオリ=ポールは、父伯爵の激しい叱責と共に、ポール家から追放されることとなったのである。




